CHAPTER 03:マッド・ダンサー

 あざやかな夕映えが泥の沼を赤く染めた。

 ぬかるんだ泥土に黒々とした影を落とすのは、重力式ダムの堤体である。

 高さはゆうに五十メートル以上はあろう。垂直に屹立した壁のそこかしこに自動銃座タレットが据えつけられ、サーチライトの強烈な光芒が黄昏の空を灼いている。

 まさしく難攻不落の城塞――――これまで数えきれないほどの賞金稼ぎや傭兵の血を吸ってきた盗賊団の根城であった。


「やーね。このあいだより警備が厳重になってるんじゃない?」


 アンジェラは双眼鏡を覗き込みながら、いまいましげに吐き捨てる。

 ”狂った三月兎マーチ・ヘアーズ”の四人とシクロは、沼にほどちかい山林に身を潜め、作戦決行前の最後の偵察をおこなっているのだ。


「どう、シクロ? あんたならどう攻める? ……いちおう言っとくけど、堤体につながる道はバリケードで封鎖されててまともに通れやしないわ」

 

 双眼鏡を手渡しつつ、アンジェラはシクロに問いかける。

 シクロは双眼鏡から目を離すことなく、ひとりごとみたいに語りだす。


「湖面から壁に近づいてアンカーガンを打ち込み、ウインチで垂直登攀。銃座の死角から一気に内部に突入する……」

「いい作戦ね。問題はどうやって壁際まで近づくか、だけど」

「あの特殊装備ワカンはそのためのものでしょう」


 シクロはそっけなく言うと、木立のなかに佇む五機のウォーローダーに視線を移す。

 整然と並んだ各機の足首には、見慣れない外付けオプションが装着されている。

 一見するとしぼんだ浮き輪みたいにみえるそれは、まさしく小型ホバークラフトのエアクッションだ。


 アルキメディアン・スクリューによって高い走破性をもつウォーローダーだが、無改造であらゆる状況に対応することはむろん不可能だ。

 今回アンジェラが用意した特殊装備――通称”ワカン”は、戦時中に干潟や低湿地帯での作戦に用いられただ。

 ウォーローダーの足首に装着することで接地圧を分散し、アルキメディアン・スクリューと併用することによって、本来ならスタックするような悪路面でも迅速な移動を可能とする。

 ヘドロの堆積によって底なし沼と化したダム湖を突っ切り、壁に肉薄するにはおあつらえ向きの装備であった。


 とはいえ、実際にワカンを機体に装着したのは数十分前のこと。

 現地の状況に応じて臨機応変に作戦内容を変化させ、ぎりぎりまで敵に手の内を明かさない。それがアンジェラのやり方だった。

 行き当たりばったりの無計画な思いつきと言ってしまえばそれまでだが、それゆえに”狂った三月兎マーチ・ヘアーズ”はここまで生き残ってきたのである。


「っと、そろそろ決行時刻ね――――」


 アンジェラは愛機ヴィルトハーゼに駆け寄ると、いつになく真剣な面持ちで一同を見渡す。


「まず私が敵の注意を引き付ける。バビリエはほかの二人を連れて援護おねがい。シクロは登攀ルートの確保。わかって?」

「了解――――」


 返答をかき消すように、甲高い駆動音が響きわたる。

 両脚のエアクッションをめいっぱいふくらませた五機のウォーローダーは、アルキメディアン・スクリューを全開させ、ためらうことなく泥沼へと飛び込んでいく。

 サーチライトの光芒が降りそそぎ、耳を聾する銃撃音が一帯を領したのは、それから数秒と経たないうちだった。


***


 まっさきに侵入者を捕捉したのは、壁面に設置された自動銃座タレットだった。


 最終戦争において、旧人類軍は多数の自動迎撃兵器オート・インターセプト・ウェポンを開発した。

 吸血鬼の驚異的な瞬発力と跳躍力は、人間の反射神経をはるかに凌駕している。

 生身の歩兵ではたとえ一個中隊が総攻撃をおこなったとしても命中弾を得ることはできず、複数のウォーローダーの火器管制装置FCSデータリンクを駆使することでようやくが出るといったありさまなのだ。


 やがて旧人類軍が導き出した結論は、人間こそが最大のネックであるということだった。

 人間では不可能でも、高精度センサーと戦闘用人工知能を内蔵した自動銃座タレットならば、吸血鬼にもじゅうぶん対抗できると考えたのである。

 そうして大量に投入された自動銃座だが、肝心の吸血鬼にはろくな戦果も上げられず、戦後の人間同士の争いで重宝されるようになったのは皮肉というほかない。


 センサーにカヴァレッタと未確認機ヴィルトハーゼを捕捉した自動銃座は、曳光弾まじりの猛烈な火線を吐き出す。

 ときおり射撃音が途切れるのは、発射システムの異常ではない。

 隣り合う銃座同士がデータを共有し、最も効率的な射撃タイミングを弾き出しているのである。

 都合がいいことに、標的は泥沼に足を踏み入れている。

 並みのローディであれば、なすすべもなく正確無比な十字砲火の餌食になる――――そうだ、


 自動銃座の一基がふいに爆発した。

 その後を追うように、隣接する銃座が二基、三基と立て続けに炎に包まれる。

 シクロのカヴァレッタが腕部に装備した十二・七ミリ機銃をセミ・オートで発射し、自動銃座を一撃で沈黙させたのだ。

 ”ワカン”によって多少はになっているとはいえ、不安定な足場、それもたえまなく移動しながら、シクロは数百メートル離れた自動銃座を狙撃してのけたのである。


「おみごと――しばらく会わないうちにずいぶん腕上げたじゃない、シクロ?」

「銃座はあたしがやる。アンジェラに無駄弾を打たせるわけにはいかない」

「言ってくれるじゃないの」


 と、前方に機影が出現したのはそのときだった。

 それも一機や二機ではない。

 カメラ・センサーを望遠モードに切り替えたアンジェラは、「あはっ」と愉快げな声を上げる。


「”ワカン”の準備をしてたなんて、敵も準備がいいじゃない」


 スピードを上げて接近してくる機影は六つ。

 いずれも脚部に”ワカン”を装着したアーマイゼ・タイプだ。

 盗賊団のマシンらしく思い思いの塗装やカスタマイズが施されたアーマイゼは、カヴァレッタとヴィルトハーゼを取り囲むように展開する。

 後方の三機に目もくれないのは、シクロとアンジェラがもっとも手強い相手だと判断したためだろう。

 不安定な泥沼でたくみに機体を操る技術といい、盗賊団のなかでも腕に覚えがある連中らしい。


「シクロ。ここは私に任せて、あんたは登攀の準備」

「でも、アンジェラ……!!」

「心配ないよ。こんな連中、で事足りるっての」


 言い終わるや、ヴィルトハーゼはおおきく横に跳んでいた。

 ”ワカン”によって接地圧が分散されているとはいえ、泥沼での跳躍が危険であることにちがいはない。

 はたして、ヴィルトハーゼは泥を盛大に飛び散らせながら、ぐっと膝下まで沼地に沈みこむ。

 スタック――――戦場においては死と同義だ。

 敵もこの好機を逃すまいと、一斉にヴィルトハーゼめがけて殺到する


「あーあ、引っかかってくれちゃってさあ」


 絶体絶命の窮地にありながら、アンジェラの面上を占めるのは、まぎれもない愉悦の色だ。


「今日の一発目、行ってみようか」


 ヴィルトハーゼの右腕――回転式拳銃リボルバーが動いた。

 その銃口は敵ではなく、自機の目の前の泥土に向けられている。

 

BANGバン――――」


 銃撃音の直後、はげしい閃光がほとばしった。

 モニターがホワイトアウトしたことで一瞬たじろいだ盗賊団のアーマイゼを、ねばっこく重い飛沫が叩いた。

 泥だ。爆発によって巻き上げられた泥土が周囲に飛散し、不可能なはずの六機のアーマイゼへの同時攻撃となって、彼らの動きを止めたのだった。

 むろん、泥を叩きつけられた程度でウォーローダーが撃破されることはない。

 アンジェラもそれは百も承知のうえで、すべての敵機の動きが停止する一瞬を作り出したのだった。


「まーずーは、一匹目っ!!」


 アンジェラの言葉に呼応するように、ヴィルトハーゼの銃剣バヨネットがアーマイゼの胴体を斬断する。

 足元の泥を吹き飛ばし、ふたたび自由を得たヴィルトハーゼは、いまなお混乱のさなかにある盗賊団のアーマイゼを次々に斬り捨てていく。

 早くも四機が乗り手ローディごと両断され、泥沼に沈みつつある。


 視覚を封じた相手を、容赦なく斬り殺す。

 それは戦いというよりも、ほとんど一方的な虐殺だ。

 にもかかわらず、すこしも陰惨さを感じさせないのは、アンジェラが心底から愉しんでいるためだ。

 思うままに泥土を跳ぶ野兎はあくまで美しく、その佇まいには気高さすら感じられる。

 六機のアーマイゼを鏖殺するまでにかかった時間は一分にも充たなかった。


「アンジェラ――――」


 シクロに呼びかけられて、アンジェラははたと我に返った。

 見れば、シクロのカヴァレッタはすでにアンカーガンを堤体に打ち込み、巻取り用ウインチの設置に取り掛かっている。

 ウインチをそれぞれの機体に装着すれば、高い壁を登攀することができる。


 手筈どおり、作戦の第二段階――要塞内への突入が始まるのだ。

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