CHAPTER 21:ゲーム・イズ・オーバー

 耳ざわりな金切り声が闘技場コロシアムを領した。

 むろん人間の声ではなく、金属同士をぶつけあった際に生じる擦過音だ。

 刹那、ごとりと鈍い音を立てて、重い鉄の塊がリングに落ちた。


 レーカはバランスを崩しかけたヴェルフィンをすばやく立て直す。

 もともと刃こぼれを来たしていた長剣は折れ曲がり、左腕は肩口からごっそりと消失している。

 切断面からは赤黒いオイルがたえまなく噴き出し、乾いたリングにを落とす。

 長剣ロングソードの一閃をツィーゲ・ゼクスに見舞った代償であった。


「まだ続けるつもりか!?」


 レーカは荒い息をつきながら、チャンピオンに問いかける。


「もちろん……戦いはまだ終わっていません……」


 チャンピオン――レディ・Mの声は、通信機インカム越しではなく、直接レーカの耳朶を打った。


 ツィーゲ・ゼクスの機体は右肩から左足にかけておおきく引き裂かれ、ほとんどちぎれかかっている。

 オイルをにじませた傷口は、ヴェルフィンが繰り出した斬撃の軌跡とぴったり契合けいごうする。

 極限まで軽量化を追求したネイキッド・ウォーローダーということもあり、コクピット周辺の装甲も最低限に留まっていたのだろう。支えを失った装甲はまるで熟しすぎた果実の皮みたいにと剥がれ、自重に耐えきれずに垂れ下がっている。

 ほんの数秒まえまで固く閉ざされていたツィーゲ・ゼクスのコクピットは、いまやそのすべてを衆目に晒しているのだった。


「貴様……その姿は……!!」


 シートに腰を下ろしたチャンピオンの姿を認めて、レーカはおもわず息を呑んだ。

 するどい剣尖が切り裂いたのは機体だけではなかったのだ。

 顔の上半分をすっぽりと覆い隠していた半仮面ハーフマスクは、わずかに左目のあたりを残して失われている。

 ひとすじ、ふたすじと朱の筋が引かれ、その端正な美貌にいっそう凄艶な色彩いろを添える。

 汗をはらんで絡みつく前髪を払おうともせず、玲瓏なかんばせに鬼気を漲らせたチャンピオンの額では、異様な物体が二つばかり天に挑んでいる。

 羚羊レイヨウを彷彿させる小ぶりな双角。

 皮下に深く根を張ったそれは、むろん作りものなどではない。


人狼兵ライカントループ――――」


 目を見開いたレーカは、ほとんど無意識に呟いていた。

 五十年ものあいだ闘技場に君臨するチャンピオンが、ただの人間ではないことは分かりきっていた。

 アゼトもレーカも、おそらくはプリケルマ男爵とおなじであろうと推測していたのである。

 これまでの戦いを通して、推測はほとんど確信へと変わっていた。

 だが、吸血鬼にはとおく及ばないにせよ、不老長寿という点では人狼兵ライカントループもおなじだ。

 吸血鬼に引けを取らない戦いぶりは、すぐれた資質と、長年にわたる鍛錬の賜物にほかならない。

 愛機とおなじ双角をあらわにしたチャンピオンは、レーカにむかってふっと微笑みかける。


「なにを驚いているのです」

「それは、貴様が……」

でしょう?」


 チャンピオンの予期せぬ言葉に、レーカは雷に打たれたみたいに身体を硬直させる。

 

「いつから気づいていた!?」

「その機体、ヴェルフィンですね。外装はだいぶ変わっていますが、性能までは隠しきれません」

「……」

「このツィーゲ・ゼクスとヴェルフィンは、おなじ原型機オリジナルから枝分かれした姉妹機。ただの人間に乗りこなせる機体ではないことは、私が一番よく分かっています」


 坦々と言葉を継ぎながら、チャンピオンは大薙刀グレイブを杖に機体を立て直す。

 カヴァレッタの脚部の破片を全身に浴びたうえに、ヴェルフィンに斬りつけられたツィーゲ・ゼクスは、文字どおりの満身創痍だ。

 それでもなおも戦闘を続行しようというのは、チャンピオンの狂気じみた執念の為せる業だった。

 むき出しのコクピットに吹きつける悽愴な鬼気に、レーカの背中を冷たいものが伝っていく。


「おたがい事情を抱えた身の上。しかし、こうして立ち会ったからには、言葉ではなく刃で語るのみ……」


 チャンピオンの美しい唇が紡ぐ言葉には、この状況を愉しんでいるみたいな響きさえある。


「レーカ、俺の武器を使え!!」


 アゼトの叫びを耳にして、レーカははたと我に返る。

 とっさに視線を巡らせれば、大破したカヴァレッタから数メートルと離れていない場所に転がっているブッチャーナイフが目に入った。

 使い慣れない武器だが、選り好みをしていられる状況ではない。

 レーカはまよわずに長剣を投げ捨てると、そのままヴェルフィンを後進バックさせ、通りすぎざまにブッチャーナイフを拾い上げる。

 砂埃を巻き上げながら機体を翻したヴェルフィンは、ブッチャーナイフを右八相にかまえてツィーゲ・ゼクスと対峙する格好になった。

 

 おなじ源流ルーツを共有する二機のウォーローダーは、双方ともにひどく傷つき、立っているだけでやっとというありさまだ。

 どちらもそう長くは持たない。

 この瞬間にも機体を循環するオイルはたえまなく流れ出し、足元のリングをまだらに染めている。

 四肢に内蔵された無接点ブラシレスモーターは、度重なる過負荷オーバードライブとオイル漏出によって焼きつき、焦げくさい匂いが客席にまで漂っている。

 フルパワーで攻撃を繰り出せるのは、せいぜいあと一回が限度だ。

 もはや小手先の技は必要ない。先に相手のコクピットを破壊したほうが勝つ。

 戦いの終止符は、どちらか一方の、あるいは双方の死によってのみ打たれるだろう。


 張り詰めた空気がリングを充たしていく。

 観客たちはむろん、カヴァレッタの残骸に身を隠したアゼトでさえも、人狼兵ライカントループ同士の戦いを見守ることしか出来ない。

 水を打ったように静まりかえった闘技場コロシアムに、甲高い駆動音がこだましたのは次の瞬間だった。

 

「――――!!」


 先に動いたのはツィーゲ・ゼクスだ。

 杖がわりに機体を支えていた大薙刀グレイブを脇に構え、ヴェルフィンにむかって猛進する。

 レーカがおもわず驚嘆の声を洩らしたのは、その異様な姿勢を目の当たりにしたためだ。

 ツィーゲ・ゼクスは左足をわずかに地面から浮かせ、右足だけでバランスを取りながら疾走しているのである。

 よくよく見れば、回転しているのは右足のアルキメディアン・スクリューだけだ。左足のスクリューは、カヴァレッタとの戦いで基部ごと破壊され、もはや走行装置としての機能を完全に失っている。

 もともときわめて軽量なネイキッド・ウォーローダーであるツィーゲ・ゼクスは、装甲の大半を失ったことで、はからずも限界を超えた軽量化をなしとげた。

 片足だけで機体の全重量を支えることが可能になったとはいえ、高速走行中の機体を安定させるのはきわめてむずかしい――――というよりは、ほとんど不可能と言っていい。

 愛機のすべてを知り尽くし、おのれの手足のごとく操ってのけるチャンピオンだからこそ実現できる離れ業だった。


「くうっ……!!」


 レーカはおもいきりフットペダルを踏み込み、ヴェルフィンを前進させる。

 先手を取られたのは不覚だが、いまさら悔やんだところでどうなるわけでもない。

 後退して間合いを取るのではなく、あえて前に出ることを選んだのは、ほとんど反射的な動作だった。

 思考よりさきに乗り手ローディとしての勘が前進を命じたのだ。


 そうするあいだにも、両機を隔てる距離はみるまに縮まっている。

 激突まで三メートルを切ろうかというとき、ツィーゲ・ゼクスが上方に跳んだ。

 もはや無用の長物となった左足をリングに叩きつけ、その反動で機体を高々と打ち上げたのだ。

 もともと破損していたツィーゲ・ゼクスの左足は、はたして膝下からばらばらに砕け散った。

 スポットライトのまばゆい光を照り返して白刃が閃く。

 自由落下する機体に先んじて、大薙刀グレイブの切っ先がするどく空を裂き、ヴェルフィンめがけて殺到する。


「覚悟――――」


 転瞬、金属と金属を打ち合わせる甲高い音が鳴りわたった。

 ヴェルフィンが突き出したブッチャーナイフが大薙刀を受け止めたのだ。

 激しい火花を散らしながら、刃が鉄塊を滑り落ちていく。

 チャンピオンの最後の攻撃は、あと一歩というところでヴェルフィンに届かなかった。

 あえてとどめを刺すまでもなく、片足を失ったツィーゲ・ゼクスは地面に落ちたが最後、自力で起き上がることも叶わないだろう。

 もはや誰の目にも勝敗はあきらかだ。

 五十余年の永きにわたって闘技場コロシアムに君臨してきた常勝無敗の女闘士。

 その輝かしい歴史に、ついに終止符が打たれようとしている。


 背後でするどい叫びが上がったのはそのときだった。

 

「レーカ、気をつけろ!! チャンピオンはまだ――――」


 アルキメディアン・スクリューの回転音がアゼトの言葉をかき消した。

 ツィーゲ・ゼクスは、ブッチャーナイフに受け止められた大薙刀グレイブを支点に逆立ちの姿勢を取ったまま、残った右足を振り子みたいにしならせる。


 ウォーローダーの最後の武器――――アルキメディアン・スクリューを用いた蹴り技。

 この姿勢からでは十全の威力は望むべくもないが、むき出しのコクピットを破壊するには充分だ。

 攻撃が失敗したと見せかけて敵の油断を誘い、不意を突いて仕留める。

 それこそがチャンピオンの真の狙いであった。


「しまった……!?」


 スクリューの刃が機体に触れた瞬間を見計らったように、レーカはヴェルフィンを超信地旋回ニュートラル・ターンさせる。

 すさまじい切削音と火花、そして装甲の破片が乱舞するなか、ヴェルフィンはその場から動くことなく一回転する。


「貴様の思い通りにさせるか……!!」

「無駄なあがきを。いまさら何をしたところで、もう手遅れです」


 はたして、そのあいだにコクピット周辺の装甲はむざんに削り取られ、残った右腕もブッチャーナイフを握りしめたままちぎれ飛んでいる。

 ヴェルフィンが上半身のほとんどを失ったのを認めて、ツィーゲ・ゼクスも重力に任せて落下していく。


(……勝った)


 機体ごとリングに叩きつけられる直前、チャンピオンはかっと両目を見開いていた。

 原型を留めぬほど破壊されたヴェルフィンのコクピットに人影はない。


(どこへ――――!?)


 視線を巡らせるまでもなく、チャンピオンの目交を朱色バーミリオンレッドの防護ジャケットが埋めた。

 

「うおおおッ!!」


 裂帛の気合とともにツィーゲ・ゼクスのコクピットに飛び移ったレーカは、左手でチャンピオンの襟首を掴み取る。

 右手に握りしめているのは、抜身のタクティカルナイフだ。

 形状こそシンプルだが、ウォーローダーの装甲を削り取るほどの強度と切れ味をもつ。

 するどい切っ先を急所に突き立てられれば、いかに頑強な人狼兵ライカントループといえども致命傷は免れない。

 チャンピオンの喉元めがけて勢いよく振り下ろされたナイフは、しかし、すみれ色の髪を散らしただけに終わった。


「まだ食い下がるとは、往生際の悪い……!!」


 吐き捨てて、チャンピオンは腰の武器携行帯ホルスターに手を伸ばす。

 刹那、レーカにむかって迸ったするどい銀光は、伸縮式のレイピアだ。

 レーカの頬を一文字に裂いたするどい剣尖は、勢いもそのままに戦車帽タンカー・キャップを弾き飛ばした。


 肩までかかる金色の髪がさあっと流れ、その合間からイヌ科動物を彷彿させる尖った両耳が覗く。

 ここに至って、観客たちも二人が人狼兵ライカントループであることにようやく気づいたらしい。

 観客席のそこかしこで沸き起こったどよめきは、またたくまに闘技場コロシアム全体へと波及していった。


「私とあなたの技量の差は歴然としています。いさぎよく敗北を受け入れなさい」

「なんと言われようと引き下がるつもりはない。たとえ刺し違えてでも、貴様はかならず倒す!!」

「どうあっても諦めないつもりなら、致し方ありません――――」


 チャンピオンはツィーゲ・ゼクスのコクピットから飛び出すと、レイピアを携えたままレーカと正対する。

 生身の人狼兵ライカントループ同士の白兵戦。

 世にも珍しい戦いに、観客たちは食い入るようにリングへと視線を注ぐ。


 アゼトはといえば、カヴァレッタの残骸に身を隠したまま、自動拳銃オートマチックを手に二人の動向をまんじりともせずに見つめている。

 ウォーローダー戦では吸血鬼にも引けを取らない吸血猟兵カサドレスといえども、肉体的には生身の人間と変わらない。

 人狼兵ほどにすばやく動くことはできず、ひとたび組み付かれれば、自力でふりほどくこともままならない。

 うかつに戦いに加勢すれば、かえってレーカを危機に陥れることにもなりかねないのだ。


 大小の鉄片とオイルがあたり一面に散乱するリング上で、ふたりの人狼兵は睨み合ったまま微動だにしない。

 レーカもチャンピオンもが訪れるのを待っているのだ。

 動きだせば、数秒と経たないうちに勝敗が決まる。

 それはとりもなおさず、どちらかの死を意味してもいる。


 長身の人影がリングに舞い降りたのはそのときだった。


「プリケルマ男爵――――」


 アゼトとレーカは、ほとんど同時に呟いていた。

 プリケルマ男爵はコートの裾をひるがえしながら、レーカとチャンピオンのちょうど中間地点に降り立つ。

 マッチメイカーの乱入という予期せぬ事態に、レーカはおもわず声を荒げる。

 

「男爵、これはいったいどういうつもりだ!?」

「……」

「なぜ黙っている。答えろ――――」


 言い終わるまえに、レーカの手元できいんと軽い音が生じた。

 直後、するどい銀光を散らしながらリング上に突き立ったのは、タクティカルナイフの刃であった。

 直線上のなめらかな断面は、強大な力によって瞬時に断ち割られたことを物語っている。

 プリケルマ男爵の仕業だ。

 一切の武器を用いることなく、右手の指をはじくことで不可視の衝撃波ソニックブームを発生させ、タクティカルナイフの刃だけを巧みに切断してのけたのである。

 並外れた身体能力をもつ吸血鬼だからこそ可能な芸当であった。


「……っ!!」


 もはや使いものにならないナイフを握りしめたまま、レーカは息を呑む。

 人狼兵ライカントループのすぐれた動体視力をもってしても、超音速で飛来する真空の刃を見切ることはできない。

 プリケルマ男爵がその気になれば、レーカの首を切断する程度は造作もないだろう。


「ウォーローダー同士の戦いは終わった。これ以上の流血は、どちらにとってもいたずらに騎士の誇りを汚すばかりであろう……」


 プリケルマ男爵はレーカとチャンピオン、そして残骸に身を隠して様子を伺っているアゼトにむかってしずかに言い放つ。

 威厳に充ちた声と険しい面立ちは、どちらもおどけた没落貴族のそれとはかけ離れたものだ。

 みずからを至尊種ハイ・リネージュと称してはばからない吸血鬼のなかでも、これほどの威圧感を与える者はほんのひとにぎりにすぎない。

 それを裏付けるように、チャンピオンはその場で片膝を突き、うやうやしくこうべを垂れている。

 遠くアルキメディアン・スクリューの回転音が響くなか、は、なおも朗々と言葉を継いでいく。


「十三選帝侯クーアフュルストがひとり、ラルバック・イザールの名において、双方に剣を引くことを命ずる。……異存はないな、よ」


 イザール侯爵の下問に、チャンピオン――人狼騎士団長メルヴェイユは「御意」とだけ答える。


 闘技場コロシアムの各所で立て続けに破壊音が上がったのは次の瞬間だ。

 治安騎士団の識別標識インシグニアが染め抜かれたヤクトフントが出入り口をぶちやぶり、次々に場内へとなだれ込んでいく。

 総数はざっと二十機ちかい。治安騎士団のほぼ半数に相当する戦力だ。

 巨大な銃口を突きつけられた観客たちは、その場から逃げ出すこともできないまま、てんでになさけない悲鳴を上げるばかりだった。


 大混乱に陥った観客席をよそに、イザール侯爵はアゼトとレーカをそれぞれ一瞥すると、


「私といっしょに来てもらおう。――――リーズマリア・シメイズ・ルクヴァースの身柄は預かっている」


 二人の返答を待たず、コートの裾をひるがえして歩き出していた。

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