LAST CHAPTER:デス・メッセンジャー

 ”迷宮の森”に夜が訪れようとしていた。

 代わり映えしない景色がどこまでも続く森の一角に、ふいに物音が生じた。

 ずりずりと濡れた袋を引きずるような不気味な音。

 その源をたどれば、陽光を避けるように地面をうごめくを見つけるのはたやすい。


「お……の……れ……」


 地を這うぼろきれが発したのは、まぎれもない呪詛の言葉だ。


「殺して……やる……ノスフェ……ラ……イド……」


 サルヴァトーレ・レガルス。

 十三選帝侯クーアフュルストに列せられる若き吸血貴族の、それは見るも無残ななれのはてであった。

 下半身と右腕は失われ、そのほかの部位もほとんど消し炭同然だ。

 かろうじて原型を留めている顔面は、烈しい憎悪と怒りによって怪物じみた凶相へと変じている。

 人間ならたちまち絶命するほどの深手だが、吸血鬼はたとえ身体の大半を失ったとしても、心臓を破壊されないかぎり死に至ることはない。


 ノスフェライドとの戦いに敗れ、爆発四散した”ザラマンディア”から放り出されたサルヴァトーレは、黒焦げの肉塊に等しい状態で”迷宮の森”に墜落した。

 やがて意識を取り戻した彼を待ちうけていたのは、全身をたえまなく責め苛む激痛と、みじめに地べたを這いずり回らねばならない屈辱だった。


 ただでさえ十字架の傷は治癒しにくいところに、吸血鬼の生命維持に欠かせない血液の確保もままならない。

 緩慢な死を待つばかりと思われたサルヴァトーレだが、ノスフェライドとリーズマリアへの怨嗟がおそるべき力を生み出した。

 森に棲むネズミやトカゲの生き血をすすり、陽光を避けながら、左腕一本で脱出を目指したのである。


「奴らだけは……許さん……」


 生への渇望と引き換えに、激痛と怨恨は容赦なくサルヴァトーレの精神を蝕んでいった。

 選帝侯としての責任も、ディートリヒに与えられた命令もとうに忘れ去った。

 いまやサルヴァトーレの意識を占めるのは、リーズマリアとノスフェライドをなぶり、自分が味わったのと同等以上の苦しみを味わわせてから惨殺することだけなのだ。


 ふいにサルヴァトーレが動きを止めた。

 獣じみた唸り声を洩らし、赤黒く濁った眼を前方に向ける。

 焦点の定まらない視線の先には、行く手を塞ぐように巨木がそびえている。


「だれ……だ!?」


 サルヴァトーレはとっさに身構える。

 巨木の幹に背をもたせかかるように佇む人影を認めたためだ。

 遠目には女性と見紛う華奢な少年である。

 ゆるく癖のついた淡い色の金髪と、人好きのする柔和な面立ちは、いにしえの絵画に描かれた天使を彷彿させた。

 ただひとつ、瞳の色があざやかな真紅――純血の至尊種ハイ・リネージュの証であることを除けば、だが。


「しばらく見ないうちにずいぶんと男前になったなあ、レガルス侯爵」


 少年はサルヴァトーレにむかってひらひらと手を振ると、無邪気に笑いかける。


「ハルシャ・サイフィス侯爵……!? 貴様、なぜ……ここに……?」

「半分正解で半分不正解ってところかな」

「なんだと!?」


 言い終わるが早いか、少年はサルヴァトーレの背後へと移動している。

 電光石火の速度にくわえて、高度な隠形術を身につけた者にしか不可能な芸当であった。

 懐から赤い液体が充填された容器をやおら取り出した少年は、にっこりと微笑みながら問いかける。


「これがほしいか? レガルス侯爵? ……心配するな、ちゃんとくれてやるよ」


 少年が小瓶の中身をサルヴァトーレの顔面に振りかけるや、みるみる傷が癒えていく。

 吸血鬼の生命力を一気に賦活するそれは、きわめて新鮮かつ高濃度の人血にほかならない。

 動物の血で吸血衝動をごまかすしかなかったサルヴァトーレにとっては、文字どおり旱天の慈雨であった。


 いまだ失った四肢の再生には至らないものの、サルヴァトーレの顔面にはじょじょに生気が戻りはじめている。


「さて……このあたりでいいかな」


 少年はそっけなく言って、ふたたび容器を懐にしまう。

 久しぶりの血の味を堪能していたサルヴァトーレは、射殺さんばかりの眼光で少年を睨めつける。


「あまり図に乗っていると貴様から殺すぞ、ハルシャ・サイフィス……!!」

「ほう?」

「これは命令だ。その血をすべてよこせ。そして、俺をいますぐ治療できる場所まで運べ!!」


 少年はサルヴァトーレを見下ろしたまま、くつくつと忍び笑いを洩らす。


「なにがおかしい!!」

「おかしいとも。貴重な聖戦十三騎エクストラ・サーティーンの一騎をみすみす失い、リーズマリアとノスフェライドを始末しそこねた分際で、そんな大口を叩くのはさ」

「だまれ!! 今回は不覚を取ったが、次こそはかならず奴らを皆殺しにしてくれる!!」

「その意気込みは結構。しかし――――」


 刹那、少年の手元で冷たい銀光が閃いた。


「残念だが、もう次はないんだよ。サルヴァトーレ・レガルス」


 いつのまに取り出したものか、少年の手には細く長い銀の針がある。

 その先端はサルヴァトーレの背中――ちょうど心臓の裏側に吸い込まれている。


「ハ、ハルシャ……きさま……」

「何度も言わせるなよ。オレは

「な……に……」

「オレはアラナシュ。


 心臓を破壊され、はげしく痙攣しはじめたサルヴァトーレに、少年――アラナシュは容器の血を惜しげもなく振りかける。


末期まつごの水だ。よく味わえよ」

「だれの……さしがね……だ……」

「おまえもよく知っているあの二人のほかに誰がいるというんだ?」


 アラナシュの言葉を耳にして、サルヴァトーレの両眼がかっと見開かれた。

 それもつかのま、いったん生気が戻りかけていた顔は、みるまに死相へと変じていく。

 やがてサルヴァトーレが完全に絶命したのを確認したアラナシュは、銀の針を引き抜く。

 すると吸血鬼の肉体を貫通する硬度を保っていた針は糸のようにしなり、おそるべき速度で袖口に吸い込まれていく。


「おまえが”水銀の蛇メルクール・シュランゲ”を無駄に使い潰してくれたおかげで、これしか残っていない――――と、もう聴こえていないか」


 サルヴァトーレの死体に背を向けたアラナシュは、巨木の陰へと歩みだす。


「今日のところは引き上げるとしよう。戦えずに不満だろうが我慢しろよ、わがブラッドローダー”アルダナリィ・シュヴァラ”よ」


 暗い森の奥で、鮮血色の光芒が瞬いた。

 闇のなかに浮かび上がったのは、人とも獣ともつかない異形の輪郭シルエットだ。

 愛機からの返答にアラナシュは満足げにうなずくと、ちらと彼方に目をやる。

 それはまさしくリーズマリアたちが去っていった方角であった。


「オレたちの力をもってすれば、手負いのノスフェライドを討ち取るのはたやすい。しかし、それでは意味がない。十全の奴を葬り去ってこそ、おまえが聖戦十三騎エクストラ・サーティーンの真の最強たる証明にもなろうよ」


 心底から愉しげに言って、アラナシュは無邪気な笑い声を上げる。

 一帯から気配が絶えてなお、その残響は樹々のあいだにこだましつづけた。


【END】

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