CHAPTER 05:フラジャイル・プリンス

 ひりつくような緊張があたりを支配していた。

 

 空中巡洋艦エア・クルーザー主格納庫ハンガーである。

 刺すような殺気の根源は、黒と菫色をまとった二体の巨人騎士――ノスフェライドとゼルカーミラだ。

 その足元には、リーズマリアと、彼女のすぐ傍らに付き従うレーカの姿がある。

 

 格納庫の後ろ半分を占めるサイフィス家の人狼兵ライカントループたちは、銃を下げたまま微動だにしない。

 獣の顔をもつ兵士たちは、呼吸さえ忘れたように茫然と立ち尽くしている。

 

 それも無理からぬことだ。

 すこしでも不審な素振りを見せれば、二騎のブラッドローダーは即座に反撃してくるだろう。

 重水素レーザーやミサイルの猛射に晒されれば、五百メートル級の空中巡洋艦もたちまち灰燼に帰すのだ。

 いまや切迫した生命の危機に瀕しているのは、リーズマリア一行を艦内に迎え入れた彼らのほうなのである。

 

 と、ふいに人狼兵の隊列が割れた。

 

「リーズマリア姫殿下――――」

 

 人狼兵たちのあいだを縫うように近づいてくるのは、ひとりの小柄な少年だ。

 華奢な身体つきと、儚げな面立ちがあいまって、遠目には少女のようにもみえる。

 

 ハルシャ・サイフィス。

 十三選帝侯クーアフュルストサイフィス家の当主にして、侯爵の位をもつ大貴族である。

 至尊種ハイ・リネージュのなかでも指折りの名門の貴公子は、リーズマリアの目の前でふいに膝を折った。

 そればかりではない。両手を格納庫の床に突き、額づくようにこうべを垂れたのである。

 

「お……お許しくださいっ!! こ、こ、このたびは、殿下に大変なご無礼を……」

 

 いまにも泣き出さんばかりに声を震わせるハルシャに、リーズマリアはそっと手を差し伸べる。

 

おもてを上げなさい、ハルシャ・サイフィス」

「で、でも……」

「あなたはこの地の領主でしょう。いたずらに臣下を不安がらせてはなりません」

 

 ハルシャははたと我に返ったように周囲を見回す。

 リーズマリアの言うとおり、人狼兵たちの顔には困惑の色が浮かんでいる。

 主君が衆目のなかでぶざまな姿を見せるとは、たんに個人が恥をかくだけではない。

 その下にいる何千何万という人間を動揺させることにほかならないのだ。

 

「あの!! ……さっきの攻撃は、帝都から派遣された者が勝手にやったことなのです。僕……あ、いや、私はけっして姫殿下に敵対するつもりはありません!!」

「サイフィス侯爵。その言葉に偽りはないと誓えますか」

「もちろんです!! この生命にかけて誓います!!」

 

 ずうん――と、格納庫の床が揺れたのはそのときだった。

 リーズマリアの背後に控えていたゼルカーミラが進み出たのだ。

 菫色の巨人騎士のアイ・センサーは音もなく駆動し、ハルシャをするどく睨めつける。

 

「リーズマリア様、この男の言葉を真に受けてはなりません。ここはこのセフィリアにおまかせを!!」

「ひいっ……ヴェイド女侯爵……」

「答えなさい、サイフィス侯爵!! 先ほどの部隊を動かしていたのがあなたではないというなら、なぜ彼らは頃合いを見計らったように撤退を始めたのです!?」

「そ、それは……えっと……」

「いまの言葉といい、私たちを油断させるために一芝居打ったのではないのですか!?」

 

 セフィリアに烈しく詰問されたハルシャは、すっかり顔色を失ってその場にへたりこむ。

 なさけないといえばあまりになさけない姿であった。選帝侯としての誇りなど欠片も感じられない。

 

 それも無理からぬことだ。

 ハルシャはとして知られているのである。

 その身体能力は、至尊種ハイ・リネージュ――吸血鬼のなかでも最低クラスと言っていい。

 生まれてこのかた合戦いくさはおろか喧嘩の経験ひとつなく、その小心ぶりは儀礼用の剣を握っただけで腰を抜かすほど。

 それでも知力が優れているならまだ救いもあるが、こちらも十人並みかそれ以下ときている。人前に出れば舌がもつれ、相手かまわず許しを請うというありさまなのだ。

 

 いまやハルシャはサイフィス家の若殿ならぬバカ殿として、ほかの選帝侯は言うに及ばず、臣下の貴族たちからも嘲笑の的になっているのだった。

 聖戦十三騎エクストラ・サーティーンのなかでも最強の一角に位置づけられるブラッドローダー”アルダナリィ・シュヴァラ”を所有していることも、いっそう侮蔑に拍車をかけた。

 先の聖戦において赫赫たる戦果を挙げた伝説の機体も、ふさわしい乗り手がいなければただの置物にすぎない。

 ハルシャの手元にあるかぎり、文字どおり宝の持ち腐れというわけなのだ。

 

「そこまでにしておきなさい、セフィリア」

 

 ハルシャを踏み潰さんばかりににじり寄るゼルカーミラを制止したのはリーズマリアだった。

 

「しかし、リーズマリア様!?」

「彼が嘘をついているとは思えません。もし私たちを殺すつもりなら、わざわざ自分の身を危険に晒す必要もないでしょう」

 

 リーズマリアの言葉は、なるほど理にかなっていた。

 敵対するブラッドローダーのまえに我が身を晒すことは自殺行為にひとしいのである。

 むろん、みずからを餌にリーズマリア一行を陥れるつもりなら話はべつだが、ハルシャにそのような胆力などあろうはずもない。

 

 間一髪のところで救われたハルシャははらはらと涙を流しながら、額を床にこすりつけんばかりにしてリーズマリアに哀願する。

 

「姫殿下がお望みとあればなんなりと差し上げます!! りょ、領地も財産もすべて返上いたします。それでも足りなければ、このふね、それにブラッドローダーも……」

「聞きなさい、ハルシャ・サイフィス。私はそのようなものは求めていません」

「じゃあ……や、やっぱり生命で償えと……?」

 

 震える声で問うたハルシャに、リーズマリアは首を横に振る。

 

「今後なにがあっても私たちに危害を加えないと約束できますか」

「も、もちろん――――」

「いま、私たちは帝都へとむかう旅の途上にあります。ただあなたの領地を無事に通過させてくれさえすれば、それいじょう望むものはありません」

「で、でも!! それでは先ほどの非礼のお詫びが……」

「あれがサイフィス家の手の者ではないなら、謝罪は無用です。もし私たちに手を貸したことが帝都に知れれば、最高執政官ディートリヒ・フェクダルは即座にあなたのもとへ討伐軍を差し向けてくるでしょう。彼と一戦交える覚悟がないのなら、私たちについては知らぬ存ぜぬを通すことです」

 

 最高執政官ディートリヒの名を耳にしたとたん、ハルシャは気死したようにだまりこんでしまった。

 あの冷酷な眼光と、低く重い声を思い浮かべただけで全身の毛がそそけだってくる。

 もし戦になれば勝ち目は万にひとつもない。リーズマリアに寝返った裏切り者には降伏すら許されないだろう。

 

 いかに選帝侯といえども、皇帝の代理人たる最高執政官と敵対するには相当の覚悟を必要とする。

 それができるのは、イザール侯爵のように討伐軍を撃退するほどの武勇の持ち主か、セフィリアのように領地と爵位を捨てて旅に同行する覚悟がある者だけだ。

 ハルシャはそのどちらでもないいじょう、見かけだけでも中立を保たねばならないのである。

 

「しょ……承知しました。せ、せめて今宵だけでもでお休みください。このまま移動すれば、帝都には気づかれずに……」

 

 リーズマリアがなにかを言うまえに、ハルシャは早口で言葉を継いでいく。

 

「あっ、あっ……もしすこしでも怪しいと思われたなら、その場で僕の心臓を抉り取ってくれてかまいませんので!! いちいち殺すのも煩わしいと仰せなら、自害いたします!!」

 

 もし断ればこの場で自害しかねない勢いに気圧されたのか、リーズマリアは困惑気味に首肯する。

 

「仕方がありません。……サイフィス侯爵、今夜だけはあなたの厚意に甘えるとしましょう」

「あ、あ、ありがたき幸せ!」

 

 空中巡洋艦エア・クルーザーが西へと航路を取ったのは、それからまもなくのことだった。

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