吸血葬甲ノスフェライド外伝 -EXTRA EPISODES-

シクロ編

CHAPTER 01:スカーフェイス・レディ

 にぎやかな表通りから路地を一本入ると、あたりの景色は一変した。

 沿道にはみすぼらしい家屋が隙間なく軒を連ね、黒土がむき出しの地面はひどくぬかるんでいる。

 吐き気をもよおす腐臭と湿気、無秩序に堆積したゴミの山、ぐったりと横たわった物乞いたち……。

 およそ目につくものすべてが、この場所が貧民街スラムであることを無言のうちに物語っていた。

 

 小柄な人影が貧民街に現れたのは、ほんのすこしまえのことだ。

 大きめの野戦用フィールドジャケットを引っかけ、フードを目深に被っているために顔は判然としない。

 それでも、ジャケットの袖と裾からのぞく細く華奢な手足をみれば、まだ年端もいかない子供――それも少女であることはひと目でわかる。

 年齢は十歳を過ぎたかどうか。物怖じするそぶりもないところから察するに、こういった場所には慣れているらしい。

 いずれにせよ、貧民街には不似合いな余所者であることに変わりはない。


 やがて一軒ののまえに差し掛かったとき、少女はふと足を止めた。


 ”禿鷹の巣窟ヴァルチャーズ・ネスト”――――。

 年季の入った看板には、かすれた文字でそう書かれている。

 王冠キャップをかたどったロゴは、酒場を意味する符丁だ。

 人間が酒場に集うことを好ましく思わない至尊種ハイ・リネージュは多い。人間の側でも摘発を免れるため、一見してそうとは分からない店名と符丁を用いるのが通例であった。


 少女は迷うことなくノブに手をかけていた。

 軋りを立てて扉が開いたのと同時に、異臭をはらんだ熱気が少女の顔を叩いた。

 粗悪な工業用アルコールと麻薬入りの煙草、そして大勢の人間の汗……それらが渾然一体となってかもしだされる臭気は、おもわず涙ぐむほどに強烈だ。

 そのうえ五十人からの荒くれ者たちの注目を一身に浴びるとあっては、度胸の据わった男でも耐えられるかどうか。

 平然と店内へと歩を進めた少女にむかって、店内のそこかしこから下卑た野次が飛んだ。


「お嬢ちゃん。ここはガキの来る場所じゃねえよ」

「帰って粉末ミルクでもお飲み!」


 囃し立てる声に反応を示さないことに業を煮やしたのか、樽に手足が生えたような巨漢が少女のまえに立ちふさがった。


「こっちは親切で言ってやってるんだぜ。ここは俺たちウォーローダー乗りのだ。悪ふざけならよそでやりな。怪我しねえうちに……よ」


 樽男が言い終わるが早いか、少女はその傍らをすりぬけようとしている。

 もともと酒が入っていたこともあり、樽男の顔はたちまち朱を注いだようになった。


「この糞ガキァ、優しくしてりゃつけあがりやがって――――」


 樽男は右の拳を固めると、少女の後頭部めがけて振り下ろす。

 生来の短気さと怪力によって、これまで彼が素手で殺害した人間はゆうに三十人を超えている。

 巨大な拳をまともに喰らえば、少女の頭は熟した果物みたいに弾け飛ぶ――――そのはずだった。


「な、なんだ……!?」


 男の右手首は嘘みたいに消滅していた。

 白い骨と筋組織、腱が露出した切断面は、一見すると精巧な作りもののよう。

 それでも、激痛とともに鮮血が吹き出すのを目の当たりにしては、否が応でも現実であると認めざるをえない。


 客席のあいだからひとりの女が進み出た。

 年の頃は十六、七歳。

 目を引くのは、顔じゅうに刻まれた無数の古傷と、右眼を覆う眼帯だ。

 凄惨な傷痕が生来の美貌をいっそう引き立たせているのは皮肉というほかない。

 あかるい栗色マルーンの長い髪を後頭部で束ねた女は、のナイフを器用に指で回しながら樽男に語りかける。


「バァーカ、私の客人に手を出すからそうなるのさ。自業自得ってやつよ」


 呻吟する樽男を見下ろしつつ、女は嫣然と微笑む。


「このアマ!! よくも俺の右手を……ッ!!」

「文句あるならまだやる? さすがに両手なくしたらこの稼業も引退だよねえ。商売敵が減ってくれるのは大歓迎だけどさ」

「冗談じゃねェ。アンジェラ、てめえッ、覚えてやがれ――――」


 喚きながら一目散に逃げていった男には一瞥もくれず、アンジェラはポンチョの少女に視線を移す。


「こっちに来て早々、嫌なものを見せて悪かったね。あんたが来てくれてほんとうにうれしいよ――――シクロ」


***


 老店主がバケツ一杯の水で床の血をざっと洗い流す。

 たったそれだけで、”禿鷹の巣窟ヴァルチャーズ・ネスト”は何事もなかったかのように営業を再開した。

 荒くれ者にとって刃傷沙汰は日常茶飯事である。この程度で肝をつぶすような繊細な神経の持ち主は、もとよりウォーローダー乗りには向いていないのだ。


 いま、店の片隅でまるいテーブルを囲むのは五人。

 アンジェラと三人の仲間、そしてシクロだ。

 女のウォーローダー乗りは珍しくもないが、十代の少女ばかりで構成されたチームとなれば話はべつだ。


「さてさて。あらためて”狂った三月兎マーチ・ヘアーズ”にようこそ、シクロ。は元気してるー?」


 アンジェラは両手を広げると、金髪と赤髪の少女を抱き寄せる。


「紹介するわ。この二人は新入りのキーラとルクミニ。あんたとは初顔合わせだったよね?」

「ダリヤとカーシャは?」

「死んじゃった。かわいそうだけど、この商売ではよくあることでしょ」


 こともなげに言ったアンジェラに、シクロは無言でうなずく。

 ローディはつねに死と隣合わせだ。安全な仕事はそれだけ報酬も少なく、ウォーローダーのメンテナンスや部品代を引けば収支はトントン、悪くすれば足が出る。

 この稼業を続けていくためには、望むと望まざるとにかかわらず、定期的に危険な依頼をこなしていく必要がある。

 チームを組んでいれば、メンバーは定期的に入れ替わるのが当然なのだ。


「それで、用件は?」


 シクロはアンジェラを見据えて問う。


「ん、ちょっとあんたに手伝ってほしい仕事があってさ」

”狂った三月兎マーチ・ヘアーズ”だけじゃ手に負えないということ?」

「そゆこと。バビリエ、例のデータを見せてあげて」


 アンジェラの真横に座っていた濃褐色の肌の少女――バビリエは、すばやく電子端末を差し出す。


「傭兵組合から盗賊退治の依頼が回ってきたの。成功報酬はなんとびっくり三億モノ!! ……なぁんて、うまい話には裏があるのよねえ」


 電子端末のディスプレイ上には、城壁のような構造物が表示されている。


「奴らは戦前の重力式ダムを根城にしてる。ダムというよりはコンクリートの要塞ね。外から砲弾やミサイルをいくら叩き込んでもビクともしない。実際、これまで依頼を受けた傭兵や賞金稼ぎは返り討ちに遭って全滅してるわ」

「作戦は?」

「ウォーローダーで突入して内部から破壊する。敵の戦力はアーマイゼとスカラベウスが合わせて四十機ちょい。ひとり頭八機はきついけど、やってやれない数じゃない」


 言って、アンジェラはシクロに顔を近づける。


「報酬は五人で山分けしても六千万。シクロには協力してくれたお礼に私の三千万もあげる。こんなオイシイ稼ぎ、無駄にする手はないでしょ?」

「……」

「弟くんのためにも稼げるときにしっかり稼いでおくほうがいいと思うけどね」


 シクロはすこし考え込んだあと、ひとりごちるみたいに呟いた。


「わかった。その仕事、あたしも参加させてもらう。ただし、ひとつだけ条件がある」

「遠慮なく言ってごらんなさいな?」

「謝礼の三千万はいらない。そのかわり、基本報酬の五千万に敵を倒したぶんだけ報酬を上積みしてもらう。一機あたり三百万モノ。この条件が呑めないなら、あたしは仕事を降りる」


 平然と言い放ったシクロに、バビリエは不愉快げに眉根を寄せる。


「自力で三千万以上稼ぐ自信があるというのか?」

「そう受け取ってもらっていい」

「アンジェラ、やっぱりこの娘はだめだ。どんなに腕がよくても、身のほどを知らなすぎる。こいつのせいで我々まで危険にさらされるかもしれない」


 語気荒く言ったバビリエに、アンジェラは冷たい視線を向ける。


「あなたはすこし黙っていてちょうだい、バビリエ」

「しかし――」

「”狂った三月兎マーチ・ヘアーズ”のリーダーは私。ちがって?」


 アンジェラの声に宿った有無を言わさぬ凄味に、バビリエはそれきり黙り込んだ。

 重苦しい沈黙を破るように、アンジェラはふっとため息をつく。


「OK、シクロ。その条件で契約しましょう」


 アンジェラはすばやく電子端末に指を走らせる。

 傭兵組合に任務受諾の旨を送っているのだ。

 いったん契約が成立したとなれば、なにがあろうとミッションは遂行せねばならない。

 アンジェラは一同を見渡すと、不敵な笑みを浮かべる。


「作戦決行は明後日の日没。五億の案件ヤマはいただきよ」

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