CHAPTER 09:ワイルド・カード

 衝撃の直後、地下基地内の気温がにわかに上昇しはじめた。

 ブラッドローダー”ザラマンディア”が放った超高温のプラズマ・ビームの熱が、耐爆コンクリートごしに地下へと押し寄せているのだ。


 アゼトとリーズマリア、レーカ、そして六人のはぐれ人狼兵たちが司令部の建物から走り出たときには、一帯は耐えがたいほどの熱気に包まれていた。コンクリートの裂け目からは水蒸気となった地下水が噴出し、さながら蒸し風呂のような様相を呈している。

 強靭な肉体をもつ吸血鬼と人狼兵はともかく、生身の人間であるアゼトは、これほどの高温多湿の環境下ではそう長くは持たない。

 アゼトは口と鼻を庇いつつ、ユヴァに問いかける。


「ここはもうだめだ。脱出路は?」

「戦時中に掘削された地下トンネルがある。陸運艇ランドスクーナーもじゅうぶん通れるはずだ」


 アゼトはちいさく肯んずると、


「外には敵のブラッドローダーがいる。俺が時間を稼いでいるあいだに、全員で脱出してくれ」


 リーズマリアとレーカにちらと目配せをする。

 そのまま駆け出そうとしたとき、進路を遮るようにザンナが進み出た。


「ちょっと待ちな。ブラッドローダー相手にひとりで戦おうってのかよ!?」

「そうだ」

「冗談じゃない。アンタがどれだけ腕に覚えがあるかしらないが、むざむざ殺されにいくようなもんじゃないか。自信過剰もたいがいに――」


 ザンナがアゼトの襟首を掴んだのと、黒い影が音もなく舞い降りたのは、ほとんど同時だった。

 ノスフェライド。

 漆黒の装甲をまとったブラッドローダーは、アゼトの意志に応じてひとりでに飛来したのだ。

 あっけに取られたように見つめるザンナのまえで、胸部と喉首の装甲がなめらかに展開し、厳重に保護されたコクピットがあらわになる。

 兜の奥であざやかな血色の光芒がまたたいた。アゼトに”乗れ”と促しているようであった。


「ブラッドローダーの相手はブラッドローダーにしかできない。俺は自分の役目を果たすだけだ」


 それだけ言って、アゼトはレーカに視線を移す。


「レーカ、リーズマリアをたのむ」

「承知した。姫様のことは任せてくれ」


 言い終わるが早いか、ノスフェライドにむかって駆け出したアゼトにむかって、リーズマリアはどこか不安げな面持ちで呼びかける。


「アゼトさん、どうかお気をつけて――――」


 リーズマリアの言葉に答えるまえに、アゼトの身体はコクピットの奥へと沈んでいった。

 おおきく展開していたヴェール状の装甲がふたたび折りたたまれていく。コクピットの閉鎖が完了するのと同時に、乗り手ローディとブラッドローダーのあいだで神経接続ニューロ・リンクが確立される。生物と機械を隔てる境界線は消え失せ、文字どおり人機一体の存在へと昇華するのだ。

 大太刀とシールドをたずさえた漆黒の巨人騎士は、駆動音ひとつ立てずにゆっくりと起立すると、力強く大地を踏みしめる。


――大丈夫、かならず戻ってくる。


 黒い装甲に鎧われたたくましい背中は、おのれの身を案ずる吸血鬼の姫にむかって、無言のうちに語りかけるようだった。


***


 紅蓮の炎が夜闇を赤々と染めていた。

 ”迷宮の森”のそこかしこで火の手が上がり、容赦なく木々を飲み込んでいく。

 万物一切を焼尽する劫火の只中に佇むのは、赤金色オレンジ・サファイアの巨人だ。

 ブラッドローダー”ザラマンディア”。

 翼を広げた怪鳥けちょうの足元では、土とはあきらかに異なる灰白色の地盤があらわになっている。

 超高温に晒されたことでどろどろに溶解し、ほとんど泥沼のようなありさまを呈したそれは、地下基地を囲む耐爆コンクリート層にほかならない。


「ほお、まだ耐えるか? しょせん下等生物にんげんの作ったものと侮っていたが、なかなかどうして頑丈にできているではないか」


 ザラマンディアの乗り手ローディ――サルヴァトーレ・レガルスは、感心したようにひとりごちる。

 厚さ十五メートルにもおよぶ耐爆コンクリートは、メガトン級水爆の直撃にも耐えうるだけの強度をもつ。

 いかに破壊力にすぐれるザラマンディアといえども、これほど堅固な守りを突破するのは容易ではないのだ。


「だが、それもこれまでだ――」


 ザラマンディアの右腕が上がったかとおもうと、みるみるまにクローが赤熱化していく。

 許容量キャパシティいっぱいまで蓄積したエネルギーを、プラズマ・ビームとして広範囲に投射するのではなく、爪に集中させることで耐爆コンクリートを一気に切り裂こうというのである。

 ザラマンディアを中心におぼろな陽炎がゆらめく。爪から放たれた熱によって大気が急激に屈折し、蜃気楼を作り出しているのだ。


 ザラマンディアが灼熱の爪を振り下ろそうとしたまさにそのとき、足元に奇妙な変化が生じた。

 一条の斬線が走ったかとおもうと、地面にみるみる裂け目が広がっていく。深い淵にむかって流動化した耐爆コンクリートが吸い込まれるさまは、さながらマグマの滝とでも言ったところだ。

 尋常ならざる事態の出来しゅったいに、ザラマンディアは身構えつつ数歩も後じさる。

 刹那、地裂の奥から銀閃がほとばしった。

 全身に燃えさかるマグマをまとい、地の底から現れた漆黒のブラッドローダーは、ザラマンディアめがけて斬りかかる。


「ようやくのご登場か、ノスフェライド」

 

 ノスフェライドの斬撃をクローで受け止めながら、サルヴァトーレはうれしげにつぶやく。

 その声音に緊張や焦燥はない。どころか、この状況を心底から愉しんでいるようでさえあった。

 サルヴァトーレは、上空で監視をつづけている菫色バイオレットの機体――セフィリア・ヴェイド女侯爵の”ゼルカーミラ”にむかって呼びかける。


「ヴェイド女侯爵、なにをやっている? 貴公にも加勢してもらうぞ」

「リーズマリア・シメイズ・ルクヴァースはこの近くにいるはずです。まずは身柄の確保を……」

「捨て置け。いまはノスフェライドを片付けるのが最優先だ。リーズマリアの始末はあとでどうとでもなる」

「しかし――」

「初陣の分際で知ったふうな口をきくな!! 貴公はだまってこの俺に従っていればよい!!」


 サルヴァトーレの怒号に、セフィリアはおもわず身をすくませる。

 十三選帝侯クーアフュルストの立場は対等とはいえ、こと戦の経験にかんしては、軍事の名門レガルス家の当主サルヴァトーレには遠く及ばないセフィリアである。

 初めて臨む戦場で、彼の指示を無視することなど出来るはずもない。

 セフィリアは抗弁の言葉を飲み下しつつ「承知」と告げると、ゼルカーミラをノスフェライドの後方へ急降下させる。


 一対二。

 ただでさえ数でまさるところに、前後から敵を挟撃する格好になった。

 いかに聖戦十三騎エクストラ・サーティーン最強と名高いノスフェライドといえども、劣勢はあきらかだ。――そのはずであった。


「――――!!」


 ノスフェライドが大太刀を構えるが早いか、ザラマンディアめがけて不可視の槍が飛んだ。

 閃光槍フラッシュ・ピアス。吸血鬼が編み出した数々の超人的剣技のなかでも、出足の疾さと貫通力に特化した突き技である。

 反面、その威力が及ぶのはあくまで極小の点にすぎず、急所を狙わないかぎりブラッドローダー戦では有効打とはなりえない。

 ザラマンディアの頭部センサーをあやまたず射抜くはずの刺突は、しかし、横薙ぎに振るったクローにたやすくかき消された。

 

(どこまでも小賢しい真似を。閃光槍を、油断させたところで二の太刀を狙っているのであろうが――)


 サルヴァトーレの意に反して、ノスフェライドはそれ以上の攻撃をおこなわなかった。

 代わりにその場で機体を急反転させ、あろうことかザラマンディアに背を向けたのだった。

 先の一撃はザラマンディアをその場に釘付けにするためだったとサルヴァトーレが理解したときには、ノスフェライドはゼルカーミラめがけて飛びかかっている。


 推進器スラスターの噴出炎の尾を曳きながら、漆黒の巨人騎士は地表すれすれを駆け抜けていく。

 炎よりもなお紅くあざやかな、血色の眼光がゼルカーミラを捉える。


 セフィリアはおもわず息を呑んだ。

 ノスフェライドの全力の斬撃をまともに浴びれば、いかに聖戦十三騎エクストラ・サーティーンといえどもひとたまりもない。

 戦場でブラッドローダーを破壊されることは、取りも直さず乗り手ローディの死を意味する。

 逃げるか、あるいは迎え撃つか……いずれかの判断を下さなければならないことは、むろんセフィリアも理解している。

 それでも、迫りくる死の恐怖は、初めて戦場を踏んだ少女貴族を麻痺させるのに充分だった。


 だめだ、だめだ。動かなければやられる。敵の攻撃を防御しなければ。この距離で使える武器は? 攻撃パターンの算出はまだ? 訓練ではいつだってうまくやれた。こんなときがいてくれたら。姉上ならきっと――――


「セフィリア・ヴェイド、を使えッ」


 サルヴァトーレの叱声に、セフィリアははたと我に返る。

 ノスフェライドの大太刀がコクピットを貫くかというまさにその瞬間、ゼルカーミラの背部から銀色の帯がするすると伸びていった。

 意志あるかのように躍動するそれは、大太刀を受け止めたばかりか、ノスフェライドの肩や首をきつく締め上げていく。


 対ブラッドローダー戦用の強化ユニット――アーマメント・ドレス。

 いまゼルカーミラが装備するのは、リーズマリア討伐の任務にあたって、最高執政官ディートリヒからじきじきに支給されたものだ。

 電気信号によって分子配列を変える完全流体金属を用いた、まさしく変幻自在・攻防一体の超兵器。

 それは、最強の敵であるノスフェライドへの切り札にほかならない。


「”水銀の蛇メルクール・シュランゲ”、ノスフェライドの動きを封じなさい」


 セフィリアの声に応えるように、銀色の帯はますます強くノスフェライドを締め上げていった。

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