CHAPTER 07:ナイト・オブ・サヴェージ

「言いたいことはそれだけか、ラルバック・イザール」


 ディートリヒの声に怒りの色はない。

 どこまでも澄みきったその声音に宿るのは、純粋な殺意だけだ。

 眼下のローゼン・ロートに大斧槍ハルバードの切っ先を向けたまま、ディートリヒはヴィンデミアに命じる。


「最高審問官。リーズマリアの始末はまかせる」

「おや、ノスフェライドは放っておいてもいいのかい?」

「捨て置け。もとより我らの目的はリーズマリアだ。死にぞこないの人間ムシケラにかかずらっている暇はない――――」


 言い終わるが早いか、ヴァルクドラクの姿がふいに消失した。


「こいつも光学迷彩皮膜オプチカル・カモフラージュを!?」


 アゼトの脳裏をよぎったのは、アルギエバ大公の乗機ブラウエス・ブルートの特殊能力だ。

 機体表面の分子構造を変化させることで周囲の景色に完全に同化し、あらゆる索敵センサーを無効化する究極の隠形術ステルス。その気になれば姿を消したまま敵の死角にもぐりこみ、一方的に攻撃を仕掛けることも可能なのだ。

 実際にブラウエス・ブルートと剣を交えたアゼトは、身をもってその恐ろしさを知悉している。

 ディートリヒがノスフェライドとローゼン・ロートのどちらを狙うにせよ、先の戦いで傷つき消耗した二騎を仕留めることは、赤子の手をひねるよりたやすいはずだった。


 ローゼン・ロートを中心に不可視の衝撃波ソニックブームが波紋のように広がった。

 一瞬遅れて、硬質の物体同士がかち合う甲高い音が大気をはげしく震わせる。


「最高執政官どのは小細工がお好きとみえる。だが、こちらもその手は喰わん」


 振り下ろされたハルバードをファルシオンで受け止めながら、イザール侯爵は不敵にささやく。

 いかに吸血鬼の超動体視力でも、死角からの奇襲に対応することは不可能だ。

 イザール侯爵は、ヴァルクドラクが攻撃を仕掛けるのに先んじて、一髪の差で防御に成功したのだった。

 研ぎ澄まされた武人の勘と、敵の行動を読む洞察力のどちらか一方が欠けても為しえない離れ業であった。

 

「お忘れか? この私が至尊種ハイ・リネージュ随一の賭博巧者ギャンブラーだということを……」

「戯言をほざいていられるのもいまのうちだぞ、ラルバック」

「ならば、とことんまで博奕ゲームにお付き合いいただこう」


 余裕たっぷりに言いのけたイザール侯爵だが、それが虚勢ブラフであることは自明だ。

 ローゼン・ロートはノスフェライドとの戦いでエネルギーの大部分を失い、機体はおおきく損傷している。本来なら連戦に耐えられる状態ではないのだ。

 一方のヴァルクドラクは、満量フルにちかいエネルギーを保ち、機体のコンディションも完璧と言っていい。

 いまは互角の戦いを演じることが出来ても、いずれ押し切られるのは時間の問題だ。

 ディートリヒはそれを承知で消耗戦に持ち込み、いずれかならず到来する好機を捉えてイザール侯爵を討ち取るつもりであった。


 アゼトはいてもたってもいられず、大太刀を支えにノスフェライドを立ち上がらせる。

 やはり万全とは言いがたいが、ローゼン・ロートに較べれば機体の損傷はさほどでもなく、エネルギーも多少は回復している。

 左腕一本でも、イザール侯爵を援護することは出来るはずだった。


「イザール侯爵、俺もいっしょに戦わせてくれ!! 二人で戦えば勝ち目も――――」

「手助け無用。それより君にはすべきことがあるはずだ」


 叱りつけるようなイザール侯爵の言葉に、アゼトははたと上空を振り仰ぐ。

 センサーを作動させるまでもなく、宵空へと駆け上がっていく黄金の機体はすぐに見つかった。

 上空千メートルほどで静止したメフィストリガは、地上のアゼトとイザール侯爵に攻撃を仕掛けるでもなく、ただ黙然と宙空に佇んでいる。

 右腕がクロークの内側に潜り込んだのはそのときだった。


「おやおや――――探し回るまでもなかったようだね」


 ヴィンデミアの言葉に呼応するみたいに、メフィストリガの右腕が伸びた。

 黄金の装甲に包まれた手指が把持しているのは、やはり黄金色の小箱だ。

 メフィストリガの掌にすっぽりと収まるほどのおおきさだったそれは、みるまに形状を組み換え、まったく異質な構造体へとみずからを作り変えていく。

 数秒と経たないうちに完成したのは、弩弓ボウガン長銃ライフルが融合した奇怪な武器だった。

 メフィストリガは身の丈ほどもある武器を片手で軽々と保持したまま、地表の一点に狙点を合わせる。

 黄金の指が引き金トリガーを引いたのと、銃口から白光が迸ったのは同時だった。


「まさか――――リーズマリアッ!?」


 アゼトが叫んだときには、眼前の光景はすでに一変したあとだ。

 メフィストリガが発射したエネルギー弾は、着弾と同時に衝撃波となって全周に広がり、半径三キロの範囲にわたって地表を薄く削り取っていった。

 最大出力で発射していれば、さらに深く巨大なクレーターを形成することも可能だったにもかかわらず、ヴィンデミアはあえてのだ。


 その理由はすぐに知れた。

 衝撃波に引き剥がされた大地の一角に、あきらかに人工的な構造物が露出しているのである。

 リーズマリアたちを収監している地下施設であった。


「不用心だねえ、ラルバックくん。大切なお姫さまは、もっと念入りに隠しておかなくちゃ。さもないと……」


 メフィストリガの高精度センサーは、建物内に複数の生体反応を検知している。

 人間と人狼兵、そして至尊種ハイ・リネージュ

 リーズマリアの居場所を突き止めたうれしさからか、ヴィンデミアはくつくつと忍び笑いを洩らす。


「こんなふうにとっても悪い大人に見つかって、それはそれはひどいお仕置きをされてしまうのさ――――」


 そうするあいだにも、メフィストリガは次弾発射の準備に取り掛かっている。

 リーズマリアの所在が判明した以上、手加減をする必要はない。

 ラルバックともどもリーズマリアの死体を帝都ジーベンブルクに持ち帰り、法の番人たるヴィンデミアがをもって両人に死後の裁きを下す。

 それで終わりだ。ひとたび下された最高審問官の決定を覆す権限を持っているのは、いまは亡き皇帝ただひとりなのだから。

 ほかの選帝侯が異論を唱えたところで、最高執政官と最高審問官の権力には太刀打ちできようはずもない。

 

「悪く思わないでおくれよ、リーズマリア姫。すべては至尊種ハイ・リネージュの秩序を乱そうとする君が悪いのだからね。長い戦乱を経て、この世界はようやく完璧な秩序と安寧を手に入れた。その美しい調和バランスを壊そうというなら、たとえ先帝陛下の忘れ形見だろうと生かしておくわけにはいかない……」


 エネルギーチャージはすでに完了している。

 確実にリーズマリアの生命を奪い、なおかつのは、十三選帝侯クーアフュルストきっての射撃の名手であるヴィンデミアにとっては造作もないことだ。

 ヴァルクドラクの指が引き金にかかり――――そのまま停止した。

 

「ほおう?」


 ヴィンデミアはいかにも興味ぶかげに呟く。

 メフィストリガの銃口と、地下の建物をむすぶ射線を塞ぐように、ノスフェライドが空中で仁王立ちになっているのだ。

 右腕を肩口から失い、無数の傷を負いながらなおも戦おうとするその姿には、悲愴なまでの決意がみなぎっている。

 いまのアゼトとノスフェライドは、命尽きるまで戦い、愛するものを守り抜くことを決意した鋼鉄の修羅にほかならなかった。

 ここでこの生命を燃やし尽くす――――鬼気迫る覚悟をまともにぶつけられても、ヴィンデミアはなおも飄々とした態度を崩さない。

 

「おやおや、これはこれは。戦意旺盛なのは結構だが、まさか本気で僕と戦って勝てるとでも思っているのではないだろうね。吸血猟兵カサドレスの……アゼトくん、だったかな?」

「俺がどうなろうと関係ない。俺とノスフェライドがいるかぎり、リーズマリアは殺させない――――それだけだ」

「ところで、僕は人間が残した言葉のなかで好きなものがひとつある」


 ヴィンデミアの言葉が合図だったのか、メフィストリガのクロークがふいにほどけた。

 あらわになったクロークの内部には、ぞっとするほど暗く深い黒暗淵やみわだが広がっている。

 その奥からぬらりと浮かび上がってきたのは、数百とも数千ともつかない無数の金属片だ。


「”言うは易く行うは難し”――――死ぬまえに、自分がいかに無力な存在かを思い知るがいい」


 ヴィンデミアが言い終わるが早いか、メフィストリガのクロークから金属片が一斉に飛び立った。

 ほんの数秒まえまで薄っぺらな金属片だったはずのそれは、またたくまに形を組み換え、有翼の無人兵器ドローンへと変形へんぎょうする。

 群れをなして夕闇の空を飛翔するその姿は、まさしく吸血コウモリの大編隊にほかならない。

 

「ふざけるな。こんな子供だましでッ!!」


 苛立たしげに叫んで、アゼトは大太刀を振るう。

 するどい銀閃が空を裂くたび、鉄のコウモリはあっけなく砕け散っていく。

 左腕一本では打ち込みの威力も半減するが、無人兵器を片付ける程度なら充分すぎるほどだ。 

 そうして三、四百機ほど打ち払ったところで、アゼトはふと我に返った。

 休みなく斬りつづけているにもかかわらず、無人兵器の数は減るどころか、ますます増えている。

 ありえないことだ――――小型の無人兵器といえども、無限に搭載できるはずがない。


「君の心の中を見透かしてあげようか。根気よく彼らを倒しつづければいつか終わる……そう思っているね?」

「くっ……」

「残念だけれど、それは見当外れもいいところさ。メフィストリガのクロークはただのウェポンラックじゃない。遠く離れた空間同士を繋ぐ転送門ゲートなんだ。たとえ君が多少数を減らしたところで、僕の兵器庫からは無限に転送されてくる」

「バカな……そんなことが……」

「信じたくなければ好きにしたまえ。最後まで現実を受けいられないまま死ぬというのも、愚か者の末路にはふさわしいだろうからねえ」


 そうするあいだにも、ノスフェライドの全身はコウモリに覆われ、ほとんど身動きが取れなくなっている。

 無数の羽がひたひたと重なり合い、黒く太い帯へと変わっていく。

 コウモリはたがいの組織を分子レベルで融着させ、群体そのものを強力な拘束具へと変えたのだ。剛性とねばりを両立したそれは、ブラッドローダーの膂力でも容易に引きちぎることはできない。

 ノスフェライドの左腕から大太刀が滑り落ちていった。

 いよいよ疲労の限界に達したアゼトは、無意識に大太刀を握る力をゆるめてしまったのだ。


「しまった――――ぐうッ!!」


 首をきつく締め上げられ、アゼトはおもわず苦悶の声を洩らす。

 大太刀を取りに行こうにも、全身をがんじがらめにされた状態では動くこともままならない。

 重水素レーザーやミサイルといった内蔵火器も、この状況ではことごとく使用不能というありさまだ。

 

「さてさて、邪魔が入る心配がなくなったところで、僕の仕事を果たすとしよう」

「よせ……!! やるなら、俺から先に……!!」

「そう焦らなくても、ちゃんと君も殺してあげる――――彼女を始末したあとで、ね」


 からからと心底から愉快げな笑い声を上げて、ヴィンデミアはふたたび建物に照準を合わせる。

 黄金の指が引き金トリガーにかかったかと思うと、ポッとちいさな光点が建物のちかくに生じた。

 出力を最小限に絞った一撃。それでも、耐爆コンクリートで作られた地下施設を半ば崩壊させるには充分だ。

 くずれゆく建物から三人分の人影が飛び出した。

 レーカ、メルヴェイユ、そしてリーズマリアだ。カナンはリーズマリアに抱きかかえられている。

 並外れた身体能力をもつ吸血鬼と人狼兵であれば、素手で壁を壊し、高所から飛び降りる程度は難なくやってのける。

 だが、いかに頑強な身体とはいえ、生身でブラッドローダーの攻撃を受ければひとたまりもない。

 ヴィンデミアが軽く引き金を引きさえすれば、四人の生命はその瞬間に断たれるだろう。


「さようなら、リーズマリア姫。君に恨みはないけれど、至尊種ハイ・リネージュの未来のためにここで死んでいただこう」


 メフィストリガのアイ・センサーが銀色の髪の少女を捕捉する。

 ブラッドローダーの射撃管制システムは、吸血鬼のずばぬけた視力をさらに増強する。百発百中とは、彼らにとってけっして誇張ではないのだ。


「やめろ――――ッ!!」


 アゼトが叫んだのと、ノスフェライドの全身からあざやかな緑色の閃光が放たれたのは同時だった。

 聖戦十三騎エクストラ・サーティーンのなかでも唯一ノスフェライドだけがもつ特殊能力――――外部ユニットに依存しない完全内蔵フル・コンシール式のアーマメント・ドレス。

 肉眼でも見えるほど高出力のエネルギー・フィールドを展開することで、あらゆる性能スペックを底上げする文字通りの切り札である。

 発動したのは”蒼の聖塔ブルー・ジグラッド”でのアルギエバ大公との決戦、そして廃墟の街での無人多脚兵器ゴライアスとの戦いに続いて三度目だ。

 アゼトがどれほど発動を望んでも沈黙しつづけたノスフェライドは、リーズマリアの危機をまえにみずから真の力を解放したのだった。

 

「おおッ!!」


 アゼトが裂帛の雄叫びを上げるや、機体を束縛していた黒い拘束帯が消失した。

 ノスフェライドは指一本動かしていない。ブラッドローダーを絡め取るほど堅固な帯は、エネルギー・フィールドの表面に触れただけで溶解し、ひとりでに崩れ去ったのだ。

 緑色のフィールドをまとったノスフェライドは、そのままメフィストリガめがけて猛進する。


「なるほど、これがアルギエバ翁を倒した切り札というわけかい。さっきまでとはスピードもパワーも段違いだ。御老体が討ち取られたのも無理はない……が」


 ノスフェライドが眼前に迫っているにもかかわらず、ヴィンデミアの言葉に焦りの響きはない。

 

「傷つき、武器も失ったその機体で、このメフィストリガを相手にどこまでやれるか試してあげよう。ラルバックくんの言葉を借りれば、博奕ゲームというわけだ――――」


 ヴィンデミアが言い終わらぬうちに、メフィストリガの銃が変形を開始した。

 弩弓ボウガンは、ゆるやかな弧を描く三日月型クレッセントの刃へ――。

 長銃ライフルは、身の丈よりもなお長大な柄へ――。

 メフィストリガの掌のなかに忽然と現れたのは、美しくも禍々しい死神の大鎌デスサイズにほかならない。


 緑色の光に覆われたノスフェライドの左拳が伸びた。

 その腕ごと胴体を刈り取るべく、メフィストリガの大鎌がするどい白光を曳く。

 拳と刃が交差したまさにその瞬間、まばゆい閃光と衝撃が宵闇の空を駆け抜けていった。

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