CHAPTER 05:オール・イン

 溟濛とかすむ視界のなか、するどい痛みが遠ざかりかけた意識を現実うつつに引き戻した。


「くうっ……」


 頭頂から爪先まで、皮膚という皮膚にすきまなく針を突き立てられたような激痛に、アゼトはおもわず呻吟を洩らす。


 ノスフェライドの堅牢無比なコクピットは、内にも外にもひび割れひとつ生じていない。

 ブラッドローダーには乗り手ローディを保護する防御プロテクションシステムが何重にも備わっているが、その対象はあくまで物理的なダメージに限られる。

 機体が受けたダメージは、神経接続ニューロリンクで結びついた乗り手にも、そのまま肉体の痛みとして認識される。

 機体をみずからの肉体の延長として自在に動かす代償だが、むろんそれだけではない。

 人間をふくむすべての動物にとって、痛覚はもっとも鋭敏かつ精確なセンサーである。その伝導速度はあらゆる刺激のなかでも飛び抜けて疾く、しばしば思考よりさきに無意識の反射が肉体を動かす。

 たとえば予期せず指先に棘が触れたとき、とっさに手そのものを引っ込める動作がそれだ。


 ブラッドローダーにはウォーローダーのような操縦装置インターフェースは存在しない。ディスプレイの表示や警告ランプをたよりに機体の稼働状況を知ることも不可能だ。

 そのかわり、痛覚を刺激することによって直感的に機体の状況を乗り手ローディに知らせ、レバーやペダルを介したとは段違いのすばやい反応を可能たらしめるのである。


 はたして、アゼトは痛みに苛まれながらもノスフェライドをすばやく立て直し、次の攻撃への構えを取っていた。

 ノスフェライドが立っているのは、巨大なすり鉢状の陥穽クレーターのほぼ中心である。

 周囲の地面は半径百メートルにわたってごっそりと消失している。

 ローゼン・ロートがファルシオンを一振りしただけで生み出したものだとは、実際に目の当たりにした者でなければとても信じられないだろう。

 不可視の大鉄槌ハンマーは、ノスフェライドをはげしく打擲しただけでなく、その余波は大地を舐め、深々と地層をえぐり取ったのだった。


「みごとと言っておこう。もし防御があとすこしでも遅れていたなら、聖戦十三騎エクストラ・サーティーンであっても耐えられなかっただろうからな――――」


 ノスフェライドの頭部が上がったのと、感心するような声が降ってきたのとは、ほとんど同時だった。

 

「よしんば機体が耐えられたとしても、並の至尊種ハイ・リネージュならば、痛みに耐えかねてのたうち回っているところだ」

「人間を甘く見るな、イザール侯爵。俺はこの程度の痛みで倒れはしない」

「それでこそ吸血鬼われわれの宿敵にふさわしい」


 言い終わるが早いか、イザール侯爵はローゼン・ロートを陥穽クレーターに着地させる。

 武装は右肩に担いだファルシオンひとつ。ブラッドローダーの基本装備とされているシールドさえ持たない至ってシンプルな出で立ち。

 あくまで堂々たる佇まいは、内に秘めたすさまじい破壊力を無言のうちに物語るようであった。

 

「ほう?」


 イザール侯爵が驚きとも感嘆ともつかない声を洩らした直後、重い音とともに地面に黒いものが落ちた。

 ノスフェライドが左腕のシールドを捨てたのだ。

 磨き上げられた黒曜石オブシディアンもかくやという艷やかな光沢を帯びたシールドは、それ自体が至高の美術品と言っても過言ではない。

 むろん、たんに美しいだけではない。あらゆる光学兵器を無力化するエネルギー干渉波バリア発生装置に、最大七千トンもの衝撃をいなす慣性制御システム、さらには高度な自立飛行能力までもを備えた戦闘支援ユニットなのだ。

 戦いのさなかにあって、守りの要である盾をみずから放棄する……。

 ほとんど自殺行為に等しい愚挙だ。

 イザール侯爵はそんなアゼトを嘲笑するでもなく、むしろ感心したふうに語りかける。


「盾を捨てたか。おもしろい」

「……」

「弱い者ほど失敗を恐れるものだ。安全策を用意し、万が一の保険をかけ、予防線を幾重にも張って失敗にそなえる。そんなことをしているかぎり、ぜったいに博奕ギャンブルには勝てないとも知らずにな」


 イザール侯爵はノスフェライドを見据えたまま、なおも言葉を継いでいく。


「いかにノスフェライドでも、盾がなければわがローゼン・ロートの攻撃を防ぐことはできん」

「すべて承知の上だ」

「次の一撃に”すべてを賭けるオール・イン”ということだな。その覚悟はあるか、少年」

「もちろん――――」


 アゼトの言葉に呼応するみたいに、ノスフェライドの両眼に血色の光が宿った。

 夕陽の色に染まった大太刀を正眼に構え、アゼトはイザール侯爵にむかって力強く言い放つ。



 言いざま、アゼトの耳にふいによみがえったのは、懐かしい人の声だった。


***


「ねえアゼト、戦いでいちばん大事なことはなんだと思う?」


 思いがけず問われて、アゼトははたと顔を上げる。

 目交まなかいに飛び込んできたのは、いたずらっぽい笑みを浮かべた黒髪の女だ。

 焚き火の炎に照らし出された端正な面立ちは、大人びている一方で、まだ少女らしい面影を多分に残している。

 携行食レーションの空き缶を弄いながら、女はなおも問いかける。


「ね、なんだと思う?」

「そんなこと急に訊かれても……」

「べつに難しく考える必要はないわ。なんでもいいから、思いついたことを言ってごらんなさい」


 しばらく考え込んだあと、アゼトはためらいがちに言葉を紡ぎはじめる。


「まず技術と……経験と……それに、チームワーク?」

「悪くない答えね。だけど、それじゃせいぜい半分正解ってとこ」

「ほかになにかあるんですか?」


 訝しげに問うたアゼトに、女は「ふふん」と得意げに微笑んでみせる。


「自分の頭で考えなさい――――って言いたいところだけど、お姉さんが特別に講習レクチャーしてあげる。一度しか言わないからよく聞きなさい、アゼト」


 女はいかにももったいぶった風に人差し指を唇につけると、

 

「たしかに技術や経験やチームワークも大事。だけど、戦いでいちばん大事なことはね……」


 まるで内緒話をするみたいに、アゼトの耳元に顔を寄せて、そっと囁きかける。


「”惜しまないこと”よ」

「つまり、どういうことですか?」

「ウォーローダーを壊したくない、弾薬や燃料電池フューエル・セルの残量を節約したい、怪我したくない……戦闘中にこんなことを考えたりしない?」

「それは……もちろん、ありますけど」

「それが”惜しむ”ってことよ。戦場では、そんな心の動きはぜんぶ敵に見透かされてると思いなさい。それでも弱い相手なら問題ないけど、大変なのは自分より強い相手と戦うとき。そういう強敵は、こっちが惜しんでるものを狙いすましたように突いてくるの」


 アゼトはしばらく逡巡したあと、おそるおそる問いかける。


「もしそういう敵と出会ってしまったら、どうすればいいんですか?」

「アゼト、さっきの話をもう忘れちゃったの? ……言ったでしょ、いちばん大事なのは”惜しまないこと”だって」


 言って、女はにっこりと相好を崩す。


「ウォーローダーでも弾薬でも燃料電池でも――――なんなら自分の生命だって惜しまずに相手にくれてやるつもりで戦いなさい。もちろん本当に死んだら元も子もないけれど、そのくらいの心構えがなければ、どのみち強敵との戦いには生き残れないわ」

「でも、俺に出来るかな……?」

「あたしがいるうちは心配しなくていいわ。だけど、いつか、あんたひとりで自分より強い敵と戦わなければいけない日がくるかもしれない。そのときには、いま言ったことを思い出してちょうだい」

「俺ひとりだなんて、縁起でもないこと言わないでよ……


 女――シクロは、何も言わず、アゼトを強く抱きしめる。


「一生ずっといっしょにいるって約束出来たらどんなにいいかしれない。だけど、もしあたしがいなくなっても、あんたは生きていかなきゃいけない。だって、あんたはあたしの大切な――――」


***


「いちばん大事なのは、惜しまないこと……」


 あるかなきかの小声で呟いて、アゼトは深く息を吸い込む。

 すでに全身の痛みは引いている。

 装甲に練り込まれた数兆ものナノ・マシンが破損した部位を修復したのだ。

 ノスフェライドは遺憾なくその性能を発揮できるはずであった。


 しかし、防御を担うシールドをみずから捨て去った以上、いまのノスフェライドはとても十全の状態とは言いがたい。

 ローゼン・ロートの桁外れのパワーをまともに受ければ、ひとたまりもなく破壊されてしまうだろう。

 先ほどから内蔵式アーマメント・ドレスの起動を試みてはいるが、やはりと言うべきか、機体からは何の応答もない。

 おのれの力だけでイザール侯爵と戦い、勝つ。

 死線をくぐり抜け、リーズマリアを救うためには、それ以外に路はないのだ。


はらは決まったようだな」


 イザール侯爵の言葉に、アゼトは黙したまま肯んずる。

 陥穽クレーターの中心で対峙した漆黒と真紅のブラッドローダーは、どちらも微動だにしない。

 相手の様子を窺っているのではない。風鳴りさえ絶えた静謐のなかにわが身を置き、が訪れるのをひたすらに待っているのだ。


「――――」


 先に動いたのはノスフェライドだ。

 力強く大地を蹴り、漆黒の巨人騎士が猛進する。

 ブラッドローダーのスピードは、地上戦においても空中戦のそれと変わらない。

 ノスフェライドは二歩目でやすやすと極超音速を突破し、衝撃波ソニックブームに巻き上げられた土煙の輪が広がっていく。

 右手が柄のふちにかかる。

 速力を殺すことなく接近し、ローゼン・ロートに抜き打ちの一刀を浴びせようというのだ。

 いかに重装甲のブラッドローダーといえども、疾さと質量を乗せた斬撃を防ぐ手立ては存在しない。


「踏み込みは上々。……しかし!!」


 イザール侯爵が大喝したのと、ローゼン・ロートの右腕が動いたのは、はたしてどちらが早かったのか。 

 右肩に担いでいたファルシオンは、いつのまにか赤々とまばゆいほどの輝きを放っている。

 ローゼン・ロートはそのまま赤熱化したファルシオンを頭上に持ち上げる。


 兜割り――大上段の構えだ。

 渾身の力を込めて振り下ろされた大剣は、想像を絶するほどの破壊力を発揮する反面、隙もきわめて大きい。

 およそ実戦向きとは言いがたいその構えを、しかし、イザール侯爵はあえて選んだのだった。

 アゼト同様、彼もまた自分自身に”すべてを賭けたオール・イン”のである。

 

「おおおお――――ッ!!」


 獣じみた雄叫びが上がったのは次の刹那だった。

 どちらのものともしれない喚声の残響が消えきらないうちに、凄絶な破壊音がそれに取って代わった。

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