CHAPTER 10:アフター・ケア

 ほのじろい月明かりが荒野を照らしていた。

 雲ひとつない晴れた夜だ。

 時刻はちょうど夜半よわをすぎたところ。

 大気中に含まれる紫外線量がほぼゼロとなるこの時間帯は、真夜中の種族ナイトウォーカーの異名が示すとおり、至尊種ハイ・リネージュにとって最も快適に過ごすことができる一時ひとときであった。

 

 イザール侯爵領の西のはずれに位置するなだらかな丘陵地帯である。

 赤錆色の大地を見渡せば、ところどころに散らばっている人工物らしい物体を見つけるのはたやすい。

 まるで飴細工みたいに溶け崩れたアンテナ塔、砂と同化した滑走路、ひしゃげた骨組みだけがかつての巨大さを物語る石油備蓄タンク……。

 そのほとんどは最終戦争の折に破壊・放棄された軍事施設の廃墟だが、なかには現在いまでも利用されているものもある。


 人狼騎士団の拠点――――国境警備基地パトロール・サイトは、その最たるものだ。

 高い防壁に囲まれた基地の内部では、先刻から大勢の人員があわただしく走り回っている。

 彼らの動きを目で追えば、しぜんと正門のそばに停まった一隻の陸運艇ランドスクーナーにたどりつく。


 大小の長方形をふたつ重ねたような角張ったフォルム。

 全長およそ三十メートル、船体中央にそびえるメイン・マストの高さは十五メートルほど。

 外装はツヤのない象牙色アイボリーに塗られている。白色系の塗装は、すこしでも太陽光をやわらげるための工夫だ。

 交易商人が使用する陸運艇ランドスクーナーとしてはごくありふれたタイプと言っていい。

 変わった点といえば、後甲板のほとんどを占有するカーゴ・ブロックだ。

 船体のサイズに不釣り合いなほど巨大なカーゴを背負っているために、遠目にはまるでヤドカリかカタツムリみたいな印象を与えるのだった。


 むろん、ただの陸運艇ランドスクーナーではない。

 帝都ジーベンブルグに旅立つリーズマリアたちのために、イザール侯爵が用立てた船であった。


***


 あの戦いのあと――――。


 イザール侯爵の塔市タワーに招かれたアゼトたちは、ただちにメディカル・センターへと運び込まれた。

 十三選帝侯クーアフュルストの居城には、例外なく最高水準の医療体制が完備されている。強靭な再生力をもつ至尊種ハイ・リネージュにとってはまったく不必要なものだが、人間や人狼兵ライカントループであれば、たとえ手足を失うほどの重傷であっても、サイバネティックス技術と細胞培養によってほとんど元通りに再生することさえ可能なのだ。


 アゼトとレーカは、チャンピオンとの戦いにおいて、どちらも複数の完全・不完全骨折および捻挫、打撲、熱傷、裂傷、擦過傷、靭帯損傷といった大小さまざまな傷を負っている。一つひとつは生命に関わるほどではないが、治療せずに放置すれば、なんらかの後遺症を残す可能性もある。

 はたして、人狼騎士団長メルヴェイユの指示のもと、アゼトとレーカにはイザール侯爵家おかかえの医療スタッフによる集中治療が施されることになった。


 当初こそ「このくらいの怪我に大げさすぎる」と渋面をつくった二人だったが、

 

「アゼトさんもレーカも、ゆっくり休んでよくなってくださいね。私もふたりが早くよくなるようにお祈りしていますから」


 見舞いに訪れたリーズマリアのひとことに、どちらもそれきり抗議の言葉を口にすることはなかった。


 二人にとって自分たちの身体以上に気がかりなのは、ひどく破壊されたノスフェライドとヴェルフィンの修復だが、その件についてもメルヴェイユから説明があった。

 ノスフェライドの右腕は、あまりにも損傷がひどいため破棄せざるをえず、代わりにローゼン・ロートの骨格フレームを転用したあらたな右腕への交換が進んでいるという。

 骨格はローゼン・ロートのものとはいえ、人間でいう筋肉や神経、皮膚を構成するナノマシンはノスフェライド本来のものだ。あるていどの慣らしさえ終わってしまえば、従来とまったく変わらない性能を取り戻すことができるとのことであった。


 問題はレーカのヴェルフィンだった。

 闘技場コロシアムでの最終戦では、ツィーゲ・ゼクスとの死闘のすえに完膚なきまでに破壊され、ほとんど原型を留めていないというありさまだったのだ。

 大破した機体は人狼騎士団によって回収されたが、あまりの破損のひどさから修理の目処が立たず、塔市タワーの工業区画にそのまま放置されているという。

 

「直せないなら、仕方がない……」


 レーカは絞り出すように言うと、唇をぎゅっと噛み締めた。

 ウォーローダーは消耗品。壊れたら乗り捨てるのはしごく当然のことだ。

 ひとつの機体にいつまでもこだわるほうがどうかしている。

 レーカほどの技量をもつ乗り手ローディであれば、たとえ乗機が汎用型のヤクトフントでも、並の盗賊団や傭兵などは物の数ではないだろう。

 すでに一度、無理を押してスクラップ寸前の状態から修理レストアさせたということもある。

 ここでヴェルフィンの修理のために旅の予定を遅らせては、リーズマリアにも迷惑がかかるだろう。

 泣き出したくなるのを懸命に押し殺しながら、ヴェルフィンの廃棄と代替機の手配をメルヴェイユに頼もうとしたとき、


「ひっどいなあ。オレとお師匠のこと、すっかり忘れてるんじゃない?」


 わざとらしいため息とともに、病室の扉が開け放たれた。

 カナンとケイトは、そのまま遠慮なくベッドサイドまで近づいていく。


「カナンからだいたいの話は聞いてるよ。あれから大変だったみたいだけど、あんたたちもリーズマリアも生きててよかった。こっちとしても顧客に死なれちゃ寝覚めが悪いからね」


 ケイトはオレンジ色の髪をかきあげると、ふっと心からの安堵の息をつく。

 実際にブラッドローダー戦を目の当たりにしたわけではない。

 それでも、アゼトとレーカのいまの姿を見れば、生還できたのが奇跡だったことはわかる。


「それで、ヴェルフィンの修理、ほんとうに諦めるのかい?」

「私だって好きでそうするわけじゃない。あの状態では、とても元通りには……」

「そうともかぎらないさ。ねえ、チャンピオンさん?」


 言って、ケイトはチャンピオン――メルヴェイユに水を向ける。

 わずかな逡巡のあと、メルヴェイユは観念したように語りはじめた。


「試合中にも言ったように、ツィーゲ・ゼクスとヴェルフィンはおなじ原型機から枝分かれした姉妹機。とくにフレームまわりの構造に関しては、約八割の部品が共通しています」

「それじゃ、ツィーゲ・ゼクスの予備パーツを使えば、レーカ姉ちゃんのヴェルフィンをほとんど完璧に修復できるってことかよ!?」

「理論的には可能です……が、ツィーゲ・ゼクスはあくまで主君イザール侯爵閣下よりお借りしているもの。騎士団長とはいえ、あくまで人狼兵にすぎない私の一存で決められることでは――――」


 病室の片隅にふいに気配が生じたのはそのときだった。

 全員の視線が一点に集中する。

 壁際にしなだれかかっているのは、くたびれたコートをひっかけ、ボロボロの帽子をかぶった怪しげな風体の賭博師ギャンブラーだ。

 イザール侯爵――プリケルマ男爵は、例によって掴みどころがない調子で言葉を継いでいく。


「いいじゃないですか、レディ。結果は引き分けとはいえ、彼女は最高の試合をしてくれたんです。願いを叶えてあげたってバチは当たらないでしょう」

「侯爵閣下がそうおっしゃるのなら、是非もありません」

「おっとと、それは人違いというもの。私は通りすがりの博奕ギャンブル狂い……」


 そそくさと逃げ出そうとしたプリケルマ男爵の頬のあたりで、パンと小気味よい音が生じた。

 ケイトが男爵の胸ぐらをひっつかみ、強烈なビンタを食らわせたのだ。

 とっさに剣把に手をかけたメルヴェイユを片手で制しつつ、プリケルマ男爵は大げさに頬をさすっている。


「このバカ男爵ッ、よくもいままでアタシらのことを騙してくれたね」

「おお、ミス・ケイト。これでも大変申し訳ないと思っているんですよ。私にもみなさんに正体を隠さなければならない深い事情があったのです」

「ふうん、言ってごらんよ」

「私はあなたやカナンやバスラルの人たちがとても好きでした。塔市タワーのカジノで過ごすよりも、人間たちの活気に充ちたあの街で過ごすほうがずっと楽しかった。だから正体を隠し、偽名を使ってでも、たびたびあなたたちのところを訪ねていたのですよ。もし私が領主だと知れたら、大騒ぎになってしまいますからね」


 言って、プリケルマ男爵は照れくさそうに微笑む。

 それはプリケルマ男爵であると同時に、吸血貴族ラルバック・イザールとしての飾りけのない素顔でもあっただろう。


「彼女のヴェルフィンの修理、どうかよろしく頼みます」

「アタシはプロだ。依頼されたからにはどんな仕事もキッチリこなしてみせるさ」

「あなたのそういう性格ところ、とっても素敵ですよ」


 ケイトの二度目のビンタは、しかし、むなしく空を打つばかりだった。

 まるで一陣の風となって消え失せたみたいに、プリケルマ男爵の姿は病室のどこにも見当たらなかったのである。


***


 一行が塔市タワーを出たのは、それから一週間あまりが経ったころ。

 船の準備が整ったとの報せが入ったのである。

 アゼトとレーカの怪我はすっかり完治し、ノスフェライドの右腕もナノマシンの定着を待つばかりの状態にまで回復している。いつまでもこの地に留まっていれば、ふたたび襲撃を受ける危険もある。リーズマリアが早急に出立する決断を下したのは当然といえた。

 イザール侯爵に導かれるまま、一行は船が待つ西の国境くにざかいへと向かったのだった。

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