CHAPTER 20:ワルツ・エンド
リング上で沸き起こった悽愴な鬼気は、またたくまに
ほんの数十秒まえまで狂乱のるつぼと化していた観客席は、水を打ったみたいにしんと静まりかえり、
誰も彼もが示し合わせたように唇を結び、まばたきさえ忘れてリングを凝視している。
まるで集団催眠にでもかかったような異様な光景であった。
リングの中央に降り立ったツィーゲ・ゼクスの腕が音もなく動いた。
腰から胸、そして頭上へとなめらかな弧を描いた
戦場にあって戦いを忘れたかのような奇妙な構え。
ツィーゲ・ゼクスはその姿勢を保ったまま、一個の美しい塑像となってリング上に静止している。
攻勢に転じるまたとないチャンスにもかかわらず、正対しているカヴァレッタとヴェルフィンは、両脚を地面に縫い付けられたみたいにその場から動かない。
というよりは、動こうにも動けないと言ったほうが正確だろう。
一見すると隙だらけにみえるツィーゲ・ゼクスの構えは、その実、先ほど演じた高速移動などよりもはるかに危険な攻撃の前兆であることを、アゼトとレーカは即座に看破していたのである。
チャンピオン――レディ・Mの玲瓏な声が
「あなたたちに最後の機会を与えましょう」
あくまで優雅な、しかし氷の冷たさを宿した声色で、美貌のチャンピオンはなおも言葉を継いでいく。
「私は一歩もこの場を動きません。どこからでも好きに打ち込んできなさい」
わずかな沈黙のあと、レーカは吠えるように叫んでいた。
「私たちに情けをかけているつもりか!?」
「そのように聞こえましたか」
「こちらに勝ち目がないと見ているのだろう。そうでなければ、あえて先手を取らせるはずはない」
「いいえ――それは誤解です」
激昂したレーカに、チャンピオンは落ち着き払った声で応じる。
「私はあなたたちの力量を認めています。だからこそ、実力を遺憾なく発揮できる構えでお相手しようというのです」
「なに……?」
「私の真の本領は、後の先――つまり、敵に先に打たせてからの
レーカがなにかを言うまえに、アゼトが二人のあいだに割って入った。
「その構えを破れなければ、こちらには死あるのみということだな」
「理解が早くて助かります」
念を押すように問うたアゼトに、チャンピオンは悠然と告げる。
「さあ、どこからでもご遠慮なくかかっていらっしゃい。私とツィーゲ・ゼクスの全力をもってお相手いたしましょう」
アゼトは答えず、ただツィーゲ・ゼクスを凝然と見据える。
チャンピオンの言葉に偽りはないはずだった。
ありありと脳裏によみがえるのは、はじめてケイトに連れられて
あのとき、チャンピオンは”黒鷲”のカーヴィルが駆るホルニッセに思うさま打たせたあと、一刀のもとにカーヴィルを斬り捨ててのけたのである。
敵の猛攻を完璧に捌き切り、一瞬の隙をのがさずに仕留める技量がなければ、およそ実現不可能な離れ業……。
気づけば、顔といわず身体といわず、身体じゅうの毛穴から生ぬるい汗が噴き出している。
むきだしのコクピットに吹きつける凄気は、幾多の修羅場をくぐってきた
(どうすればいい――――)
視線はあいかわらず前方に向けたまま、アゼトは胸のなかで自問する。
そのうえ、彼我のウォーローダーの性能差は歴然としている。ツィーゲ・ゼクスに伍するポテンシャルをもつヴェルフィンは傷つき、カヴァレッタも十全にはほど遠い状態だ。
たとえ二機が完璧なタイミングで同時攻撃を仕掛けたところで、成功する目算はかぎりなく低いだろう。
また、どちらかが犠牲となって隙をつくる捨て身の戦術も、完璧な構えを取ったチャンピオンに通用するとは到底おもえない。
まさしく八方塞がりの状況のなか、アゼトは一筋の光明を見出すべく、あらゆる可能性を模索する。
「レーカ、俺の言うとおりに動いてくれるか」
アゼトの言葉に、レーカは力強く首肯する。
「是非もない。ここで敗れれば、姫様を救うこともできなくなる。この生命、貴公の思うように使ってくれ」
「すまない――――恩に着る」
アゼトは小声で言うと、
***
椅子に腰を下ろしたケイトは、ほとんど祈るような面持ちで戦いを見守っている。
手元の小型端末には、カヴァレッタとヴェルフィンの
機体各部に取り付けられたセンサーからリアルタイムで送信されてくる情報は、いずれもひとつの残酷な事実を物語っていた。
圧倒的な不利――より直截な表現を用いるなら、避けがたい敗北だ。
ヴェルフィンはシールドごと左腕を失い、唯一にして最大の武器である
カヴァレッタの両脚に至っては、センサーそのものが沈黙しているというありさまだ。センサーの動作不良は、機体の電気系統がいちじるしい損傷を被ったことを意味している。遅かれ早かれ動けなくなることは確実だが、その瞬間が訪れるのがいつなのかは、
「やっぱり今度も……」
ダメなのか――――
あるかなきかの声で呟いて、ケイトは強く唇を噛む。
これまで何人の挑戦者を見送ってきただろう。
そのたびに今度こそは……と、かすかな期待をこめて、戦いに赴く彼らのウォーローダーをチューンナップしてきた。
そうして手塩にかけた自慢のマシンは、
何度となく打ちのめされながら、しかし、ケイトにはチャンピオンへの恨みや憎しみはない。
技術のかぎりを尽くして依頼人のウォーローダーを仕上げるのが
互いにおのれのなすべき役目を果たしているだけならば、そこに怨恨が入り込む余地などありはしない。
ケイトは顔を上げると、ふたたびリングに視線を移す。
あの二人なら、もしかしたら……。
この期に及んでもそんな期待を捨てきれない自分に気づいて、ケイトは声を殺して自嘲する。
もう勝負は決まったのだ。
ここから巻き返すなどありえないことは、ほかならぬケイト自身がだれよりもよく分かっている。
今度もまたチャンピオンが勝つ。最初から分かりきっていたことだ。
自分はいつものようにすべてを忘れて、また次の客を待てばいい。
終わりのない繰り返しだとしても、それが自分の宿命だとおもえば、おのずと諦めもつく……。
「ミス・ケイト、戦いはまだ終わっていませんよ」
ふいに背後から呼びかけられて、ケイトははたと我に返った。
とっさに振り向いてみれば、いつのまに入ってきたのか、パドックの片隅では長身の男が壁に背をもたせかけている。
プリケルマ男爵を見つめて、ケイトはひとりごちるみたいに呟く。
「あの子たちが殺されるのを見届けろと言いたいのかい?」
「いいえ――ただ、
飄々と言って、プリケルマ男爵はリングに視線を向ける。
アルキメディアン・スクリューのするどい回転音が響きわたったのは次の刹那だった。
***
先に飛び出したのはカヴァレッタだった。
機体の重心を低くすることは、走行安定性を高めるばかりでなく、前方投影面積をちいさくすることで攻撃を受けにくくする効果もある。
もっとも、それも並の
小手先のテクニックをいくら駆使してみたところで、チャンピオンほどの歴戦の猛者には通用しない。
アゼトはそれを承知のうえで、あえて一か八かの賭けに出たのだ。
成功する確率はかぎりなく低い。
それでも、アゼトには毫ほどの迷いもなかった。
ただ手をこまねいているばかりでは、状況はけっして好転しない。
そればかりか、機体がこれ以上のダメージを被れば、反撃の機会は永遠に失われるだろう。
事態は文字どおり寸秒を争うのだ。立ち止まっている暇などありはしない。
(うまく奴を誘い出すことができれば――――)
心中で呟いて、アゼトは全神経を視覚に集中させる。
ツィーゲ・ゼクスの機体に生じたわずかな動作の兆しも見逃すまいと、少年はまばたきすら忘れて前方を睨めつける。
ウォーローダーが駆動する際には、かならずなんらかの
どんな高性能機でも例外はない。しょせん油圧とモータによって動く機械である以上、なんの準備もなしに動くことはぜったいに不可能なのだ。
アゼトのねらいは、チャンピオンの判断ミスを誘うこと――すなわち、こちらから攻撃を仕掛けると錯覚させ、本来攻撃のあとに発生する
「おおッ!!」
雄叫びとともに突き出したブッチャーナイフは、そのための布石だ。
ツィーゲ・ゼクスの
至難の業であることは分かりきっているが、しかし、この状況を切り抜ける方策はほかにない。
「……ッ!!」
転瞬、機体をはげしく揺さぶった衝撃に、アゼトは声にならない呻きを洩らしていた。
むき出しの視界を逆しまに流れていった銀光は、ツィーゲ・ゼクスが放った
するどい斬撃は、カヴァレッタの両腕を肘の上から切り飛ばしていた。
ごとり――と重い音を立てて、ブッチャーナイフを握りしめた鉄の
ツィーゲ・ゼクスの外部スピーカーを通して、チャンピオン――レディ・Mの冷え冷えとした声が流れたのはそのときだった。
「あえて後手に回ろうというつもりだったのでしょうが、無駄なことです」
左右の腕はウォーローダーにとって武器を保持するハードポイントであり、格闘戦における最後の武器でもある。
両腕をともに失ったことで、もはやカヴァレッタの戦闘能力は完全に喪われたと言っても過言ではない。
そうだ。
通常のウォーローダーであれば――――。
「いいや、まだ終わっちゃいない」
「この期に及んでくだらない強がりを……その両脚では、”新人殺し《リクルート・キラーズ》”との試合で使った隠し武器も使えないでしょう」
「どうかな」
アゼトが言い終わるが早いか、カヴァレッタは後方へ飛びずさった。
跳躍というよりは、ほとんど倒れ込むような動作。
はたして、カヴァレッタは背中からリングに叩きつけられ、地面に仰向けに寝そべるような格好になった。
これまでの戦闘で蓄積したダメージにくわえて、激しい機動がもたらした
「あなたたちはよく戦いました。せめて最後は誇り高くお逝きなさい――――」
刹那、はげしい爆発音がチャンピオンの声をかき消した。
カヴァレッタの両脚が吹き飛んだのだと理解したときには、もう手遅れだ。
無数の破片がツィーゲ・ゼクスに襲いかかり、
アゼトはあえてカヴァレッタの両脚を自壊寸前まで痛めつけたうえで、
軽量化のために装甲を限界まで取り去ったネイキッド・ウォーローダーであるツィーゲ・ゼクスは、すさまじいスピードを誇る反面、一般的なウォーローダーよりもはるかに打たれ弱い。
はたして、ろくに防御姿勢を取ることも出来ないまま破片の直撃に晒されたツィーゲ・ゼクスは、甚大なダメージを被った。
むき出しのフレームからは、おびただしい量のオイルが滴り、赤黒い染みがリングをまだらに染めていく。
絶対無敗のチャンピオンがこれほどの深手を負ったのは、正真正銘、今日がはじめてだ。
おもわず目を背けたくなるほどに痛ましい光景に、観客たちのあいだからは悲鳴とも嘆息ともつかない声が上がる。
「よくも小賢しい真似を……よくも、あの方からお預かりしたツィーゲ・ゼクスを……」
チャンピオンの声には、これまで見せたことのない激情が滲んでいる。
カヴァレッタは両手両足を失い、もはや自力では一歩も動くことはできない。
アゼトはコクピットから脱出することもなく、まっすぐに迫りくるツィーゲ・ゼクスを見据えている。
「……レーカ、いまだっ!!」
アゼトが叫ぶが早いか、アルキメディアン・スクリューの回転音が響いた。
砂煙を上げて
カヴァレッタをひとっ飛びに飛び越えたヴェルフィンは、そのままツィーゲ・ゼクスへと躍りかかる。
武器は右手の
ほとんど折れかかった剣は、しかし、とどめの一撃にはじゅうぶん事足りるはずだった。
「やあああああッ!!」
レーカは声も枯れよと絶叫する。
ツィーゲ・ゼクスはよろめきながら
どちらもひどく傷ついた
二機の輪郭が重なった瞬間、湿った破壊音がリングにこだました。
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