CHAPTER 06:ゲット・アロング

 墨を塗り込めたような濃密な夜闇のなかで、炎の色はひときわあざやかに映えた。

 いま、廃飛行場の片隅で火炎を噴き上げているのは、ユヴァのゼネンフント――正確にはその残骸だ。


 ザラマンディアとの戦いにおいて、レーカの活路を拓くために捨て身の攻撃を仕掛けたユヴァは、愛機のコクピットのなかで息絶えていた。

 灼熱の鉤爪クローで力まかせに引き裂かれたコクピット内は、酸鼻の一語に尽きた。そのような状況にもかかわらず、ユヴァの亡骸がかろうじて原型を留めていたのは、ほとんど奇跡というべきだろう。


――俺たちで弔ってやろう。一人だけじゃなく、六人全員をだ。


 最初にそう提案したのはアゼトだった。

 ザラマンディアとの死闘に辛くも勝利したとはいえ、少年の身体はまさしく満身創痍だ。

 心身は限界まで疲弊し、いつ昏倒しても不思議ではない。

 それでもアゼトが人狼兵ライカントループたちの弔いにこだわったのは、ほんのわずかなあいだとはいえ仲間であったことにくわえて、リーズマリアを守るためにブラッドローダーに果敢に立ち向かい、散っていったその勇気に心動かされたためであった。


――そういうことなら、私にも手伝わせてくれ。おなじ人狼兵ライカントループとして、忠義の騎士を捨て置くわけにはいかない。


 そう言って手伝いを申し出たのはレーカだ。

 ユヴァの亡骸を丁重に埋葬し、六人分の墓標を立てた二人は、ゼネンフントの残骸に火を放った。


 ウォーローダーとしては突出した堅牢性をほこるゼネンフントといえども、これほどひどく破壊されては修復の手立てはない。

 大破した機体をさらに焼き払うのは、悪質な”漁り屋スカベンジャー”によって部品を剥ぎ取られないようにとのレーカの心遣いであった。


 炎は各部に張り巡らされたオイル循環路ラインを伝い、またたくまに機体を呑み込んでいく。

 金属と樹脂が割れる乾いた音に、ときおりなにかが爆ぜる音が混ざる。高温にさられたことで、燃料電池フューエル・セルに充填された可燃性ポリマーがすこしずつ漏れ出しているのだ。

 恰好の焚きつけを得たことで、火勢はいっそう激しさを増していく。

 機体が完全に崩壊するのも時間の問題であった。


「なにか気がかりなことでもあるのか?」


 燃えさかる炎を見つめたまま立ち尽くすレーカに、アゼトはそっと声をかける。

 レーカはちいさく肯んずると、ひとりごちるみたいに呟く。


「これでよかったのだろうか」

「……」

「私たち人狼兵ライカントループにとって、主君のために死ぬことはこのうえない名誉だ。私も姫様のためなら、いつでもこの生命を差し出す覚悟がある。しかし……」


 いったん言葉を切って、レーカは顔をうつむかせる。


「私は姫様の騎士でありながら、身命をなげうってでも御身をお守りする役目を――死を、彼らだけに押し付けてしまったのではないか? そう思うと、胸が締めつけられるようだ」


 それきり口をつぐんだレーカをちらと一瞥したアゼトは、炎を見つめながら語りかける。


「俺には人狼兵のことはわからない。ただ……」

「ただ?」

「レーカが生き残ったのは、たんなる偶然なんかじゃない。リーズマリアにとって必要だからんだ。もし俺があの六人の立場だったら、きっとおなじことを考えたはずだ」

「そうなのだろうか……」

「生きることにも死ぬことにも意味がある。そう思わなければ、誰だって前に進めやしないさ」


 わずかな沈黙のあと、レーカはちいさな、しかし迷いのない声で「ああ」と応じた。

 去る者と残される者……。

 望むと望まざるとにかかわらず、生きとし生けるものは、そのいずれかに属さざるをえない。

 アゼト自身、みずからの意思とは無関係に残された者なのだ。

 生き残ったことの意味と罪とをたえず自問してきた少年の言葉は、レーカの心から迷いを取り去るのに充分だった。


 地鳴りのような駆動音が一帯に響きわたったのはそのときだった。

 アゼトとレーカは、とっさに音のしたほうに視線を向ける。

 はたして、二人の目交に飛び込んできたのは、こちらにむかって進んでくる巨大な影――陸運艇ランドスクーナーであった。

 格納庫を兼ねた後部デッキには、ノスフェライドとヴェルフィン、そしてあらたに加わったブラッドローダー”ゼルカーミラ”が佇立している。


 デコイとして無人のまま地下トンネルを走り続けた陸運艇は、ザラマンディアの攻撃を受けることなく、とうとう無傷のまま出口まで到達した。

 とうに破壊されたものとおもわれたふねが健在だったことは一行を驚かせたが、旅を続けるために欠かせない足を失わずに済んだのは僥倖でもあった。


「行こう。リーズマリアたちが待っている――――」


 アゼトは一歩を踏み出そうとして、その場でがっくりと膝を折る。

 身体がひどく重い。手といわず足といわず、全身を鉛で固められたようだ。

 倒れるまいと努めたところで、すでに肉体は抗いがたい疲労感に支配されている。

 どこか遠くで自分の名を呼ぶ声を聞きながら、少年の意識はふっと途切れた。


***

 

 夢も見ない、それは文字どおり泥のような眠りだった。

 目覚めてなお瞼は重く、倦怠感に絡め取られた身体は思うにまかせない。

 アゼトがかろうじて知覚できたのは、たえまなく伝わってくるかすかな振動と、首筋に感じるぬくもりだった。


「お目覚めになったのですね、アゼトさん――――」


 心底からの安堵をにじませた声に、アゼトはようよう薄目をひらく。

 おぼろな視界に映じたのは、銀灰色シルバーアッシュの髪と、大粒の柘榴石ガーネットをはめ込んだような真紅の瞳。

 秀麗なかんばせをほころばせて、リーズマリアはアゼトの髪をいとおしげに指で梳かす。


「リーズマリア、俺……」


 太ももの上に頭を乗せていることに気づいて、アゼトはとっさに上体を起こそうとする。

 機先を制するように、リーズマリアはみずからの身体を重石がわりに押しつけていた。


「無理に動いてはいけません。怪我や病気でなくて安心しましたが、丸一日ずっと眠りつづけていたのです。いまはゆっくりお休みになってください」

「しかし……」

「大丈夫。アゼトさんが快復するまでしっかり守ってみせると、レーカとセフィリアも言っていましたよ」


 その言葉に、アゼトは納得したようにうなずく。

 いまここで無理を押して起き上がれば、あの二人の心遣いを無駄にすることになる。

 アゼトはようやく鮮明さを取り戻した両目を動かし、周囲をざっと見わたす。

 壁際にベッドだけが据えつけられた窓のない小部屋。

 けっして陽光が差し込むことのないそこは、リーズマリアの寝室であった。


「リーズマリア。”迷宮の森”は……?」

「ほんのすこしまえに抜けました。現在位置はたしか――」

「いや、問題なく進んでいるならそれでかまわない」


 アゼトは多少の気恥ずかしさを感じながら、ふたたびリーズマリアのぬくもりに身体を委ねる。

 瞼が落ちる寸前、アゼトは思い出したように呟いていた。


「ノスフェライドのあの能力ちから……」


 その言葉を耳にしたとたん、リーズマリアの面上に憂いの色がよぎった。


「あれを発動させる条件がわかったんだな」

「はい」


 ひと呼吸置いて、リーズマリアは意を決したように言葉を継いでいく。


「以前からうすうす勘づいてはいましたが、今回の件で確信しました。ノスフェライドに内蔵されたアーマメント・ドレスは、私の生命の危機を察知して作動するようプログラムされています」


 それ以上の問答は不要だった。

 アゼトはリーズマリアの目を見据えたまま、ゆるゆると首を横にふる。


「リーズマリア。こんなことはもう二度としないと約束してくれ」

「でも!!」

「あの能力ちからを使わなければ勝てないほど追い詰められたのは、俺が未熟だったからだ。俺がもっと強ければ……ノスフェライドをうまく操っていれば、君の生命を危険に晒すこともなかった」

「それは――――」


 リーズマリアがなにかを言うより早く、アゼトは白く細い指に自分の指を絡めていた。


「俺を信じてくれ。どんな敵が相手でも、ぜったいに君を傷つけさせたりしない」


 迷いのないその言葉に、リーズマリアは感極まったように唇を噛む。

 アゼトの顔にぽつりぽつりと透きとおった雫が落ちた。

 真紅の瞳からとめどなくあふれた涙であった。


 人間とわずかも違わない熱を受け止めながら、アゼトはふたたび眠りの淵へと落ちていった。


***


  乾いた夜風が大地を渡っていった。


 見張りのために陸運艇ランドスクーナーの甲板に立ったセフィリアは、風に乱れた黒髪を手櫛でととのえる。

 ”迷宮の森”を抜けてしばらく進むうちに、あれほど濃く繁茂していた植物は嘘みたいに消失していった。

 やがて一行のまえに広がったのは、一面の砂と岩におおわれた不毛地帯――現在の世界の大半を占める荒れ果てた大地ウェイスト・ランドだ。


 十三選帝侯クーアフュルストヴェイド侯爵家の令嬢として育ったセフィリアにとって、外の世界はすべてが新鮮だった。

 航空艇の窓やブラッドローダーの目を通して見たことはあっても、こうして自然のなかに身を置いたことなど一度もない。

 まして、いまは護衛の人狼兵ライカントループも、身の回りの世話をする女官もいないのである。

 ほんの数日前まで当たり前だった貴族としての人生は、しかし、望んだところでもう二度と戻りはしない。

 いまセフィリアの胸にこみ上げるのは、かすかな不安と、あらたな人生への希望だった。


 背後で金属を叩く音がしたのはそのときだった。

 甲板と船内をつなぐ梯子ラッタルを誰かが昇ってきている。

 フネ自動航行オートクルーズで進んでいる。寝込んでいるアゼト以外の誰が現れても不思議ではなかった。


 やがて甲板の縁から現れたのは、金色の髪のあいだから飛び出た一対の耳だ。


「失礼します、女侯爵閣下――――」


 レーカは恭しく言って、その場に片膝を突く。

 すこしまえに斬りかかってきた相手とあって、セフィリアは無意識に身体をこわばらせる。


 それもレーカが剣を帯びていないことに気づくまでだ。

 騎士が身に寸鉄も帯びないとは、相手に敵意がないというだけでなく、危害を加えられてもけっして抵抗しないという意思表示なのだ。

 たとえ殺されたとしても、である。


「リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース姫殿下の騎士、レーカと申します。知らぬこととはいえ、女侯爵閣下にたいへんな非礼を働いたこと、お詫びの言葉もございません」


 レーカは額が甲板につくほど頭を下げる。

 セフィリアは慌ててレーカに駆け寄ると、なかば強引に立ち上がらせる。


「リーズマリア様の騎士がで頭を下げてはだめ!」

「は?」

「私はもう十三選帝侯クーアフュルストのヴェイド女侯爵ではなく、ただのセフィリア・ヴェイド。そしてあなたはリーズマリア様の騎士として当然のことをした。そうでしょう、レーカ?」


 言って、セフィリアはぎこちなく微笑む。


「私はあなたを責めないし、恨んでもいない。それと女侯爵や閣下というのもやめてほしい」

「では、なんとお呼びすれば?」

「ただのセフィリアでいい。いまの私には、それがふさわしいもの」


 レーカはしばらく懊悩するようなそぶりを見せたあと、


「では、セフィリア殿と……」


 ためらいがちにそう口にしたのだった。

 セフィリアはふっと相好を崩すと、レーカを手招きする。


「レーカ。ひとつ頼みを聞いてほしい」

「私にできることならなんなりと」

「私はここまでの旅のこと、それにあなたたちのことをもっとよく知りたい。もしよかったら、話してくれる?」


 どこか遠慮がちに言ったセフィリアに、レーカは「よろこんで」と即答する。

 レーカは居住まいを正すと、ここまでの旅路について語りはじめる。

 さまざまな人との出会いと離別、訪れた場所、悲喜こもごもの出来事、そして襲いくる敵との戦い……。

 そのひとつひとつに、セフィリアはじっと耳を傾ける。


 語れど尽きぬ物語のうちに、荒野の夜は更けていった。

 

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