CHAPTER 02:ギャンブラーズ・プライド

 冷たく硬い感触がまどろみの余韻をかき消した。

 アゼトはとっさに上体を起こすと、すばやく周囲に視線を巡らせる。

 見渡すかぎりの視界は濃密な暗闇に閉ざされ、常人の眼では数十センチ先の様子さえ判然としない。

 つい今しがたまで横たわっていたコンクリートの床を軽く叩いてみれば、はるか彼方でちいさな反響が生じた。

 音だけをたよりに全貌を把握することは困難だが、どうやらかなり広い空間らしい。

 ひんやりとした湿り気を帯びた空気は、地下室に特有のものだ。


 いったいどれくらい気を失っていたのか。

 アゼトは周囲を警戒しつつ、おぼろげな記憶をたぐりよせる。

 あのあと――――

 闘技場コロシアムになだれ込んだ治安騎士団のヤクトフントは、アゼトとレーカのすぐ近くに数発の榴弾グレネードを投げ込んだ。

 中身は爆発物ではなく、非致死性の無力化ガスだ。吸い込むことで強力な鎮静作用を発揮し、並の人間なら数秒で昏倒させるのである。

 アゼトがなすすべもなく身体の自由を失ったのに対して、人狼兵ライカントループであるレーカはしばらく抵抗を試みていたようだが、それも無駄なあがきに終わったらしい。

 一機のヤクトフントがレーカに近づき、まるで猫の子みたいにひょいと掴み上げた場面を最後に、アゼトの記憶はぶっつりと途切れている。

 それから何時間……あるいは何日が経ったのかは見当もつかない。

 ともかくアゼトは闘技場から連れ出され、たったひとりでこの場所に寝かされていたのだった。


(身体はどうにか動く……)


 アゼトは注意深く立ち上がると、手足をゆっくりと動かしはじめる。

 機械の動作をたしかめるように全身の関節を曲げ、伸ばすことを何度か繰り返す。

 多少の疲労感はあるものの、筋肉にも骨にも目立った異常はないようだった。


 アゼトはベルトに通したホルスターに手を伸ばす。

 指先に触れた硬いものは、護身用の自動拳銃オートマチックとサバイバルナイフだ。

 アゼトは拳銃を抜くと、すばやく弾倉マガジンを抜き取る。

 十五発入りの弾倉には、ぎっしりと銃弾が詰め込まれている。

 そのまま遊底スライドを引いて薬室チャンバー内を覗けば、すでに一発の弾丸が装填されているのがみえた。

 こうしておけば、引き金をかるく絞るだけで初弾を発射できる。

 チャンピオンとの試合中、カヴァレッタから降りたときにそうしておいたのだ。

 抜き打ちでの射撃が可能な反面、ちょっとした衝撃を与えただけで暴発するリスクもある。

 そのため、持ち運びのさいには薬室内の弾丸を取り除くか、引き金に触れても撃鉄ハンマーが動かないようにデコッキングレバーを下げておくのである。


 銃が試合中とおなじ状態のままになっているのは、アゼト以外だれも触れなかった証拠だ。

 ここに運び込むまでに身体検査ボディチェックを行っていたなら、武器を所持していることに気づかなかったはずはない。

 おそらく武器を持っていることは承知のうえで、あえてそのままにしておいたのだろう。

 だだっぴろい暗闇に無造作に放り出していたことといい、あきらかに捕虜を扱うセオリーには反している。


(とにかく、ここから脱出しなければ――――)


 アゼトが拳銃を手に立ち上がろうとしたとき、ふいに周囲が明るくなった。

 粘っこさを感じるほど濃い闇はみるみる薄れ、乳白色とも象牙色ベージュともつかない淡い色合いの光があたりを充たしていく。

 視界が明るくなっていくなかで、アゼトはおもわず息を呑んでいた。

 自分が巨大な円筒の底に立っていることに気づいたのだ。

 直径およそ二百メートル、高さはゆうに五百メートル以上はあるだろう。

 垂直にそそり立った壁面には、用途不明のパイプやケーブルが縦横無尽に這い回り、はるか天辺はおぼろにかすんでいる。

 ところどころに細い空中足場キャットウォークや通用口らしい扉もみえるが、とても手が届く高さではない。


 壁面にかすれた赤字で大書された警告文を認めて、アゼトはおもわず息を呑んだ。

 その中心には、核関連施設を示すハザードシンボルが描かれている。

 旧人類軍の核ミサイル格納庫サイロ跡地なのだ。

 かつてこの場所には、大量の垂直発射型ミサイルがところ狭しと詰め込まれていた。

 がらんどうの格納庫は、それらが一発のこらず使い尽くされたことを無言のうちに物語っている。

 吸血鬼を滅ぼすために解き放たれた核の業火は、皮肉にも人間が築き上げた文明のことごとくを破滅させるだけに終わった。無駄なあがきというよりは、追い詰められた種の自殺であったのかもしれない。

 八百年あまりの歳月を経たいま、死神たちの巣穴を充たすのは、おごそかなまでの静けさと、骨の芯まで凍てつくような冷気だった。


「目が覚めたようだな――――」


 ふいに頭上から降った声に、アゼトは反射的に銃を構えていた。

 照星サイトごしに捉えたのは、五十メートルほど上方の壁面にかかった空中足場キャットウォークに立つ人影だ。

 長身を壮麗な軍服に包んだ吸血貴族は、おのれに向けられた銃口を恐れる素振りもなく、紅い瞳をアゼトに向けたまま佇んでいる。

 

「プリケルマ男爵……いや、ラルバック・イザールか!?」


 アゼトの問いに、イザール侯爵はだまって肯んずる。

 照準ポイントをイザール侯爵の顔面に固定したまま、アゼトはなおも叫ぶ。

 

「リーズマリアとカナンを連れ去ったのは貴様だったんだな」

「そのとおりだ」

「なぜそんな回りくどい手を使った!? 俺たちを捕らえようとおもえば、いつでも出来たはずだ――――」


 わずかな沈黙のあと、イザール侯爵はまるでひとりごちるみたいに語りはじめた。


「私はリーズマリア・シメイズ・ルクヴァース姫殿下を逮捕せよとの密命を受けている。われら選帝侯クーアフュルストの立場は対等だが、合議によって決められた命令には従わなければならぬ。たとえそれが自分の与り知らぬところで進められた話であったとしても、だ」

「……」

「しかし、ただ従容と帝都からの命令に服従するばかりでは面白くない。そこで、私はゲームをすることにした。君たちがチャンピオン……わが騎士団長メルヴェイユを倒すことが出来たなら、そのときは約束どおりリーズマリア姫殿下を解放し、イザール侯爵領の通行を許すつもりだった」

「そんな話が信じられると思うのか?」

「信じるも信じないも勝手だが、すくなくとも私は賭け事ギャンブルについて嘘は吐かない主義だ。……君たちとメルヴェイユの試合は引き分けに終わった。健闘を讃えてこのまま見逃してやりたいところだが、私も十三選帝侯クーアフュルストのひとりとして役目は果たさねばならない」

「俺たちをどうするつもりだ?」

「簡単なことだ。賭けはまだ終わっていない。ならば、私と君とであらためて決着をつけるまでのこと――――」


 言って、イザール侯爵は右手を胸の前に掲げる。

 格納庫サイロの底部が音もなくせり上がったのは次の瞬間だ。

 とっさに後じさったアゼトの目交に飛び込んできたのは、あざやかな深緋色クリムゾンレッドの装甲に鎧われた巨人だった。


「ブラッドローダー……!?」


 全高およそ五メートル。

 ノスフェライドよりわずかに小柄だが、そのぶん凝縮された力強さが際立つ。

 甲冑に身を固めた剛毅な益荒男ますらおと、儚くなよやかな手弱女たおやめ……。

 アゼトのまえに屹立した深緋色の巨人騎士は、相反する二つの性格を兼ね備えている。

 あくまで静謐な、それでいて威厳に充ちたその佇まいは、底知れない戦闘力の内在を窺わせるのに充分だった。


 その姿かたちにもまして見る者の視線を釘付けにするのは、紅く澄みきった半透明の装甲だ。

 スポットライトの光を浴びて一秒ごとに表情を変えるまばゆい輝きは、最上級の紅玉石ルビーのそれをはるかにしのぐ。

 燃えさかる炎を一瞬に凍結したならば、あるいはこのような色彩を帯びるかもしれない。

 およそ戦闘兵器らしからぬ匂い立つような気品は、ブラッドローダーの最高傑作――聖戦十三騎エクストラ・サーティーンの証にほかならなかった。


「わがイザール侯爵家に伝わるブラッドローダー・赫薔薇姫ローゼン・ロート。八百年まえの聖戦において、亡き祖母アニエスカ・イザールが先帝陛下より賜った機体だ」


 言い終わるが早いか、イザール侯爵の長身が宙に舞った。

 五十メートル以上の高さをものともせず、肉食獣をおもわせる身のこなしでローゼン・ロートの傍らに着地した吸血貴族は、するどい視線をアゼトに向ける。


「リーズマリア姫殿下のお近くには、ノスフェライドを駆ってアルギエバ大公を弑した手練れの戦士がいる。君たちの素性に感づいてからもしばらく手出しをしなかったのは、その者を警戒していたからだ」


 眉間に向けられた銃口を恐れる素振りもなく、イザール侯爵は滔々と言葉を継いでいく。


「私は――いや、我々はとんだ勘違いをしていた。その者はさだめし至尊種ハイ・リネージュにちがいないと思い込み、それ以外の可能性は考えもしなかったのだ」

「――――」

「メルヴェイユとの試合を見てようやく確信したよ。姫殿下と行動をともにする至尊種ハイ・リネージュなど最初からどこにもいなかった。むろん人狼兵ライカントループでもない。ノスフェライドの乗り手ローディは君だな、吸血猟兵カサドレスよ」


 重苦しい空気が場を支配するなか、緊張だけがいたずらに高まっていく。

 わずかな間をおいて、アゼトは意を決したように口を開いた。


「……そうだ」


 イザール侯爵はその答えに満足したように肯んずると、右手の人差し指を動かす。

 転瞬、硬い音が格納庫サイロに反響した。

 アゼトが手にしていた拳銃が床に落ちたのだ。

 むろん、自分の意志で手放したのではない。

 イザール侯爵が不可視の衝撃波を放ち、拳銃を弾き飛ばしたのである。


「見てのとおりだ。私がその気になれば、指先ひとつで君の身体を切り刻むことはたやすい。しかし、それでは何の意味もない……」


 坦々と語るイザール侯爵の背後で、ローゼン・ロートの胸と腹の装甲がおおきく開いた。

 あらわになったコクピットに身体を預けながら、イザール侯爵は不敵な微笑みを浮かべる。


「ノスフェライドをぶがいい。わがローゼン・ロートと戦い、勝つことができたなら、リーズマリア姫殿下の身柄は即刻解放しよう。もし君が敗れたときは、姫殿下は罪人として帝都へ連行する」

「その言葉、信じていいんだな」

「いったん賽が投げられたなら、たとえどんな目が出ようと言を左右にすることはない。それが賭博人ギャンブラーの矜持というものだ」


 イザール侯爵の言葉に偽りの響きはない。

 アゼトは深く息を吸い込むと、虚空にむかって声も枯れよと叫ぶ。

 

「来い――――ノスフェライド!!」


 ミサイル格納庫サイロの分厚いハッチを突き破り、黒い稲妻が天降ったのは次の瞬間だ。

 つややかな漆黒の装甲がライトの光条を照り返してきらめく。


 ノスフェライド。

 聖戦十三騎エクストラ・サーティーン最強にして最後の一騎。

 ”皇帝の処刑人”ルクヴァース侯爵が代々受け継いできた

 アゼトがコクピットに身を躍らせたのと、その双眸に血色の閃光が迸ったのは同時だった。

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