CHAPTER 09:ブラザーズ・イン・ロウ

「ぐ……うッ」


 苦しげな呻吟うめきを洩らした直後、イザール侯爵はごぼりと黒い血塊を吐いた。

 高貴な血は深緋色の装甲をつたい、乾いた大地へと滴り落ちていく。

 ローゼン・ロートは全身の装甲をずたずたに切り裂かれ、コクピット内のイザール侯爵はほとんどむき出しになっている。


「ぶざまだな、ラルバック。せいぜいおのれの愚昧さを悔いるがいい。リーズマリアに肩入れしなければ、みじめに死ぬこともなかったのだ」


 イザール侯爵を見下ろしながら、ディートリヒは氷の声音で吐き捨てる。

 ヴァルクドラクの濃いグレーの装甲には傷ひとつ見当たらない。

 アゼトとの戦いで傷ついたローゼン・ロートを執拗になぶる一方で、おのれは決して反撃を受けないよう慎重に立ち回った結果だ。

 長大な大斧槍ハルバードを構えたまま、ヴァルクドラクはローゼン・ロートにむかって一歩ずつにじり寄っていく。


「ラルバック・イザール、最後の機会を与える。ひざまずいて許しを請うなら、此度の罪は不問に付してやろう」

「最高執政官ともあろう御方の言葉とも思えませんな。まだ博奕ゲームは終わっていないことをお忘れか?」

「世迷い言を――――」


 ヴァルクドラクが音もなく踏み出した。

 大斧槍ハルバードは、それ自体が一匹の毒蛇みたいに宙空を泳ぎ、ローゼン・ロートめがけて殺到する。

 白刃がむき出しのイザール侯爵の胴を薙ぐかというその瞬間、大斧槍の動きがふいに停まった。

 ローゼン・ロートの左腕がおそるべき疾さで伸び、大斧槍の柄を掴み取ったのだ。 

 

「それで命拾いをしたつもりか、ラルバック。そうやって耐えられるのもせいぜいあと数秒。死期をほんのわずか先延ばしにしたところで、なにが変わる……」

「つかぬことを訊くが、最高執政官どのはあいかわらず賭博ギャンブルがお嫌いか?」

「愚問だな。政治まつりごとも、戦争いくさも、あらゆる営為は完璧な理論と計算に基づいて行われるべきもの。賭けなどは排除すべき不確実性の別名にすぎん」

「ならば、を証明してごらんにいれる――――」


 ローゼン・ロートの腕に力がこもった。

 ディートリヒの玲瓏な顔にあきらかな動揺の色がよぎったのはその瞬間だ。

 イザール侯爵は大斧槍ハルバードを押しのけるのではなく、むしろそれとは真逆に、みずからの手で胴体に刃を食い込ませたのだった。

 聖戦十三騎エクストラ・サーティーンのなかでも最強のパワーをほこるローゼン・ロートならではの力業。

 コントロールはすでにディートリヒの手を離れ、イザール侯爵に移っている。

 確実に死へと近づくリスクと引き換えに、イザール侯爵はを選択する権利を力ずくで奪い取ったのだった。

 

「ラルバック、貴様……ッ!!」

「あなたの狼狽する声をはじめて聞いたな、最高執政官。計画に狂いが生じたことがそれほど堪えたか」

「だまれ――貴様のくだらん戯れ言に付き合うつもりはない。いまさら往生際悪くあがいてみせたところで、結果は変わらん」

「たとえほんの数秒でも、賭博師ギャンブラーが最後の賭けに出るには充分だ」


 ローゼン・ロートの右腕がゆらりと上がった。

 その手首が握りしめているのは、なかば砕けかかったファルシオンだ。

 イザール侯爵がなにをしようとしているのか、ディートリヒは即座に理解した。

 互いに身動きが取れない状態で攻撃を仕掛けあえば、双方ともに致命傷は免れない。

 イザール侯爵はディートリヒと刺し違えようというのだ。

 賭けるのはおのれの生命。勝っても負けてもすべてを失う、それは生涯にただ一度きりの大博奕ビッグ・ゲームであった。


「ディートリヒ・フェクダル、このまま道連れになっていただく――――」


 イザール侯爵の裂帛の雄叫びとともに、ローゼン・ロートがファルシオンを振り上げる。

 衝撃波とまばゆい閃光がヴァルクドラクとローゼン・ロートを引き剥がしたのは次の瞬間だった。

 引き離された両機の中間点で、黄金色の機体がゆらりと立ち上がる。特徴的な両肩のクロークこそ完全に失われているが、まさしくメフィストリガであった。

 

「これはこれは……ちょうどいいタイミングだったようだねえ」


 ヴィンデミアはすばやくヴァルクドラクとローゼン・ロートに視線を巡らせると、すべてを理解したみたいにディートリヒに語りかける。


「最高執政官、今日のところはこのあたりで引き上げてはいかがかな?」

 

 ヴィンデミアは飄々と言葉を継ぎながら、ヴァルクドラクとローゼン・ロートの双方にするどい視線を送る。


「たとえばの話だ。いまからでも僕たち二人がかりで戦えば、ラルバックくんとノスフェライドをまとめて始末することは出来るだろう」

「……」

「しかし、そのときは彼らも死にものぐるいで歯向かってくるだろうからねえ。人間の古いことわざで”窮鼠猫を噛む”というだろう。悪くすれば、僕たちのどちらか一方も生命を落とすことになるかもしれない。目的を達成したとしても、それじゃあ意味がない……」

「ここはいったん退いて態勢を立て直すべきだ……と言いたいのか」

「君も僕も、まだまだやることがたくさん残っているんだ。こんなところで死ぬわけにはいかないだろう?」


 ヴィンデミアの語気はあくまでやわらかいが、その奥には反論を許さない棘が見え隠れしている。

 しばらく逡巡していたディートリヒだったが、こちらにむかって近づいてくるノスフェライドを認めて、ようやくヴィンデミアの提案を容れる決心がついたらしい。


「最高審問官の意見を採用する。我々はこのまま帝都へもどるが……」


 ディートリヒが言外に含ませた意図を察したヴィンデミアは、それまでの軽薄な態度から一変して、至って厳粛な声でイザール侯爵に呼びかける。

 

「最高審問官サフェリス・ガリエス・ヴィンデミアがラルバック・イザールに宣告する。至尊種ハイ・リネージュの厳正なる法にしたがい、貴公は本日付けで十三選帝侯クーアフュルストより除名、あわせて先帝陛下がイザール侯爵家に下賜されたあらゆる権力と法的保護も剥奪される」

「……」

「これより先はラルバック・イザールは法の埒外に置かれ、彼が他者からいかなる不利益を被ったとしても、その訴えが認められることはない――――つまり、君はもう僕たちの同胞ではなくなったということだねえ?」


 ヴィンデミアの言葉は、至尊種ハイ・リネージュにとって死刑宣告にひとしい。

 それも当然だ。ラルバック・イザールの生命と財産を保護する司法の後ろ盾は、いまこの瞬間に消滅したのである。

 彼の財産や領土を奪い取ることはむろん、その生命を狙うことさえも容認される。

 当のイザール侯爵はといえば、動揺するでもなく、血まみれの顔にうっすらと微笑を浮かべている。

 どこまでも不敵な、太い笑みであった。


「おもしろい。これで名実ともにになったというわけだ。これまでと何も変わらん」

「軽口を叩いていられるのもいまのうちだ、ラルバック。貴様にはいずれかならず相応の報いを受けさせる。裏切り者のリーズマリアともどもにな」

「それは重畳。姫殿下とご一緒であれば、むしろ望むところ――――」


 イザール侯爵の言葉にはそれきり応えず、ヴァルクドラクとメフィストリガは、こちらにむかって接近中のノスフェライドに顔を向ける。

 その後方では、リーズマリアたちが身を寄せ合うようにして隠れている。

 ブラッドローダーの武装であれば、生身の吸血鬼を抹殺する程度はたやすい。

 それもなんの防御手段も存在しなければの話だ。

 ノスフェライドが依然として広範囲にエネルギー・フィールドを展開している以上は、ヴァルクドラクとメフィストリガが攻撃を仕掛けたところで無効化されるだけだ。


「リーズマリアを出せ」


 ディートリヒが口にした意外な言葉に、アゼトは沈黙で応じる。

 相手はリーズマリアを抹殺しようと企んだ張本人だ。その男の要求を呑めるはずがない。

 ひりつくような緊張を破ったのは、リーズマリアの落ち着き払った声だった。


「アゼトさん、通してください。私も彼と話さなければならないことがあります」

「リーズマリア、下がっているんだ! 奴は危険すぎる!!」

「ありがとうございます。しかし、私は逃げるわけにはいかないのです。――――そうですね、ディートリヒ義兄上あにうえ


 銀灰色シルバーアッシュの髪の少女は、たしかにディートリヒを「義兄あに」と呼んだのだった。

 アゼトはなにもいわず、ノスフェライドを中心に展開していたエネルギー・フィールドを停止させる。もしリーズマリアの身に危険が迫れば、わが身を盾にしても彼女を守るつもりであることは言うまでもない。


「こうして直接顔を合わせるのはこれで二度目だな、リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース」


 ヴァルクドラクのコクピットから身を乗り出したディートリヒは、血の繋がらない妹と対面する。

 かたや幼くしてその才覚を見いだされ、皇帝の養子として最高執政官の地位にまで昇りつめた青年。

 かたや皇帝と臣下の妻との不義密通のすえに産み落とされた、この世でただひとり正統な支配者の血を引く少女。

 なにもかもが対照的な義兄妹は、唯一の共通点である紅い瞳をそらすことなく、真っ向から刃みたいな視線をぶつかりあっている。


「リーズマリア。アルギエバ大公との一件は把握している。先帝陛下の偉大な血を引きながら、同胞たる至尊種ハイ・リネージュを裏切り、人間に肩入れするのはなにゆえか」

「私は幼いころ、地下教会アンダーグラウンドチャーチで育てられました。そこで育ての家族と過ごすうちに、人間は家族や仲間を愛し慈しみ、自分を犠牲にしてでも誰かを助ける精神を持っていることを知ったのです。至尊種ハイ・リネージュに心があるというなら、おなじ心をもつ人間を虐げていい道理はありません。そして、どちらも心の価値が等しいなら、生命の価値にも違いなどないはずです」

「我らと人間の生命が等しいとは、とても正気の言葉とはおもえん」

「どう言われようと、これが私が次期皇帝をめざす理由のすべてです。人間と至尊種ハイ・リネージュがともに生きられる世界を作るために、私はなにがあっても帝都に辿り着いてみせます」


 ディートリヒの唇からするどい犬歯がのぞいた。

 その尖端は形のいい唇にくい込み、白皙の皮膚はだえに朱の筋がつうと引かれる。

 氷で作られた精密機械のようなこの男が、腹の底からこみあげる怒りを懸命に噛み殺しているのだ。

 行き場のない激情を映したものか、ディートリヒの真紅の双眸は、妖しくも恐ろしげな赤光を放っている。


「リーズマリア。おまえの思想は、亡き先帝陛下をはじめとする多くの先人がおびただしい血を流して勝ち取り、今日まで連綿と築き上げてきた至尊種ハイ・リネージュの支配を破壊するものだ。多大な犠牲のうえに築かれた平和と繁栄を、人間へのつまらぬ憐憫のために打ち砕こうというのか?」

「ちがいます! 私は至尊種ハイ・リネージュが人間を家畜のように扱い、等しいはずの生命を踏みにじっているこの世界を変えたいのです!」

「家畜には家畜の幸せというものがある。かりに自由の身にしてやったところで、人間どもは我らに感謝などしない。それどころか我らへの憎悪を肥大させ、ふたたび牙を剥くであろう。聖戦以前の暗黒時代ダークエイジがそうだったようにな」

義兄上あにうえは諦めているだけです。変わることを否定し、人間と至尊種ハイ・リネージュが共に生きていく可能性を考えようとさえしない……」

「もう充分だ、リーズマリア。これ以上おまえの痴れ言に耳を貸すつもりはない――――」


 ディートリヒが吐き捨てたのと、ヴァルクドラクのコクピットが閉ざされたのは同時だった。


「今日のところはこれで退く。だが次に会うときには、私は義兄あにとしてかならずおまえを殺す。たとえ先帝陛下の実の娘、そしてわが義妹いもうとであろうと、至尊種ハイ・リネージュに仇なす危険分子を生かしてはおけぬ」


 ディートリヒは押し殺すような声で吐き捨てる。

 ヴァルクドラクの機体に変化が生じたのは次の刹那だった。

 濃いグレーの装甲に無数の分割線ラインが浮かび上がったかと思うと、おそるべき速さで変形を開始したのである。

 全身を構築するパーツのひとつひとつがまるで生き物みたいに蠢き、人型の輪郭シルエットを別のものへと作り変えていく。

 まもなく現れたのは、鷲獅子グリフォンをおもわせる鋼鉄の有翼獣だ。

 長い尾をしならせ、ふわりと宙に舞い上がったその佇まいは、神々しいほどの気高さをまとっている。

 聖戦十三騎エクストラ・サーティーンのなかでも大帝騎ヴァルクドラクだけがもつ可変システムであった。


「ディートリヒ義兄上あにうえ――――」


 リーズマリアの叫び声は、しかし、むなしく夕闇に吸い込まれるばかりだった。

 ヴァルクドラクは鋼鉄の翼を広げるや、夜の彼方へと飛び去っていった。


「おやおや、を置いていくとは、ディートリヒくんはあいかわらず薄情だねえ――――」


 ヴィンデミアは飄々と言って、メフィストリガの肩を大仰にすくめてみせる。

 そのまま首だけでリーズマリアたちのほうを振り向くと、


「リーズマリア姫、それに吸血猟兵カサドレス。君たちとはちかいうちにまた会うことになるだろう。そのときまで、ごきげんよう――――」


 黄金のブラッドローダーは、はるか先を飛翔するヴァルクドラクを追って、音もなく飛び立っていったのだった。

 あっけにとられたみたいに宵空を眺めていたアゼトは、はたと我に帰ったようにノスフェライドから降りると、ローゼン・ロートへと駆け寄っていく。


「イザール侯爵、傷は大丈夫なのか!?」

「これしき、我らにとってはほんのかすり傷だ。君こそ無事か」

「俺は平気だが、ノスフェライドが……」


 不安げに呟いたアゼトの視線の先には、右腕を失い、全身にむごたらしい損傷が刻まれたノスフェライドの姿がある。

 強力な自己再生能力をもつブラッドローダーといえども、これほどの損傷から完全に回復するまでには長い時間を要するだろう。

 深手を負いながらもリーズマリアを守り抜いた漆黒の巨人騎士は、こころなしか誇らしげにみえた。


 イザール侯爵はローゼン・ロートから降りると、顔面にべったりと付着した血を拭いつつ、リーズマリアへと歩み寄る。


「畏れ多くもリーズマリア・シメイズ・ルクヴァース姫殿下に申し上げる。御身への無礼の数々、すべてはこのラルバック・イザールが使嗾しそうせしこと。お望みとあれば、いかなる処罰も甘受する覚悟にて……」


 佩剣を傍らに置き、深々とこうべを垂れて片膝をついたその姿勢は、心からの臣従を表している。


おもてを上げてください、イザール侯爵」

「おそれながら、私はすでに爵位を剥奪された身です」

「関係ありません。あなたは至尊種ハイ・リネージュでありながら人間を対等の存在として認め、彼らの生命を尊ぶことができる方。おなじ道を歩むかぎり、あなたは私たちにとってかけがえのないなのですよ、ラルバック・イザール」


 リーズマリアの言葉を耳にしたとたん、イザール侯爵の胸に熱いものがこみ上げた。


――賭博ギャンブルに生まれも育ちも関係はない。

――プレイヤーが至尊種ハイ・リネージュだろうと人間だろうと、賽の目は何人にも平等なのだから。


 そんな信念を抱いて生きるうちに、いつしかより刺激的な賭けをもとめて下界に降り、素性と名前を偽ってまで闘技場コロシアムに出入りするようになった。

 ケイトやカナンたちと他愛もない会話を交わし、興行師マッチメイカーとして試合のたびに観客たちの悲喜こもごもを肌で感じる……。

 自分でも気が付かないうちに、イザール侯爵の心からは、人間への差別意識や偏見はすっかり取り除かれていたのだ。

 おのれの本心をあらためて突きつけられて、イザール侯爵の双眸からひとすじの涙が流れた。


「かたじけなく存じます、姫殿下」


 感極まったように言ったのもつかのま、イザール侯爵の声色がふいに真剣な響きを帯びた。


「この場所に留まっていてはいつまた襲撃を受けるかもわかりません。すぐに部下を迎えに来させます。ひとまずわが塔市タワーへ――――」

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