CHAPTER 07:ヒドゥン・ソルジャーズ

「待て――」


 シギンに呼び止められても、アゼトは足を止めようとはしなかった。


「勝手な真似をされてはこまる。ここでは我々に従ってもらおう」

「あの二人……リーズマリアとレーカの無事をたしかめるまでは、おまえたちを信用することはできない」


 振り返りざま、にべもなく言ったアゼトに、シギンとザンナは顔を見合わせる。

 人狼兵ライカントループの力であれば強引に拘束することも可能だが、それではかえって疑念を裏付けることになる。

 ふいに頭上に気配が生じたのはそのときだった。

 アゼトと二人の人狼兵の視線が、傍らの兵舎の屋根に集中する。


「”郷に入れば郷に従え”って言葉を知ってるかい、人間の兄さんよ。ここはすなおに俺たちの言うことに従っておくのが利口ってもんだぜ」


 兵舎の屋根に腰掛けた青黒い毛並みのオオカミ男――文字どおりの人狼兵ライカントループは、あくまで飄然と言うと、五指にはさんだ投擲用スローイングナイフをアゼトにむける。

 彼我の高低差はざっと十メートル。人間にとっては反撃もままならない高所だが、人狼兵は登るも降りるも自由自在である。

 アゼトにむかって飛びかかるも、ナイフの雨を降らせるも、オオカミ男の胸三寸なのだ。


「イェララ、への非礼はそこまでにしておけ。――ザンナ、シギン、ご苦労だった」


 野太い声とともに、大柄な影がアゼトの進路をさえぎった。

 ゆうに二メートル以上はある体躯と、ひび割れた白く分厚い表皮。

 なにより目を引くのは、鼻先に並んだ短いツノだ。

 サイの人狼兵コルプであった。

 なおも警戒を解かないアゼトに、コルプは巨躯を揺さぶるように近づいていく。

 太い腕がアゼトにむかって伸びた。岩みたいにごつごつとした掌には、武器のたぐいは見当たらない。

 それがのために差し出されたものだとアゼトが理解するのには、さらに数秒を要した。


「私は副長のコルプです。姫殿下のもとへご案内しましょう」


***


 四人の人狼兵ライカントループに導かれるまま、アゼトは地下ドックを進んでいく。

 やがて整備場とおぼしい区画に足を踏み入れると、壁際に整列した六機のウォーローダーが目に留まった。

 ゼネンフント。

 ヤクトフントをベースに、山岳・森林戦用のカスタマイズをほどこした高性能ウォーローダーだ。

 アゼトが目を凝らしたのは、めったに見かけない希少な機種というだけではない。

 いずれの機体も幾多の激戦を乗り越えてきた風格をまとっているが、なかでも一機だけひどく汚れているうえ、両腕が肘のあたりから欠損しているのだ。

 切断面から滴る赤黒いオイルは、いましがた破壊されたばかりであることを物語っていた。


「あれは……?」

「アンタのにやられたのさ。――そうだろ、イェララ?」


 からかうようなザンナの言葉に、イェララは「チッ」と舌打ちをする。


「俺としたことが、すこし油断しちまっただけだ」

「油断……ねえ?」

「てめえのほうこそ、たかが人間ひとりまともに仕留めきれなかったくせに、あんまり偉そうな口を叩くもんじゃねえぞ」

「お互いストレス発散といくかい。もっとも、アンタにとっちゃ真逆の効果だろうけどね」


 一触即発の空気を察して、コルプはちいさい目で二人を一瞥する。


「そう熱くなるな、イェララ。ザンナも口がすぎるぞ。相手はユヴァ隊長と互角に戦った手練だ。生きて帰ってきただけでも上等だろう」


 コルプの言葉を耳にしたとたん、ザンナの顔に驚愕の相がよぎる。

 消え入りそうな声で「あの隊長が……」とつぶやいたきり、ザンナは口をつぐんだ。


 先頭を歩いていたコルプがふいに足を止めた。

 前方には大小の正方形を三つばかり積み重ねたような建造物がみえる。

 最終戦争のさなか、旧人類軍が使用していた地下司令部ヘッドクオーターの跡地であった。


「姫殿下はこのなかにおられます」


 コルプに導かれるまま建物内に足を踏み入れたアゼトは、おもわず息を呑んだ。

 エントランス・ホールを埋め尽くすように、多種多様なウォーローダーの残骸が並んでいるのだ。

 びっしりと赤錆に覆われた年代物の機体もあれば、まだ新しいものもある。

 無残に引き裂かれたコクピットと、その周辺に飛び散った赤褐色の飛沫は、乾ききってなお血なまぐさい臭いを放つようであった。

 前を行くアゼトの背中にむかって、イェララはだれにともなくごちる。


「いままで俺たちが仕留めてきた侵入者どものだ。部品取りのついでに、記念品として残しておいてやっているのさ」

「……」

「生きてここまで来たのは、おまえらが初めてだよ――」


 アゼトはなにも答えず、イェララもそれきり口を閉ざした。


 しばらく進んだところで、アゼトはいぶかしげに周囲を見わたした。

 カビと廃オイルと鉄錆の臭いがないまぜになった淀んだ空気のなかに、奇妙な甘い香りを嗅ぎ取ったためだ。

 気のせいではない。その証拠に、イェララやザンナも、さきほどからしきりに鼻をひくつかせている。

 人狼兵ライカントループの嗅覚は、常人の数十倍から数百倍の感度をもっているのである。

 その二人がどちらも怪訝そうに顔を見合わせているところを見るに、彼らにとってもふだん嗅ぎなれていない種類の匂いらしい。


 エントランス・ホールを出てまもなく、コルプはドアの前で足を止めた。

 ごつい握りこぶしでドアをノックしつつ、

 

「……隊長、例の客人を連れてきました」


 サイの人狼兵は、部屋の内部にいるのだろう人物に呼びかける。


「入れ」


 重く低い声が応じるや、軋りを立ててドアが開いた。

 刹那、アゼトはコルプの巨体を押しのけるように部屋に飛び込んでいた。

 懐に差し込んだ両腕は、それぞれナイフと拳銃をしっかと握りしめていることは言うまでもない。


「リーズマリア、レーカ、ふたりとも大丈夫――――」


 アゼトはそれ以上言葉を継ぐことができなかった。

 無理もない。ドアのむこうに広がっていたのは、想像もしなかった光景――瀟洒な風情の応接室だ。

 部屋の中央に据えられたソファに、リーズマリアとレーカは並んで腰掛けている。


「アゼトさん!! 無事でよかった……」


 アゼトの姿を認めて、リーズマリアはおもわず安堵の声を洩らす。

 二人の手元には、白い湯気をくゆらせるティーカップと、切り分けられたドライフルーツ・ケーキの載った皿が置かれている。

 最終戦争において数十億パック以上が製造された戦闘糧食レーションのなかでも、この種のデザートはとりわけ貴重な品である。

 部屋の外にまでただよう奇妙な匂いの正体は、八百年ものあいだ熟成された合成甘味料と保存料の醸しだす甘い香りにほかならなかった。


「どういうことだ……?」


 アゼトは困惑しつつ、リーズマリアとレーカの顔を交互にみやる。

 捕虜として拘束を受けているどころか、あきらかに最上級の貴賓ゲストとして遇されている。

 と、アゼトの傍らでふいに気配が生じたのはそのときだった。

 

「武器を捨てろとは言わん。しかし、手は離してもらいたいな。我々は敵ではないのだから」


 低く重く、そして威厳を帯びた声だった。

 アゼトはほとんど反射的に声のしたほうに顔を向ける。

 とっさに後じさったのは、吸血猟兵カサドレスとしての本能がそうさせたのだ。

 ドアの陰に立っているのは、茶褐色のたてがみも雄々しい獅子ライオン――正確には、獅子の顔貌をもつ人狼兵ライカントループだった。

 コルプほどの巨体ではないにもかかわらず、彼以上におおきく見えるのは、その身に帯びた重厚な雰囲気のためだ。

 顔じゅうに刻み込まれた無数の古傷は、これまでくぐりぬけてきた死線の数に符合するのだろう。

 なかでも、右のこめかみから顎先まで、たくましい鼻梁をかすめるように走った縦一文字の傷痕はひときわ目を引く。

 潰れた右眼はそこだけケロイド状に肉が盛り上がり、残った左眼の力強さを際立たせている。


「ユヴァだ。先ほどは部下が大変な失礼をした。指揮官としてお詫びする」


 獅子の人狼兵は、心底からの謝罪の言葉を口にすると、アゼトにむかって深く頭を下げたのだった。

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