CHAPTER 08:ストライク・バック

 ノスフェライドとメフィストリガの最初の交差は、どちらの武器も敵を捉えることなく、むなしく空を切るだけに終わった。

 むろん、まったくの無駄というわけではない。

 アゼトとヴィンデミアは、実時間にしてゼロコンマ一秒にも充たないまさしく転瞬の間に、互いに敵の速度と間合いリーチを測っている。


(勝った――――)


 ヴィンデミアは遠ざかるノスフェライドを見据えつつ、メフィストリガのコクピット内でほくそ笑む。

 攻防一体のエネルギー・フィールドは脅威だが、それも機体が十全であればの話だ。

 右腕を失い、大太刀とシールドをともに手放した現在いまのノスフェライドは、ほとんど戦闘能力を喪失したも同然である。

 アーマメント・ドレスによる爆発的なパワー上昇を考慮に入れても、メフィストリガの敵ではない。

 次の交差で決着はつく――それがヴィンデミアの怜悧な頭脳が導き出した結論だった。


吸血猟兵カサドレス聖戦十三騎エクストラ・サーティーンでも最強の性能をもつノスフェライド、僕たち至尊種ハイ・リネージュにとっては悪夢のような組み合わせだ。しかし、それもここで終わる……」


 ヴィンデミアはひとりごちると、メフィストリガをくるりと旋回させる。

 重力制御装置グラヴィティ・コントローラーによって一切の負担なく方向転換した黄金のブラッドローダーは、やはり機体の進路を変えたノスフェライドと真っ向から相対する格好になった。


 メフィストリガの両肩のクロークがおおきく展開したのは次の瞬間だ。

 十重二十重に装甲が襞をなすクロークの内側には、ぽっかりと口を開けた真闇ぬばたまうろが広がっている。

 直後、濃墨を塗り込めたような黒い水面に奇妙な銀色の泡が生じた。

 否――泡とみえたそれは、研ぎ澄まされた無数の投げ槍ジャベリンの尖端だ。

 見えているだけでもざっと五百本はくだるまい。

 それさえ氷山の一角にすぎない。クロークの内側に開かれた転送門ゲートの奥には、さらに数千、数万本の槍が召喚を待ちわびているだろう。

 乗り手ローディであるヴィンデミアが望めば、そのすべてがノスフェライドめがけて殺到する。

 ブラッドローダーの堅牢無比な装甲をも穿つ死の槍衾であった。


「最高審問官の名において、法と秩序に叛く罪人に死の制裁を――――」


 ヴィンデミアが高らかに宣言するや、クロークの内部から無数の銀光が迸った。

 おそるべき加速度を得た投げ槍ジャベリンは、驟雨のごとくノスフェライドを包み込む。

 もはや勝敗は決した――――ヴィンデミアの端正なかんばせに浮かんだ残酷な微笑は、しかし、たちどころに霧散していった。


「ほう……!!」


 眼前で展開された光景に、ヴィンデミアは感嘆とも驚愕ともつかない声を上げた。

 メフィストリガが放った無数の投げ槍ジャベリンは、そのことごとくがノスフェライドを避けるように流れ、彼方の空へと吸い込まれていった。

 エネルギー・フィールドに頼った受動的な防御だけでは、到底すべての投げ槍を捌き切ることは不可能だ。

 アゼトは投げ槍の軌道を見極めただけでなく、一本たりともリーズマリアたちのいる場所に落ちることのないよう、みずからの意志でその進行方向を変えてみせたのだった。

 ヴィンデミアはふっとため息をつくと、心底から愉しげな忍び笑いを洩らす。


「やるねえ。君のことを好きになってしまいそうだよ」

「くだらない小細工は無駄だ。本気で来い」

「言われなくてもそのつもりさ」


 言い終わるが早いか、メフィストリガの機体が忽然とかき消えた。

 そう見えたのは、その動作があまりにも疾すぎるためだ。

 大鎌を構えたメフィストリガは、おそるべき速度でノスフェライドに肉薄する。

 黄金きんの颶風を巻いて刃が振り下ろされる。

 確実にノスフェライドの首の付け根――――ちょうどコクピット内でアゼトの頭が位置する部分を捉えた刃は、ふいにその場で静止した。

 むろん、ヴィンデミアが自分の意志で攻撃を中断したわけではない。

 ノスフェライドの左手が大鎌の刃を掴み取り、強引にその動きを止めたのだ。

 予想外の事態にもヴィンデミアは焦ることなく、じりじりとメフィストリガの両腕に力を込める。


「残念だけど、しょせん無駄なあがきだ。片腕だけでなにが出来る――――」


 みしり、と、耳障りな破壊音が生じたのはそのときだった。

 

「なに……!?」


 それがメフィストリガの両肩から生じていることに気づいて、ヴィンデミアの声色があきらかな動揺をはらんだ。

 ノスフェライドの攻撃が届くはずはない。唯一残された左腕は、いまこの瞬間も大鎌を受け止めているのだから。

 にもかかわらず、両肩のクロークは軋りをあげ、重なり合った装甲はじょじょにひしゃげはじめている。

 そのさまは、まるで巨大なかいなに左右から挟み込まれ、締め上げられているようであった。


「これは――――」


 刹那、メフィストリガのセンサーごしに面妖な物体が映じた。

 薄緑色に透きとおり、輪郭はおぼろに揺らめいているが、それはまさしく獣の爪にほかならなかった。

 ノスフェライドを包んでいるエネルギー・フィールドから生成されたことは疑う余地もない。

 三次元世界においてほとんど質量をもたない純粋なエネルギーだけのであるにもかかわらず、幻の爪はメフィストリガのクロークにじわじわと食い込み、その装甲を確実に破壊しつつある。

 差し迫った生命の危機をまえにして、ヴィンデミアが放ったのは、およそ場違いな高笑いだった。


「なにがおかしい!?」

「おっと、これは失敬。”皇帝の処刑人”ルクヴァース侯爵に与えられた能力ちからの正体が判ったことがうれしくてねえ。アルギエバ翁ほどの古強者ふるつわものが敗れたのも道理というものだ……」


 言い終わるが早いか、メフィストリガの手足が収縮を開始した。

 それにあわせて、両肩のクロークが機体を覆い隠すように展開していく。

 たえまなく爪の圧迫を受けながら、メフィストリガの変形へんぎょうはあくまでスムースに進む。

 やがて空中に出現したのは、黄金色の巨大なコクーンであった。


「そんな姑息な手で凌ぎきれると思っているのか」

「まさか――――決着はまたの楽しみに取っておくよ。君とノスフェライドはだろうからね」

「なんだと……!?」


 爆発音がアゼトの問いかけをかき消した。

 メフィストリガのコクーンが内側から爆ぜ、爆風とともに周囲に大量の破片を撒き散らしたのだ。

 かすかな残照を浴びてきらめくそれは、霏霏と降りしきる黄金色の雪を彷彿させた。


「終わった……のか?」


 あまりにもあっけない幕切れだった。

 むろん、アゼトもあの程度でメフィストリガを倒せたとは思っていない。ヴィンデミアは充分な余力を残したまま、みずからの意志で戦いを打ち切ったのだ。

 予想外の事態に戸惑いながら、アゼトはリーズマリアたちの無事を確認し、ほっと安堵の息をつく。

 にぶい破壊音が響いたのはそのときだった。

 アゼトはすばやく音のした方向に機体を向けると、ほとんど反射的に叫んでいた。

 

「イザール侯爵――――」

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