第二話:獣たちの挽歌

CHAPTER 01:スーサイド・コープス

 アルキメディアン・スクリューの駆動音が地下道に響きわたった。

 くさび型の隊列フォーメーションを組んだ三機のゼネンフントは、灯りひとつない闇のなかをまっすぐに進んでいく。

 メイン・トンネルから派生したサブ・トンネル――正確には、そこからさらに枝分かれした細い支流であった。


「ザンナ、敵の現在位置は?」


 先頭を行くサイの人狼兵ライカントループコルプは、オオヤマネコの人狼兵ザンナに問いかける。


「後方およそ二千メートル。……しっかりついてきているよ、副長」


 コルプは「よし」と短く応じると、もう一機のゼネンフントに呼びかける。


「イェララ、この先に資材集積場がある。おまえはザンナと先にゆけ。私はここに残る」


 こともなげに言ったコルプに、オオカミの人狼兵イェララは困惑気味に問い返していた。


「どういうことだ、副長!?」

「時間を稼ぐのに人数はいらん。私ひとりで充分だ」

「そんな話をしているんじゃない。ブラッドローダーと単独サシでやったらどうなるか分かって――――」


 声を荒げるイェララに、コルプはあくまで冷静に言葉を継いでいく。


「おまえたちが人狼騎士団に入るずっとまえのことだ。ある貴族とのいくさのさなか、私の隊は敵のブラッドローダーに出くわしてしまった」

「……!!」

「すくなくとも我々にとって、あれは戦いなどではなかった。まるで子どもが戯れ半分に蟻を踏み潰すような、どこまでも一方的な虐殺だ。すんでのところでご主君に救われなければ、私も殺されていただろう」


 それだけ言うと、コルプはふっとため息をつく。


「ブラッドローダーの強さと恐ろしさは、私が誰よりもよく分かっている。敵はそのなかでも最強の聖戦十三騎エクストラ・サーティーンだ。


 コルプの壮烈な宣言には、しかし、悲嘆や絶望の響きはない。

 あくまで飄々と、それが当然であるかのように、避けがたい死の運命を見つめているのだった。


「ここまで奴を引きつけることが出来た。あとは一秒でも長く時間を稼ぎ、ユヴァ隊長が姫殿下を安全な場所までお連れしてくれることを祈るだけだ」


 鉛のような静寂が三人のあいだを充たしていった。


「……上等じゃないか」


 ちいさく呟いたのはザンナだ。


「ようやく騎士らしい死に場所を見つけられたってわけだ」

「ザンナ、おまえ――」

「イェララ、アンタ、まさかこの期に及んでビビってるのかい。アタシは一人でもやるよ。そのために今日まで恥を忍んで生きてきたんだからね」


 からかうように言ったザンナに、イェララは「ふん」と鼻を鳴らす。


「誰がテメエだけに美味しい思いをさせるかよ。ブラッドローダー、それもあの聖戦十三騎エクストラ・サーティーンと戦えるとは、俺たちも最後に運が回ってきたらしいぜ。死に花咲かせるにゃ最高の相手だ」


 ザンナとイェララのやり取りを聞いたコルプは、くつくつと低い笑い声を洩らす。

 どんなに絶望的な状況にあろうと、隊の結束は揺るがない。

 そういう彼らだからこそ、決死隊に選ばれたのだ。

 コルプはゼネンフントを超信地旋回ニュートラル・ターンさせる。


「……二人とも、あとは頼んだぞ」


 コルプのゼネンフントは、ウェポン・ラックに懸架していた重火器を構える。

 丸い冷却孔の開いた銃身バレルジャケットと二脚バイポッド、機関分には大容量の円形弾倉ドラムマガジンを備えるそれは、ウォーローダー用の重機関砲ヘヴィ・マシンガンだ。

 口径三○ミリ。

 発射速度は毎分およそ四千発。

 装填ロードされている徹甲焼夷弾は、着弾と同時に可燃性ゲルを撒き散らし、標的を爆発・炎上させる。ウォーローダーは言うに及ばず、直撃させれば戦車や小型艦船も撃破可能という代物であった。

 むろん、ブラッドローダーに通用しないことはコルプも承知している。


「あばよ、副長」

「いずれ地獄で――な。人狼兵イヌが堕ちるところはそこだけだ」

「違いねえ」


 コルプの割れ鐘みたいな笑い声はふっつりと途切れた。

 お互いに無線機のスイッチを切ったのだ。

 イェララとザンナは、後ろ髪を引かれる思いを断ち切るように、ゼネンフントをさらに加速させていった。


***


 八百年ものあいだ地底を支配していた暗闇は、不躾な闖入者にはまったく無力だった。

 イェララとザンナのゼネンフントである。

 資材集積場に突入した二機は、すばやく出入口の扉を封鎖すると、敵を迎え撃つためのに取り掛かった。

 

 とおく響いていた銃撃音はいつのまにか途絶えている。

 その単純な事実だけで、ひとり残ったコルプがどうなったかを察するには充分だった。

 イェララにもザンナにも、そしてコルプ自身にも、最初からすべて分かりきっていることなのだ。

 いまはただ各々が果たすべき義務を果たすだけだ。寸秒を惜しむ戦場には、感傷に費やすいとまはない。


 下準備を終えた二機は、乱雑に積み上げられた建築資材の陰に身を潜める。

 どちらも一言も発することなく、ただじっとその時を待つ。

 一秒をこれほど長く感じたことはない。秒針の進みさえ止まったようであった。

 ひりつくような緊張のなかで、すべての感覚が研ぎ澄まされていく。


「……来た」


 消え入りそうな声で呟いたのは、はたしてどちらだったのか。

 刹那、出入口の扉がまばゆい光を放った。

 数百年の歳月に耐えた鉄扉はたちまち液体と化し、跡形もなく溶け崩れていく。

 融点をはるかに上回る超高熱のレーザー・ビームを浴びては、鋼鉄も飴細工となんら変わらない。


 もうもうとたちのぼる蒸気を裂いて現れたのは、あざやかな朱金色の装甲をまとった巨人騎士だ。

 人と猛禽の特徴が相半ばする奇怪な、それでいて壮麗な外観。およそ戦闘兵器らしからぬ美しい佇まいには、いっそ神々しさすら漂う。

 ノスフェライド以外のブラッドローダーを見たことがないイェララとザンナにも、特別な機体であることはひとめで分かる。

 至尊種ハイ・リネージュの頂点たる十三選帝侯クーアフュルストが駆る最強の機体群――聖戦十三騎エクストラ・サーティーン

 いま二人の前に立っているのは、その一柱たるブラッドローダー”ザラマンディア”にほかならなかった。


「そこにいるのは分かっているぞ、リーズマリア・ルクヴァース!!」


 ザラマンディアから放たれた怒声が空気を震わせた。

 サルヴァトーレ・レガルスは、苛立ちを隠そうともせず、なおも言葉を継いでいく。

 

「コソコソと逃げ隠れるのもここまでだ。観念して姿を見せるがいい。さもなくば、貴様の配下を一匹ずつ始末していくぞ――――


 サルヴァトーレが言い終わらぬうちに、乾いた音を立てて地面に転がったものがある。

 黒灰色の塊だ。球体と表現するにはいささか歪なそれは、遠目には不格好な泥団子のようにもみえる。

 よくよく目を凝らせば、表面にはところどころ金属らしい光沢が宿っていることに気づく。

 コルプのゼネンフント――正確には、そのであった。


 ザラマンディアの性能であれば、遠距離から触れることなくゼネンフントを消滅させる程度は造作もない。

 サルヴァトーレはあえてそれをせず、超高熱を帯びた鉤爪クローで握り潰したのだった。

 一秒でもながく獲物に苦痛と絶望を与え、断末魔を楽しむためであることは言うまでもない。

 コルプは脱出することもできず、灼熱の牢獄と化したコクピットのなかで、生きながらに骨まで焼き尽くされたのだった。


「下賤な犬畜生イヌの分際で、このレガルス侯爵に楯突くからこうなるのだ。悲鳴のひとつでも上げておれば、もうすこし楽に殺してやったものを……」


 サルヴァトーレが吐き捨てたのと、ザラマンディアの脚が上がったのは同時だった。

 巨大な爪をそなえた逞しい脚は、ゼネンフントの残骸を執拗に踏みしだき、容赦なく粉砕していく。


――よくも人狼兵ライカントループふぜいが、選帝侯たるこの俺に手向かいをした!!


 すでにゼネンフントの残骸は原型を留めていないにもかかわらず、ザラマンディアは脚をどける素振りもない。

 サルヴァトーレの常軌を逸した攻撃性は、死者の尊厳を凌辱してなお鎮まらないのである。

 程度の差こそあれ、敵をなぶり殺しにすることに快感を覚える嗜虐的サディスティックな性質は、至尊種ハイ・リネージュならば誰もが持ち合わせている。

 軍事貴族レガルス家の当主たるサルヴァトーレは、同胞のなかでもひときわ濃く強く、血と殺戮と破壊をこのむ気質――吸血鬼としての忌まわしい本性を受け継いでいるのだ。


 ザラマンディアの背後で閃光がほとばしったのはそのときだった。

 間髪をいれずに生じた爆発音と地響きが、地下空間をはげしく動揺させる。

 イェララとザンナがあらかじめ仕掛けておいた爆薬を一斉に起爆させたのだ。

 出入口付近の天井と壁は一瞬のうちに崩落し、流れ込んだ土砂が外部との通行を完全に遮断する。

 ブラッドローダーにとってはさしたる障害にもならないだろう。

 イェララもザンナもすべて承知の上だ。たとえ数分、いや数十秒でも敵の注意を引きつけ、リーズマリアたちが逃げるための時間稼ぎができれば、それでじゅうぶん役目は果たしたことになる。


「残念だが、ここにお姫様はいねえ。――――テメェはまんまとに引っかかったってわけだ。マヌケ野郎!!」


 イェララとザンナのゼネンフントは、ほとんど同時に物陰から飛び出していた。

 アルキメディアン・スクリューの駆動音を響かせながら、二機のゼネンフントは滑るように疾走する。

 使命はただひとつ。ザラマンディアと戦い、一秒でも長くこの場に引き留めること。

 生還率はゼロ。勝ち目など万が一にもあるはずもない。それでも、イェララとザンナの闘争心は萎えるどころか、かつてないほどに烈しく燃え上がっている。


 先に突出したのはザンナの機体だ。

 両手には、一対の双手斧トマホークが握られている。

 小ぶりだが肉厚で頑丈な刃をもつ双手斧は、斬撃と打撃、さらには投擲まで可能という万能武器である。

 反面、間合いの短さから扱いが難しいこの武器を、ザンナはおのれの身体の一部のように使いこなすことができる。


「コルプ副長の仇ッ!!」


 裂帛の気合とともに、ザンナのゼネンフントが地を蹴った。

 機体の重量に自然落下の慣性を加えることで、斧の威力を倍加させようというのだ。

 ゼネンフントの左腕がおおきくスイングした。ザラマンディアめがけて双手斧の一方を投げつけ、その動きを牽制しようという心づもりなのだ。

 はたして、ゼネンフントが渾身の力とともに投擲した双手斧は、回転しつつザラマンディアへとまっすぐに吸い込まれていく。


 刃が触れるかという瞬間、ふいに目もくらむ閃光が走った。

 光が熄んだときには、ザラマンディアの装甲をはげしく叩くはずだった双手斧は、跡形もなく消え去っている。

 ザラマンディアが装甲から熱エネルギーを放射し、飛来する双手斧を一瞬のうちに蒸発させたのだ。

 装甲下に内蔵されたレーザー・ビームは、自機にむかって飛来する物体を自動的に迎撃するようにプログラミングされている。

 どれほど戦闘技術に長けた乗り手ローディであっても、ザラマンディアに近づくことさえ不可能なのだ。


「ぐぁ……うああ……ッ!!」


 ザンナは苦悶の声を洩らす。

 熱エネルギーの余波をまともに浴びたことで、ゼネンフントの装甲は無残に溶け崩れていった。

 駆動部を循環するオイルはたちまち発火点に達し、機体は火だるまになって地面に叩きつけられたのだった。

 燃料電池フューエル・セルに引火しなかったのは不幸中の幸いだ。

 しかし、それも長くは持たない。いずれ安全装置が焼損すれば、大爆発を引き起こすのは避けられないのである。


「ザンナ!! ――――くそったれッ!!」


 イェララはいったんザラマンディアから距離を取ると、ゼネンフントを急反転させる。

 それから半秒と間をおかず、耳を聾する銃撃音と、まばゆい砲口炎マズルフラッシュが一帯を領した。

 ゼネンフントが両肩に搭載したミサイル・ランチャーと、背部のグレネード・ランチャー、そして両手に携えた二○ミリ機関銃を同時に発射したのだ。

 曳光弾まじりの火線は、まるで吸い寄せられるみたいに、ザラマンディアへと集束していく。


 もともと偵察兵であるシギンの愛機だけあって、イェララのゼネンフントには後方支援用の重火器が豊富に搭載されている。

 そして隊長であるユヴァに次ぐ操縦技術をもつイェララは、戦闘領域レンジを選ばないオールマイティーな乗り手ローディなのだ。

 重火器を撃ちきったことを確認したイェララは、ためらうことなく全武装を投棄パージ

 残弾ゼロ。補給の見込みはない。デッドウェイトは捨てるにかぎる。

 それに、まだ武器は残っている。

 戦えるはずだ。最後の一瞬まで、一秒でも長く。


「図に乗るなよ、うす汚い下郎が――――」


 接近戦用の片手剣ショートソードを抜き放とうとした瞬間、イェララのゼネンフントは宙に浮かんでいた。

 ザラマンディアが爆風を引っ切り、すさまじいスピードで機体をねじ上げたのだ。

 こうなっては、イェララにもなすすべはない。

 するどい鉤爪クローはじわじわとゼネンフントにめり込み、制御システムはひっきりなしに致命的損傷フェイタル・アラートを訴えている。

 片手剣がぽとりと落ちた。――というよりは、両腕が肩口から引きちぎられたのだ。


「言え。リーズマリア・ルクヴァースはどこにいる」

「知らねェなあ……」

「貴様らは時間稼ぎのための捨て駒にされたのだぞ。それでもまだリーズマリアに忠義を尽くすか?」

「お姫様とはついさっき会ったばかりだ。忠義なんてもんはずいぶんむかしに忘れちまった」


 語気を荒らげて詰問するサルヴァトーレに、イェララは不敵に笑う。


「だが、人狼騎士の矜持プライドだけは忘れちゃいねえ」

「矜持だと? 面白いことをいう。貴様ら犬畜生にそんなものがあるとでも?」

「俺たちは、ぜったいに仲間の信頼を裏切らない。ただそれだけだ――――」


 イェララの言葉に呼応するみたいに、頭上で異様な破壊音が生じた。

 資材集積場の天井に仕掛けておいた爆薬が作動したのだ。

 たんに出入口を塞ぐだけでなく、空間そのものをザラマンディアを閉じ込める蓋として利用する。

 イェララとザンナは、自分たちが助からないことを理解したうえで、ザラマンディアの足止めのために全身全霊をかけたのだった。


「おのれ、どこまでも小癪な真似を……!!」


 憤懣やるかたないサルヴァトーレは、イェララのゼネンフントを力任せに地面に叩きつける。

 衝撃で四肢がちぎれ飛び、胴体だけになったゼネンフントは、何度かバウンドしたあとようやく停止した。

 ほんの数メートル離れた場所には、焼き尽くされたザンナのゼネンフントが横たわっている。

 おのれの血と肉片で汚れたコクピットのなかで、イェララは無線機ごしに呼びかける。


「よう、ザンナ。生きてるか?」

「どうにか。首から下が黒焦げだけどね」

「俺も似たようなもんだが、お互い姿を見せあわずに済みそうだ」


 地下空間の崩落は止まる様子もない。

 降りそそぐ数万トンの土砂は、周囲の通路ごとなにもかもを埋め尽くすだろう。

 やがて地下水を含んだ泥土がどっと流れ込みはじめると、二機のゼネンフントはなすすべもなく泥水に沈んでいく。


「ザンナよ、おめえとは人狼騎士団に入ったときからずっと喧嘩ばかりだったな」

「なに? 生まれ変わったら仲良くしようとでも?」

「バァーカ、次こそはきっちり決着ケリつけてやるってんだよ」

「上等。そっちこそ、その言葉ぜったいに忘れんじゃないよ。もし忘れたら……」


 無線機の交信は、それきり途絶えた。

 土砂と泥とが二機のゼネンフントを乗り手ローディごと埋葬していく。

 すべてが終わり、ふたたび静寂しじまと闇が地底を支配した。

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