CHAPTER 11:フォーリング・ダウン

ノスフェライドのセンサーが警告を発した。

 ザラマンディアが急速に戦場から離脱しつつあることを知らせているのだ。

 この場をゼルカーミラにまかせ、自分はリーズマリアたちのもとへ向かうつもりだとすれば、捨て置くわけにはいかない。

 すかさず追撃に移ろうとしたアゼトは、しかし、ザラマンディアとは逆方向に飛んでいた。

 むろん、自分の意思でそうしたのではない。

 ゼルカーミラの放った衝撃波ソニックブームがノスフェライドめがけて飛来したのだ。それも一発ではない。角度や範囲をめまぐるしく変えながら、ゼルカーミラは矢継ぎ早に真空の刃を打ち出している。


「くっ……!!」


 衝撃波をかわしつつ、アゼトはゼルカーミラにするどい視線をむける。

 一発一発の威力はさほどではない。ブラッドローダーの重装甲にものをいわせれば、強行突破も不可能ではないだろう。

 だが、たとえ一発でも被弾すれば、その瞬間にノスフェライドの動きは止まる。

 ほんの一瞬――ゼロコンマ数秒以下の須臾の間だとしても、隙を見せたが最期、ノスフェライドは続けざまに送られた衝撃波に切り刻まれ、致命的なダメージをこうむるだろう。

 アゼトはゼルカーミラに対して円弧を描くように機体を旋回させ、ザラマンディアに追いすがろうとする。


「逃がすかッ!! ノスフェライド!!」


 セフィリアの叫びに呼応するみたいに、ゼルカーミラの背部装甲が展開した。

 その内側から音もなく展張したのは、透きとおったはねだ。

 およそ戦闘機械らしからぬ、どこか妖精めいた風情をただよわす美しい翅は、むろん、ただの飾りではない。

 そもそも、重力制御装置グラヴィティ・コントローラを搭載するブラッドローダーは、空力にたよらずとも自在に飛行することができる。

 翅のようにみえるのは、大気中の電子を効率よく捕獲するための巨大な吸引器スクープだ。

 翅にたくわえた電子にプラスあるいはマイナスの電荷を与えて放出し、大気との反応によって生じたエネルギーを推進力とするのである。

 機体自身のエネルギーをいっさい消費することなく、すくなくとも理論上では速度の限界は

 それこそが、聖戦十三騎エクストラ・サーティーンのなかでもゼルカーミラただ一騎だけがもつ特殊装備――”光子加速翅フォトニック・コンバーター”であった。

 

 きらめく粒子の燐光を曳きながら、ゼルカーミラはノスフェライドめがけて突進する。

 右手に握っているのは、護拳ナックルガードつきの細剣レイピアだ。

 細剣といっても、ブラッドローダーが使用する武器の例に漏れず、その拵えは頑強そのものである。

 ここまで何度かノスフェライドの大太刀と鍔迫り合いを演じているにもかかわらず、刀身には刃こぼれひとつ見当たらないのがその証拠だ。


「ノスフェライド、覚悟ッ!!」


 単純なパワーの比較でいえば、ゼルカーミラはノスフェライドに劣っている。

 だが、光子加速翅によってすさまじい加速力を得たいまのゼルカーミラにとって、多少のパワーの差などなんの意味ももたない。

 速度は力そのものだ。小指の爪ほどのちいさな銃弾でも、充分な加速度があれば、人間を殺傷しうるのである。

 すでにマッハ三○ちかい速度が出ているゼルカーミラは、機体そのものが凶器と言っても過言ではない。

 細剣をまともに打ち込む必要はない。軽くひと撫でしただけで、衝撃波をまとった不可視の刃が敵を斬断する。

 セフィリアにとっては、いずれこの日あるを期して鍛えつづけた必殺の剣であった。


 細剣の切っ先がノスフェライドに触れるかというとき、黒い機体がわずかに沈んだ。

 ほんの数十センチにもみたない、ともすれば見落としてしまいそうな挙動。

 

 細剣はむなしく空を断ち、ゼルカーミラは手応えを得ることもないまま、夜空に放り出される格好になった。

 

「こんな、バカな……――」


 セフィリアは震える声でつぶやく。

 あのコース、あの速度なら、まちがいなく命中するはずだった。


 ノスフェライドの特殊能力――幻死像ハルシネーション

 ごくちかい未来に起こる破滅的な事象を予知し、乗り手ローディの脳にその情報を直接送り込むことで、のだ。

 攻撃の瞬間、アゼトはゼルカーミラに切り裂かれる自分自身をはっきりと視た。

 おそるべき速度を帯びた一閃も、その結果がわかってさえいれば、回避することはむずかしくない。

 はたして、アゼトはノスフェライドの機体をほんのわずか傾け、最小限の動作でゼルカーミラの攻撃を躱してみせたのだった。


 むろん、そんな事情はセフィリアには知るよしもない。

 いったん間合いを取ったゼルカーミラは、ふたたび細剣レイピアをかまえる。

 初撃を躱されたことで、セフィリアの心は動揺と焦りに支配されつつある。

 それでも、戦場で逡巡することは許されない。一瞬でも動きを止めれば、今度はこちらが守勢に回ることになるのだから。


「ならば……ッ!!」


 ゼルカーミラの腕がおおきく上がった。

 ほんらい片手で用いる細剣レイピアの柄を両手で握りこみ、大上段からフルパワーで叩きつけようというのだ。

 夜空にまばゆい燐光を撒きながら、ゼルカーミラはすさまじい勢いで上昇する。

 まっすぐに天へと駆け上がる光の軌跡は、ある一点で折れるように下降へと転じた。

 先ほどまでとはまさしく桁違いの超加速。この状態で剣を振るえば、加熱・圧縮された大気そのものが巨大な刃となって標的を破壊するのである。

 何人なんぴともゼルカーミラの一撃を逃れることはおろか、防御さえままならないはずだった。

 

(今度こそ、もらった――――)


 喉まで出かかった快哉の叫びは、しかし、ついにセフィリアの唇を出ることはなかった。

 ノスフェライドがゼルカーミラにむかって急上昇を開始したのだ。

 大太刀はいつのまにか鞘に納められている。正真正銘の丸腰だ。

 回避するでもなく、防御を固めるでもなく、徒手空拳のまま敵の刃にみずから飛び込んでいく……。

 戦いの常識をまるで無視したノスフェライドの行動は、ほとんど自殺行為といってよい。

 セフィリアは一抹の不安を噛み殺し、ゼルカーミラをなおも加速させる。

 いまさら攻撃を中止することはできない。

 ノスフェライドがなにを企んでいるとしても、一撃のもとに斬り捨てればいいだけのことだ。


 天と地から伸びた二条の軌跡が交差する。

 全周囲に拡散した衝撃波が雲海をはげしく撹拌し、やや遅れて雷鳴のような轟音が一帯を領した。

 ノスフェライドとゼルカーミラは、どちらも空中に静止したまま微動だにしない。

 おそるべき速度で振り下ろされたゼルカーミラの細剣レイピアは、しかし、ついにノスフェライドに届くことはなかった。

 ゼルカーミラが繰り出した必殺の斬撃は、ノスフェライドが瞬息のかんに抜き放った大太刀に阻止されたのだ。

 加速力において圧倒的な優位にあるゼルカーミラに対して、ノスフェライドは速度を競うのではなく、で対抗したのだった。

 攻撃の瞬間を見極めることは、ゼルカーミラの最大の武器である速度を無からしめることにほかならない。


「おおッ!!」


 アゼトが裂帛の気合を発したのと、ノスフェライドの大太刀が動いたのは同時だった。

 鍔迫り合いの状態から、さらに力をこめて圧し斬ろうというのである。

 スピードで劣るぶん、パワーにおいてはノスフェライドにかなりの分がある。

 どちらも静止した状態で力比べに持ち込まれたなら、ゼルカーミラに勝ち目はないのだ。


(死ぬのか? 私は? なにもできないまま、こんなところで……)


 死の恐怖がセフィリアの心身を絡め取っていく。

 震える唇は、無意識のうちに「姉上」とつぶやいていた。

 セフィリアにも分かっている。いくら助けを求めたところで、その人はもうどこにもいない。

 である彼女なら、聖戦十三騎エクストラ・サーティーンの一角たるゼルカーミラにここまで無様な戦いをさせることもなかった。


「ごめんなさい、姉上。ゼルカーミラ……」


 セフィリアが小声で詫びたまさにそのとき、視界が銀色に染まった。


「――――!!」


 ”水銀の蛇メルクール・シュランゲ”がひとりでに起動し、銀色の皮膜がノスフェライドとゼルカーミラを包み込んだのだ。

 硬軟自在の流体金属は、二機のブラッドローダーの動きを完全に封じている。

 セフィリアの意志を離れた”水銀の蛇”は、まるでそれ自体が一個の生物であるかのように不気味に蠢いている。


「よく持たせてくれた。貴公にしては上出来だ、セフィリア・ヴェイド」


 銀の皮膜を透かして、ひどく愉快げな声が響いた。

 サルヴァトーレ・レガルス。

 愛機ザラマンディアでノスフェライドを狙い撃つはずだった男は、どういうつもりか、”水銀の蛇”に囚われた二機に近づいていく。


「レガルス侯爵、これはいったいどういうことなのです!? なぜ”水銀の蛇”が――」

「まだ分からんのか。そのアーマメント・ドレスを制御しているのはこの俺だ。貴公には一時的にコントロールを貸し与えていただけにすぎん」

「そんな……!!」

「気の毒だが、貴公にはノスフェライドごと死んでもらう。もちろん最高執政官閣下もご承知のことだ。役立たずの小娘ひとりの生命と引き換えに、厄介なブラッドローダーを葬ることができるなら安いものよ」


 放心状態のセフィリアに、サルヴァトーレはからからと高笑いを放つ。


「ヴェイド女侯爵はノスフェライドと戦ってを遂げたことにしてやる。――――安心して姉のところへいくがいい」


 ザラマンディアの全身からはいかづちとも炎ともつかないオーラがゆらめいている。

 過充填オーバーチャージされたエネルギーが機体のキャパシティを超え、機外に放出されているのだ。


「セフィリアもろともに死ね、ノスフェライドッ!!」


 ザラマンディアの全身からまばゆい光芒が迸った。

 一億℃を超えるプラズマ・ビームは、巨大な光の渦となってノスフェライドとゼルカーミラを呑み込んでいく。

 暴れ狂う閃光の嵐が成層圏をつらぬき、はるか宇宙空間にまで達したとき、二機の姿は幻のようにかき消えていた。

 

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