CHAPTER 03:マシン・チルドレン

 鉄の屍が大地を埋め尽くしていた。

 

 黒灰色ブラックグレーの機体――グレガリアスの残骸である。

 

 大兵力の半数ちかくが失われ、かろうじて動ける機体は、潮が引くみたいに戦場を離脱していった。

 

 ふつう、ここまでの大損害を受けた部隊は、撤退も悲惨きわまりないものになる。

 負傷兵や戦死者を放置し、戦友はおろか上官さえ押しのけて、我がちに戦域からの脱出を図るのである。

 極限状態においては、軍規も階級も意味をなさない。むき出しの生存本能は、脳改造を受けた人狼兵ライカントループであっても変わりはないのだ。

 

 グレガリアスが統率の取れた撤退を演じたことは、彼らがよほど高度な訓練を積んだエリート部隊であることの証にほかならなかった。

 

「……それにしては、どうも妙だ」

 

 ノスフェライドを降りたアゼトは、グレガリアスの残骸に近づいていく。

 撃破された機体のなかでも、比較的原型をとどめている一機である。

 アゼトはじゅうぶんに警戒しつつ、コクピットハッチのふちに手をかける。

 ヒンジを固定する油圧システムが破損していたのだろう。コクピットはあっけなく開いた。

 

「うっ――」

 

 瞬間、コクピットの内部から漂ってきたのは、おもわず鼻と口を覆いたくなるような悪臭だった。

 血のにおいともまたちがう、なにかが腐ったようなにおい……。

 有毒ガスの類ではないようだが、不快な臭気であることにはちがいない。

 

「なんだ、このにおいは……!?」

 

 アゼトは極力空気を吸い込まないように気をつけながら、コクピット内に足を踏み入れる。

 

 ぴちゃ――と、水音が聴こえた。

 おおかた被弾時に漏れ出した燃料電池フューエル・セルの電解液か、あるいは潤滑油か……。

 そんな想像は、しかし、すぐに裏切られた。


 おそろしく狭く、そして殺風景なコクピットだった。

 操縦桿もペダルもなく、計器やディスプレイの類も一切がオミットされている。

 これではとても人間が操縦することはできない。

 グレガリアスが分厚い装甲と機動性を両立できたのも、乗り手ローディのためのスペースをまったく無視しているからこそであった。


 アゼトはなおも機内の探索をつづける。

 本来シートがあるはずの場所には、円筒形の金属カプセルがぽつねんと据え付けられている。


 はそこにいた。

 正確には、すこしまえまで液体に充たされていたであろうカプセルの内部に。


――人間の胎児!?

 

 カプセルの中身を直視した瞬間、アゼトはおもわず言葉を呑んだ。


 一見すると胎児のようにみえるが、よくよくみれば、それはまったくべつのだ。

 肉体の八割を占める巨大な頭部には、目も鼻も口も耳もない。大脳皮質を除くあらゆる部位が退化し、消滅しているのだ。

 脳の末端――ちょうど脊椎のあたりには、ブドウの房をおもわせる内臓と、細い根みたいな四肢がぶらさがっている。

 

 遺伝子改造体ジーン・チューンド

 人間の受精卵に操作をくわえ、脳と神経系のみを肥大化させた人造生命体である。

 資源の払底によりあらたに製造することがむずかしくなった半導体や集積回路に代わり、ウォーローダーを制御するとして有望視されている新技術だ。

 個々の演算能力はコンピュータに及ばないものの、データリンクを用いて複数の個体が群知性スウォーム・インテリジェンスを構築することで、先ほどグレガリアスがみせたような連携戦術も可能となる。


 むろん、生物を部品として使用するには相応のリスクもともなう。

 生命活動を維持するには、つねに新鮮な酸素と栄養を供給してやらねばならない。

 さらには細菌感染を防ぐため、皮膚の代わりとなるカプセルで外界と遮断し、完全な無菌状態を保つ必要もある。

 それら生命維持システムのすべてが破綻したことで、この個体はすでに腐敗が始まっているのだ。

 

「アゼト、どうした!?」

 

 ふとコクピットの外に目を向ければ、こちらにむかって駆けてくるレーカとセフィリアの姿が目に入った。

 

「レーカ、セフィリア、来るな!!」

「なにか見つけたのか!?」

「二人とも、見ないほうがいい……」

 

 玲瓏な声が響いたのはそのときだった。


「私ならかまいませんね、アゼトさん」

「リーズマリア……」

「むしろ、私には見る義務がある。そうですね?」

 

 アゼトは無言で肯んずると、リーズマリアにむかって手を差し伸べる。

 グレガリアスのコクピットへとよじのぼったリーズマリアは、声にならない声を洩らした。

 

「――――っ」

 

 おおきく見開かれた真紅の瞳から、ふいに光るものがこぼれた。

 

「これが……義兄上ディートリヒのやり方なのですね。人間を家畜のように扱うだけでは飽き足らず、人でないものに変えて兵器に組み込むような真似をする……」

「殺したのは俺だ。リーズマリアが託してくれたノスフェライドで、人間を……」

「アゼトさんはなにも悪くありません」

 

 リーズマリアは首を横にふる。

 もしアゼトやレーカ、セフィリアが戦っていなければ、とうにリーズマリアは殺されていたはずだ。

 自分を守るために犯した殺生ならば、その罪は手をかけた者ではなく、守られた自分にある。

 アゼトもそんなリーズマリアの胸中を理解していたからこそ、それいじょう言葉をかけることはしなかった。

 

「せめて埋葬を……」

「いや。この腐敗の進み方だと、カプセルから取り出した瞬間に崩れてしまうかもしれない。そっとしておいてやろう」

 

 アゼトとリーズマリアは狭隘なコクピット内で肩を寄せ合い、胸元で十字を切る。

 

「主よ。その罪を許し、永遠の安息を彼らにお与えください。……アーメン」

 

 それは戦うためだけに産み落とされた遺伝子改造生物が受けた、最初で最後の人間らしい心遣いであった。

 

「リーズマリア様、大変です!!」

 

 外でセフィリアが声を張り上げたのはそのときだった。

 

 急いでコクピットの外に出たアゼトとリーズマリアは、宵空に浮かぶ巨影を認めた。

 雲をおしのけて降下するそれは、文字どおり空を征く船であった。

 

 巡洋航空艦エア・クルーザー”ナクシャトラ”。

 全長はおよそ五百メートル、総排水量は三十万トンにおよぶ巨艦だ。

 十三選帝侯クーアフュルストのなかでも、ごく限られた家だけがもつ大型戦闘艦である。

 優雅な曲線を描いてそびえる艦橋マストには、サイフィス家の家紋――牡牛タウラスをあしらった旌旗がはためいている。

 

「リーズマリア、どこか安全な場所に!!」 

 

 アゼトは反射的にノスフェライドにむかって駆け出していた。

 セフィリアはゼルカーミラ、レーカはヴェルフィンに早くも乗り込んでいる。


 グレガリアスとの戦いはあくまで前哨戦にすぎなかったのだ。

 あれだけの巨艦ともなれば、内部には師団規模のウォーローダー部隊を搭載しているだろう。

 それだけならまだいい。

 敵がこのタイミングでブラッドローダーを投入してくる可能性もゼロではないのだ。


(厳しい戦いになる……)

 

 そう覚悟したアゼトがノスフェライドに乗り込もうとしたとき、素っ頓狂な声が上空から降ってきた。

 

「あー……あー……聞こえていますかあ!?」 

 

 不審げに見上げる一同をよそに、巡洋航空艦からはなおも調子外れな声が流れる。

 

「あ、あの、僕……いえ私はハルシャ・サイフィスといいます。十三選帝侯クーアフュルストサイフィス侯爵家の当主……です。えっと、僕は、み、みなさんと敵対するつもりはなくてっ!! さっきの攻撃も、帝都の人が勝手にやっただけ……というか……」

 

 しどろもどろになりながら、ハルシャは懸命に言葉を絞り出そうとする。

 

「ええと、その――――つまり、僕、ハルシャ・サイフィスは、リーズマリア様の味方です!!」

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