第三部
第一話:密林死線交錯
CHAPTER 01:カース・オブ・ブラッド
冷えた空気が室内を充たしていた。
いにしえの
あたりは濃密な暗闇に閉ざされ、昼夜の別さえ判然としない。
高い天井をささえる
光のない空間にあっておぼろな輝きを放つものがある。
四面をぐるりと囲むように配された極彩色の壁画だ。
塗料に練り込まれた宝石や真珠、金銀の粒子がかすかな燐光を放ち、壁そのものをキャンバスに擬したひとつながりの絵を浮かび上がらせたのだった。
人間と吸血鬼の
ひときわ目を引くのは、恐ろしくも美しい十三人の吸血鬼たちと、彼らが駆る十三騎のブラッドローダーだ。
のちに十三
寂然としずまりかえった室内に軍靴の音が響いたのはそのときだった。
闇の奥から歩み出たのは、
年の頃は十六、七歳。
つややかな濡羽色の長髪と、白雪の
双眸に宿った
軍服の少女は、うやうやしげにその場に片膝を突くと、
「十三
誰もいないはずの虚空にむかって、朗々と名乗りを上げる。
「……待ったというほどのことはない。ヴェイド女侯爵よ」
低く錆びた声とともに、半透明の
そこかしこに装飾がほどこされた軍服に身を包んだ長身の美丈夫だ。
氷の彫像をおもわせる端正な
亡き先帝の養子にして、十三
立体映像とはいえ、ディートリヒのするどい眼光に見据えられたセフィリアは、恐懼しきった様子で顔を伏せる。
「ヴェイド女侯爵、なにを怯えている?」
「いえ、断じてそのようなことは――――」
「
セフィリアがおずおずと顔を上げたのと、目のまえに数枚の画像データが表示されたのは同時だった。
被写体がなんであるかを理解して、セフィリアはおもわず「あ」とちいさな悲鳴を洩らしていた。
「最高執政官閣下、これは――――」
「見てのとおりだ。ラルバック・イザールは我らを裏切り、反逆者リーズマリア・シメイズ・ルクヴァースに与すると宣言した」
「そんな……!! イザール侯爵ほどの御方が……」
「残念だが、すべて真実だ。いまや我らの敵は明確となった。
言い終わるが早いか、ディートリヒはセフィリアにするどい視線を向ける。
「貴公を呼び出した理由はわかるな」
「リーズマリア姫殿下の抹殺……ですか?」
「そのとおりだ、ヴェイド女侯爵。貴公にはリーズマリアを抹殺し、ノスフェライドを破壊してもらいたい」
こともなげに言いのけたディートリヒに、セフィリアは我知らず視線をうつむかせる。
「お言葉ですが最高執政官閣下、私は家督を継いでまだ日も浅く、十三
「これは異なことを云う。かつて貴公はみずから出陣を願い出たはず。もっとも、リーズマリアとノスフェライドを仕留める自信がないというのであれば、然るべき者に任せるまでだ」
「そのようなことはございません!」
ディートリヒの言葉に、セフィリアはおもわず語気を荒らげていた。
「このセフィリア・ヴェイド、閣下の仰せとあれば、よろこんで生命をなげうつ覚悟!」
「ヴェイド女侯爵。その言葉、信じてよいのだな?」
「私の一命に代えても、かならずや反逆者を討ち取ってごらんにいれます。わがヴェイド侯爵家の名誉と、父祖より受け継いだブラッドローダー”ゼルカーミラ”に賭けて!」
セフィリアの必死の言葉にも、ディートリヒは応えない。
氷の彫像のごとく黙したまま、ただ深く肯んじただけであった。
「期待しているぞ、ヴェイド女侯爵――――」
それだけセフィリアに告げると、玲瓏な男の幻影は、最初から存在しなかったみたいに霧散していた。
***
「しかし……本当によかったのかい、最高執政官どの?」
ディートリヒの肩に手を置きながら、
「なんの話だ?」
「”ゼルカーミラ”は強力だけれど、セフィリアくんはまだまだ未熟。あのノスフェライドの相手をさせるには、すこしばかり荷が勝ちすぎるように思えるのだけれどね」
「私がその程度のことを考慮に入れていないと思うか、ヴィンデミア」
ディートリヒはあいかわらず無表情のまま、手元のコンソール・パネルに指を滑らせる。
画面が切り替わったのは、それから数秒と経たないうちだった。
「これは最高執政官閣下!! それに、最高審問官閣下もおそろいで――――」
画面越しにディートリヒの姿を認めた吸血鬼の青年は、恭しく一礼する。
ほとんど赤毛に近い金髪と、濃い
肩と胸をおおう無骨な
鎧に刻み込まれた紋章は”
十三
「サルヴァトーレ・レガルス。突然だが、貴公に引き受けてもらいたい役目がある」
「はッ! ほかならぬ最高執政官閣下の仰せとあらば、断る道理もございません。なんなりとお命じください」
あいかわらず慇懃で大仰なサルヴァトーレの態度に辟易しながら、ディートリヒは顔色ひとつ変えずに言葉を継いでいく。
「レガルス侯爵、貴公にはリーズマリアとノスフェライドの抹殺を頼みたいのだ」
「ありがたきしあわせ。わが手で彼奴らに引導を渡してやりましょう」
「ただし、ひとつだけ条件がある」
「条件?」
訝しげに問いかけたサルヴァトーレに、ディートリヒはあくまで坦々と告げる。
「此度の作戦、セフィリア・ヴェイド女侯爵と協力してあたってもらう」
「ヴェイド家の小娘と!?」
「不服か?」
「失礼ながら、セフィリアはろくに実戦経験のない青二才。あのようなしろうとに戦場で足を引っ張られては、勝てる戦も勝てなくなります。どうかいま一度ご再考ください、最高執政官閣下」
サルヴァトーレの言葉は、たんなる嫌悪や敵愾心から発したものではない。
戦場でもっとも危険な存在は、敵ではなく、未熟な味方なのだ。
戦いの機微をしらない者は、時として味方を窮地に陥れる。こればかりは先達が教えることもできず、ひたむきに場数を踏むなかで体得していくほかないのである。
いまだ本物の
ディートリヒはしばらく唇を結んだまま黙考したあと、
「案ずるには及ばん。ヴェイド女侯爵には然るべき役目を果たしてもらうだけのことだ」
「と、申されますと……?」
ディートリヒが一言二言を口にするあいだに、サルヴァトーレの表情はめまぐるしく変化していく。
不安と懐疑から、隠しようのない愉悦と嗜虐心に満ちたそれへと。
「……そういうことだ。成功のあかつきには、リーズマリアの
「身に余るしあわせ――かならず最高執政官閣下のご期待に応えてごらんにいれます」
ディートリヒは満足げに首肯すると、躊躇なく通信を切った。
「さてさて……水と油のあの二人、上手くいくと思うかい?」
「予断は禁物だが、万全の策は講じてある。リーズマリアとノスフェライドを始末できるのなら、たとえあの二人を喪ったところで惜しくはない」
「おなじ選帝侯さえ道具として使い潰す、か。あいかわらず怖い男だねえ、ディートリヒくんは……」
どこか道化めかして言ったヴィンデミアをよそに、ディートリヒはついと顔を背ける。
刹那、最高執政官の端正な
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