CHAPTER 04:ラスト・ホープ

 泥のような熟眠うまいは前触れもなく終わりを迎えた。

 いまだ清明とは言いがたい意識のなかで、レーカはどうにか周囲の状況を探ろうとする。

 どうやら目隠しをされているらしく、まぶたを開いても視界は闇の色に閉ざされたままだ。


「……っ」


 うなじから太腿にかけて伝わるひんやりと硬い感触に、レーカはおもわず上ずった声を洩らす。

 金属製の椅子に座らされているのだ。

 もし目覚めて暴れだしたとしても、簡単には破壊されないようにとの気遣いだろう。

 首と両手首・両足首にはリング状の拘束具が装着され、レーカが身をよじるたびにがちゃがちゃと耳ざわりな音を立てる。

 いかに強靭な肉体をもつ人狼兵ライカントループといえども、その体力は無尽蔵ではない。

 堅固ないましめを破壊するよりも、疲労によって身動きが取れなくなるほうが先だろう。


「私はどうなって……それに、ここは……」


 レーカがかろうじて記憶しているのは、闘技場コロシアムで治安騎士団のヤクトフントに掴み上げられたところまでだった。

 直後、右脇腹に感じたチクリとした痛みは、麻酔弾を打ち込まれたのだろう。非致死性の麻酔薬も、人狼兵を眠らせるだけの分量ともなれば、人間を死に至らしめるには充分すぎるほどだ。

 とにかく、それきりレーカの意識は暗い淵へと沈みこみ、身体の自由を奪われても目覚めることはなかったのである。

 あれからどれだけの時間が経過したのかは判然としない。

 体内時計バイオリズムは夕刻であることを告げているが、それだけではあまりにも情報が乏しすぎる。

 

(姫様をお救いするためにも、まずはここから脱出しなければ――――)


 レーカは心中で決意すると、首と両手足をバタバタと動かす。

 この状況で出来ることといえば、必死に身体を揺さぶり、拘束具が壊れてくれることを祈ることだけだ。

 徒労に終わるだろうことは分かっている。それでも、ほかに手立てがない以上、やらない手はないのである。

 がむしゃらな悪戦苦闘を続けるうちに、ふいにドアが開く音が聞こえた。

 

「ようやく目覚めたようですね」


 レーカの耳に飛び込んできたのは、涼やかな女の声だった。

 姿は見えなくとも、その声を聞き間違えるはずもない。

 チャンピオン――レディ・M。

 ラルバック・イザール侯爵配下の人狼騎士団長メルヴェイユその人であった。

 レーカはなおも暴れながら、身動きが取れないことも忘れて叫ぶ。


「貴様、よくも――――ここはどこだ!? 姫様とアゼトはどうした!?」

「すこし落ち着きなさい。リーズマリア姫殿下もあの少年も、私たちが保護しています」

「私たちを謀った連中の言葉など信じられるか!!」


 メルヴェイユはふっとため息をつくと、


「嘘だと思うなら、その目でたしかめてごらんなさい」


 レーカの鼻から上を覆っていた目隠しに指をかけ、そのまま引き剥がす。


「うくっ……!!」

 

 視界がひらけた途端、レーカはおもわず苦しげな小声を洩らしていた。

 天井に吊るされたスポットライトの白々とした光が網膜を灼く。

 まぶしさに目を細めながら、自分が置かれている状況を確認すべく、レーカはすばやく周囲に視線を巡らせる。

 コンクリートむきだしの殺風景な小部屋であった。

 拘束具つきの椅子のほかには家具や調度品のたぐいは見当たらない。捕虜や罪人への尋問、あるいは拷問のためにしつらえられた一室なのだろう。

 レーカからみて正面の壁には、大型モニターが据え付けられている。

 その画面越しに銀灰色シルバーアッシュの長い髪を認めて、レーカはおもわず身を乗り出していた。


「姫様っ!!」


 リーズマリアはうなだれたまま、レーカに気づいた様子もない。

 モニターは一方的に受信した映像を映すだけで、こちらの声や姿はリーズマリアには届かないのだ。

 むなしい呼びかけを何度か繰り返したレーカは、メルヴェイユにするどい視線を向ける。


「貴様、どこまでも卑劣な真似を……!!」


 メルヴェイユは形のいい唇に微笑を浮かべただけだ。

 すみれ色の髪をなびかせた人狼兵の女は、すばやくレーカの椅子の後ろに回る。

 次の瞬間、短い電子音が生じたかとおもうと、レーカの首と手足を縛めていた拘束具はあっけなく外れていた。


 飛び出すように床を転がり、肉食動物をおもわせる這うような攻撃姿勢を取ったレーカに、メルヴェイユは嫣然たる笑みで応じる。


「ご心配なく――私はあなたと争うつもりはありません」

「いまさらそんな言葉が信じられるとでも思っているのか!?」

「信じるも信じないもご自由に。私はに従ってあなたがたを迎えに来ただけのこと……」

「姫様ならともかく、イザール侯爵が私にいったい何の用だ!?」


 殺気を漲らせたレーカに、メルヴェイユはあくまで坦々と言葉を紡いでいく。


「侯爵閣下はあなたとあの少年をいたく気に入られています」

「騙しておいて、いまさらなにを……」

「あの方にとって、賭け事ギャンブルの本質とは勝ち負けや損得などではなく、どれほど心を昂ぶらせてくれるかなのです。プリケルマ男爵という偽名を用いてしばしば闘技場コロシアムに足を運ぶのも、すべては血が沸き立つ戦いを見たいがため」

「……」

「そして、それは私もおなじ……強者と戦うために、名前と素性を偽って闘技場コロシアムに参加することを、侯爵閣下は快く許してくださった」


 メルヴェイユはひとりごちるみたいに言うと、その場で踵を返す。

 無防備な背中をレーカに向けながら、美しい騎士団長は、ふっとやわらかな微笑みを浮かべる。


「ついてきなさい――――リーズマリア姫殿下にもすぐに会わせてあげます」


***


 訝りながら部屋を出たレーカを迎えたのはカナンだった。

 逃亡や反抗のおそれはないと判断したのか、手錠や足枷の類は見当たらない。

 レーカの髪のあいだから飛び出した耳を認めても、カナンは驚かなかった。

 吸血鬼の傍には人狼兵ライカントループがいる。考えてもみれば、それは当然のことだ。


「レーカ姉ちゃん……ごめん、オレ……」

「謝らなくていい。姫様をお守りできなかった責任は私にある」


 メルヴェイユに導かれるまま、二人は長い廊下を歩きだした。

 電子灯のたよりない光に照らし出された廊下は、どこまでもまっすぐに伸び、その終端は暗闇に閉ざされている。

 レーカがいつでも攻撃を仕掛けられるように身構えているのに気づいたのか、メルヴェイユは歩みを止めることなく、視線だけを後方に向ける。


「さっきの続きがしたいのなら、いつでもどうぞ」

「べ、べつに、私は――――」

「侯爵閣下にはくれぐれも殺すなと仰せつかっていますが、手足の骨を折るくらいなら問題ないでしょう」


 あくまで悠然と言いのけたメルヴェイユに、レーカはそれきり口をつぐむ。

 勝ち目が薄いことを理解しただけではない。

 持てる力のすべてを尽くしたウォーローダー戦は、双方の痛み分けに終わったのだ。

 あのときプリケルマ男爵――イザール侯爵が言ったように、生身の泥仕合では、どちらが勝ったとしても騎士の誇りに傷をつけるだけだろう。


「ひとつ訊かせてほしい」

「なにか?」


 レーカの問いかけに、メルヴェイユは前を向いたまま応える。


「なぜ男爵……イザール侯爵は私たちを助けた? あのまま戦いを続けさせていれば、勝ったのはおそらく……」

「私はあくまで臣下の身。主君のお考えを推し量ることは憚られます。しかし……」

「しかし、なんだ?」


 ふたたび問うたレーカに、メルヴェイユは嫣然たる微笑を浮かべて振り返る。


「わが主君、ラルバック・イザール侯爵閣下には、賭博ギャンブルとおなじくらい愛されているものがあるのです」

「――」

「それはみずから剣を振るって強敵と戦うこと。互いの生命を賭けた博奕ゲームこそ、あの方が追い求めてやまない至上の娯楽……」

「まさか、ブラッドローダーでアゼトと戦うというつもりなのか!?」

「もう戦いは始まっています。……せいぜいことを祈りなさい。そうでなければ、あなたたちを連れ出した甲斐もない」


 メルヴェイユは言い終わるが早いか、ふいに周囲の景色が一変した。

 先ほどまで廊下と思っていた床面が垂直に浮かび上がったのだと理解したときには、レーカとメルヴェイユは、すでに百メートル以上も上昇したあとだ。

 高速エレベーターはゆるやかに速度を落とすと、やがて音もなく停止した。

 ひとりでに開いた扉の向こう側に見知った後ろ姿を認めて、レーカとカナンは弾かれるみたいに駆け出していた。


「姫様……!! よくご無事でっ!!」

「リズ姉ちゃん‼︎ よかったよお……」


 どちらもほとんど泣きそうな顔でリーズマリアに飛びつく。

 吸血鬼の姫は突然のことに驚きもせず、二人の少女を胸元に抱き寄せる。

 そして、すっかり乱れた金髪を白い指で梳かしながら、あくまでやさしく語りかける。


「レーカもよく無事でいてくれました」

「姫様、申し訳ございません。私がおそばについていなかったばかりに……!!」

「いいえ――あなたのせいではありませんよ」

「しかし、しかし……」

「すべては私の迂闊さが招いたこと。あなたとアゼトさんには心配と迷惑をかけてしまいました。許してください」


 レーカは子供みたいにしゃくりあげながら、声にならない声を洩らすのがせいいっぱいだった。

 リーズマリアはレーカを胸に抱いたまま、メルヴェイユに視線を向ける。

 真紅の瞳に宿るのは、人間はむろん、至尊種ハイ・リネージュも屈服させずにはおかない凄絶な鬼気だ。

 メルヴェイユは胸中に沸き起こった恐怖をおくびにも出さず、うやうやしく一礼する。


「アゼトさんはどうなりました」

「あの少年はイザール侯爵閣下との一騎討ちの最中にございます」

「彼がノスフェライドの乗り手ローディであることに気づいたのですね」

「それを見極めるようにと、私は閣下からの下知を受けておりました」


 メルヴェイユを見つめたまま、リーズマリアは深いため息をつく。


「私を帝都ジーベンブルクに連行し、選帝侯クーアフュルストたちに引き渡せば済むこと。なぜイザール侯爵は無益な戦いを望むのですか」

「いいえ――――あの方は、賭博師として公正フェアでありたいだけなのです」

公正フェアとは?」

「侯爵閣下は、あの少年が自分に勝つことが出来たなら姫殿下を解放するとおっしゃいました。私と引き分けた彼らにいま一度チャンスを与えるのだ……と」


 メルヴェイユの言葉が合図だったのか、またしても周囲の景色が変わった。

 どうやら壁そのものが巨大な超高精細モニターであったらしい。

 三人が立っているのは、夕闇に沈みゆく荒野の一角だ。

 見渡すかぎりの寂寞たる大地に、ゆうに高さ数百メートルはあろうかという土の壁がそびえ立ったのは次の瞬間だった。

 空中でが激しくぶつかりあい、勢いもそのままに地面に叩きつけられたのだ。

 もうもうと立ち込める土煙のなかに、巨大な人形ひとがたのシルエットがゆらりと浮かんだ。


「アゼトさん――――」


 大太刀を支えに膝をついた漆黒のブラッドローダーを目の当たりにして、リーズマリアの唇は我知らず悲鳴を洩らしていた。

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