CHAPTER 03:アンチェインド・ビースト

 まばゆい光条が闇をひらいた。

 先頭を行くヴェルフィンに装備された超高輝度サーチライトである。

 そのすぐ後方にフクロウの人狼兵ライカントループシギンが運転する小型トラックが続く。リーズマリアは、万が一の際に狙われやすい運転席キャブではなく、むきだしの荷台デッキに設けられた簡易シートに端座している。

 トラックの後方で殿軍しんがりを務めるのは、はぐれ人狼兵たちの隊長であるライオンの人狼兵ユヴァと、トカゲの人狼兵ノイエルのゼネンフントだ。


 三機と一両は、脇目もふらずサブ・トンネルをひた走る。

 走り出してからすでに六時間あまりが経過しているにもかかわらず、終点はまだ見えない。

 アリの巣みたいに張り巡らされたトンネル網は複雑に入り組み、しばしば落盤や水没による行き止まりにぶつかった。そのたびに、一行はルート変更を余儀なくされたのだ。


 コルプたちの別働隊がどうなったかを知るすべはない。

 三人はいまも健在なのか、それとも敵に追いつかれたのか……。

 いずれにせよ、ブラッドローダーの追跡を受けている以上、楽観的な見方は禁物だった。

 分かっているのは、いまのところであるリーズマリアが敵に発見されていないということだけだ。

 このまま無事に逃げおおせることができればよし。

 もし敵と遭遇したなら、そのときは、命がけでリーズマリアを逃がすための時間を稼ぐ。

 それが出発に先立ってレーカとユヴァ、ノイエルが交わした約束だった。


 と、ふいにヴェルフィンの右手が上がった。

 進路上になにかを見つけたのだ。

 ヴェルフィンに搭載されているセンサーは、ゼネンフントのそれをはるかに凌駕する精度をもつ。誤作動はまず考えられない。

 ヴェルフィンにやや遅れて、後続のトラックとゼネンフントもその場で停止する。

 

「行き止まり――――いや、ちがう……」


 レーカは、ディスプレイに表示された走査スキャンデータを拡大する。

 五百メートルほど前方にドーム状の空間がひろがっている。

 最奥部の壁には、金属の扉のようなものがみえる。


「おそらく地上に出るための大型エレベーターだろう」


 そう答えたのはユヴァだ。


「動くのか?」

「試してみなければわからんな。送電システムはとうに停止しているが、原子力電池で独立稼働するタイプなら、まだ生きている可能性はある」


 ならばと踏み出したヴェルフィンのまえに、いつのまにかトラックを降りたシギンが立ちふさがった。

 両手をおおきく広げながら、シギンはレーカにむかって呼びかける。


「待て――いきなり飛び込むのは危険だ。敵が待ち伏せをしていたらどうする?」

「それは……」

「私は斥候兵だ。センサーでは捕捉できない敵の気配にも気づくことができる。全員で進むのは、敵がいないことを確かめ、エレベーターが動くかどうかを試してからのほうがいいだろう」


 レーカがなにかを言うまえに、ユヴァのゼネンフントがシギンの傍らに進み出た。


「たしかにおまえの言うとおりだ、シギン。我々はここで待機する。くれぐれも警戒を怠るな」

「了解――」


 言い終わるが早いか、シギンは闇の奥へと走り出していた。


***


 トンネルの突き当りに到達したシギンは、すばやく周辺に目を走らせる。

 正面には高さ五メートル、幅一○メートルほどの金属扉がみえる。

 どうやら物資搬入用の大型エレベーターらしい。

 ウォーローダー三機と小型トラック程度であれば、問題なく収容できるだろう。

 むろん、それも昇降システムが生きていればの話だ。


「制御システムは――――」


 目当てのものを見つけるのは簡単だった。

 エレベーターからすこし離れた壁面に、金属の箱が埋め込まれている。

 赤黒い錆を吹いたそれは、エレベーターの運行を管理する制御盤コントロール・パネルとみてまちがいない。

 シギンは力任せに外装を引き剥がす。錆によって蝶番ががっちりと固着している以上、こうするしか手はないのだ。

 ぎい、と耳障りな音を立てて外装が外れた。内部にはエレベーターの操作スイッチと、作動状態を示す計器類が並んでいる。

 メーターの針が指し示す電源レベルは、ほとんどゼロにちかい最低ロー――まだかろうじて生きているということだ。

 

(助かった……!!)


 ほっと安堵の息を吐きかけたシギンは、そのまま身体をこわばらせた。

 人狼兵ライカントループの本能が警告を発している。


 いる――――


 そう遠くはない。シギンが手を伸ばせば触れられるほどの距離に、そいつはいる。

 シギンはおそるおそる背後を振り返る。

 皿のような両眼に映ったのは、先ほどまでとなにも変わらない景色だ。

 いや――よくよく目を凝らせば、天井の亀裂から、極細の銀糸のようなものがひとすじ垂れている。


「なんだ、これは……?」


 シギンが一歩を踏み出したのと、銀糸が風もないのに揺れたのは同時だった。

 たんなる偶然でないことはすぐに知れた。

 極細の銀糸は、それ自体が一匹の生物であるかのように、猛然とシギンに襲いかかったのである。

 銀糸はみるまに太さを増し、先端はするどい針と化している。

 人狼兵ライカントループの反射神経をもってしても、至近距離での不意打ちを見切ることはむずかしい。

 はたして、空中で二又に分かれた銀色の針は、シギンの喉と胸をあやまたず射抜いていた。


「ぐぶっ――!!」


 シギンの口と鼻からどっと血の霧が吹き出した。

 二又の銀の針は、シギンの片方の肺と声帯を精確に刺し貫いたのだ。

 あと一歩のところで致命傷には至らなかったが、そのぶん苦しみは長引く。

 そうするあいだにも銀の針はシギンの胸郭と頭蓋骨を容赦なく蹂躙し、目といわず鼻といわず耳といわず、顔面のあらゆる穴からおびただしい鮮血があふれている。


(ユヴァ……隊長に……知らせなければ……)


 出血と激痛によって薄れゆく意識のなかで、シギンはあくまで偵察兵としての職務を全うするつもりだった。

 むろん、この状況では声を出すことも、走って仲間たちのもとへ戻ることもままならない。

 それでも、まったく打つ手がなくなったわけではない。

 シギンは手さぐりで腰のあたりをさぐる。もう視力は完全に失われているのだ。

 目当てのものはすぐに見つかった。

 手榴弾グレネードを格納するポーチである。

 シギンはポーチに手を突っ込むと、二つばかり手榴弾を掴み取る。

 ひとつは通常の手榴弾。

 そして、もうひとつは、目くらましに用いる閃光手榴弾フラッシュグレネードであった。


(隊長……あとは……)


 銀の針がシギンの脳と心臓を貫いたのと、手榴弾のピンが引き抜かれたのは、ほとんど同時だった。

 まず閃光が闇を裂き、続いて衝撃波が大気を揺さぶる。耳を聾する爆発音はいちばん最後にやってきた。

 ゼロ距離で爆風を浴びたシギンが即死したことは言うまでもない。


 一面に飛び散った血と肉片のあいだで、なにやらもぞもぞと蠢くものがある。

 大きさは小指の爪ほど。手も足もないそれは、銀色のうじ虫とでも言うべき醜悪な物体だ。

 何百ともしれない銀蟲の群れは、互いに呼び合うように凝集し、ひとつの個体を形作っていく。


 ”水銀の蛇メルキュール・シュランゲ”。

 ゼルカーミラが装備していたものとはべつに、ザラマンディアが万一の場合のスペアとして隠し持っていたものだ。

 サルヴァトーレは、広大な地下壕に逃げ込んだリーズマリア一行を見つけ出すにあたって、”銀色の蛇”にひとつの命令を与えた。

 

――生きているものはなんであろうと殺せ。例外はない。


 解き放たれた銀の妖物は、次なる獲物をもとめて動きはじめた。


***


「いまの爆発は!? ――――姫様、ヴェルフィンの陰に!!」


 叫ぶなり、レーカはリーズマリアを庇うようにヴェルフィンを前進させた。

 エレベーター付近で起こった爆発の閃光と轟音は、一行が待機している場所まで押し寄せてきた。

 先行したシギンの身に異変が起こったことはまちがいない。

 具体的な情報はなにひとつ分からないが、ともかく、ただならぬ事態が出来しゅったいしたことだけはたしかだ。


 ユヴァとノイエルのゼネンフントも、すばやくヴェルフィンの真横に進み出る。

 三機が横一列になってリーズマリアを守るかたちだ。

 たとえ敵の攻撃を受けたとしても、機体を盾にすればリーズマリアに危害は及ばない。

 

「レーカ、皆さんも、どうか気をつけて!!」


 リーズマリアの呼びかけに答えるまもなく、ヴェルフィンの高精度センサーが前方で動くものを捉えた。

 データベースに照合――該当なし。ウォーローダーや旧人類軍が使用していた戦闘車両ではない。

 暗視カメラの赤外線IR図像を見るかぎり、手足や頭らしい部位は見当たらない。

 は地面を這うように、それでいて意外なほど速いスピードで近づいてくる。


「接敵まであと五秒――――」


 ユヴァの落ち着いた声も、いまばかりは緊張をはらんでいる。

 

「レーカ殿。ヴェルフィンの電磁投射砲レールキャノンは使えるか」

「あれはすこしチャージに時間がかかる。それに、ここで撃てばエレベーターにも被害が出かねない」

「ならば、致し方ない……」


 ユヴァのゼネンフントの両手が背中に回った。

 右腕のマニピュレーターが把持しているのは、ウォーローダー用の大口径ショットガンである。

 ひどく小ぶりにみえるのは、根本から三分の一ほどのところで銃身が切り詰められているためだ。

 ソウドオフ・ショットガン。それは射程や命中精度と引き換えに、実戦での取り回しのよさを実現したカスタマイズの定番だった。

 反対側の左手には、打突武器を兼ねた無骨なシールドを握りしめている。

 先端のするどい突起部アキュートを突き立てれば、ウォーローダーのコクピットをえぐることもたやすい。


 ノイエルのゼネンフントも、隊長に遅れじと戦闘準備を整えている。

 おもな武器は、敵に触れた瞬間に超高圧電流を流し込む三叉槍トライデントだ。

 彼女が生身で愛用している電磁槍ボルト・スピアの拡大版だが、ウォーローダー本体からの電力供給によって、その威力は格段に増している。

 

「……行くぞ!!」


 最初に飛び出したのはレーカだ。

 ネイキッド・ウォーローダーの利点である軽さとダッシュ力を活かし、ヴェルフィンは猛スピードで敵に殺到する。

 長剣ロングソードを抜き放ち、いざ斬りかかろうとしたまさにそのとき、レーカはおもわず目を見開いていた。


「なんだ!? こいつは――――」


 レーカが狼狽したのも無理からぬことだ。

 目の前にいるは、これまで戦ってきたどんな敵ともちがう。

 完全流体金属のみで構成された、一定の形をもたない兵器――――”水銀の蛇メルクール・シュランゲ”。

 命令を遂行するための最低限の知能だけを与えられた”水銀の蛇”は、それゆえに、いかなる状況でも最短最速の戦術のみを遂行する。

 まともにヴェルフィンと戦うのではなく、装甲の隙間からコクピット内に浸透することで乗り手ローディを殺そうというのだ。

 ヴェルフィンに襲いかかるべく飛び上がった”水銀の蛇”は、しかし、次の瞬間には空中で四散していた。

 ユヴァのゼネンフントがショットガンを発射したのである。

 無数の散弾に叩かれた”水銀の蛇”は、銀の水滴となってあたり一面に飛び散った。


「すまない、ユヴァ」

「礼ならあとでかまわん。……ヤツは


 はたして、ユヴァの危惧は的中した。

 銀の水滴がすさまじいスピードで結集し、”水銀の蛇”が再生したのは、それから数秒と経たないうちだった。


「自己再生能力を持っているのか!? これでは倒しても倒してもキリがない……!!」


 レーカは心底からいまいましげに叫ぶ。

 剣や銃弾による攻撃は、おそらく先ほどとおなじように無力化されてしまう。

 ヴェルフィンの電磁投射砲レールキャノンならば再生不能なほど破壊することも可能かもしれないが、発射までのタイムラグを考えれば、とても現実的な手とは言いがたい。

 

 ノイエルのゼネンフントがふいに進み出たのはそのときだった。


「任せてほしい――――


 トカゲの人狼兵は、抑揚に乏しい声で言うと、”水銀の蛇”めがけて愛機を躍動させた。 

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