CHAPTER 13:クロッシング・ライン

 にぶい痛みが、暗く深い淵に沈んでいたアゼトの意識を揺り起こした。

 視界はがかかったようにかすんでいる。

 神経接続ニューロ・リンクによって完全に同調しているはずのノスフェライドの機体は、しかし、いくら念じても指一本動かない。

 周囲の状況をたしかめるべくノスフェライドのコクピットを開け放った瞬間、異様な臭気がアゼトの鼻を衝いた。

 おもわず噎せこみそうになるそれは、金属が溶解した際に特有のものだ。


 あのとき――――

 ザラマンディアが放った一億℃のプラズマ・ビームは、”水銀の蛇メルクール・シュランゲ”ごとノスフェライドを焼き尽くした。

 ブラッドローダーは半固体・半流体の非晶質アモルファス金属によって構成されている。通常の金属とは比べものにならない耐久性をもつ非晶質金属だが、超高熱によって分子構造を強制的に固定されれば、その強度はたちまち失われてしまう。

 はたして、いまやノスフェライドの黒く透きとおった装甲はむざんに炭化し、アゼトが軽く触れただけでボロボロと崩れていくというありさまだ。


「ノスフェライド……」


 コクピットから這い出たアゼトは、消え入りそうな声で愛機の名をよぶ。

 漆黒の巨人騎士は、大樹の幹によりかかるように座り込んでいる。

 兜の奥で炯々ときらめいていた血色の眼光は消えうせ、主人の呼びかけにも微動だにしない。

 だらりと力なく投げ出された四肢は、亡骸むくろのそれによく似ていた。


 それでもアゼトが絶望していないのは、ノスフェライドがまだ生きていることを知っているからだ。

 ブラッドローダーには、人体とおなじ新陳代謝と自己再生のシステムが備わっている。

 かろうじて焼損をまぬがれた機体の内部では、いまこの瞬間もすさまじい速度でナノ・マシンが生産されているのである。

 そうして生み出された何十兆個というナノ・マシンの群れは、傷ついた機体を内側から修復していくのだ。

 やがて炭化した装甲が剥がれ落ち、あらたな装甲に置き換えられることで、ブラッドローダーの再生は完了する。

 それは重度の熱傷が治癒していく過程プロセスそのものと言っていい。


 むろん、ブラッドローダーの自己再生能力も万能ではない。

 これほど広範囲かつ深部にダメージが及んでいる場合、通常であればナノ・マシンを含有した補修ペーストを装甲に塗布しなければならない。

 追加のナノ・マシンを投与することで、機体の再生を促進し、短期間での完治が望めるというわけだ。人間が軟膏や抗生物質を必要とするように、ブラッドローダーも迅速な回復のためには外部からの手助けが必要なのである。

 補修ペーストは陸運艇ランドスクーナーに搭載されているが、この状況では取りに戻ることはむずかしい。

 機内で生産可能なナノ・マシンの総量が限られている以上、単独での再生にはかなりの時間を要する。

 自力で立ち上がれるようになるのは、最短でもあと二十四時間後……。

 それまではひたすらに息をひそめて回復に専念するしかないのだ。


「傷が治るまでここを動くな、ノスフェライド。俺のことは心配いらない――――」


 物言わぬ愛機にむかって、アゼトは優しく語りかける。

 我が身を灼かれてなお乗り手ローディを守り抜いた黒騎士に、いまかけてやれる言葉はそれだけだった。


 深く息を吸い込んだアゼトは、あらためて周囲を見渡す。

 どの方向に顔を向けても、視界に入るのは木々と苔に覆われた地面だけだ。

 およそ代わり映えのしない緑一色の景色は、この場所が”迷宮の森”と呼ばれる所以でもある。人間は方向感覚を容易に失い、おなじ場所を何度も行きつ戻りつするうちに衰弱していくのである。


 アゼトは視線を上方に移す。

 濃く生い茂った枝葉の間隙から、夜空が朱色に染まっているのがみえた。

 敵のブラッドローダーが地下基地を破壊したのだろう。

 リーズマリアたちが脱出するまでの時間は稼いだはずだが、まだ安心はできない。

 合流地点については出撃前にユヴァから教えられている。

 一刻も早く合流するために、アゼトはこの森を徒歩で進まなければならないのだ。


 歩きだしてからしばらく経ったころ、アゼトはふいに足を止めた。

 前方に奇妙な光景を認めたためだ。

 木々が一直線になぎ倒され、地面にはわだちのような痕跡が刻まれている。

 かなり大型の物体が墜落したらしいことはひと目でわかる。

 心当たりはある。――――ノスフェライドとともにプラズマ・ビームに呑まれたもう一体のブラッドローダーだ。

 なぜ敵が仲間を巻き添えにしたのかは、むろんアゼトには知る由もない。

 自己犠牲を買って出たのか、あるいは仲間割れか……。

 いずれにせよ、ノスフェライドがかろうじて破壊を免れている以上、敵も生き延びている可能性は否定できない。

 多少時間をロスすることになったとしても、状況を確認しておかなければ、後顧の憂いは残る。


 アゼトは敵の気配を探りつつ、慎重にわだちを辿っていく。

 はたして、わだちの終点には、ノスフェライドとはげしく剣を交えたブラッドローダー”ゼルカーミラ”の姿があった。

 美しい菫色バイオレットの装甲は黒く焦げつき、妖精を彷彿させる華奢な四肢は見る影もないほどに損壊している。

 やはり深く傷ついているノスフェライドがまだに思えるほどだ。


 機体がこれほど甚大なダメージを受けたのでは、乗り手ローディも無事では済まないだろう。

 人間とは比較にならないほど頑強な肉体をもつ吸血鬼も、心臓を破壊されれば絶命はまぬがれない。そうでなくとも肉体の大半を失うような深手を負えば、回復にはそれなりの時間を必要とするのである。

 たとえ一命を取り留めていたとしても、吸血鬼にとって最も忌まわしい時間――夜明けは間近に迫っている。

 ブラッドローダーに乗っているかぎり太陽光を恐れる必要はないが、それはあくまで防護システムが十全に機能している場合の話である。

 装甲の裂け目から侵入した紫外線に曝露したが最期、なすすべもなく朽ち果てるしかないのだ。


 最大限の警戒を払いつつ、アゼトはゆっくりとゼルカーミラへと近づいていく。

 万が一の場合に備えて、即席の十字架を用意していることは言うまでもない。

 おそるおそるコクピットのあたりに触れてみれば、炭化した装甲はあっけないほど簡単に剥がれていった。


「……!!」


 コクピットを覗き込んだ瞬間、アゼトはおもわず息を呑んでいた。

 闇のなかに横たわっていたのは、軍服をまとった小柄な少女だ。

 人間でいえば、まだ十代の半ばにも達していないだろう。

 どこか人形めいてすらいる整った面立ち。つややかな黒髪が淡雪色の皮膚はだえによく映える。

 一見しただけでは、死んでいるのか、ただ意識を失っているだけなのかはわからない。


 ほんのわずかな逡巡のあと、アゼトは少女の首筋に手を伸ばした。

 吸血鬼といえども生物であることに変わりはない。呼吸もすれば、脈拍や体温もある。

 生死を確認するには、頸動脈に触れるのがもっとも手早く、また確実なのだ。

 

「ぁ……」


 アゼトの指先が首筋に触れるかというとき、少女の唇がふいに歪んだ。

 

「あね……うえ……」


 とっさに手を引っ込めたアゼトは、たしかにその言葉を聞いた。

 姉上――と。少女はたしかにそう口にしたのだった。

 長い睫毛が揺れ、貝みたいに閉じあわされていた上下の瞼が薄く開いたのは、次の瞬間だった。


「だれ……?」


 大粒の柘榴石ガーネットをはめ込んだような真紅の瞳。

 吸血鬼だけがもつ恐ろしくも美しい双眸は、おぼろにかすむ意識を映すように揺れている。

 アゼトが十字架を構えるより早く、少女の唇からするどい犬歯が覗いた。

 紅い瞳に怒気を漲らせた少女は、アゼトをきっと睨めつける。


「貴様、そこで何をしている!!」

「待て、俺は――――」

「だまれ!! 下賤の人間ふぜいが、このセフィリア・ヴェイドに指一本でも触れて……」


 言い終わらぬうちに、セフィリアははげしく咳き込んだ。

 刹那、薄桃色の唇からどっとあふれたのは、おびただしい量の血塊だ。

 墜落のショックで内臓破裂を起こしたのだ。折れた肋骨と背骨が臓器をめちゃくちゃに破壊し、セフィリアの腹腔内は血袋も同然だった。

 人間なら言うまでもなく致命傷だが、吸血鬼にとっては全治一週間ていどの怪我でしかない。

 むろん、損傷した臓器が修復されるまで耐えがたい苦痛を味わうことにはなるが。


「人間。殺されたくなければ、いますぐ私の前から消えろ……!!」


 唇と顎先から血を滴らせつつ、セフィリアは気丈に叫ぶ。


「その身体で、か?」

「見くびるな!! たとえ両手両足を失っても、われら至尊種ハイ・リネージュにとって人間を殺す程度は造作もない……!!」

「無理をすると傷にひびく。至尊種ハイ・リネージュも痛みは感じるんだろう」

「知ったふうな口を――――」


 セフィリアは苦痛に顔を歪めつつ、ごほごほと激しく噎せこんだことで、はからずもアゼトの言葉を証明することになった。


「その様子では、どうやら仲間に裏切られたらしいな」

「な、なぜ貴様がそんなことを……」

「さっきまでノスフェライドに乗って君と戦っていたのはこの俺だ」


 アゼトがこともなげに言いのけると、ただでさえ白いセフィリアの顔はみるまに白蝋と化した。

 魚みたいに口をぱくぱくと動かしながら、セフィリアはようよう言葉を継いでいく。


「そんな、バカ……な……」

「悪いが、すべて本当のことだ。俺はアゼト。リーズマリアからノスフェライドを託されただ」


 セフィリアはまるで焦点の合わない瞳でアゼトを見つめると、


「……殺せ」


 とだけ、まるでひとりごちるみたいに呟いた。

 

「抵抗はしない。ひと思いに殺せ。勝者にはその権利がある。……下等な人間ごときに敗れた至尊種ハイ・リネージュに、もはや生きている価値などない」

「……」

「殺さないのなら、このまま私を放っておくがいい。じきに太陽が昇れば、この身は跡形もなく朽ちはてる。みじめに生き恥をさらすくらいなら、骨も残さずにこの世から消えたほうが、ずっといい――――」


 まくしたてるように言って、セフィリアは顔をうつむかせた。

 紅い瞳からはとめどもなく涙がこぼれ、血と混じりあって喉元を汚していく。

 恥も外聞も振り捨ててしゃくりあげるその姿に、先ほどまでの気丈な女貴族の面影は微塵もない。

 そこにいるのは、同胞に裏切られ、選帝侯クーアフュルストとしての誇りを打ち砕かれ、心身ともに傷つききったひとりの少女だった。


「……勝者の権利と言ったな。だったら、好きにさせてもらう」


 セフィリアを見下ろして、アゼトは底冷えのする声で言い放つ。

 覚悟を決めたように身を固くしたセフィリアは、しかし、予想に反してふわりと宙に浮いていた。

 アゼトがゼルカーミラのコクピットハッチをこじあけ、セフィリアを抱きかかえるように引きずり出したのだ。


「なんのつもりだ!?」

「自分で言っただろう。勝者にはその権利があると」


 セフィリアを背中におぶったアゼトは、木陰にむかって歩を進める。


「いつ殺すかは俺が決める。だから、いまはそこで大人しくしていてくれないか」

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