CHAPTER 07:コールド・プロトコル

 黄昏の色が枝葉をあわく染めていた。

 すでに太陽は西の方へ没し、”迷宮の森”に夜が訪れようとしている。

 アゼトは、仮眠を兼ねたみじかい休息を取ったきり、一度も足を止めずに歩きつづけている。

 ふいに背中から声がかかった。


「人間、いつまでこうしているつもりだ?」


 背負子に乗せられたまま、セフィリアはひとりごちるみたいに呟いた。


「私を背負ったままでは、疲れるばかりで思うように進めないだろう」

「たしかにそのとおりだな」

「だったら――――」


 セフィリアの言葉を遮るように、アゼトはその場で足を止めると、首だけで背後を振り返る。


「俺は、君をリーズマリアに会わせたいと思っている」

「なっ……!? 本気で言っているのか!?」

「冗談や悪ふざけでこんなことを口にしたりはしない」


 言って、アゼトはふたたび歩きだした。

 下草を踏み分けながら、視線を前方に据えたまま言葉を継いでいく。


「リーズマリアには至尊種ハイ・リネージュの味方が必要だ。ほんのすこしでも可能性があるなら、それに賭けてみたい」

「バカなことを。私はリーズマリア・ルクヴァース討伐の命令を受けている。それをみすみす放棄し、反逆者に寝返ることなどできるか!!」

「仲間に殺されそうになっても……か?」


 アゼトに問われて、セフィリアはそれきり二の句が継げなくなった。

 自分がいまこうしているのも、もとを辿れば、味方であるはずのサルヴァトーレ・レガルス侯爵に裏切られたからなのだ。

 あのとき、サルヴァトーレはこう言った。――最高執政官ディートリヒも承知のことだ、と。

 本来であれば、セフィリアはノスフェライドを道連れに死ぬはずだったのだ。


 すでに帝都には戦死の一報が届いているだろう。

 選帝侯の資格は当人の死とともに失われる。生きながらに死者となったセフィリアは、もはや十三選帝侯クーアフュルストではないということだ。

 そればかりか、おのれが当主を務めるヴェイド侯爵家に戻ることもかなわない。

 家督の相続は法と慣例に則って、あくまで機械的システマティックにおこなわれる。配偶者も跡継ぎもなく、後継者を指名しないまま急逝したとあればなおさらだ。

 次のヴェイド侯爵――おそらく血の繋がりもない遠縁のだれか――に権力と財産のすべてが移譲され、セフィリアは領地に足を踏み入れることさえ許されないだろう。


 さしたる実績も後ろ盾もない自分にとって、選帝侯の肩書きが唯一の拠りどころであることは、セフィリア自身よくよく承知している。

 表向きは忠誠を装っているヴェイド家の重臣や親族たちが、陰では自分を”お飾りの姫”と呼んで嘲笑していることも、また。

 それも過去の話だ。

 たったひとつの存在価値を失った小娘の居場所など、至尊種ハイ・リネージュの社会のどこにもありはしない。

 セフィリアの紅い瞳からひとりでに涙があふれ、アゼトの背をまだらに染めた。


「私にはもうなにも残っていない。両親も姉上も、選帝侯クーアフュルストの称号も、当主の地位も、すべて失った。これ以上生きていてもしかたがない……」

「そんなことはない。生きているなら、またなにかを掴むことだってできる」

「知ったふうな口を利くな!! 人間ごときになにがわかる!?」

「俺もそうだったからだ」


 わずかな沈黙のあと、アゼトは問わず語りに語りはじめる。


「俺は大切な人を守れなかった。どれだけ悔やんでも、自分を責めても、あの人はもう還ってこない。それでも、俺にはまだ死ねない理由がある」

「それを与えたのがリーズマリア・ルクヴァースだというのか……?」

「俺はそう思っている。至尊種ハイ・リネージュの世界に居場所がないというなら、その外側に踏み出してみればいい。広い世界に触れれば、きっと――――」


 彼方の空が赤く染まったのは次の瞬間だった。

 とっさに視線を移せば、天にむかって火柱がいくつも伸びているのがみえた。


「あの攻撃はレガルス侯爵のザラマンディアだ」

「だったら、いま攻撃を受けているのは――――」


 アゼトの顔からさっと血の気が引いていく。

 リーズマリアたちがとうとう敵に発見されたのだ。

 レーカとはぐれ人狼兵たちが護衛についているとはいえ、ウォーローダーが何機束になったところで太刀打ちできる相手ではない。

 一刻も早く救援に向かわなければ、とりかえしのつかないことになる。


 わずかな逡巡のあと、アゼトは意を決したように右手を高く掲げる。


「……来い、ノスフェライド!!」


 本来であれば召喚の叫びと同時に現れる漆黒の巨人騎士は、しかし、一向に姿をみせなかった。

 まだ先の戦いで受けたダメージから回復しきっていないのだ。

 強力な自己再生能力をもつブラッドローダーといえども、装甲が炭化するほどの深手から立ち直るのは容易ではない。

 たとえ動くことができたとしても、重力制御装置グラヴィティ・コントローラーが十全に機能していなければ、アゼトのもとへ瞬時に飛来することは不可能なのだ。


 ごとり、と背後で鈍い音がしたのはそのときだった。

 セフィリアが自分で背負子を降り、アゼトのもとへ這いずるように近づいてきたのだ。

 苦悶の表情を浮かべた吸血鬼の少女は、むせこみながら声を張り上げる。


「ヴェイド女侯爵セフィリアの名において、ブラッドローダー”ゼルカーミラ”に命ずる。――――ノスフェライドを連れ、我がもとへ来たれ!!」


 きらめく光の粒子を振りまいてゼルカーミラが飛来したのは、それから数秒と経たないうちだった。

 菫色バイオレットの装甲はひどく傷ついているが、重力制御装置の修復は完了しているらしい。

 その両腕には、自機よりもひと回りは巨大なノスフェライドがしっかと抱きとめられている。


「……ありがとう、セフィリア」

「勘違いするな。私は人間に借りを作りたくなかっただけだ」


 まくしたてるように言って、セフィリアはついと顔を背ける。


「そんなことより、はやくリーズマリア・ルクヴァースのところへ行け。いまならまだ間に合うかもしれない」


 アゼトは無言でうなずくと、ノスフェライドに飛び移る。

 コクピットが閉ざされると同時に、兜の奥であざやかな血色の閃光がまたたく。

 黒騎士は死の淵からよみがえったのだ。

 力強く大地を踏みしめたノスフェライドは、猛然と疾走を開始していた。

 

***


 銀閃がほとばしったのと、甲高い破壊音が響きわたったのは同時だった。

 かすかな夕映えを照り返して舞うのは、ザラマンディアから剥離した赤金色オレンジサファイアの装甲片だ。

 きらめく結晶を振りまきながら、サルヴァトーレは獣じみた咆哮を上げる。


「やりおったな――――下賤な人狼兵イヌの分際で、よくも!!」


 ヴェルフィンが振り下ろした長剣ロングソードは、あやまたずザラマンディアの頭頂から腹までを縦一文字に斬り裂いた。

 打ち込みの疾さも、刃筋の通り具合も、いまのレーカが到達しうる最高の一撃であった。

 むろん、ウォーローダーのパワーでは、堅固な装甲に鎧われたブラッドローダーのコクピットを物理的に破壊することはできない。


 それでも、ヴェルフィンの剣が乗り手ローディの薄皮一枚にまで迫ったことはまぎれもない事実だ。

 斬撃を浴びた瞬間、サルヴァトーレの心身を支配したのは、まぎれもない死の恐怖であった。

 至尊種ハイ・リネージュの頂点に君臨する十三選帝侯クーアフュルストたるおのれが、人狼兵ライカントループふぜいに恐怖をおぼえる……。

 およそありうべからざることだ。それ以上にありえないのは、そのような失態を招いた自分自身の不甲斐なさであった。

 とめどもなく沸き起こる怒りは、狂気の炎となってサルヴァトーレの理性を呑み込んでいく。


「ただなぶり殺すだけでは気が済まん。手足を一寸ずつ刻み、五臓六腑と脳をえぐり、生きたままじっくりと焼き殺してくれる……」


 刹那、ザラマンディアの姿がふいに消失した。

 おそるべき速度で移動したザラマンディアは、音もなくヴェルフィンの背後に回ると、胴体を両腕の鉤爪クローで鷲掴みにする。

 抵抗もできないまま宙吊りにされたヴェルフィンを高々と掲げあげ、サルヴァトーレは呵呵と哄笑をはなつ。


「まずはおまえからだ。せいぜい悪あがきをしてみせろ。そのほうが壊し甲斐があるからなあ」


 サルヴァトーレが言い終わるが早いか、するどい爪先がヴェルフィンの胴体にめり込んだ。

 退路を断ったうえでコクピットを左右から挟み潰そうというのである。

 それも一気に圧殺するのではなく、すこしでもレーカの苦しみが長引くように、わざと力を調節しているのだ。

 はたして、ヴェルフィンのコクピットは歪み、ひしゃげた内壁がレーカを容赦なく押しひしぐ。耐えがたい圧迫感にくわえて、鉤爪クローが帯びた高熱が苦痛にいっそうの拍車をかける。


「痛いか? 苦しいか? 泣いて許しを請えば、ひと思いに楽にしてやってもいいのだぞ」

「だれが……貴様のような下衆に……!!」

「どこまでも生意気な狗よ。いつまで減らず口をたたけるか試してやろうか」


 言葉とはうらはらに、サルヴァトーレはヴェルフィンから視線を外していた。

 ゆらめく炎のなかに佇む人影を認めたためだ。

 銀灰色シルバーアッシュの長い髪をなびかせた吸血鬼の姫は、燃えさかる猛火をものともせず、ザラマンディアとヴェルフィンに近づいていく。


「そこまでです、サルヴァトーレ・レガルス。これ以上の狼藉は許しません」


 リーズマリアは真紅の瞳でザラマンディアを見据え、凛然と言い放つ。


「姫様、お出でになってはいけません……」


 レーカの弱々しい言葉は、金属のひしゃげる異音にかき消された。

 サルヴァトーレはヴェルフィンを吊り上げたまま、ザラマンディアの頭部だけをリーズマリアのほうにむける。


「これはこれは。直々のおでましとは光栄だ、リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース」

「レガルス侯爵、私の言葉が理解できなかったのですか。いますぐ彼女を解放しなさい」

「あいにくだが、逆賊の言葉に耳を傾けるつもりはない。たとえ先帝陛下の娘御であってもなあ」


 ザラマンディアの頭部から細糸のような光条が伸びたのは次の瞬間だ。

 限界まで集束率を高めた対人掃討用レーザー・ビームである。

 レーザーはリーズマリアの傍らを掠め、銀灰色の髪をじりじりと焦がす。

 白皙の頬に浮かび上がった熱傷がたちまち消滅したのは、吸血鬼の超再生能力のなせる業だ。

 それ以上に驚くべきは、直撃すれば吸血鬼といえども致命傷は免れないレーザーに柔肌をねぶられながら、リーズマリアがその場から一歩も動いていないことであった。


「ほお? ……さすがは先帝の忘れ形見。だが、身体じゅうに風穴を開けられてもまだ涼しい顔をしていられるかな」


 サルヴァトーレがリーズマリアのたおやかな喉に狙点ポイントを合わせようとしたまさにそのとき、ザラマンディアの索敵センサーがけたたましい警報音を発した。

 こちらにむかってすさまじい速度で接近する物体を捕捉したのだ。

 

「ちいっ!!」


 ザラマンディアはヴェルフィンを無造作に投げ捨てると、後方に飛びずさる。

 はたして、それから一秒と経たぬまに、ザラマンディアが立っていた場所にするどく突き立ったものがある。

 颶風をまとって飛来したそれは、刃渡り五メートルはあろうかという無骨な大太刀であった。

 鏡のような刀身の表裏に映った巨影はふたつ。

 ひとつはザラマンディア。

 そしてもうひとつは、漆黒の装甲をまとったブラッドローダーだ。


「生きていたか、ノスフェライド――――」

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