CHAPTER 05:ストレイ・ドッグス

 すさまじい轟音と地響きが夜更けの森を震わせた。

 巨獣の雄叫びを彷彿させるそれは、三機のウォーローダーが奏でる戦いの旋律にほかならない。

 先頭を行く朱紅ヴァーミリオンレッドの一機と、その後を追うダーク・グリーンとブルーグレイの二機は、行く手をさえぎる木々をなぎ倒しながら、森の奥へと疾走していく。

 

(ぬかった……!!)


 朱紅の機体――ヴェルフィンのコクピットのなかで、レーカは口惜しげに唇をかむ。

 電磁投射砲レールキャノンで二機のゼネンフントを仕留めきれなかったのは誤算だった。

 アウトレンジからの先制攻撃という絶対的な優位をみすみすにしたのだ。

 レーカ自身、射撃が不得手であることはもとより承知している。それでも、一機も撃破できなかったという事実は、人狼騎士団長としてのプライドを揺るがすのに充分だった。


 ヴェルフィンが電磁投射砲を背部ウェポンラックに格納し、長剣ロングソードを構えたのと、二機のゼネンフントが襲いかかってきたのは同時だった。

 ブルーグレイのゼネンフントはシールドと片手剣サーベル、ダーク・グリーンのもう一機は大ぶりな両手剣ブロードソードで武装している。

 見通しの悪い森林戦では、重火器やミサイルは役に立たないことを知悉しているのだ。

 どちらも相当の手練れであることは、一分の隙もない挙動をみればすぐに分かる。彼らにとって、視界を遮る木々も、下草が生い茂るでこぼこの地面も、戦いを進めるうえでなんの障害にもならないのだ。


 一方のレーカはといえば、ヴェルフィンの地形随伴グラウンド・トレースシステムと姿勢制御装置オート・スタビライザーによって転倒こそ免れているものの、樹木を避けつつ走行するのがせいいっぱいというありさまだった。

 ネイキッド・ウォーローダーへと生まれ変わったヴェルフィンは、従来とは比較にならないほどの俊敏性と速度を手に入れた。

 反面、装甲の大半が取り外されたことで、むき出しのフレームはつねに破損のリスクに晒されることにもなった。スピードが乗った状態で樹木や地面に叩きつけられれば、機体は致命的なダメージを受けるのだ。

 

(姫様とアゼトが気がかりだ。どうにか反撃に転じなければ――)

 

 ふいに視界が開けたのはそのときだ。

 立錐の余地もないほど密生していた木々は忽然と消え失せ、空疎な闇が取って代わった。

 下草と苔とで緑一色に染められていた地面も、いつのまにか草一本生えない湿った黒土に変わっている。

 森のなかに突如として出現した荒涼たる一角。

 ヴェルフィンの暗視装置ナイトビジョンごしに、レーカの目は闇の彼方にそびえる奇妙な物体を捉えていた。


「あれは――」


 ディスプレイの表示領域を拡大ズーム

 はたして、五百メートルほど前方に佇立していたのは、密林には到底似つかわしくない巨大な工場だ。

 正確にはと言うべきだろう。

 窓という窓に灯はなく、工作機械の稼働音も聞こえない。

 高くそびえていたのだろう煙突はなかばで折れまがり、内側からめくれあがった薬品貯蔵タンクは、大輪の毒花を彷彿させた。

 静寂と荒廃に抗うでもなく、ただ朽ちるに任せるそれは、戦前の化学兵器プラントであった。

 最終戦争の終結からすでに八百年。たゆみない時間ときの流れは、先端技術の要塞を錆びた遺跡へと変えるのに充分だった。

 朽ちた工場がいまなお樹木に呑み込まれずにいるのは、土中に流出した毒素のためだ。


 あらゆる生命を拒絶する死の領域は、しかし、レーカにとってはまたとない反撃の舞台でもあった。

 森のなかとは打って変わって、周囲の視界が開けているうえに、足元を気遣う必要もない

のである。

 ここでならヴェルフィンのポテンシャルを遺憾なく発揮することができる。

 手練れの駆るゼネンフント二機が相手でも、勝算は十二分にあるのだ。


「もう逃げ隠れはしない。いざ、尋常に勝負!」


 レーカはヴェルフィンをその場で超信地旋回ニュートラル・ターンさせるや、外部スピーカーを通して叫ぶ。

 二機のゼネンフントが森から飛び出したのは、それから数秒と経たないうちだった。

 五十メートルほどの距離を隔てて対峙した一機と二機は、互いの出方をうかがうように睨みあう。

 わずかな沈黙のあと、無接点ブラシレスモーターの甲高い駆動音が静寂を引き裂いた。

 真っ先に動いたのはダーク・グリーンのゼネンフント――イェララの機体だ。

 加速しつつ両手剣ブロードソードを大上段に構え、ヴェルフィンめがけて一気に振り下ろす。

 ネイキッド・ウォーローダーの防御力は無に等しい。

 大質量の打撃をまともに受ければ、ヴェルフィンはコクピットのレーカもろとも砕け散るはずだった。

 

 刃がヴェルフィンに叩きつけられるというまさにその瞬間、夜闇を裂いて銀閃が奔った。

 金属と金属とがかち合う残響がこだまする。

 続けざまに生じたのは、重量物が地面に叩きつけられる鈍い音だ。

 ダーク・グリーンのゼネンフントが前のめりにくずおれる。

 ヴェルフィンの抜き打ちに両腕を肘から切り落とされ、機体のバランスを保てなくなったのだ。

 もはや戦闘力を失ったゼネンフントには目もくれず、レーカはブルーグレイのもう一機にむかって叫ぶ。

 

「のこるは貴様だけだ。まだ戦うというなら、どこからでもこい」


 数秒の間をおいて、ブルーグレイのゼネンフントから低い声が流れた。


「いい腕だ。その機体といい、さぞ名のある騎士とお見受けした。名を聞かせてもらえまいか」

「あいにくだが、賊に名乗る名はない」

「賊か――たしかにそのとおりかもしれん」


 自嘲するように呟いて、ゼネンフントの乗り手――人狼兵ユヴァは、くつくつと低い笑い声を洩らす。


「貴公の言うとおり、いまの我らには忠義を尽くすべき主君あるじもなく、殉ずべき大義もない」

「……」

「ならば、せいぜい野良犬らしく戦うとしよう」


 レーカは答えない。

 

 これ以上の問答を繰り広げたところで埒があかないことは分かりきっている。

 避けがたい戦いなら、力ずくで押し通るまでだ。

 

「いざ――」


 その言葉を口にしたのはどちらだったのか。

 刹那。電光石火の斬撃が闇を引っ切り、耳を聾する剣戟音が一帯を領した。


(この男、使……!!)


 レーカの首筋を冷たい汗が伝っていく。

 十合あまりの熾烈な打ち合いを経てなお、決着は見えない。

 ゼネンフントもかなりの高性能機とはいえ、ウォーローダーの最高峰に位置づけられるヴェルフィンに較べればずっと格は落ちる。

 にもかかわらず、こうして互角の戦いを演じているのは、ひとえに乗り手ローディであるユヴァの技量の賜物であった。

 装甲が薄いぶん、極至近距離の白兵戦が長引けば、ヴェルフィンのほうが不利でさえある。

 たとえ一太刀でもまともに浴びようものなら、その時点でレーカの敗北が決まるのだ。

 一瞬の油断も許されない緊張感は、乗り手の精神を容赦なく削っていく。

 精神力の勝負は実戦経験がものを言う。当然、若いレーカよりも歴戦のユヴァのほうがはるかに有利であった。

 それにしても、腑に落ちないことがある。


(なぜこちらの打ち込みがこうも通らない!?)


 レーカは、長剣ロングソードの運動エネルギーが最大化するポイント――物打ちを正確に当てている。

 するどい刃にヴェルフィンの全重量を乗せた一撃は、並のウォーローダーであれば、縦一文字に両断することもたやすいのだ。

 よしんば防がれたとしても、敵の構えを崩すには充分な威力がある。

 それにもかかわらず、幾度となく打ち合いながら、ゼネンフントが小動こゆるぎもしないのはどういうことなのか。

 ヴェルフィンの高性能を活かしきれない自分自身への苛立ちばかりが募っていく。


 と、ふいにレーカの脳裏に浮かび上がったものがある。

 闘技場コロッセオのチャンピオンとして君臨していたレディ・M――人狼兵メルヴェイユの戦い方だ。

 彼女との最終試合は、レーカにとって終生忘れがたい死闘のひとつとして刻み込まれている。

 チャンピオンの繰り出す攻撃は疾く、するどく、精確無比――――そしてなにより、

 彼女の愛機ツィーゲ・ゼクスは、超軽量型スーパー・ライトウェイトのネイキッド・ウォーローダーでありながら、その一撃は重装甲をまとっていた当時のヴェルフィンに強烈なダメージを与えたのだ。

 現在のヴェルフィンは、ツィーゲ・ゼクスとおなじネイキッド仕様に改修されている。

 もともと両機は姉妹機であることも勘案すれば、ツィーゲ・ゼクスに出来たことがヴェルフィンに出来ぬ道理はないはずだった。


「――そうか!!」


 レーカはなにかに気づいたようにちいさく叫ぶと、ヴェルフィンをすばやく後退させる。

 いったん間合いを取っての仕切り直し――

 すくなくとも、ユヴァの目にはそのように映った。

 が、ヴェルフィンはじゅうぶんな間合いを取っても一向に停まるそぶりを見せず、ゼネンフントから猛スピードで離れていく。


「なるほど、勝ち目がないとみて廃墟に逃げ込むつもりか。……しかし、そう簡単に勝負を降りられるとは思わぬことだ」


ゼネンフントが追撃の体勢を取った直後、ヴェルフィンはゆるやかな弧を描くようにターンに入った。

 ヴェルフィンのアルキメディアン・スクリューがひときわ甲高い雄叫びを上げたのと、足元であざやかな炎が噴き上がったのは同時だった。

 両下肢に内蔵されたロケット・ブースターが作動したのだ。

 アルキメディアン・スクリューの駆動力にロケットの推進力が加わったことで、ヴェルフィンはほとんど飛ぶような速度で疾走を開始する。

 噴射炎バックブラストを浴びて輝く朱紅の機体は、闇を引っ裂いてゼネンフントに殺到する。

 彼我の相対距離はすでに三十メートルを切っている。正面衝突は避けられない。


「覚悟ッ――!!」


 レーカの裂帛の気合に合わせて、銀の流星がさかしまに迸る。

 刹那、金属の割れる耳障りな音が響いた。

 ユヴァが「うお」と驚きの声を上げたのも無理はない。

 ゼネンフントの片手剣は、刀身の半ばからすっぱりと

 のみならず、機体そのものが、数メートルも後じさることを余儀なくされたのだった。


「できた……私にも……!!」


 レーカは額の汗を拭いつつ、安堵の息をぐっと飲み込む。

 自力で活路を見つけたとはいえ、戦況はまだまだ予断を許さない。


 ネイキッド・ウォーローダーの欠点は、防御力に乏しいというだけではない。

 刀剣を用いた白兵戦において、機体の軽さはとりもなおさずを意味する。

 大重量の機体であれば一撃で破壊できる相手にも、二撃、三撃と連続して打ち込まなければ、有効なダメージを与えられないということだ。一対一の決闘ならいざしらず、同時に多数の敵と戦うような状況では、よりすくない手数で倒せるかどうかが命運を決めると言っても過言ではないのである。


 ヴェルフィンがネイキッド仕様となっても、レーカの戦い方は、重装甲だったころと大差ないものだった。

 劇的な軽量化をとげているにもかかわらず、重さを利用した剣技を繰り出したところで、ゼネンフントに通用しないのは道理である。

 ネイキッド・ウォーローダーの戦闘術は、畢竟そのスピードをいかに攻撃力に転換するかにかかっている。

 はたして、ロケット・ブースターを全開し、直線コースで最短・最速の加速をかけたレーカの判断は正しかったのだ。


 レーカは長剣を構えたまま、ゼネンフントにむかって呼びかける。


「もう勝負はついた。私はこれ以上貴様たちにかかずらっている暇はない。ウォーローダーを捨てれば見逃してやる」

「貴公の技量には敬意を表する。――だが、すこし詰めが甘いようだ」

「なに?」


 返答の代わりとでもいうように、ユヴァのゼネンフントは剣とシールドを投げ捨てる。

 同時に前腕部の装甲が下方にむかってスライドし、両手首を覆い隠していく。

 変形の最後に現れたのは、研ぎ上げられた二本の鉄爪クローだ。

 ゆるく反った一対の爪は、ライオンのあぎとを彷彿させた。

 間合いの長さこそ刀剣の比ではないが、軽装甲のヴェルフィンを破壊するには充分すぎるほどの威力を有していることはまちがいない。


「どうあっても戦うつもりか!?」

「愚問だな」


 ユヴァの言葉には、有無を言わさぬ迫力が宿っている。

 レーカもこの期に及んで説得を続けるつもりはなかった。このうえは一刻も早く目の前の敵を片付け、リーズマリアのもとに馳せ参じることが最優先だ。

 ヴェルフィンとゼネンフントはふたたび真っ向から対峙する格好になった。


 ひりつくような緊張感が二機のあいだに充溢していく。

 どちらも相手の出方をじっと伺っているのだ。

 先手を取るか、あえて先手を取らせてをねらうか……。

 物言わぬ鉄の巨人は、その瞬間が訪れるまで、岩と化したように微動だにしない。


 背後の森からいくつもの影が飛び出してきたのはそのときだった。


「姫様!?」


 ディスプレイごしに銀灰色シルバーアッシュの髪を認めて、レーカはうわずった声を上げていた。

 サイとトカゲの人狼兵ライカントループを従えた吸血鬼の姫は、ヴェルフィンとゼネンフントをそれぞれ見やると、


「十三選帝侯クーアフュルストルクヴァース家当主、そして次期皇帝の権限において、我リーズマリア・シメイズ・ルクヴァースが命じます。双方ただちに剣を納めなさい」


 いずれ至尊種ハイ・リネージュいただきに立つ女帝にふさわしい、凛然たる声色で告げた。

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