第四話:黄昏の血戦

CHAPTER 01:オネスト・ライアー

 シャンデリアのあわい光が部屋に降り注いでいた。


 一辺およそ十メートルほどの正方形の部屋である。

 窓がないことを除けば、なんの変哲もない応接間だ。

 部屋の中央には、毛足のたっぷりとしたアラベスク文様のペルシャ絨毯が敷かれ、そのうえにはロココ様式のテーブルとソファが置かれている。

 一見シンプルだが、手抜かりなく贅を尽くしたしつらえ……。

 それでもなんともいえない居心地の悪さを覚えずにいられないのは、室内がためだ。

 床に這いつくばって探しても、髪のひとすじ、ホコリのひとつさえ見つけられそうにない。

 室内を循環する空気は、滅菌システムによって徹底的に浄化され、つねに無菌室クリーンルームなみの環境が保たれているのである。

 こうした清潔への過剰なまでの執着は、至尊種ハイ・リネージュ――吸血鬼の居住空間に特有のものだ。

 あらゆる病原菌やウイルスをものともしない肉体をもつ彼らが、精神面では人間以上の潔癖さを持ち合わせているのは、まさしく皮肉というべきであった。

 

「リズ姉ちゃん……」


 ソファに背中をあずけたまま、カナンは不安げに呟く。

 身につけているのは、いつもの色あせたオーバーオールではなく、生成色のチュニックドレスだ。

 絶滅寸前の天然の綿をふんだんに使用した超高級品だが、いまのカナンにはその価値に思いを馳せる余裕はない。


 魔女の婆さんバーバ・ヤガのスクラップヤードで気を失ったカナンは、目覚めたときにはリーズマリアとともにこの部屋にいた。

 あれからどれくらいの時間が経ったのかはわからない。

 外の様子を窺おうにも、窓のない部屋では、いまが昼なのか夜なのかさえ判然としないのだ。

 唯一の出入り口はほとんど壁と同化し、内側からはその位置を知ることさえむずかしい。


――ごめんなさい、私のせいでこんなことに……。


 すまなげに目を伏せながら、絞り出すように謝罪の言葉を口にしたリーズマリアに、カナンは気の利いたなぐさめの言葉も思い浮かばず、ただ首を横に振るばかりだった。

 そうするうちに、軍服に身を包んだ男たちが四人ばかり部屋に入ってきた。

 全員が吸血鬼であることは言うまでもない。

 とっさに男たちの前に出たカナンは、ふいに背後から肩を引かれた。

 リーズマリアはやさしくほほえみながら、


――大丈夫、かならず戻ってきます。それまでここ待っていて。


 それだけ言って、男たちに連行されるように部屋を出ていったのだった。


「オレ、どうすればいいんだよ……お師匠……」


 ソファの背もたれに顔を押し当てながら、カナンはぽつりと呟く。

 出入り口が音もなく開いたのはそのときだ。

 リーズマリアが戻ってきたと思い、とっさに振り返ったカナンの視界に飛び込んできたのは、軍服をまとった一組の若い男女だった。

 おなじ軍服でも、きらびやかな飾緒モール肩章エポレットに飾り立てられた絢爛なデザインは、先ほどの四人組とはあきらかに異なっている。赤地に金糸の刺繍がほどこされた懸章サッシュを袈裟懸けにしているところを見るに、どうやら男のほうが上の立場にあるらしい。

 どちらもかなりの長身である。

 男はわずかに赤みがかった真鍮色ブラスゴールドの短髪、女はすみれ色の長髪。

 女の額には二本のするどい角がそびえ、男の瞳は柘榴石ガーネットをはめこんだような真紅に輝いている。

 吸血鬼と人狼兵ライカントループ――見目麗しい男女は、人間にとっての最大の天敵にほかならなかった。


「な、なんだよ。オレになんか用でもあるのかよ――――」


 カナンは努めて平静を保とうとするが、声の震えは隠しきれない。

 吸血鬼はむろん、人狼兵ライカントループでも、生身の人間を片手でくびり殺す程度はわけもない。

 その力よりなお恐ろしいのは、たとえ相手が無垢な赤子だろうと寝たきりの老人だろうと、人間の生命を奪うことに欠片ほどの躊躇も持ち合わせていないということだ。人間の自治権が認められているバスラル市の住民でも、彼らの恐ろしさを知らない者はいないのである。

 そんなカナンの怯えを察してか、男が口を開いた。


「心配しなくても、君に危害を加えるつもりはない」


 たしかに聞き覚えのあるその声に、カナンはおもわず目を見開いていた。


「あ、あんた……もしかして、プリケルマ男爵か……?」

「いかにも。デズモンド・ガブリエッラ・デ・プリケルマⅢ世サードとは、下界に降りるときに用いる偽名のひとつだ」

「偽名って、それじゃ……」

「私はラルバック・イザール侯爵。十三選帝侯クーアフュルストのひとりにして、この地の支配者である」


 突然の告白に言葉を失ったカナンは、しかし、数秒と経たないうちにイザール侯爵に詰め寄っていた。


「くそったれ吸血鬼、リズ姉ちゃんをどうした!? ひどいことしたら許さないからな!!」

「彼女も私とおなじ至尊種ハイ・リネージュ――君たちがいう吸血鬼だ」

「おまえなんかといっしょにするな、この卑怯者!!」


 カナンはテーブルの上に置かれていた水差しを掴むと、イザール侯爵めがけて投げつける。

 クリスタルガラスの細長い容器は、水を振りまきながら、侯爵の顔面にむかってするどい軌跡を描く。

 

「侯爵閣下っ!!」


 とっさに主君を庇おうとした人狼兵――騎士団長メルヴェイユは、その場で動けなくなった。

 ふいに差し出されたたくましい腕に行く手を阻まれたのである。


 硬い音と水音は同時に生じた。

 イザール侯爵の顔と胸はびっしょりと濡れ、その足元にはガラスの破片が散乱している。

 カナンが投擲した水差しは、イザール侯爵の顔面に当たり、粉々に砕け散った。

 吸血鬼のすぐれた反射神経と身体能力をもってすれば、人間が投げたものを避けるのも受け止めるのもたやすいことだ。

 イザール侯爵はあえてそれをせず、真正面からカナンの怒りを受け止めたのだった。


「な、なんで……」

「卑怯者か。たしかにそのとおりだ」

「……」

「私はみずからの行いを恥じている。それゆえに正当な怒りから逃れることもしない」


 額に張りついた前髪をかきあげながら、イザール侯爵はこともなげに答える。

 

「騙してすまなかった。これ以上君を拘束するつもりはない。かならず無事に家まで送り届けると約束しよう」


 それだけ言うと、イザール侯爵はその場で踵を返す。

 遠ざかっていく広い背中にむかって、カナンは声を張り上げる。

 

「ちょっと待てよ、男爵!!」

「……まだ私になにか話があるのか?」

「リズ姉ちゃんをどこへやったんだ。それを教えてもらうまでは意地でも帰らないからな」


 わずかな沈黙のあと、


「リーズマリア姫殿下はご無事でおられる。……、だが」


 イザール侯爵はカナンに背を向けたまま、ぽつりと呟いた。


「本当なんだな!?」

「いまさら君に嘘をついたところで仕方あるまい」

「だったら、姉ちゃんもオレといっしょにみんなのところに帰して――――」

「あいにくだが、それはできん相談だ」


 イザール侯爵はあいかわらず落ち着いた、しかし有無を言わせない凄みを宿した声音で告げる。

 カナンは怖気を懸命にこらえつつ、なおもイザール侯爵に問いかける。


「どうしてだよ!?」

「姫殿下の御身は私が責任を持って帝都ジーベンブルクに送り届ける。これは選帝侯として果たさねばならない義務だ」

「で、でも!! リズ姉ちゃんは吸血鬼の皇帝だって……」

「たしかにあの方は先帝陛下の実の娘であり、次期皇帝に内定していたのも事実だ。しかし、状況は変わった。姫殿下には、バルタザール・アルギエバ大公殿下を不当に殺害した嫌疑がかかっている」


 イザール侯爵のおもいがけない言葉に、カナンはおもわず背筋を硬直させた。

 バルタザール・アルギエバ。

 ”蒼の大公ブルー・ハイネス”の二つ名をもつ大貴族である。

 バスラルにやってくる行商人や流れのローディたちを通して、カナンもその名は何度も耳にしている。

 吸血鬼のなかでもとりわけ冷酷非情な暴君、血に飢えた殺人鬼、青い血の悪魔……アルギエバ大公の名は、人間にとって恐怖の代名詞にほかならなかった。

 そのアルギエバ大公が死んだ――それも、リーズマリアの手によって。

 にわかには信じがたいが、イザール侯爵がカナンにわざわざ作り話をする必要があるともおもえない。


「ほんとうに姉ちゃんが"蒼の大公"を……でも、どうやって……」

「知りたいか?」


 イザール侯爵の問いかけに、カナンは力強く首肯する。


「ならば、ついてくるがいい――――を特等席で見物させてやる」

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