CHAPTER 06:ジ・エクスキューショナーズ

 アゼトはローゼン・ロートが振り下ろしたファルシオンを避けるどころか、みずからその刃にむかってノスフェライドを突進させた。

 本来両手もろてで構えるべき大太刀を左腕だけでにぎり、右腕はぶらりと垂れ下がった不可解な体勢。

 およそ戦術の常道セオリーから外れたその行動は、まさしく自殺行為と形容するほかない。

 ノスフェライドにはもはやわが身を守るシールドはなく、いかにブラッドローダーの装甲が堅牢といえども、聖戦十三騎エクストラ・サーティーン最強のパワーをほこるローゼン・ロートのまえでは薄紙にもひとしい。


(この賭け、私の勝ちだ――)


 イザール侯爵がみずからの勝利を確信したのと、ノスフェライドの右腕がふいに光を帯びたのは、どちらが先だったのか。


 周囲の景色が奇妙に歪んだのは次の瞬間だった。

 目の錯覚などではないことはすぐに知れた。のだ。

 アゼトは、ブラッドローダーに標準装備されている反重力装置をフル稼働させ、ノスフェライドの右腕に重力場のひずみを作り出したのだった。

 効果がおよぶ範囲は一メートルにも満たない。

 それで充分だった。

 ノスフェライドの右腕を中心に形成されたのは、物理法則を超越した特異点にほかならない。

 素粒子は尋常のふるまいを忘れて狂奔し、ぶつかりあう電子が極彩色の華を咲かせる。宇宙の開闢以来、よどみなく過去から未来へと流れつづけた時間までもがごくわずかな――数千兆分の一ほどの――停滞を来たしたとは、この場の誰も知りえぬことであった。

 ローゼン・ロートのファルシオンは重力のひずみに絡め取られ、まるで不可視の巨人のかいなに挟まれたみたいに微動だにしない。


 ほとんど無尽蔵のエネルギーを有するブラッドローダーも、これほど巨大なエネルギーを貯留した力場フィールドを維持することは不可能だ。

 はたして、ノスフェライドの右腕は、みずからが生み出した特異点によって破壊されつつある。漆黒の装甲はむざんにひしゃげ、すさまじいエネルギーの奔流が一本また一本と五指をちぎり取っていく。

 破壊が本体にまで波及するか、あるいはローゼン・ロートが力任せに拘束をぶちやぶって一刀を叩き込むか……。

 いずれの場合も、アゼトの命運は尽きる。

 もっとも、それも肉体が破壊されるまで正気を保っていられればの話だ。

 ノスフェライドの中枢システムと直結したアゼトの脳には、近い将来の死を予測した”幻死像ハルシネイション”が流れ込んでいる。

 機体と乗り手ローディを破滅から守るためのやむをえない措置とはいえ、自分が死ぬ瞬間をくりかえし脳に焼き込まれる苦痛は、常人ならば発狂してもおかしくない。

 アゼトは意識を手放すことも、狂気に蝕まれることもなく、死の幻のなかからを見つけ出そうとひたすらあがく。


「おおおッ――――」

 

 両眼と唇から血を滴らせながら、アゼトは喉も枯れよと叫ぶ。

 ローゼン・ロートを縛めていた重力の鎖がふいに消滅したのと、ノスフェライドの大太刀が銀光を散らして迸ったのは同時だった。


 すんだ金属音が一帯を領した。

 長い残響が消えきるのを待つまでもなく、巨人騎士の戦いには終止符が打たれている。

 ノスフェライドを正中線から切り裂くはずだったファルシオンの刃は、漆黒の兜をわずかに削るだけに終わった。

 一方、ノスフェライドが放った逆流れの一閃は、ローゼン・ロートの右膝から左肩まで逆袈裟に切り裂いたのだった。

 もし抜き打ちが一瞬でも遅れていたなら、切り裂かれたのはノスフェライドのほうだ。

 愛機の片腕を捨て、死の苦痛に耐えてみいだした勝機を、アゼトはまさしく一髪の差で掴み取ったのだった。


「みごと――――」


 アゼトに問いかけるでもなく、イザール侯爵はひとりごちるみたいに呟いた。

 ローゼン・ロートはがっくりと片膝をつき、ファルシオンを杖にようよう姿勢を保っている。

 深緋色の装甲はぱっくりと割れ、赤黒い液体がとめどもなくあふれ出している。ブラッドローダーの機体を循環するオイルなのか、それともイザール侯爵自身の血なのかは判然としない。


「君の勝ちだ、吸血猟兵カサドレス


 ごとり、と、ローゼン・ロートの背後で重い音が生じたのはそのときだった。

 ノスフェライドの右腕が肩口から落ちたのだ。

 右腕全体がねじれ、ほとんど原型を留めないほどに歪みきっている。桁外れの耐久性と自己修復能力をもつブラッドローダーも、ここまでひどく破壊されては、もはや腕を繋ぎ留めておくことは出来ない。

 アゼトはその場でノスフェライドを反転させると、ローゼン・ロートに向かい合う。


「ほんとうにいいのか、イザール侯爵。あんたもその機体も、まだ戦えるはずだ」

「いやしくも選帝侯クーアフュルストに名を連ねる者として、いったん口にした言葉を軽々しく覆すつもりはない。賭け事ギャンブルでなにより大切なのことは、潮時を見極めることだ」

「……」

「君はみずからの生命を賭け、そして勝った。そういう相手に敗けるのは、自分が勝つよりもよほど気分がいい」


 言って、イザール侯爵は呵呵と笑声を上げた。


「姫殿下のもとへ案内しよう。あの人狼兵ライカントループの娘とカナンもいっしょにいるはずだ」

「イザール侯爵、このまま俺たちを見逃せば、あんたは……」

「余計な気遣いは無用にねがおう。私は賭博ギャンブルのすべてを愛している。勝利も敗北も等しくだ。敗けたからといって約定を違えるような不粋な真似は、私自身が許せん。たとえそのためにどんな報いを受けたとしても……だ」


 イザール侯爵が言い終わるが早いか、彼方で雷鳴がとどろいた。

 見上げれば、ほんのすこしまえまで黄昏の色に染まっていた空は、一面の分厚い黒雲に覆われている。

 最終戦争における核兵器の乱発は惑星の自転軸を歪ませ、その影響はいまも異常気象というかたちで残っている。

 それでも、これほど短時間のうちに空模様が一変するのはあきらかに不自然だ。


「……少年、散れ!!」


 イザール侯爵が叫ぶが早いか、ノスフェライドとローゼン・ロートは、それぞれ正反対の方向へと跳躍していた。


 青白い光条ビームが大地を割ったのは、それから半秒と経たないうちだ。

 射線をなぞるようにブイ字型の溝が数キロにわたって彫刻され、谷底では溶けた岩盤がぐつぐつと煮えたぎっている。

 にわかに現出した焦熱地獄は、すさまじい出力のビームが大地を舐めた証だ。

 もしまともに命中していれば、ノスフェライドとローゼン・ロートも無事では済まなかっただろう。


「おやおや――――照準ねらいがすこし甘かったかな。しかし、この程度で死なれてしまっては面白くないからねえ」


 荒野を渡る風が、鈴を転がしたような美声を運んだ。


「”メフィストリガ”……!!」


 傷ついた機体を立て直しながら、イザール侯爵は苦々しげに呟く。

 黒雲の裂け目から黄金の人形ひとがたが舞い降りたのは次の瞬間だった。


 異様な外見のマシンであった。

 道化師クラウンじみたフェイスマスク。

 その奥でするどい赤光を放つのは、上下二連ずつ配置された四基のアイ・センサーだ。

 両肩から脚部にかけての広い範囲を覆っているのは、艶めかしい曲線をえがく外套クローク状の積層装甲である。

 薄くしなやかな外殻は、一分の隙もなくぴったりと重なり合っているかとおもえば、機体の挙動にあわせて生けるがごとく柔軟に形を変えていく。

 かすかな陽光の名残りを照り返しながら、黄金の巨人騎士――――メフィストリガは、ノスフェライドにむかって細い指を伸ばす。


「君がリーズマリア姫の決闘代行者サクリファイスだね?」

 

 アゼトは無言で大太刀を構える。

 ノスフェライドの状態は十全にはほど遠いが、攻撃を仕掛けられたからには戦うほかない。

 ひりつくような緊張のなか、戦場にはおよそ似つかわしくない笑い声が流れた。


「そう身構えることはないさ……おっと、自己紹介がまだだったねえ。僕はサフェリス・ガリエス・ヴィンデミア。十三選帝侯クーアフュルストヴィンデミア家の当主であり、至尊種ハイ・リネージュの法の番人たる最高審問官インクイジターだ」


 ヴィンデミアはいったん言葉を切ると、わざとらしく威儀を正す。


「そして、彼は――――」

「余計な気遣いは無用だ、最高審問官」


 氷の礫を投げるような言葉は、メフィストリガとは真反対の方向で生じた。

 反射的に全方位センサーを作動させたアゼトの視界に飛び込んできたのは、暗灰色ダークグレイの装甲をまとったブラッドローダーだった。


「最高執政官ディートリヒ・フェクダル。先帝陛下の御名において、大帝騎”ヴァルクドラク”とともに推参した」


 ディートリヒが名乗りを上げるや、ヴァルクドラクの双眸に血色の閃光が迸った。

 大柄なノスフェライドより頭ふたつほど上背のある巨躯である。

 濃いグレーの色合いのためか、すらりと伸びた四肢はいっそう引き締まってみえる。夕陽を照り返して妖々ときらめくのは、額にはめ込まれた鮮血色フレッシュブラッドのセンサー・ユニットであった。

 武器は両肩に取りつけられた細長いシールドと、背部にマウントした三日月型の大斧槍ハルバードだけだ。 


 外観こそメフィストリガに較べて地味だが、実際に戦うその瞬間まで機体の真の性能はわからない。

 敵に対する先入観がしばしば命取りになることを、アゼトはだれよりも理解している。


「さて――――本題に入るとしようか」


 ヴィンデミアはあいかわらず剽気たふうに言うと、ローゼン・ロートに視線を移す。


「ラルバック・イザール侯爵、ご苦労だったねえ。リーズマリア姫の身柄を確保し、ノスフェライドを戦闘不能にまで追い込んでくれるとは、さすが最高執政官が見込んだだけのことはある。僕からも惜しみない称賛を贈らせてもらうよ」


 アゼトは敵から視線を外すことなく、イザール侯爵に呼びかける。

 

「イザール侯爵、これは――――」

「……」

「最初からそのつもりだったのか? こいつらが来ることを知っていて、あんたは……!?」


 アゼトの言葉をするどい風切り音が断ち切った。

 ヴァルクドラクが大斧槍ハルバードを振るったのだ。

 するどい切っ先をノスフェライドに向けたまま、ディートリヒは重々しい声で告げる。


「最高執政官としてイザール侯爵に命じる。アルギエバ大公を害した罪により、そこなる人間をただちに抹殺せよ。手負いとはいえ、貴公なら造作もないはずだ」


 氷の冷たさを帯びた美声には、有無を言わさぬ迫力がある。

 はたして、イザール侯爵は無言のまま、ノスフェライドにむかって近づいていく。

 エネルギーの大半を失い、いまだ回復もおぼつかないノスフェライドに対して、ローゼン・ロートはまだ継戦能力を残している。

 本気でイザール侯爵がアゼトを殺すつもりであれば、一瞬で片はつく。


「本気なのか……」


 アゼトの言葉にもイザール侯爵はかたくなに沈黙している。

 ややあって、ノスフェライドの傍らでローゼン・ロートは動きを止めた。

 ノスフェライドはなおも動かない。傍目には、従容とみずからの死を受け入れているようにもみえただろう。

 ローゼン・ロートの右腕が音もなく上がり、ファルシオンが黄昏の光を浴びてきらめく。 

 

 一瞬の轟音のあと、雨音があたりを包みこんだ。

 重くざらついた奇妙な雨音であった。

 それもそのはず、乾いた大地に降りしきるのは水ではなく、膨大な土と砂であった。

 ローゼン・ロートは振り向きざま、双手もろてで握り込んだファルシオンに全エネルギーを集中させ、地面に突きこむや、地盤そのものを力任せにひっくり返してのけたのだった。


 ヴァルクドラクとメフィストリガはすばやく空中に逃れている。

 イザール侯爵も、もとよりこの程度の技でブラッドローダーを倒せるとは思っていない。

 地面に刃を立てたのは、ノスフェライドとローゼン・ロートのまえに境界線ボーダーラインを引くためだ。


「なんの真似だ、イザール侯爵――――」

「ごらんのとおりだ。一歩でもこの線を踏み越えたならば、たとえ最高執政官と最高審問官のお二人だろうと容赦はいたしかねる」

「正気の沙汰ともおもえぬ。リーズマリアとその人間のために、むざむざと父祖より受け継いだ地位をなげうち、至尊種ハイ・リネージュの法に叛くつもりか」

「いかにもそのとおりだ、最高執政官どの」


 しずかな怒りをみなぎらせるディートリヒに、イザール侯爵はどこまでも不敵な笑みで応じる。

 

「立場も法も関係ない。私はこの少年と約束を交わした。それを反古にすることは、私自身の誇りが許せぬ。このラルバック・イザールとローゼン・ロートがあるかぎり、彼らには指一本たりとも触れさせん。どうしても押し通りたければ、心して参られよ」


 深緋色の巨人騎士はふたたびファルシオンを構えると、砂塵熄まぬ黄昏の空にむかって咆哮した。

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