CHAPTER 03:ブラン・ニュー・アームズ

 背の高い下草をかき分けて進んでいたレーカは、はたと足を止めた。

 その場にかがみ込みながら、人狼兵ライカントループの少女は耳だけを器用に動かす。

 どこからか流れてきた奇妙な音の出どころを探っているのだ。

 気のせいではない。人狼兵の感覚器は、吸血鬼には遠く及ばないものの、常人のそれとは比べものにならないほどすぐれている。


 最初はおぼろげだった音は、数秒と経たないうちにその正体を露呈した。

 無接点ブラシレスモーターの回転音――人間の可聴域では認識することさえできない高周波の唸りを、レーカの耳は精確に識別したのだった。

 じょじょに大きくなる回転音は、何者かが駆るウォーローダーがこちらに接近しつつあることを示していた。


(はやく船に戻らなければ、姫様があぶない――――)


 レーカは姿勢を低く保ちながら、足音を殺して疾走に移る。

 植物がところせましと生い茂る森のなかでは、ウォーローダーの対人感知センサーはおおきく精度が低下する。レーザー測距装置やパッシブ赤外線IRセンサーは、地面や樹木によってたやすく欺瞞されるのだ。

 草むらに紛れ、木立に身を隠しつつ移動すれば、敵に発見されることなくやりすごすことが出来るはずだった。


「なんだ……!?」


 すさまじい破壊音が夜の森を領したのはそのときだった。

 力任せに引き裂かれた木々の断末魔と、アルキメディアン・スクリューの駆動音とがないまぜになった耳障りな合奏。

 別方向から生じたその音は、あらたな敵が出現したことを示していた。

 二機のウォーローダーは、前後からレーカを挟み込むように近づいてくる。


(まずい――――)


 敵が一機なら逃げおおせる望みもあるが、二機となれば話はべつだ。

 二機分のセンサーは互いに走査スキャン領域を重ね合い、広い範囲をほぼ完全にカバーする。

 首尾よく一方から逃れられたとしても、もう一方には確実に捕捉されるということだ。

 レーカは、文字どおり進退窮まった状況に追いやられたのだった。

 

 腹ばいになりながら、レーカは闇の彼方を見据える。

 現在地からヴェルフィンまでは、直線距離にしてざっと二○○メートルほど。

 機体は巨木にぽっかりと口を開けた樹洞うろの奥に隠してある。さいわいと言うべきか、いまのところ敵はヴェルフィンの存在には気づいていない。

 人狼兵ライカントループの脚なら十秒とかからず走破できる距離だが、それも乾いた地面であればの話だ。

 周囲には樹木がところせましと枝を伸ばしているうえに、地面は苔と粘菌類とでぬるついている。加えてごつごつと張り出した木の根や、いちど落ちれば二度と這い上がれない地隙クレバスの存在も考慮すれば、どこで足を取られるか分かったものではない。

 この状況では、たとえ短距離であっても全力疾走は望めないのだ。


(迷っていても埒が明かない――ままよ!) 


 不安をなだめるようにつぶやいた次の瞬間、レーカは手近な樹上に飛び上がっていた。

 地面からの高さはざっと五メートルほどはあろう。

 人間にはまずもって不可能な芸当だが、人狼兵ライカントループの強化された跳躍力ならば造作もないことだ。

 もっとも、どれほど慎重に動いたところで、物音を完全に消しきることはできない。

 少女ひとり分の重さであっても、枝の揺れは木そのものを震わせ、葉擦れの音が沸き起こる。

 二機のウォーローダーはレーカの存在を察知したはずであった。


 はたして、レーカの視界が白く染め上げられたのは次の瞬間だった。

 ウォーローダーに搭載されている夜間戦闘用投光器サーチライトだ。

 強烈な光条のまえに、木々のまにまにわだかまっていた濃密な闇は、なすすべもなく洗い流されていく。

 ほんの数秒まえまでぬばたまの闇に覆われていた一帯は、にわかに真昼の明るさを取り戻したのだった。


 まぶたを開けていられないほどの光量にたじろぎつつ、レーカはその源へと視線を飛ばす。

 逆光のなか、おぼろげに浮かんだ輪郭シルエットを認めて、レーカはおもわず「あっ」とちいさく声を洩らした。

 黒みがかったダーク・グリーンの装甲。

 外観はヤクトフントによく似ているが、四肢はひとまわり以上も太く、とりわけ膝から下はまったくの別物だ。


(ゼネンフント……!! なぜこんな場所に!?)


 ゼネンフント山犬――

 人狼騎士団の主力機ヤクトフントをベースに、極限環境に耐えうる改修をほどこしたチューンド・ウォーローダーである。

 高山や湿地・降雪地帯での運用を想定して、脚部には大型メイン・スクリューと、フレキシブルに可動する二基のサブ・スクリューからなる三軸式推進器トリプル・アクセラレータをそなえている。通常のウォーローダーであればスタックをまぬがれない悪路でも、計六基のスクリューにトルクを適切に配分することで、常識はずれの走破性を実現しているのだ。

 耐久性にすぐれ、しばしば鉄の棺桶と揶揄されるウォーローダーとしては破格の生存性サバイバビリティをも有していたゼネンフントだが、皮肉にもその高性能が仇となった。

 そもそも、最終戦争によって地表のほとんどが荒野や砂漠と化したこの時代において、そのものがきわめて稀だったのである。

 さらに、極限環境で乗り手ローディの生命を守るために搭載された装備の数々は、人狼兵ライカントループには好評でも、彼らの主人である吸血鬼には無用の長物としか映らなかった。人狼兵はあくまで使い捨ての駒であり、死んだところであたらしい兵士を補充・投入すれば事足りる。そんな人狼兵の生命を惜しむという発想そのものが、おおくの吸血鬼にとってはナンセンスだったのだ。

 けっきょく、先行量産型として千機ほどの機体が完成したところで、ゼネンフントの製造ラインははやばやと閉鎖された。

 それから四百年あまりが経過し、もはや現存する機体は数十機にも充たない。

 レーカも知識として知ってはいたものの、稼働している機体を目にするのはこれがはじめてだった。


 三連アルキメディアン・スクリューの轟音が夜気を引き裂いた。

 レーカを捕捉した二機のゼネンフントは、前後から一気に間合いを詰めてくる。

 一向に銃火器を使うそぶりがないのは、同士討ちフレンドリー・ファイアを避けるためだろう。


 レーカは身体をたわめると、木から木へと枝伝いに飛ぶ。

 肉食動物を彷彿させる俊敏な身のこなしは、運動能力を強化された人狼兵ならではのものだ。

 サーチライトの光を振り切ることもせず、レーカは最短距離でヴェルフィンをめざす。

 敵もレーカがただの人間ではないと理解したのか、さらにスピードを上げて猛追してくる。


 巨木まであと十メートルあまりというところで、レーカの視界がおおきく傾いだ。

 ゼネンフントが幅広の両手剣ブロードソードを木の幹に叩きつけたのだ。

 ふた抱えはある太い幹といえども、ウォーローダーの全重量を乗せた一撃を受けてはひとたまりもない。

 半ばまで斬り込まれた木は、めりめりと耳障りな音を立てて倒れていく。

 

「く、う――――ッ」


 レーカは飛び降りることもせず、枝を強く握りしめる。

 轟音とともに土煙が舞い上がったのはそれから数秒と経たないうちだ。

 自重に耐えきれずにへし折れた幹は、深く頭を垂れるような格好で地面に叩きつけられた。

 二機のゼネンフントが標的の生死を確認するために近づいてきたまさにその瞬間、土煙のなかから矢のごとく飛び出してきたものがある。

 レーカだ。

 飛び降りるのではなく、あえて枝葉に身を埋めることで、一瞬のチャンスが訪れるのを見計らっていたのだ。


 背後から迫る二機のゼネンフントにはもはや目もくれず、人狼兵の少女は、眼前の巨木めざして疾駆する。

 両手剣ブロードソードの横薙ぎの一閃が襲うより早く、レーカは巨木の樹洞うろへとその身を躍らせていた。


***


「隊長――――ユヴァ、奴はもう袋のネズミだ。あとの始末は俺に任せてくれないか?」


 両手剣を構えたダーク・グリーンのゼネンフントは、隣り合ったブルーグレイのゼネンフントにむかって呼びかける。

 ぶっきらぼうな男の声であった。


「待て、イェララ。どうも嫌な予感がする……」

「ユヴァ、いまさらなにを怖気づいている? あんたの見立ては正しかった。奴は。俺たちの縄張りに足を踏み入れたからには、生かしておくわけにはいかない」

「たしかにそのとおりだが――――」


 ユヴァの低く錆びた声をさえぎるように、かすかな震動が周囲の木々を揺さぶった。


「……散開しろ、イェララ」

「なんだって?」

「敵のウォーローダーが動いている。固まっていると狙い撃ちにされるぞ」


 二機のゼネンフントはすばやく左右に分かれる。

 刹那、白い閃光がまたたいたかと思うと、天にむかって太い火柱が昇った。

 闇を裂いて奔った光は、人狼兵の動体視力でも捕捉不可能な速度で木立のあいだを駆け抜け、森の一点に昼と見紛うほどの爆発を生ぜしめたのだ。


「徹甲焼夷弾……いや、電磁投射砲レールキャノンか!?」


 イェララの声にはあきらかな狼狽の色がにじんでいる。

 電磁投射砲は、きわめて強い磁性を帯びたレールを用いて弾体を極超音速域まで加速させ、なかばプラズマ化した状態で標的に叩きつける兵器である。

 その破壊力はブラッドローダーの重水素レーザー兵器に匹敵し、ウォーローダーの武装としては最強クラスに位置づけられる。

 その反面、エネルギー消耗も甚大であり、燃料電池フューエル・セル一基あたりの射撃回数はわずか三発にすぎない。

 そのうえ、超高温・高圧の半プラズマ弾が通過する砲身バレルは、平均十発前後で早くも耐久限界をむかえるのだ。

 その使い勝手の悪さのため普及にはいたらず、現在ではごく少数が皇帝直属の近衛騎士団インペリアル・ガードなどに配備されるにとどまっている。


「イェララ、考えるのはあとだ。次弾が来るぞ!!」

「了解――」


 二機のゼネンフントは、巨木を挟み込むようにゆるやかな円弧を描いた。

 電磁投射砲の射界は限られている。あるていどの距離を保ってさえいれば、たとえどちらか一方が撃破されても、もう一方は生き残れるはずだった。

 烈しい閃光がふたたび夜の森を照らしたのはそのときだった。


「うおおッ――!?」


 獣じみた雄叫びを上げたのは、はたしてユヴァとイェララのどちらだったのか。

 まるで示し合わせたみたいに地に伏した二機のゼネンフントをかすめて、すさまじい光の奔流が木々を薙ぎ倒していった。

 その残光も消えきらぬうちに、火柱がそこかしこで噴き上がった。

 ほとんどプラズマ化した弾体が、触れた樹木を一瞬に燃え上がらせたのだ。ほんの数秒前までぬばたまの闇に閉ざされていた森は、たちまち昼と見紛うほどの明るさに包まれていく。


「隊長、見つけたぞ!! 奴はあそこだ!!」


 いち早く機体を立て直したイェララは、森の一角にゼネンフントの全センサーを集中させる。

 いつのまに巨木の樹洞うろを出たのか。

 燃えさかる炎に照らし出された朱紅色バーミリオンレッドの鉄騎兵は、身の丈ほどもある電磁投射砲レールキャノンを右手に掴んだまま、一歩ずつ踏みしめるように二機のゼネンフントへと近づいていく。

 装甲を極限まで削ぎ落とし、内部インナーフレームが大胆に露出したネイキッド・スタイルである。一切の防御を捨て去ったその佇まいは、純然たる攻撃兵器としての凄みを漂わせている。

 騎士の兜を彷彿させる頭部ユニットの奥で、双眼式デュアルのメイン・センサーがするどい緑光を放った。


「紅いウォーローダー!? あれは、まさか……」


 狼狽を隠せないイェララの声をさえぎるように、ユヴァが重く低い声で告げた。

 

「ヴェルフィン――――近衛騎士インペリアル・ナイトだけに与えられる超高性能機だ。こんなところで出くわすとは思ってもみなかったぞ」


 甲高い駆動音が響きわたったのは次の刹那だ。

 電磁投射砲を背中のウェポン・ラッチに回した朱紅の機体は、二機のゼネンフントめがけて猛然と疾走に入っていた。

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