CHAPTER 03:ブラッディ・ローズ
血色の夕陽が世界を染めていた。
見渡すかぎりの荒野には、建物はおろか草木の一本さえ見当たらない。
バスラル市の西方に位置する広大な
最終戦争の折、高濃度の放射能汚染により死の大地と化した一帯は、終戦から八百年あまりを経た現在でも人間を拒みつづけている。
するどい風切り音が響きわたり、不可視の衝撃波が大気をはげしく揺する。
そのなかにときおり混ざる甲高い音は、刃と刃がかち合う際に生じるものだ。
すさまじい速度で天翔けるふたつの風は、黒と深緋色の色をまとっていた。
「おおッ!!」
アゼトの叫びに呼応して、ノスフェライドは
裂帛の気合とともに迸った白刃は、しかし、勢いもそのままにあらぬ方向へと逸れた。
ブラッドローダーがフルパワーで繰り出す斬撃は、たやすく地殻を裂き、地下三千メートルのマントル層まで達する。
イザール侯爵の
いかにブラッドローダーの武器が堅牢に作られているとはいえ、フルパワーの打ち込みを真正面から受ければひとたまりもない。
もっとも、それも通常の武器であればの話だ。
ローゼン・ロートの両手に握られているのは、身の丈よりも巨大な片刃剣だった。
七メートルちかい長さもさることながら、それ以上に目を引くのは、異様な形状の刀身だ。
長方形の刀身は分厚く重く、剣というよりはほとんど鈍器にちかい。
ノスフェライドの無骨な大太刀も、ローゼン・ロートがもつ常識外の大剣に比べれば、ひどく繊細で頼りない美術品にみえるほどであった。
「いい太刀筋だ。速さも申し分ない。しかし――――」
呟いたイザール侯爵の声音には、隠しようのない興奮と愉悦がにじんでいる。
その言葉の響きも消えきらぬうちに、ローゼン・ロートはすばやく手首を返して大剣を翻すや、ノスフェライドにむかって逆流れの斬撃を放つ。
一瞬のうちに極超音速へと加速した巨大な質量は、一帯にすさまじい
獣の咆哮みたいな轟音が大気をはげしく震わせる。
黄昏の大地に前触れもなくそびえ立ったのは、高さ千メートルちかい赤褐色の壁だ。
衝撃波によって垂直に巻き上げられた数百トンの土砂であった。
幻の壁はたちまち崩れ去り、赤い霧となってノスフェライドとローゼン・ロートを呑み込んでいく。
「君の攻撃には、ひとつ足りないものがある」
イザール侯爵の言葉に呼応するみたいに、ローゼン・ロートの頭部が動いた。
あざやかな
もうもうと立ち込める土煙が晴れるのを待つまでもなく、ローゼン・ロートの高性能センサーは、クレーターの中心にたたずむ黒い
ノスフェライド。
ローゼン・ロートの大剣をまともに受け、背中から地面に叩きつけられたにもかかわらず、漆黒のブラッドローダーには目立った損傷は認められない。
ふたたび大太刀を正眼に構えながら、アゼトは振り絞るように叫ぶ。
「まだだ……!!」
「その意気やよし。だが、威勢だけで勝てるほど、このラルバック・イザールとローゼン・ロートは甘くはないぞ」
「そうだとしても、俺はこんなところで倒れるわけにはいかない」
土煙を裂いて黒い流星が飛び立ったのは次の刹那だ。
ノスフェライドが全身に内蔵された
稲妻状のジグザグ軌道を描きながら、ノスフェライドは音速の十倍ちかい速度で肉薄する。
ブラッドローダーの慣性制御システムがなければ、アゼトの肉体は加速度に耐えきれず、コクピット内で肉塊と化していただろう。
ローゼン・ロートを間合いに捉えたノスフェライドは、大太刀を握った両腕をめいっぱい伸ばす。
突きの構えだ。
斬撃とは異なり、突きの有効範囲はきわめて狭い。
そのぶん機体のパワーを一点に集中させることができるという利点があり、数ある剣技のなかでも、こと貫通力に関しては他の追随を許さないのである。
ノスフェライドとローゼン・ロートの相対距離はすでに五十メートルを切っている。いまさら回避を試みたところで、もう手遅れだ。
「君に不足しているもの。……それは、一撃にかける覚悟だ」
イザール侯爵は不敵に言って、大剣を前方へ突き出す。
奇しくもそれは、ノスフェライドとおなじ突きの構えにほかならない。
むろん、おなじ構えと言っても、彼我の条件はまるでちがう。
すさまじい加速度を得たノスフェライドに対して、ローゼン・ロートは空中に静止しているのである。
大剣の質量とローゼン・ロートのパワーをもってしても、ノスフェライドの突撃をまともに受け止められる道理はない。――――そのはずだった。
「――――!!」
ローゼン・ロートが両腕をわずかに動かしたのと、ノスフェライドの軌道があらぬ方向へ逸れたのは、ほとんど同時だった。
むろん、アゼトがみずからの意志で攻撃を中止したのではない。
あやまたずローゼン・ロートを貫くはずだった剣尖は、不可視の壁に阻まれ、むなしく空を裂くのみに終わった。
それだけでなく、ノスフェライドの機体そのものがアゼトの意図せぬ方向へと動かされたのだ。高度な姿勢制御システムをそなえたブラッドローダーには絶対にありえない、それは想定外の
すばやく機体を立て直しながら、アゼトはおもわず驚嘆の声を洩らしていた。
ローゼン・ロートのファルシオンに生じた変化を目の当たりにしたためだ。
ほんの数瞬まえまで沈んだ鋼色を湛えていたはずの刀身は、目も眩むほどに赫々と輝いている。
赫光のなかで不規則に明滅を繰り返すのは、刃から柄にかけて刻まれた複雑な幾何学
鼓動にあわせて脈打ち、全身を血潮が駆け巡るさまは、さながら剣自体が一個の生物と化したような印象さえある。
「わが愛機の真髄、いまこそ見せよう――――」
イザール侯爵の言葉に呼応するみたいに、ローゼン・ロートの右腕が上がった。
剣尖から伸びた幾何学模様は、手首から前腕部を経て、肘のあたりまでを覆い尽くそうとしている。
そのあいだにも赫光はますます輝きを増し、肉眼ではまともに直視できないほどだ。
ブラッドローダーの強化装備――――アーマメント・ドレス。
ローゼン・ロートのそれは、右腕とファルシオンとが一体となって形作られるパワー・ブーストシステムなのだ。
ありあまるエネルギーは攻撃のみならず、不可視のバリアとなってノスフェライドの突進を防ぐほどの防御力を発揮する。
「このローゼン・ロートは、
「……」
「リーズマリア姫殿下を救いたければ、君もすべてをなげうつ覚悟で来るがいい」
「貴様に言われるまでもない――――」
言いざま、アゼトはノスフェライドをおもいきり跳躍させていた。
後方へ飛び退いたのは、ローゼン・ロートとの間合いを充分に取るためだ。
「くらえッ!!」
アゼトが叫んだのと、ノスフェライドの全身の装甲が展開したのは同時だった。
漆黒の装甲の隙間から現れたのは、ぽっかりと口を開けた大小の
ブラッドローダーには、主力兵器である重水素レーザーのほかにも、いくつかの重火器が搭載されている。
自己成形型ミサイルは、そのなかでも最も威力の高いもののひとつだ。
ミサイルとはいうものの、ふだんは液体金属の状態で機内に貯蔵され、射撃の直前にはじめて発射管に注入される。
ブラッドローダーの中枢である
言うなれば一発ごとに手作りされる
母機であるブラッドローダーのセンサーと同調しているかぎり、その命中率はつねに百パーセント。たとえ地下壕や海底に逃げ込んだとしても、死の追跡者から逃れることは絶対に不可能なのだ。
いま、ノスフェライドの全身から飛び立ったミサイルは、ゆうに三百を超えている。
そのすべてに限界まで破壊力と貫通力を高めた対ブラッドローダー戦用のチューニングが施されていることは言うまでもない。
一個の都市をやすやすと灰燼に帰し、戦車師団をまたたくまに殲滅するほどのすさまじい大火力。
はたして、ローゼン・ロートは回避するそぶりも見せず、四方八方から迫りくるミサイルをまえに超然と佇んでいる。
「こんな小細工が通用すると思ったのか? ……すこし君を買いかぶりすぎていたかもしれないな、
ファルシオンを構えたローゼン・ロートの右腕がゆるやかな弧を描く。
まるで
赤光の尾が機体をぐるりと一周した直後、耳を聾する爆発音がそこかしこで生じた。
完璧な軌道をインプットされたミサイルは、ただの一発とてローゼン・ロートの機体に触れることなく、そのすべてがひとりでに爆発したのだ。
「
言いさして、イザール侯爵ははたと周囲に視線を巡らせた。
機体の上下左右は、ミサイルが爆発した際に生じた黒煙に閉ざされている。
三百基ものミサイルが同時に爆発したとはいえ、これほど濃い煙がいつまでも漂いつづけているのはいかにも奇妙だった。
億分の一の狂いも生じないはずのアイ・センサーにごく微細なノイズが混ざった。
イザール侯爵が見逃さなかったのは、吸血鬼の超視覚ゆえだ。
「
転瞬、イザール侯爵が取った行動は、ほとんど動物的な反射だった。
ローゼン・ロートはファルシオンを構えたまま空中でおおきく仰け反り、ほとんど宙返りを打つような格好になっている。
煙幕に裂け目が生じたかと思うと、黒い機影がローゼン・ロートめがけて突進する。
ノスフェライドが放ったミサイルは、ふたつの役割をみごとに果たした。
ひとつは、ふたたび間合いに飛び込むための目くらまし。
そしてもうひとつは、ローゼン・ロートの桁外れの
「ぐうッ――!!」
ノスフェライドの突き出した大太刀とファルシオンが激しい火花を散らす。
アゼトとしてはこのまま鍔迫り合いにもつれこむつもりはない。パワーで押し切られれば敗北は必至なのだ。
大太刀の一閃が走るや、ローゼン・ロートの顔のあたりできいんと澄んだ金属音が生じた。
そのまま距離を取った赫と黒のブラッドローダーは、黄昏れゆく空を背に対峙する。
ローゼン・ロートの左の角飾りが欠け落ちているのは、ノスフェライドの太刀を躱しきれなかったためだ。
戦闘が始まって以来、ローゼン・ロートが受けた初めての損傷であった。
「わがローゼン・ロートに一太刀浴びせたか」
イザール侯爵の言葉に宿るのは、父祖より受け継いだ愛機を傷つけられたことへの怒りではない。
むしろ愉しげに、吸血貴族はくつくつと笑声を洩らす。
「そうでなくては面白くない。久しぶりに本気で戦える敵と出会えたことをうれしく思うぞ、
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