CHAPTER 02:ダブル・フェイス

 サイフィス家が所有する塔市タワー――――

 その中層階に設けられた作戦指令所は、時ならぬ喧騒に包まれていた。


 かなり広い空間である。

 各種の情報管制インフォメーションデッキが階段状に配置され、前方の壁一面を占める超大型モニターには、領内全土のリアルタイム映像が映し出されている。

 先ほどから軍服を着込んだ吸血鬼――至尊種ハイ・リネージュの将校が慌ただしく出入りし、人狼兵ライカントループの通信兵は食い入るように情報ディスプレイを凝視している。

 そこかしこでささやくような会話が漏れ聞こえるのは、話すことですこしでも緊張を紛らわせようとしているのだろう。

 

 それも無理からぬことだった。

 サイフィス家でこれほど大規模な軍事作戦がおこなわれるのは、聖戦以来はじめてなのだ。

 家臣たちはいずれも戦後生まれであり、実戦経験がある者は皆無だ。

 十三選帝侯クーアフュルストでも指折りの名家ということもあって、他家との合戦もほとんど記録にないのである。

 帝都から送り込まれた軍事貴族たちに指示をあおぎながら、どうにか作戦の体裁だけは整えたというわけだった。

 

「グレガリアス、ノスフェライドおよびゼルカーミラと接触」

「第十三から第二十二連隊レジメント、被害率が九◯パーセントを突破。予備部隊と交代させます」

群知性スウォーム・インテリジェンスシステムの処理速度、三・五パーセント低下。許容限界値まであと……」

 

 帝都からやってきた精鋭のオペレーターは、あくまで坦々と、機械的な声色で告げる。

 そこには、味方が劣勢であることへの負い目も、敗北への不安も感じられない。

 

 そんな彼ら彼女らとは対照的に、指令所の中央に座した少年は、青ざめた顔でモニターを見つめている。

 肌と髪の色は抜けるように白く、身体の線はたよりないほど細い。

 純血の至尊種ハイ・リネージュの証である紅い瞳も、こころなしか涙ぐんでいる。

 軍事施設にいるのが場違いというほかない、見るからに繊弱な美少年だった。

 

「ど……ど、どうしよう……?」

 

 少年はどもりつつ、傍らに立った男に問いかけた。

 

 こちらは少年とは真反対の、剛勇を絵に描いたような偉丈夫である。

 短く刈り上げた髪と、苦いものを含んだような表情は、典型的な職業軍人のそれだ。

 軍服の上からでも、はちきれそうな筋肉の隆起がはっきりと見て取れる。

 その胸元で輝きをはなつ剣型の徽章は、帝都防衛軍団に所属するエリートの証にほかならない。

 

 軍服姿の男――グッゲンハイム伯爵は、見た目に違わぬ渋く太い声で少年に告げる。

 

「ご心配めさるな、サイフィス侯爵閣下。わがグレガリアスは予想以上に善戦しております。逆賊リーズマリア・シメイズ・ルクヴァースは、いかなる犠牲を払ってもかならずや討ち取ってごらんに入れる」

「そ、そういうことじゃなく……て……」

「では、どういうことです?」

 

 少年――選帝侯ハルシャ・サイフィスは、蚊の鳴くような声でぽつりと呟く。

 

「このまま攻撃を続けたら、リーズマリア様が、死……あいや、亡くなられてしまうんじゃ……僕はそれが心配で……」

 

 予想だにしていなかった発言に意表を突かれたのか、グッゲンハイムの視線はしばし宙を漂った。

 ややあって、屈強な軍事貴族は、壊れものを触るように注意深く少年領主に問うた。

 

「閣下、このたびの作戦の目的は再三ご説明したはずです。まさかお忘れになったのですか?」

「忘れてない!! 忘れてないです……でも……」

「でも、なんだというのです」 

 

 わずかな沈黙のあと、ハルシャはためらいがちに言葉を継いでいった。

 

「こんなふうにみんなからお命を狙われて、リーズマリア様がかわいそう……」

「はあ?」

「それに、あのグレガリアスも……あんなものが何百機束になってもブラッドローダーに勝てないのは分かりきってるのに、は死ぬためだけに戦わされているようなものでしょう」

「それが軍人の務めです。だいたい、グレガリアスに乗っているのはふつうの人狼兵では……」

 

 そこまで言いかけて、グッゲンハイムは「しまった」とでも言うように言葉を噛み殺す。

 ごまかすようにわざとらしく咳払いをすると、背筋を伸ばして声を張り上げる。

 

「ハルシャ・サイフィス閣下!! わがほうの予備戦力はまだ十二分に残っております。さらなる波状攻撃によってノスフェライドとゼルカーミラを疲弊させ、隙が生じたところで、リーズマリアが乗っている船に別働隊が総攻撃をかける計画に変わりはございません。この期に及んで中止するなどとは、たとえ選帝侯たる閣下の御命令といえども――――」

 

 グッゲンハイム伯爵はそこで言葉を切った。

 

 むろん、自分の意志でそうしたのではない。

 軍服の襟元を掴まれ、と引き寄せられたのだ。


「な、なにを!? ――――」

 

 とても少年の細腕とはおもえぬ、抗いがたい膂力だった。

 

の城であまり調子に乗るな。最高執政官の使い走りふぜいが――――」

 

 ハルシャが軽く肘を曲げるのに合わせて、グッゲンハイムの顔がぐっと近づいた。

 振りほどこうにも、まるで金縛りに遭ったみたいに身体が硬直している。

 

「ただちにこのくだらん作戦を中止しろ。即刻だ」

「サ、サイフィス侯爵……?」

「おまえたちの戦下手にはまったくヘドが出る。ディートリヒもディートリヒだ。こんな姑息な策でリーズマリアを討ち取ろうとは、浅はかというほかない」

 

 は、呵呵と哄笑する。

 ひ弱な少年とは似ても似つかない、それはひどく残酷な笑い声だった。

 

「グッゲンハイムとやら、聞こえたな? 心臓をえぐり取られたくなければ、早々にあのガラクタどもに撤退命令を出せ。不服ならここで死ぬか」

 

 グッゲンハイムは反論することもできず、消え入りそうな声で「了解」と応じるのがせいいっぱいだった。

 逃げるように作戦指令所を出たグッゲンハイムの背中にむかって、ハルシャは軽蔑したように鼻を鳴らす。

 

「揃いも揃って愚物どもめ。リーズマリアを殺すのにくだらぬ策を弄する必要などない。わが最強のブラッドローダー”アルダナリィ・シュヴァラ”が、ノスフェライドもろとも消し去ってくれる――――」

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