CHAPTER 19:デスパレーション
風を巻いて
ツィーゲ・ゼクスはつま先立ちの姿勢を保ったまま、カヴァレッタとヴェルフィンの周囲を旋回する。
とても身の丈を超える
いつ
すべてはチャンピオン――レディ・Mの卓越した操縦技術の為せる業であった。
「レーカ、ぜったいに俺のそばから離れるな!!」
アゼトは
正面と左右のディスプレイ上には無数の残像がちらついている。
むろん、ほんとうにツィーゲ・ゼクスが分身しているわけではない。
ツィーゲ・ゼクスのスピードが光学センサーの処理限界を超えているために、このような
つまり、アゼトとレーカがディスプレイを通して見ているのは、実際には過去の映像ということになる。
時間にしてコンマゼロ秒以下。目をしばたたかせるほどの僅かなタイムラグも、実戦ではじゅうぶん命取りになる。
ましてチャンピオンほどの猛者が相手となれば、一瞬の反応の遅れが死に直結するのだ。
左手首ごとシールドを失ったヴェルフィンは、コクピットを守るように
「アゼト、なにか策はあるのか?」
「いまは耐えるしかない。うかつに動けば、かえって奴に付け入る隙を与えることになる」
「しかし、このまま防戦一方では……」
焦燥を隠せないレーカの声に、アゼトは唇を噛む。
こうして防御を固めたところで、状況が好転するわけではない。
チャンピオンが戦いの
いつ攻撃を仕掛けるか、どちらを先に仕留めるか……すべては彼女次第なのだ。
「……レーカ、俺が合図をしたらコクピットハッチを開け。二人同時にやるぞ」
アゼトが口にするや、レーカはおもわず驚嘆の声を上げていた。
「正気か!? いまは戦闘中だぞ!!」
「分かっている。センサーでは奴の動きを捉えられないなら、目視のほうが確実だ」
「もしコクピットを開いたまま攻撃を受けたら……」
「一か八かの賭けだが、この状況を打開するためにはやるしかない」
アゼトの声色には、しずかな覚悟と闘志がみなぎっている。
その気迫が
アゼトは「三秒後だ」とだけ言って、コクピットハッチのロックを解除する。
あとは開閉レバーを手前に引きさえすれば、コクピットを守る装甲板は上方にスライドし、肉眼での視認が可能になるはずだった。
「
油圧ダンパーが作動する小気味のいい音とともに、カヴァレッタとヴェルフィンのコクピットハッチが開け放たれた。
まばゆい白光がアゼトの網膜を灼く。ウォーローダーに搭乗しているときは気にならなかったが、リングに降り注ぐスポットライトの光量は、人間の視覚を麻痺させるのに充分だった。
「くうっ――!!」
アゼトは目を細めつつ、操縦桿をおもいきり手前に引く。
銀色の稲妻がほとばしったのは次の瞬間だった。
ツィーゲ・ゼクスが繰り出した必殺の一閃は、しかし、カヴァレッタのコクピットハッチを切り落とすだけに終わった。
コクピットが開放されると同時に、アゼトはほとんど無意識にアルキメディアン・スクリューを後進モードに切り替え、上体をおおきく反らせた姿勢――いわゆるスウェーバックの体勢を取っていたのだ。
むろん、それで窮地を脱しきれたわけではない。
ツィーゲ・ゼクスの大薙刀は、それ自体が一個の生物みたいに蛇行し、アゼトごとカヴァレッタの胴体を両断しようと迫る。
あわや直撃という瞬間、するどい金属音がリングを領した。
レーカのヴェルフィンが長剣を繰り出し、ツィーゲ・ゼクスの大薙刀を受け止めたのだ。
まさしく電閃のごとき剣さばき。あとわずかというところで長剣に弾かれた大薙刀は、むなしく空を斬り、ふたたびツィーゲ・ゼクスの手元に戻る。
「レーカ、助かった――――」
荒い息をつきながら言ったアゼトに、
「有視界戦闘に切り替えましたか。いい判断です。……その胆力には惜しみない賞賛を送りましょう」
チャンピオンは常と変わらず優雅な声色で告げると、ふたたび大薙刀を構える。
もはや高速移動による分身は通用しない。
ここからさきの戦いは、純粋に互いの技量が物をいうのだ。
そうするあいだにもツィーゲ・ゼクスの機体はぐっと腰を落とし、これまでにない低重心のスタイルへと移行している。
「この五十年のあいだ、本気で戦ったことは数えるほどしかありません。あなたたちには、私の持てる力のすべてを費やす値打ちがあると判断します」
チャンピオンが言い終わるが早いか、ツィーゲ・ゼクスの姿がかき消えた。
もちろん実際に消滅したのではない。
重心を極限まで落とし、アルキメディアン・スクリューの回転軸をほとんど横向きに倒すことで、地面すれすれの超高速移動を可能としたのである。
ひくく地を這うその姿は、美しくも恐ろしい一匹の毒蛇を彷彿させた。
ツィーゲ・ゼクスの抜きん出た高剛性と、薄氷を踏むがごとき挙動を危うげなく御するチャンピオンの技量……。
そのどちらか一方が欠けても実現不可能な妙技であった。
「レーカ、右だッ!!」
アゼトの叫び声をかき消すように、耳を聾する金属音が一帯を領した。
ツィーゲ・ゼクスが繰り出した横薙ぎの一閃と、ヴェルフィンの長剣がはげしくかちあったのだ。
ぴしり、と、ガラスが割れるような音が生じたのは次の瞬間だった。
ヴェルフィンの長剣から生じたものだ。
ほんの数瞬まえまで美しく輝いていた刀身には、雷紋をおもわせるジグザグ状の亀裂が走っている。刀身のなかでも最大の破壊力を発揮する切っ先から三分の一ほどの部位――いわゆる”物打ち”はとくに損傷がはげしく、刃もところどころ欠け落ちているありさまだ。
ただでさえ強力な
ヴェルフィンの両腕が揃っていれば、あるいは前腕部の緩衝ダンパーに衝撃を逃がすことで、長剣の破損は免れたかもしれない。
左手首を失い、
「く……うっ!!」
むきだしのコクピットに走った衝撃に歯を食いしばりながら、レーカはすばやくペダルを踏みこみ、両脚のアルキメディアン・スクリューを左右逆に回転させる。
機体の中心軸は動かさず、ヴェルフィンはその場で円を描くように一回転する。
腕の力だけでなく、機体全体の回転モーメントを利用して、ツィーゲ・ゼクスを押し返そうというのだ。
ウォーローダー同士の超接近戦において、もっとも避けるべき膠着状態――押すも引くも叶わなくなった鍔迫り合いにおちいった場合の、それは
熟練の
もっとも、それも相手がチャンピオンでなければの話だ。
「――!!」
転瞬、
ツィーゲ・ゼクスはヴェルフィンがもたらした回転に逆らわず、
下方から磨り上げるようなするどい上段蹴り。
最終戦争以前の時代、人類が考案した格闘技のひとつ――カポエイラの技術をウォーローダー用に
いかに人狼兵の強化された肉体といえども、アルキメディアン・スクリューの回転に巻き込まれればひとたまりもない。
肉と皮膚は瞬時に引きちぎられ、骨さえも跡形なく粉砕される。ヴェルフィンのコクピットは、一秒と経たないうちに酸鼻きわまる血溜まりと化すはずであった。
痛みを感じるまもなく即死するのは、非情な勝者が垣間見せたせめてもの情けかもしれない。
「レーカ、しっかり掴まっていろ!!」
もはや避けがたい死を悟ったレーカの耳に、その声はどこか遠い世界のもののように響いた。
ヴェルフィンの両脚がリングを離れたのはそのときだった。
そのまま三メートルほども上昇した機体は、ゆるやかな放物線を描きながらリング際に着地する。
さっきまで立っていた場所では、高々と脚を掲げたツィーゲ・ゼクスが
攻撃の勢いを殺しているのだ。
レーカがとっさに右横を振り向けば、赤い髪の少年と目があった。
「レーカ、しっかりしろ!!」
「アゼト……わた、わたしは……」
「大丈夫だ。まだ生きている。戦いも終わっていない」
あの瞬間――
アゼトはカヴァレッタを突進させ、ヴェルフィンの胴体を引っ掴んでいた。
そのまま両脚の火薬式ダンパーを作動させ、ヴェルフィンもろとも後方に飛びずさったのである。
むろん、ウォーローダー二機分の質量を跳躍させるためには、それ相応の代償が必要になる。
カヴァレッタの両下肢から噴き上がる黒煙と、ぱちぱちと音を立てて散る
本来であれば、とうのむかしに大破していても不思議ではない骨董品である。ここまでの連戦をもちこたえられたのは、アゼトのすぐれた操縦技術にくわえて、ケイトとカナンが機体寿命をすこしでも伸ばすために努力をかさねた結果だ。
「不思議なことをしますね」
チャンピオンの玲瓏な声は、氷のように冷えきっている。
「仲間を見捨てていれば、私に攻撃を加えるチャンスは充分あったはず。それなのに、あなたは千載一遇の好機をふいにした……」
「戦っている最中に戦術指南までしてくれるとは、ずいぶん気前がいいんだな」
「ウォーローダー乗りにとって甘さは最大の敵。必要とあれば、ためらうことなく仲間を囮にするのが戦場の鉄則。ここまで勝ち上がるほどの
「チャンピオン、たしかにあんたの言うとおりかもしれない」
アゼトはツィーゲ・ゼクスを見据えたまま、ぽつりぽつりと言葉を継いでいく。
「だが、
アゼトが言い終わるが早いか、カヴァレッタの両腕が上がった。
ブッチャーナイフをコクピットの高さに持ち上げ、そのままツィーゲ・ゼクスに突きつける。
アゼトは真正面に視線を向けたまま、レーカにむかって小声で問いかける。
「レーカ、剣はどのくらい持つ?」
「力加減をすれば三撃。フルパワーでの打ち込みなら一撃が限界だ」
「その一撃、俺が合図をするまで温存しろ。なにがあっても使わないと約束してくれ」
あくまでしずかなアゼトの言葉には、凄烈な気迫がみなぎっている。
レーカは消え入りそうな声で「承知した」とだけ言うと、傷ついたヴェルフィンをふたたびツィーゲ・ゼクスに正対させる。
「苦しみを長引かせるのも酷なこと。次で終わらせます――――」
チャンピオンが宣言するや、ツィーゲ・ゼクスは高々と跳躍していた。
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