リーズマリア編

CHAPTER 01:アンダーグラウンド・チャーチ

 電灯のおぼろな灯りが闇をやわらげていた。

 天井こそ低いものの、かなりの広さと奥行きをもった部屋である。

 窓はない。出入り口も狭く、大人の男が身をかがめなければ入れないほどだ。

 まるで外から覗き込まれるのを極端に恐れているようであった。


 入り口からみていちばん奥の壁際には、飾り気のない祭壇が設けられている。

 その正面には簡素な長椅子が五脚ばかり並べられ、二十人ほどの人間がそこに座したままじっと息をひそめている。

 男もいれば女もいる。年齢も下は生後まもない幼児から、上は百歳ちかい老人までさまざまだ。

 彼らはときおり顔を上げては、正面の壁に掲げられた十字架――正確には、のちいさな御像を凝然と見つめている。

 

 と、祭壇の両脇からふたつの人影が歩み出た。

 ひとりは黒い司祭服をまとった五十がらみの男。

 そしてもうひとりは、そのかたわらに影みたいに付き従う修道服姿の少女だ。

 少女が歩きながら振り香炉を揺らすたび、吊り下げられた鈴がと軽妙な音を立てる。

 本来であれば炉のなかで乳香オリバナムが焚かれているはずだが、動植物の大部分が絶滅したこの時代、天然の樹脂香料などむろん手に入るはずもない。

 あくまで形を似せただけの模造品イミテーションであった。


「天にましますわれらの父よ――――」


 司祭がおごそかに口を開くと、群衆もやや遅れて唱和する。


「御名が崇められますように。御国が来ますように。御心がおこなわれますように――――」


 修道服の少女も、振り香炉を壁にかけ、熱心に祈りの言葉を口にしている。

 年の頃は十四歳ほどだろう。

 目深にかぶった頭巾ウィンプルの下でもなお目を引く整った顔立ち。

 輝くような銀灰色シルバーアッシュの長い髪と、冬の湖のように澄んだ

 つややかな唇から紡がれるのは、百人の聖歌隊も及ばぬだろう玲瓏たる美声であった。


「わたしたちの罪を赦してください。わたしたちも罪ある人を赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪しき者からお救いください。――――アーメン」

 

***


「ねえ、リズお姉ちゃん。まだお仕事終わらないの?」


 ふいに修道服の裾をちいさな手に掴まれて、銀髪の少女は背後を振り返る。

 不満げな表情でこちらを見つめる男の子と女の子だ。

 年の頃はどちらも四、五歳。兄妹らしく、髪の色はどちらもくすんだ赤毛ジンジャーであった。


 リズと呼ばれた少女は、彼らとおなじ目線になるようしゃがみこむ。


「ごめんなさい。お姉ちゃんは礼拝の後片付けをしなくちゃいけないの。これが終わったら遊んであげるから」

「ほんとう?」

「もちろん。神様のまえで嘘はつけないもの。だからダニエルもアナも、すこしいい子にしていてね」


 長椅子の影からぬっと腕が伸び、ダニエルとアナの襟首を掴んだのはそのときだった。

 

「こら、悪ガキども。そんなに遊びたいなら、俺が遊び相手になってやるぜ」


 そう言って長椅子の背から顔を出したのは、砂色ベージュの髪の少年だ。

 いささかサイズの合わないロングコートの下には、ハード・セラミクス素材の防弾板が鋲打ちされた装甲プレートジャケットを着込んでいる。

 辺境に住む人間がその格好を見れば、彼が猟師ハンターであることはすぐにわかる。

 猟師の商売道具である火薬式長銃と山刀マチェットを携帯していないのは、教会に武器を持ち込んではならないという掟のためだ。


「やだ、お姉ちゃんがいい。あっちいってよ、チビのヨハン!!」

「こいつ、人が気にしてることを――――」


 ダニエルに悪態をつかれ、少年――ヨハンはおもわず声を荒げる。

 それもそのはずだ。

 年齢はリーズマリアとおなじ十四歳だが、身長はようやく一五○センチを超えたかどうか。

 十センチほど背の高いリーズマリアと並ぶと、傍目にはにしかみえない。


 そのリーズマリアがダニエルとアナを守るように進み出たことで、ヨハンはおもわず後じさっていた。


「ヨハン。ダニエルが失礼なことを言ったのは謝るけれど、あなたも神聖な場所で大声を出さないで」

「す、すまん……」

「だけど、ここのところ毎週かかさず礼拝に来ているのは立派よ」

「俺の家はむかしから血なまぐさい仕事をしてきたからな。そのぶん信心はだれにも負けねえつもりだ」


 ぶっきらぼうに言って、ヨハンは照れくさそうに鼻の頭を掻く。


 その様子を横目で見ていたダニエルとアナは、忍び笑いというには大きすぎる笑い声を洩らす。


「うっそだあ。ホントはリズ姉ちゃんが目当てで教会に来てるくせにさ」

「ばっ……!! なに言ってやがる!!」

「でもダメだよ。お姉ちゃんは修道女シスターだから、結婚しちゃいけないんだもん」

「いいからこっち来い!!」


 気恥ずかしさからか、ヨハンの顔は耳の先まで赤く染まっている。

 兄妹を両脇に抱えるようにして部屋を出ていったヨハンを見送って、リーズマリアはふっと相好を崩した。


***


 人類と吸血鬼のあいだで勃発した最終戦争は、人類の完全敗北というかたちで幕を閉じた。

 かつて地上に割拠した大国は跡形もなく滅び去り、文明はことごとく灰燼に帰していった。

 かろうじて戦火を生き延びた人間たちも、吸血鬼への隷従を強いられ、家畜としてのみ生存を許されたのである。

 

 とはいえ、人類のすべてが吸血鬼の支配に従容と服したわけではない。

 一部の人間たちは最終戦争のさなかに地下に逃げ込み、外界と隔絶された独自の共同体コミュニティを形成していった。その規模は数万人が暮らす巨大地下都市から、数世帯のみの地下シェルターまでさまざまだ。


 最盛期には千を数えた地下都市群は、時代が下るにつれて急速にその数を減らしていった。

 人口減によって自然消滅したケースもあるが、ほとんどは吸血鬼による掃討作戦によって壊滅に追い込まれたのである。

 その内容は酸鼻をきわめた。ある地下都市は火炎放射器を装備したウォーローダーによって焼き尽くされ、またべつの都市では全住民が生き埋め刑に処された。

 吸血鬼の支配から逃れようとした者がどうなるかを知らしめることで、地上の人間の反抗心をくじく目的があったことは言うまでもない。

 

 執拗な追及にもかかわらず、いくつかの地下都市は幸運にも壊滅をまぬがれた。

 十三選帝侯ルクヴァース家の領内に存在する”シドンナイン”は、そうした数少ない例外のひとつだった。

 

 もっとも、シドンⅨの場合は最初から地下都市として建設されたわけではない。

 戦時中に放棄された食料貯蔵庫跡に、いつしか猟師ハンターと呼ばれる職能集団が住み着くようになったのである。

 猟師たちが狩った獲物を貯蔵庫で長期保存することによって、シドンⅨでは一年を通して安定した食料供給が可能となったのだ。


 だが、飢餓から解放されたにもかかわらず、シドンⅨでは住人同士の抗争が絶えなかった。

 もともと猟師ハンターに荒くれ者が多いというだけではない。

 地上を支配する吸血鬼への恐怖と、先の見えない地下生活のストレスが人心を荒廃させ、ついには互いに疑心暗鬼に陥らせたのだ。

 コミュニティの崩壊を危惧したシドンⅨの長老たちは、住民たちの心の拠り所を祈りの場――地下教会アンダーグラウンド・チャーチにもとめた。


 最終戦争のあと、吸血鬼による迫害を逃れた教会組織は地下に潜伏し、独自の発展を遂げた。

 地下教会アンダーグラウンド・チャーチとは、そうした非合法・未認可の教会群の総称なのだ。

 長老からの招聘を受け、司祭とその家族がシドンⅨに赴任したのは、いまから十三年まえのこと。

 

 それからというもの、司祭一家の長女リーズマリアは地下都市の奥深くで一度も陽光を浴びることなく育った。

 彼女が修道女として誓いを立て、父の手伝いをするようになってから、すでに五年の月日が流れようとしていた。

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