CHAPTER 02:イヴィル・フェニックス

 激しい格闘戦を繰り広げていたノスフェライドとザラマンディアは、どちらともなく間合いを取っていた。

 より正確には、ザラマンディアが力まかせにノスフェライドを振りほどき、逃げるように離れたと言うべきだろう。

 ザラマンディアの大ぶりな翼はどちらも根本からもぎとられ、見るも痛々しい断面を晒している。破損部からは赤黒い循環液が滴り、赤金色オレンジサファイアの装甲をまだらに染めていく。


「ぬう、ぐううっ……!!」


 サルヴァトーレは言葉にならない苦悶の声を洩らす。

 それも当然だ。ブラッドローダーと乗り手ローディは、神経接続によってあらゆる感覚を共有しているのである。

 ザラマンディアが翼を引きちぎられたのと同時に、サルヴァトーレもみずからの肉体を引きちぎられるのに等しい苦痛を味わったのだ。

 ふつうの吸血鬼なら失神するほどの激痛に苛まれながら、サルヴァトーレはなおも戦意を失っていない。十三選帝侯クーアフュルストの一員として、そして軍事の名門レガルス侯爵家の当主としてのプライドゆえであった。


「やってくれたな……」


 ようよう呼吸を整えたサルヴァトーレは、憎悪と殺意に彩られた視線をノスフェライドにむける。


「先祖より受け継いだこのザラマンディアに傷をつけた罪、万死に値する。もはや容赦はせんぞ、ノスフェライド!!」


 一方的に宣告するや、ザラマンディアは高々と舞い上がっていた。

 破壊された翼はあくまで武器のひとつであり、それ自体に飛行能力はない。

 ザラマンディアも他のブラッドローダーと同様、重力制御装置グラヴィティ・コントローラーが機能しているかぎり、自在に空を翔けることができるのだ。

 しばらく上昇を続けたザラマンディアは、ふいに空中で静止すると、はるか眼下のノスフェライドを睨めつける。


「ほう? 貴様、まさか飛ぶことができんのか?」

「……」

「図星のようだな。どうりで汚らしい戦い方をするはずだ。地を這い回るしか能のない虫けらには、ふさわしい死に様をくれてやる」


 サルヴァトーレが哄笑を上げたのと、ザラマンディアの背中で異変が生じたのは同時だった。

 最初は陽炎かげろうのようにおぼろげだったそれは、みるまに濃さと密度を増し、黄昏の空を赤々と染め上げていく。

 やがてザラマンディアの背中に現れたのは、失った翼よりはるかにおおきく、目も眩むほどの輝きをはなつ光の翼だ。

 機外に排出バックロードされた膨大な余剰エネルギーが大気と反応し、プラズマのオーロラを生み出しているのである。


「貴様は運がいい。まさか姿を見せることになるとは思ってもみなかったからなあ」


 サルヴァトーレの傲慢な笑い声がふいに熄んだ。


「御託はもうよかろう。――ザラマンディアの真の力、冥土の土産にとくと目に焼き付けるがいい!!」


 灼熱の旋風がノスフェライドを包んだのは次の瞬間だった。

 ただの風ではない。ザラマンディアが超高温の指向性プラズマ・ストームを放射しているのだ。

 ノスフェライドの両足がふいに沈んだ。

 ほんのすこしまえまで硬く引き締まっていた地面は、底なし沼となって機体を呑みこもうとしている。

 プラズマが土壌の分子間結合を破壊し、固体から流体へと強制的に相転移させたのだ。

 その影響はノスフェライド本体にも及びつつある。

 万全の状態ならいざしらず、ひどく傷ついた装甲では、おそらく十秒と耐えられないだろう。


(とにかく、奴から距離を取らなければ――――)


 アゼトはすばやく周囲に視線を巡らせる。

 視界の片隅に崩れかかった管制塔を認めたとたん、ノスフェライドは飛ぶように疾走を開始していた。

 建物内に逃げ込んだところで、ザラマンディアの攻撃を防ぎきれるはずもない。そのことは、むろんアゼトも承知している。

 重力制御装置グラヴィティ・コントローラーの自己修復が完了し、飛行能力を取り戻すまでは、ひたすら逃げ回って時間を稼ぐしかないのだ。


 ためらうことなく逃走を選んだノスフェライドに、サルヴァトーレは不快げに舌打ちをする。


「時間稼ぎのつもりか? 野良犬のような戦い方といい、いかにも下郎らしい猿知恵よ」


 ノスフェライドが管制塔の内部に消えるのを眺めて、サルヴァトーレはくつくつと忍び笑いを洩らす。


「せいぜい必死に逃げまわるがいい。リーズマリアともども、たっぷりと絶望を味わわせたうえで狩り殺してくれるぞ、ノスフェライド――――」


***


 リーズマリアは気絶したレーカを抱きかかえたまま、すさまじい速度で森のなかを走りつづけていた。

 背後でときおり生じる閃光と爆発音にも動じることなく、吸血鬼の姫はひたすらに足を動かす。


(アゼトさん――――)


 真紅の瞳から涙がひとすじ流れ、風にさらわれていった。

 ノスフェライドがひどく傷ついていることはひと目でわかった。

 アゼトの卓越した技術をもってしても、まともに戦えば、ザラマンディアに勝てる見込みは万にひとつもないだろう。

 希望があるとすれば、ノスフェライドに秘められた――内蔵式アーマメント・ドレスが発動することだ。


 ブラッドローダーの戦闘力を底上げするアーマメント・ドレスは、ふつう機体に外付けするかたちで装着される。

 聖戦十三騎エクストラ・サーティーンのなかで唯一、最初から対ブラッドローダー戦を想定して設計されたノスフェライドには、完全内蔵コンシール式のアーマメント・ドレスが搭載されている。

 特別な装備を必要とせず、単体で完結した独自のシステムは、発動と同時にノスフェライドの性能を爆発的に向上させるのである。

 ひとたび発動すれば無敵と言っていいほどの強さを発揮する一方、深刻な欠点も存在する。

 その最たるものが不確実性だ。乗り手ローディであるアゼトの意志では起動させることができず、発動のタイミングはノスフェライドがみずから判断しているとしか言いようがないのである。


 それでも、リーズマリアはうすうす勘づいている。

 これまでノスフェライドのアーマメント・ドレスが起動した状況には、ひとつの共通点が存在する。

 すなわち、リーズマリアが絶体絶命の危機に瀕していたということだ。

 機体の所有権がアゼトに移ってからも、ノスフェライドはリーズマリアとなんらかのかたちで繋がりつづけている。

 アーマメント・ドレスがアゼトの意志とは無関係に起動するのも、乗り手ローディのためではなく、であると考えれば納得がいく。


 リーズマリアはふと立ち止まる。

 指先を胸元に当て、力を込めて押し込んでいく。

 白い肌にぷつりと血の珠がふくれあがった。

 このまま力を込めつづければ、爪はやがて心臓を貫くだろう。

 心臓は至尊種ハイ・リネージュ――吸血鬼の最大の弱点であり、その破壊は死を意味する。

 リーズマリアの生命の危機が内蔵式アーマメント・ドレス発動の条件ならば、アゼトを助けるためにはこれが最善のはずだった。


「どうして……?」


 リーズマリアは背後を振り返ると、困惑したようにひとりごちる。

 アーマメント・ドレスの発動と同時に、ノスフェライドは緑色の閃光に包まれる。

 爪先には心臓の鼓動が感じられるというのに、彼方で光が生じた気配はいっこうに感じられない。

 吸血鬼の視力であれば、どんなに離れていても、あれだけの光量を見逃すはずはないのだ。


(自分で生命を絶とうしても駄目だというの?)


 早くも塞がりつつある傷口をうらめしげに見つめながら、リーズマリアはつよく唇を噛みしめる。

 ノスフェライドは、リーズマリアの生命に真の危機が迫った場合と、とを峻別しているのだろう。

 本心から死を望んでいるならさておき、打算的に自分の生命を利用しようという腹づもりでは、いくら肉体を傷つけたところで反応を示さないのだろう。


 ならば、レーカを起こし、自分に刃を向けさせるのはどうか?

 それでもノスフェライドは反応しないだろう。いくら主君の命令でも、レーカには自分を殺すことはおろか、本気で傷つけることさえむずかしいということは、リーズマリア自身が誰よりもよく分かっている。

 かくなるうえは、たったひとりでふたたび戦場におもむき、ザラマンディアのまえに姿を晒すしかない。


 リーズマリアがレーカを地面に横たえようとしたとき、ふいに物音が生じた。

 そう遠くはない。生い茂った木々をかき分けるようにして、はじょじょに近づいてくる。

 リーズマリアはしばらく様子を伺ったあと、意を決したように誰何すいかした。

 

「そこにいるのは分かっています。おとなしく出てきなさい」


 重苦しい沈黙が一帯を充たしていく。

 返答の代わりとでもいうように、かすかな葉擦れの音が響いた。

 やがて木立のあいだから現れたのは、片足を引きずった黒髪の少女だ。

 怯えたようにリーズマリアを見つめる瞳の色は、柘榴石ガーネットとおなじ真紅。

 純血の吸血鬼の証であった。


「……至尊種ハイ・リネージュ!?」


 リーズマリアが臨戦態勢に入ったのに気づいて、黒髪の少女はその場に膝を突いていた。

 両手をぴったりと地面につけているのは、敵対の意志がないことを示しているのだ。


「畏れながら、リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース姫殿下とお見受けします」

「私の名前を知っているということは、やはり……」

「十三選帝侯クーアフュルストヴェイド侯爵家が当主セフィリア・ヴェイドと申します。初めて姫殿下のご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます――――」


 額が地面に触れるほど頭を下げたセフィリアは、掠れた声でようよう告げる。

 すこしまえまで自分が殺そうとしていた先帝の娘と直接対面したことで、セフィリアの身体は石みたいに硬直し、小刻みに震えてさえいる。


「セフィリア・ヴェイド。あなたもサルヴァトーレ・レガルスと同様、義兄あに……最高執政官ディートリヒ・フェクダルの意向で私を殺しにきたのではないのですか?」

「そ、それは……」

「はっきり答えなさい」


 セフィリアに投げかけられたリーズマリアの声はあくまで冷たく、研ぎ澄まされた刃のするどさが宿っている。


「姫殿下の仰せのとおりです。しかし、いまはちがいます!!」

「どういうことです、ヴェイド女侯爵」

「私はレガルス侯爵に裏切られ、ノスフェライドもろとも抹殺されるはずでした。どうにか一命を取りとめた私は、ノスフェライドを操っていた人間……アゼトに救われたのです」


 あっけにとられたように見つめるリーズマリアをよそに、セフィリアは涙声で言葉を継いでいく。


「私は両親と姉を亡くしてからというもの、天涯孤独の身の上です。このうえ選帝侯の地位まで失い、もはやこの世界のどこにも居場所はありません。そんな私に、アゼトはそれでもまだ生きる希望は残っていると言いました。リーズマリア様のもとでなら、きっと新しい生き方もできると……」

「アゼトさんがそんなことを――――」


 セフィリアはおもてを上げると、涙に濡れた瞳でリーズマリアを見上げる。


「リーズマリア様、一度はあなたさまの生命を狙っておきながら、いまさら虫のいい願いであることは承知しています。それでも、どうかこのセフィリア・ヴェイドを臣下の末席にお加えください。許されないというなら、ここで首を刎ねていただきたく存じます」


 セフィリアの嗚咽混じりの懇願には、一片の偽りも感じられない。

 リーズマリアはセフィリアの肩に手を置くと、なだめるように髪を梳いてやる。


「……わかりました。あなたを信じましょう」

「では!?」

「ただし、ひとつだけ条件があります。あなたに臣下の資格があるかどうかを試させてください」

「なんなりとお命じください!!」


 リーズマリアは深く息を吸い込むと、セフィリアの佩剣を指さす。


「――――セフィリア・ヴェイド。その剣を使い、殺すつもりで私を斬りなさい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る