LAST CHAPTER:ネバーセイ・グッバイ

「みなさんには、ほんとうにお世話になりました」


 感極まったように言って、リーズマリアはイザール侯爵やケイトたちにぺこりと頭を下げる。

 国境基地の正面ゲート前である。

 すべての作業を終えたあと、いったん全員がレテザットを降り、別れのあいさつを交わすことにしたのだ。


「よしなって。アンタに礼を言われるようなことはなにもしちゃいないよ」

「そうそう、お師匠は試合でガッポリ儲けさせてもらっ――あでっ!」


 ケイトに頬をつねりあげられたカナンは、情けない声を上げて悶絶する。

 どっと笑いが起こるなか、レーカはメルヴェイユに近づいていく。


「チャンピオン……いや、メルヴェイユ殿。おなじ人狼兵ライカントループとして、私は貴公と戦えたことを誇りに思う」

「私もあなたたちには感謝しています。おかげで全身全霊をかけて戦うことができたのですから」

「ところで、闘技場コロシアムにはこれからも……?」

「まさか。観客のまえで正体が露呈してしまいましたし、それに騎士団長としての本来の務めを果たさなければなりません」


 メルヴェイユは嫣然と微笑むと、レーカの手を握りしめる。


「レーカ。あなたとはあらためて決着をつけたいと思っています。そのためには、リーズマリア姫殿下を帝都までお守りし、あなた自身も生きて帰ることです」

「約束しよう、メルヴェイユ殿。この旅を無事に終えたら、そのときはもう一度手合わせを願いたい」


 レーカの力強い返答に、メルヴェイユは満足げに目を細める。

 人狼兵ライカントループは吸血鬼に仕えるために生み出された存在である。

 たとえ身分はおなじでも、主君に命じられれば互いに殺し合うことも辞さない彼らには、概して仲間意識や連帯感といった感情は希薄だ。他家の人狼兵と個人的な親交を持つこともまずない。

 いまレーカとメルヴェイユのあいだに芽生えた奇妙な友情は、生死の狭間で斬り結んだ宿敵ライバル同士だからこそ生まれたものだ。

 たしかな紐帯となって二人を結びつけているのは、戦いにかける飽くなき情熱にほかならなかった。


 アゼトはイザール侯爵の傍らで歩みを止めると、意を決したように口を開く。


「イザール侯爵、俺はあんたに謝らなければいけない。奴らが現れたとき、たとえ一瞬でも俺はあんたを疑ってしまった……」

「気にすることはない。それまで何度も君たちを欺いてきたのは私のほうなのだから。疑いの眼差しを向けられたとしても、それは自業自得というものだ」

「ありがとう――――それと、もうひとつ」


 アゼトはイザール侯爵をまっすぐに見つめると、ためらいがちに言葉を紡いでいく。


「ノスフェライドの能力ちからについて訊きたい」

「能力とは、戦闘中に見せたあの緑色の光のことか?」

「そうだ。以前にもあの能力を使ったことはあるが、いつも俺の意志とは無関係に発動する。どうやってコントロールすればいいのか、能力が発動する条件はなんなのか、俺には見当もつかないんだ。もしなにか手がかりを知っていたら、どんな些細なことでも教えてほしい」


 イザール侯爵はしばらく腕を組んだまま思案していたが、


「あいにくだが、私が知っているのはわが愛機ローゼン・ロートのことだけだ。他家のブラッドローダー、まして秘密主義で知られたルクヴァース家のノスフェライドについて知っていることはほとんどない」


 あっけらかんと言ってのけたイザール侯爵に、アゼトは「やはりか」と苦笑いで応える。

 

「しかし、以前こんな噂を小耳に挟んだことがある」

「噂?」

「ノスフェライドは”皇帝の処刑人”ルクヴァース侯爵の愛機。聖戦十三騎エクストラ・サーティーンのなかでも最強の性能をもつが、それゆえ選帝侯同士の私闘にその力を用いることは禁じられている……と」

「しかし、実際にアルギエバ大公や、あのメフィストリガとかいうブラッドローダー相手には能力が発動したじゃないか」

「そこだ。ノスフェライドが真の力を封じられているのは、あくまで戦いがであった場合のこと。私闘の逆、つまり皇帝陛下の詔命みことのりを拝受した正統な戦いであれば、たとえ相手が選帝侯だろうとすべての力を解放することができる……」


 そこまで言って、イザール侯爵はふっとわざとらしいため息をつく。

 アゼトが信じかけていることに気づいて、わざと堅苦しい雰囲気を崩したのだ。


「むろん、すべては根拠のない仮説だ。鵜呑みにしてもらっては困るし、君もそんな話を真に受けてはならん」

「しかしイザール侯爵、その話はたしかに辻褄が合っている。ノスフェライドがリーズマリアを皇帝だと認めているとしたら、彼女を守るために能力がひとりでに発動したことも納得できる」

「ならば、姫殿下の御身を危険にさらして確かめてみるしかないな」

「そんなことはできない――――」


 先ほどとは打って変わって冷酷なイザール侯爵の言葉に、アゼトは語気強く否定する。

 そんなアゼトの反応さえ予想のうちだったのか、イザール侯爵はにやりと相好を崩してみせる。


「いずれにせよ、不確かな力をアテにするのはやめておくことだ。君には私と互角に渡り合うだけの技量がある。たとえ能力が使えなくても、いまよりも実力を鍛えることで姫殿下を守り抜くことはできるはずだ」

「イザール侯爵――――」

「運を天にゆだねて博奕ギャンブルに出るのは、本当に追い詰められたときだけにしておくがいい。私が君に教えられるとすれば、そのくらいのものだ」


 イザール侯爵はアゼトの両肩に手を置くと、あくまでおだやかな、しかし力強い声で語りかける。


「自信を持て、少年。君はこのラルバック・イザールに黒星をつけたのだからな。このさきどんな苦難が待ち受けているとしても、最後まで希望を捨てずに全力を尽くすことだ」

「ありがとう、イザール侯爵。あんたのおかげで、いろいろと吹っ切れた気がする」

「それは重畳。せっかくの門出に悩みは似合わないからな」


 イザール侯爵は呵呵と大笑すると、ちらとリーズマリアを見やる。

 そしてふたたびアゼトに視線を戻し、


「姫殿下のことをくれぐれもよろしくたのむ。あの御方を守ることは、至尊種ハイ・リネージュと人間の未来を守ることでもあるのだから――――」


 いつになく真剣な面持ちで言って、アゼトに右手を差し出した。

 

「この生命に代えてもリーズマリアのことはかならず守ると約束する。……イザール侯爵、あんたも元気で」

「いまは領地を離れられないが、いずれ君たちと再会するときはくる。それまでしばしの別れだ、吸血猟兵カサドレスよ。君たちの旅路に幸あらんことを!」


 差し出された手と手を重ねながら、ともに死線をくぐりぬけた二人の戦士は、力強く握手を交わした。


***


 レテザットが国境基地を後にしたのは、午前四時ちかくになってからだった。

 東の空が仄仄としらみはじめている。

 吸血鬼の世界――夜の時間はまもなく終わろうとしているのだ。

 

「カナン、あんた、ほんとうにこれでよかったのかい?」


 地平の彼方へ遠ざかっていく船の後ろ姿を見つめながら、ケイトはひとりごちるみたいに問うた。


「……いいんだよ。オレが決めたことだから」

「生意気に強がりを言うんじゃない。ほんとうはリーズマリアたちといっしょに行きたかったんだろ?」

「……」


 ケイトの言葉に、カナンはだまって顔を俯かせる。

 チャンスは何度もあった。

 船出の準備中、別れの挨拶を交わしているあいだ、三人が船に乗り込むその瞬間まで。

 カナンは「オレも乗せていってくれよ!」と叫ぶことが出来たのだ。

 けっきょく、喉まで出かかった言葉は声にならず、いまはもう届くこともない。


「オレ、リズ姉ちゃんが大好きだよ。レーカの姉ちゃんや、アゼト兄ちゃんもだ。三人がこのままずっとバスラルにいてくれればいいなって思ってた」

「カナン……」

「でもさ、リズ姉ちゃんには大事な役目があって、そのために西の果てまで行かなくちゃいけないんだろ。オレなんかが軽い気持ちでついていけるような旅じゃないことくらい、わかるよ」


 カナンの言葉には、一語一語に悲しみと諦念がにじんでいる。


「それに……さ。金ピカのブラッドローダーから逃げるとき、リズ姉ちゃんはオレをずっと抱きかかえててくれたんだ。自分もヤバいんだから、邪魔な人間なんかさっさと捨てちまえばいいのにさ。姉ちゃんは震えてるオレの耳元で『大丈夫、心配しないで』って励まし続けてくれたんだ」


 言い終わらぬうちに、カナンの双眸から堰を切ったように涙があふれた。

 別れ際にはけっして見せることのなかった涙であった。

 しゃくりあげながら、カナンはなおも訥々と言葉を継いでいく。


「もしオレがいっしょについてったら、オレのせいでリズ姉ちゃんを危険な目に合わせちまうかもしれない。アゼト兄ちゃんやレーカの姉ちゃんだってそうだ。みんな優しすぎるから、足手まといになって困らせたくない……」


 カナンはそれきり口を閉ざした。

 ケイトがカナンの頭を胸に抱き寄せたのだ。

 

「アンタも大人になったね、カナン」

「お師匠……」

「アタシたちは出来るだけのことはやったさ。あとはあいつらの旅の成功を信じること。残念だけど、ただの人間に出来ることはそのくらいなんだよ。あんたはそれが分かるようになっただけでも立派さ」


 めったに弟子を褒めることのない師匠に称賛されて、カナンはまぶたを腫らしながらも照れ笑いを浮かべる。

 

「ねえ、お師匠。リズ姉ちゃんたちにいつかまた会えるかな……?」

「会えるさ。生きてればきっと、ね」


 二人はともに地平線に目を向ける。

 船はすっかり遠ざかり、もはや肉眼で捉えることはできない。

 やがて太陽がすっかり世界の色を変えるまで、ケイトとカナンは、去っていった船影を見送っていた。


【第二部 完】

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