CHAPTER 11:ラスト・メッセージ

 廃墟の町を風が吹き抜けていった。

 ヨハンは長銃ライフルを脇に挟んだまま、アルギエバ大公とリーズマリアにむかって歩を進めていく。


「カスパルめ、油断したか……」


 アルギエバ大公は誰にともなくごちる。

 二人の腹心を失ったにもかかわらず、その声色はあくまで冷たい。

 戦場における生き死には、あくまで当事者の責任に帰する。

 まして人間ごときに倒されたとなれば、同情にも値しないのである。


「いますぐリズを解放しろ、吸血鬼」


 ヨハンはその場で立ち止まり、銃をかまえる。

 吸血鬼に銃弾が通用しないことは承知している。

 ほんとうの切り札は、袖口に忍ばせた銀の十字架ロザリオだ。

 奇跡のような偶然に生命を救われたことで、ヨハンはたしかな自信を得た。

 アルギエバ大公をまえにしても物怖じする様子はない。


「解放しろ――か。貴様の願いを容れたとして、それからどうする」

「おまえには関係ない……」

「この娘は至尊種ハイ・リネージュだ。いま解き放てば、貴様も喰い殺されるぞ」

「そんなはずはない。リズは人間だ。俺がぜったいに人間に戻してみせる!!」


 力強く言いきったヨハンに、アルギエバ大公は嘲るような笑みを浮かべる。


「まだわからんのか。至尊種ハイ・リネージュこそは万物の真の霊長。そして、貴様ら人間は、血液を供給するためだけに生かされているだけの家畜にすぎん」

「だったら、どうしてリズは人間として育てられたんだ!?」

「それこそ私の知ったことではない。まったく、にも困ったものよ」


 アルギエバ大公はかすかに首を横に振り、疲れたようにため息をつく。


「貴様のような虫けらにかかずらっている暇はないが、カスパル伯爵を倒したとあっては捨て置くわけにもいかん。ここで死ね、小僧」


 アルギエバ大公の左手が上がった。

 吸血鬼にとって、武器はかならずしも必須ではない。

 熟練した使い手であれば、指先から真空の刃を打ち出すこともできるのだ。

 ヨハンの胴を両断する程度なら、人差し指を軽く弾くだけで事足りる。


 ヨハンの左袖から光るものがこぼれたのはそのときだった。


「見ろ、吸血鬼!!」


 ヨハンがアルギエバ大公に突きつけたのは、まさしく銀の十字架ロザリオだ。

 するどい金属光を放つ十字架を掲げ、ヨハンは大公に近づいていく。


「なるほど、十字架か。……カスパル伯爵が討たれたのも道理だ」


 アルギエバ大公は、しかし、十字架を睨んだまま苦しむそぶりもない。

 泰然自若たるその佇まいにたじろいだのはヨハンだ。


「なぜだ……!?」

「教えてやる、小僧。聖戦を生き抜いた至尊種ハイ・リネージュは、十字架ごときでぶざまな姿を見せはせぬ」


 言葉とはうらはらに、アルギエバ大公の眼と脳は耐えがたい激痛に苛まれている。

 どれほど訓練を積んだところで、吸血鬼が十字架の苦痛に慣れることはない。

 だが、人間のまえで醜態をさらすことは、誇り高い吸血貴族にとってなによりの屈辱なのだ。

 発狂するほどの苦しみのなかでも平静を装わしめているのは、吸血鬼としての矜持プライドにほかならない。


「だが……十字架の秘密を知ったとなれば、ますます生かしてはおけぬ」


 アルギエバ大公は、ぴんと伸ばした左の人差し指と中指を合わせると、そのままゆるやかに振る。

 

 ヨハンの左手首が宙を舞ったのは次の瞬間だ。

 十字架を握りしめた少年の手首は、弧を描いて瓦礫のあいだに落ちた。

 

「ぐああああっ――――」


 左手首の切断面がぼっと血を吐いた。

 あまりの激痛に、ヨハンは長銃を振り捨て、その場にうずくまる。

 アルギエバ大公が二本の指で剣をつくり、不可視の斬撃を繰り出したのだとは、むろん知る由もない。

 脈動に合わせてとめどなく流れ出る血はヨハンの下半身をたちまち赤く染め、地面にまで広がっていく。


 と、アルギエバ大公に吊り上げられていたリーズマリアの身体がびくんと跳ねた。

 濃厚な血のにおいに反応したのだ。

 傷ついた肉体を癒やし、渇きを潤してくれる美味なる血の香に……。

 

「小僧、この娘がほしいか?」

「リズを……離せ……吸血鬼……」

「ならば望みどおりにしてやる」


 言うが早いか、アルギエバ大公はリーズマリアを放り投げる。

 

「リズっ!!」


 ヨハンは傷口を押さえたまま、とっさにリーズマリアに近づこうとする。


「――――」


 転瞬、ヨハンの視界はぐるりと反転した。

 なにが起こったのかもわからないまま、首筋にするどい痛みが走る。

  

「あ……」


 その瞬間、ヨハンはすべてを理解した。

 リーズマリアがなにをしたのか。

 そして、とうとう自分にはなにも出来なかったのだということも、また。


「いい……よ……」


 無我夢中で血を貪るリーズマリアに、ヨハンはやさしく語りかける。


「俺の血ならいくらでも吸ってくれ……でも……」


 少年の目から涙があふれた。

 視界は黒く狭まり、不思議と痛みはやわらいでいる。

 うすれゆく意識のなかで、ヨハンはあるかなきかの声で言葉をつむぐ。


「おねがいだよ、リズ……人間を殺すのは、これで最後に――――」


 かぼそい声が途絶えたのと、リーズマリアがヨハンの首筋から唇を離したのは同時だった。

 鼓動を止めた少年の胸に、光るものがひとつぶ落ちた。

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