CHAPTER 03:ジ・オーヴァーチュア

 寂蒔としずまりかえった銀世界に、氷雪を踏みしめる音が響いた。


 いま、昼下がりの雪原を進んでいくのは、十五人ばかりの男たちである。

 いずれも丈長の防寒コートを着込み、火薬式長銃を肩に吊っている。ベルトに無造作に突っ込まれているのは、革の鞘に収まった山刀だ。

 狩りを終え、シドンⅨへの帰路につく猟師ハンターたちであった。


 幾人かは太い鋼索ワイヤーを握りしめ、をおもわせる平たい雪車そりを曳いている。

 雪車の上には、猟師たちが仕留めたウサギやキツネ、野鳥が山と積まれている。

 なかでもひときわ目を引くのは、ゆうに一トン以上はあろうかという巨大な四足獣である。

 寒冷地に棲息するヘラジカ――正確には、戦後に誕生したその変異種であった。


 最終戦争によって破壊されたのは人類の文明だけではない。

 戦時中に濫用されたN生物B化学C兵器は広範囲に不可逆的な汚染をもたらし、大型の肉食動物をことごとく絶滅に至らしめたのである。

 生態系にぽっかりと生じた空白を埋めるように台頭したのは、シカやスイギュウ、レイヨウといった草食動物だ。

 最大の天敵だった大型肉食獣が絶滅したことで、草食動物は自然界における食物連鎖の頂点に立ったのである。

 餌となるイネ科の雑草が、戦後の深刻な土壌汚染をものともせず、いちはやく分布域を回復したことも追い風となった。


 淘汰圧の消滅は、草食動物の巨大化を促進した。

 ヘラジカを例に取れば、現生種の大きさは戦前の二倍から三倍ほどになっている。

 捕食者なき環境では素早さは必要とされず、繁殖形態も従来の多産多死型から、強く大きな幼獣を少数生む方向へとシフトしていった結果だ。

 肉食獣に較べれば気性はおだやかとはいえ、これほどの巨体ともなれば、生身の人間にとっては充分な脅威となる。

 たとえ銃を用いたとしても倒すのは容易ではない。それどころか、反撃に遭って殺される可能性のほうがずっと高いのである。


 猟師ハンターとは、そうした超・大型草食動物の狩猟を専門とする職能集団だ。

 装甲プレートが縫い付けられた防護ジャケットと旧式の火薬式長銃、そして山刀マチェットをトレードマークとする彼らは、つねに集団で狩りをおこなう。

 さまざまなトラップを利用し、巧みな連携によって巨大な獲物を追い詰めるのである。

 旧人類軍の山岳特殊部隊アルピーニの末裔ともいわれるが、むろん真偽を確かめる術はない。

 現代いまを生きる猟師たちにとって、重要なのは日一日を生き延びることであり、それ以外はすべてが取るに足りない些事なのだ。


「くそ、今日のはやけに重てえな――――」


 鋼索ワイヤーを肩に担いだヨハンは、だれにともなくごちる。

 猟師たちの集団には、頭領かしらを頂点とする明確な序列が存在する。

 獲物を載せた雪車そりを引くのは未熟だが最も体力のある若い猟師――ヨハンら少年たちの仕事であった。

 若いとはいえ、きつい重労働であることに変わりはない。火薬式長銃と山刀にくわえて、食料やテントを詰め込んだ背嚢ザックを背負っているとなればなおさらだ。


「なんだヨハン、もうへばったのか? おまえはナリが小さいんだから無理するなよ」

「独り言だ。てめえこそ黙って曳けよ、トーマ」


 隣でやはり鋼索を曳いている背の高い少年――トーマにからかわれ、ヨハンは腹立たしげに吐き捨てる。


「女のことばかり考えてるから力が入らねえのさ」

「なんだと?」

「教会の娘――リーズマリアだったか? おまえがあの娘に会いたくて教会に通ってることくらい知ってるんだぜ」


 ヨハンはなにも言わず、トーマを横目で睨む。


「ありゃたしかにすげえ美人だ。こんな田舎にいるのが不思議なくらいさ。しかしなあ……」

「しかし、なんだ?」

ってのも考えものだぜ」

「てめえ、なにが言いたい」

「里のイモ女どもに較べると、目鼻立ちも肌の白さも人間離れしてて怖いくらいだ。まるで吸血鬼――――」


 トーマが言い終わるより早く、ヨハンはその顔面に拳骨を叩き込んでいた。

 よほど強く殴りつけたらしい。トーマの鼻から盛大に血が噴き出し、雪にあざやかな朱が散った。


「や……やりやがったな、このクソチビ!!」

「自業自得だ。ぶっ殺されなかっただけありがたいとおもえ」

「吸血鬼が教会にいるわけねえだろうが。冗談にムキになりやがって、あの娘の恋人気取りかよ」

「一発じゃ足りなかったとみえるな――――」


 ヨハンが振り上げた拳は、そのまま空中で静止した。

 横合いから丸太みたいな腕がぬっと伸び、ヨハンの手首を掴み取ったのだ。

 いつのまに近づいたのか、ヨハンの傍らには白髯の老人が立っている。

 齢は七十にちかい。上背はさほどでもないが、分厚く隆起した筋肉は防寒コートの上からでもはっきりと見て取れる。


「爺ちゃん……いや、頭領カシラ、止めないでくれ!!」


 と硬い音が響いたのは次の瞬間だ。

 ヨハンの抗弁に、頭領は鉄拳制裁というかたちで答えたのだ。

 トーマとおなじように鼻血を噴きながら雪に倒れ伏したヨハンに、老人は凄みのある声で告げる。


「バカどもめ。里に戻るまで油断は禁物ということを忘れたか。喧嘩は帰ってからにせい」


 なおもなにかを言いたげなヨハンに、頭領カシラは厳しいまなざしをむける。


「狩りでは孫だろうと特別扱いはせん。おまえも儂を祖父だとおもうな。それが猟師の掟だ」

「はい……」


 どこからか奇妙な音が聞こえてきたのはそのときだった。

 風鳴りによく似た、しかし、風よりもはるかにするどい響きを帯びた音……。

 ヨハンとトーマだけでなく、ほかの猟師たちも一斉に空を見上げている。

 灰色の雲の彼方から、なにかが猛スピードで近づいてきている。


 それがなんなのかはだれも知らない。

 それでも、猟師としての勘はひとつの事実を告げていた。

 なにか恐ろしいものがやってくる。

 この世のどんな猛獣よりも危険な存在が。


「みんな伏せろッ」


 頭領カシラが叫んだのと、すさまじい衝撃が大地を叩いたのは同時だった。


 上空から吹きつける暴風雪ダウンバーストだ。

 雪と氷が舞い上がり、猛烈な風に弄ばれてはげしく渦を巻く。

 吹き飛ばされそうになったヨハンは、無我夢中で雪車そりにしがみついていた。


 いったいなにが起こったのか。

 これまで狩りのさなかに猛吹雪に遭遇したことは何度かあるが、これほどの恐怖を感じたのははじめてだった。

 それは若いヨハンだけでなく、ほかの猟師たちも同様だろう。


 おそるべき暴風雪が吹き荒れたのは、実時間にしてほんの数分。

 それでも、渦中にいるヨハンには、ほとんど永遠のように感じられたのだった。


「……行ったか」


 全身に張りついた雪を払いつつ、頭領カシラはぽつりと呟いた。

 ヨハンはすばやく頭領のもとへ駆け寄ると、


「頭領、あれはいったいなんだ!?」


 震える喉から声を絞り出すように問うた。

 頭領はしばらくなにかを考えるようなそぶりを見せたあと、重い口を開いた。


「吸血鬼のブラッドローダーだ。ちょうど儂らの真上を通り過ぎていったのだろう」

「でも、ブラッドローダーを見た人間は殺されるんじゃ――――」

「もし殺すつもりなら、いまごろ儂らは塵ひとつ残ってはおらんだろうて。しかし……」


 ヨハンは腰が抜けたようにその場にへたりこむ。

 ようよう集まってきたほかの猟師たちも、みな一様に青ざめた顔で空を見上げるばかりだった。

 

――


 ヨハンの耳には、頭領カシラが小声で呟いたその言葉が、いつまでもこびりついていた。

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