CHAPTER 08:ヴァンパイア・ウォーフェア

「き、吸血鬼――――」


 三人の男たちの姿を認めた瞬間、ヨハンは無意識にその言葉を口にしていた。

 すかさずヨハンを睨めつけたのは黒い肌の男――カスパル伯爵だ。

 真紅の双眸に怒りの炎をたぎらせた吸血貴族は、朗々たる声で吠える。


「そこなる下郎、口を慎めッ!! 十三選帝侯クーアフュルストが筆頭、バルタザール・アルギエバ大公殿下の御前なるぞ!!」


 ただでさえ青ざめていたヨハンの顔は、ほとんど白蝋と化した。

 辺境に棲まうすべての人間にとって、その名は恐怖と圧政の象徴にほかならない。

 最も気高く、そして冷酷なる支配者。

 吸血鬼の中の吸血鬼ヴァンパイア・オブ・ヴァンパイア――それが”蒼の大公ブルー・ハイネス”バルタザール・アルギエバなのだ。


「よい、カスパル伯爵」

「しかし殿下……」

「いまはリーズマリアの捕縛に専心せよ。虫けらにかかずらっている暇はない」


 アルギエバ大公はヨハンには一瞥もくれず、屋根の上に視線を移す。

 リーズマリアは獣のように身を低く伏せながら、地上の様子をじっと伺っている。

 真紅の瞳を爛々と輝かせ、おおきく裂けた唇からするどい犬歯をむき出しにした悪鬼のごとき形相。

 美しく淑やかな修道女シスターの面影はどこにもない。

 

「リーズマリアめ、血に酔い狂ったか」


 眉間に皺を寄せたアルギエバ大公は、だれにともなく呟く。

 努めて冷静を装っているが、その声音には隠しようのない苛立ちが滲んでいる。


「ただでさえは強烈なもの。渇きにまかせてこれだけの人間を貪り喰えば、狂いもしよう――――」


 言いざま、アルギエバ大公は腰に佩いた長剣サーベルに手をかける。


「聞け――カスパル伯爵、メルキオル男爵。皇后アルテミシア陛下は極力傷をつけぬようにと仰せられたが、このバルタザール・アルギエバが許す。あらゆる手を使ってリーズマリアを生け捕りにせよ」

「大公殿下、それは!!」

「二度も言わせるな。背骨をへし折るもよし、手足を斬り落とすもよし。……心臓さえ無事であれば、身体の傷などすぐに癒える」

 

 アルギエバ大公はいつでも抜刀できるよう、剣把に指をかけたまま、リーズマリアにむかって右八相の構えをとる。


「リーズマリアはの血を継いでいることを忘れるな。潜在能力は我らと同等か、あるいはそれ以上。……たかが小娘ひとりと見くびってかかれば、こちらが殺られるとおもえ」


 ひりつくような緊張感が一帯を包み込んでいく。

 と、アルギエバ大公を差し置いて、ぬっとリーズマリアのまえに進み出た人影がある。

 禿頭スキンヘッドの偉丈夫――メルキオル男爵であった。


「なんのつもりだ、メルキオル男爵?」


 寡黙な巨漢は、氷の刃みたいなアルギエバ大公の言葉にも動じることなく、重く錆びた声で応じる。


「畏れながら申し上げる。リーズマリア様はいずれ至尊種ハイ・リネージュの頂点に立たれるべきお方。そのようなお方に刃を向けるは、大逆罪にひとしき重罪にございます」

「それがどうしたというのだ?」

「大公殿下には十三選帝侯クーアフュルストの重鎮として、今後も至尊種ハイ・リネージュを導いていただかねばなりません。もし殿下がリーズマリア様に傷をつけたとあれば、最高執政官ディートリヒ・フェクダルの一派につけ入る隙を与えることにもなりましょう。どうか、ここは私どもにお任せください」


 アルギエバ大公がなにかを言うよりはやく、カスパル伯爵がメルキオル男爵の隣に進み出た。


「よく言った、メルキオル男爵。このカスパルも気持ちはおなじだ」

「伯爵閣下……」

「皇帝陛下の娘御に刃向かうのは我らだけで充分。大公殿下、ここはお任せあれ」


 アルギエバ大公はカスパル伯爵とメルキオル男爵の顔をすばやく瞥見すると、ふっとちいさなため息をつく。

 ふたりの覚悟は本物だ。いまさら止めたところで、どちらも軽々しく言を左右にするような男ではないことは承知している。


「よかろう。だがくれぐれも用心を怠るな、カスパル、メルキオル」

「御意――――」


 言い終わるが早いか、カスパル伯爵とメルキオル男爵の姿は霞のようにかき消えていた。


 むろん、本当に霧散したのではない。

 地面を蹴ったふたりは、そのまま地下都市の天井へと飛び移ったのだ。

 吸血鬼の並外れた身体能力をもってすれば、十メートル以上も垂直に飛び上がることは造作もない。

 重力に逆らい、天井を足場に変えて疾駆することも、また。


「おくれるな、メルキオル男爵!!」


 天井を駆けながら、カスパル伯爵は片刃の長剣を両手もろてにかまえる。

 ゆるやかに反った刀身をもつその剣は、日本刀のなかでも打刀と呼ばれる形式のものだ。

 最終戦争で勝利を収めたのち、人類の文化遺産を接収した吸血鬼たちは、わけても古い刀剣類に並々ならぬ関心を示した。

 彼らは銃を無粋な武器として毛嫌いする一方で、刀剣に美術品としての価値をみとめ、所有欲と名誉欲とを同時に満たす道具として珍重したのである。


 カスパル伯爵の愛刀は、いにしえの銘刀を精巧に再現した写しレプリカである。

 写しとはいえ、最先端の素材と技術が惜しげもなく投じられている。当然、その切れ味は真作オリジナルの比ではない。

 そこに長年にわたって皇帝の近衛隊長を務めたカスパル伯爵の技量が加われば、刀剣のもつポテンシャルは最大限に引き出される。

 彼がしばしばアルギエバ大公の懐刀と呼ばれるのも、けっしてゆえなきことではないのだ。


「承知ッ!!」


 メルキオル男爵は、裂帛の気合とともに両の拳を打ち合わせる。

 耳をつんざく金属音が一帯を領したのは次の瞬間だ。

 男爵の手首から指先までをすっぽりと覆っているのは、するどい金属光沢を帯びた篭手ガントレットである。

 篭手とはほんらい防具の一種だが、メルキオル男爵のそれはあきらかに趣を異にしている。

 超硬合金の骨格フレームを流体金属で隙間なくコーティングし、剛性と柔軟性を両立した特製の篭手は、純粋な武器として生み出された。

 敵の攻撃を防ぐのではなく、メルキオル男爵のありあまる膂力パワーを受け止め、その破壊力のすべてを敵に叩きつけるための道具なのだ。

 素手でパンチを繰り出せば自分の腕が砕けるメルキオル男爵だが、この篭手を装着しているかぎり、おのれの身体が破壊される心配はない。

 敵にとってはこのうえなく恐ろしい凶器であった。


 カスパル伯爵とメルキオル男爵が天井を蹴ったのはほとんど同時だった。

 かろやかに身を躍らせたふたりの吸血鬼は、教会の屋根に立つリーズマリアめがけて殺到する。

 いかに吸血鬼といえども、空中で動くことはできない。

 いったん飛び上がってしまえば、、ふたたび足がつくまでは姿勢を転換することさえままならないのである。

 こと吸血鬼同士の戦いにおいて、敵前での跳躍が絶対の禁じ手とされているのはそのためだ。


 にもかかわらず――――

 歴戦の勇士であるカスパル伯爵とメルキオル男爵は、ためらうことなく飛んだ。

 本来であれば、戦いの常道セオリーを外れた下策中の下策。

 ふたりがあえて愚挙におよんだ理由はすぐに知れた。


「はあッ!!」


 気合一声、カスパル伯爵はメルキオル男爵の篭手ガントレットを両足で力強く蹴り、空中でさらに加速したのである。

 メルキオル男爵を発射台カタパルトとして、カスパル伯爵はみずからを一個の砲弾へと変えたのだ。

 カスパル伯爵の身体はまたたくまに音速を超え、不可視の衝撃波ソニックブームが一帯の家屋をなぎたおしていく。

 教会も無事では済まない。リーズマリアもバランスを崩し、あやうく屋根から滑落しそうになっている。

 

(姫殿下、御免――――)


 カスパル伯爵は心中で呟くと、愛刀の柄を握りしめる。

 神速の居合でリーズマリアの四肢を切断し、抵抗力を奪ったうえで身柄を拘束する……。

 残酷な方法にはちがいないが、ほかに有効な手立てはない。

 血に狂い、完全に理性を失った吸血鬼を捕らえるのは、おなじ吸血鬼にとってもそれほどむずかしいのだ。


 荒れ狂う風を裂き、するどい銀閃がほとばしったのは次の瞬間だった。

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