CHAPTER 18:メカニカル・ダンシング

 耳ざわりなブザー音がふいに熄んだ。

 重々しい音とともに、リングの側面に設けられた入場ゲートがゆっくりと開いていく。

 まもなく姿を現したのは、雄々しい双角ホーンをそなえた一機のウォーローダーだ。


 ツィーゲ・ゼクス――――

 半世紀ものあいだ無敗をほこるチャンピオンの愛機は、磨き上げられた藤色ウィスタリアの装甲をスポットライトにきらめかせながら、いたって優雅な足取りでリングに上がる。

 ほとんどフレームがむき出しの右手に握られているのは、ゆうに六メートルあまりはあろうかという大薙刀グレイブである。

 双角を含めたツィーゲ・ゼクスの全高はおよそ四・八メートルほど。

 リーチの長さを最大の利点とするポールウェポンといえども、自機の身の丈をおおきく超える得物は、ウォーローダー用の近接武器としてはきわめてめずらしい。

 これほどのおおきさの武器ともなれば、その質量を支えるだけでもウォーローダーの関節には多大な負荷がかかる。どれほどパワーのある機体でも、振り回した際に生じる慣性モーメントを完全に相殺することは不可能にちかい。

 言うまでもなく戦場での取り回しは困難をきわめ、ややもすればみずからを滅ぼしかねない諸刃の剣なのである。

 そんなを自由自在に操ってみせるのは、乗り手ローディであるチャンピオン――レディ・Mの卓越した技量があればこそだ。


 ツィーゲ・ゼクスがリングの中央で立ち止まったのと、もう一方の入場ゲートが開いたのは同時だった。

 アルキメディアン・スクリューの低い唸りとともに現れたのは、朱色バーミリオンレッド白灰色ホワイトグレイに彩られた二機のウォーローダーだ。

 ヴェルフィンとカヴァレッタはリングに上がると、ちょうどツィーゲ・ゼクスと正対する位置で停止する。

 両者を隔てる距離はおよそ十五メートル。

 その気になれば、一瞬で間合いを詰めることも不可能ではない。

 ゴングが鳴り響けば、たちまち鉄同士がぶつかりあう音が場内に響きわたるだろう。


「選ばれし舞台へようこそ――――」


 ヴェルフィンとカヴァレッタの無線機インカムから、ふいに玲瓏な声が流れた。

 レディ・Mはなおも涼やかな声音で語りかける。


「臆することなくリングに上ったあなたたちの勇気と覚悟に、チャンピオンとして心からの敬意を表します」

「よくもぬけぬけとそんなことが言えたものだな」


 レディ・Mの言葉を遮ったのはレーカだ。

 冷静を装ってはいるが、言葉の端々には隠しきれない怒気がにじんでいる。

 

「こちらは人質を取られている。逃げられない状況に追い込まれたということだ」

「……」

「知らないとは言わせないぞ。これまでにもおなじようなことはあったはずだ。なぜ今日まで不埒な輩を野放しにしていた!?」


 通信機にむかって吠え立てるレーカをなだめるように、アゼトの声が割って入った。


「レーカ、もうよせ」

「しかし……!!」

「この人が知っていようと知っていまいと、俺たちがやるべきことはひとつだ。人質を取り戻すためには、ここで勝つしかない――――」


 それだけ言って、アゼトは口をつぐむ。

 シリンダーが伸縮する油圧音とともにカヴァレッタの腕が背中に伸びた。

 鉄の指が鉄製のシースに納められた武器の柄にかかるや、にぶい銀光がほとばしり出る。

 奇怪な武器だった。

 長方形の刃は、ふつうの刀剣とは似ても似つかない。

 柄にはすべり止めらしいボロ布が幾重にも巻きつけられている。

 一見すると鉈刀マチェットのようだが、おそろしく肉厚なつくりの刃を見れば、そうでないことはすぐに知れた。

 刃物と鈍器の性質をあわせもつ凶器――――ブッチャーナイフであった。


「チャンピオン。どんな手を使っても、俺たちはかならずあんたを倒してみせる」


 アゼトの言葉に合わせて、カヴァレッタはブッチャーナイフを逆手に構えたファイティングポーズを取る。

 レーカも負けじとヴェルフィンの右腕を動かして長剣ロングソードを抜き放ち、さらに左腕のシールドを機体の前面に掲げる。

 挑戦者が戦闘態勢を整えてなお、ツィーゲ・ゼクスは微動だにしない。


「見上げた心意気です。そうでなくては、私も全力で相手をする甲斐がないというもの――――」


 一陣の旋風かぜが吹き抜けたかと思うと、リング上に土煙が巻き起こった。 

 ツィーゲ・ゼクスが大薙刀グレイブを軽く振るってみせたのだ。

 ヴェルフィンとカヴァレッタにはかすりもしていないとはいえ、風圧とともに押し寄せた殺気は、アゼトとレーカの背筋を凍らせるのに充分だった。


「では――――いざ、尋常に勝負!!」


 試合開始を告げるゴングが打ち鳴らされたのと、ツィーゲ・ゼクスがかろやかに舞い上がったのは同時だった。


***


 ほんのすこしまえまで喧騒に包まれていた観客席は、試合が始まると同時に、水を打ったように静まりかえった。

 咳きひとつない闘技場コロシアムを領するのは、アルキメディアン・スクリューの回転音と、耳をつんざく風切り音だ。


 二対一のハンデマッチ。

 本来なら絶対不利な状況にもかかわらず、ツィーゲ・ゼクスは舞うようにリング上を駆けめぐり、ヴェルフィンとカヴァレッタを翻弄している。

 試合の主導権イニシアチブは、ゴングが鳴った瞬間からチャンピオンの手のなかにある。

 試合開始から一分あまりが経過しても、依然として状況に変化はない。

 それどころか、戦いの形勢はますますチャンピオンの有利に傾いてさえいるようだった。


「レーカ、俺のそばを離れるな!!」


 通信機インカムごしに呼びかけたアゼトの声は、いつになく張り詰めている。

 ヴェルフィンとカヴァレッタは、そびら合わせの格好で機体を密着させたまま、リングの中心で動きを止めている。

 望んでそうしているのではない。どちらの機体も、そこから一歩も動くことが出来ないのだ。

 いま、二機の周囲を閉ざしているのは、荒々しく吹きすさぶ藤色の颶風であった。


 ツィーゲ・ゼクスに変化が生じたのは、試合が始まった直後のこと。

 もともと一般的なウォーローダーより背の高い機体が、さらに一メートルほど大きくなったのである。

 そう見えたのは、人間でいうアキレス腱から踵のあたりに備え付けられているアルキメディアン・スクリューが前方にスライドし、機体がの姿勢を取ったためだ。

 奇妙としか言いようのない姿勢だった。

 ウォーローダーの操縦は、機体の重心を低くすることを第一義とする。かるく膝を折り曲げ、上体を傾けた前傾姿勢がもっとも望ましいとされるのはそのためだ。

 機体をほとんど垂直に屹立させたツィーゲ・ゼクスはいかにも不安定で、まっすぐに走行することはむろん、身の丈よりもおおきい大薙刀グレイブを振るうことなど望むべくもない。――――そのはずだった。

 両足のアルキメディアン・スクリューが轟然と唸りを上げるや、ツィーゲ・ゼクスはアゼトとレーカの視界から忽然とかき消えていた。


 刹那、アゼトのカヴァレッタは弾かれるみたいに後じさっていた。

 銀蛇のように宙を奔った大薙刀の一閃をブッチャーナイフで受けたはいいが、非力なカヴァレッタでは、ツィーゲ・ゼクスのすさまじい打ち込みを止めきれなかったのだ。

 アゼトの額を伝った冷や汗は、そのおそるべき技の冴えと威力のためだけではない。

 ツィーゲ・ゼクスがつま先立ちの姿勢を保ったままリング上を疾駆し、一瞬のうちにアゼトの死角に潜り込んだためだ。

 とっさに防御することができたのは、吸血猟兵カサドレスの常人離れした反射神経があればこそだ。もし反応がコンマ数秒でも遅れていたなら、カヴァレッタはコクピットごと両断されていたにちがいない。

 ツィーゲ・ゼクスはなおも足を止めることなく、ヴェルフィンとカヴァレッタの周囲をかろやかに旋回している。

 いにしえの時代に存在した氷上の舞踊フィギュアスケートに似た優雅な挙動は、これまで数多の挑戦者を葬り去ってきたおそるべき死の舞にほかならない。


「レーカ、俺がいいと言うまで一歩も動くな。バラバラに戦えば奴の思う壺だ」

「しかし、このまま防戦一方では……!!」


 有無を言わせないアゼトの命令に、レーカは歯噛みする。

 このまま背中を合わせて防御に徹していれば、すくなくとも死角から攻撃を受ける心配はない。

 現状ではそうすることが最善手とはいえ、二人が追い詰められているのも事実だった。

 戦いの主導権がチャンピオンの手にあるかぎり、戦況が好転することはない。どれほど守りを固めたところで、劣勢を打破しないかぎり、やがて訪れる避けがたい敗北を先延ばしにするだけなのだ。


「分かっている。俺もいつまでもこうしているつもりはない……」

「アゼト、なにか策があるのか!?」

「よく聞いてくれ――――」


 アゼトの言葉を遮るように、するどい銀閃がほとばしった。

 ツィーゲ・ゼクスが地面すれすれの位置から斬撃を繰り出したのだ。

 その切っ先がヴェルフィンを狙っていると気づいたときには、すでに回避不可能な間合いに入ったあとだった。


「……くうっ!!」


 レーカはヴェルフィンを後退させつつ、左腕に装備したシールドを切り離す。

 カツンと小気味よい音が闘技場に響いたのと、”VヴィⅡ”の文字があしらわれたシールドが真っ二つに断ち割られたのは同時だった。

 レーカがシールドを放り捨てたのは、ほとんど無意識の行動だ。

 はたして、あやまたずヴェルフィンの胴体を捉えていた大薙刀はシールドに当たり、わずかだがその刃先を狂わせた。

 ヴェルフィンの左腕は手首のやや上から切り落とされ、なめらかな切断面から赤黒いオイルが間欠泉みたいに噴き出す。

 大薙刀のするどい一閃は、コクピットには届かぬまでも、シールドごとヴェルフィンの片腕を奪ってみせたのだ。

 致命傷は免れたとはいえ、ヴェルフィンのダメージはけっして軽微ではない。

 攻防の要であるヴェルフィンが十全の戦闘力を発揮出来なくなったことで、アゼトとレーカが取れる戦略の幅は確実に狭まったのである。

 

「みごとです――――」


 通信機インカムから流れたレディ・Mの声は、こころなしか弾んでいる。

 怜悧な女闘士はいつになく感情を昂ぶらせているのだ。

 手ごわい獲物をまえに爛々と目を輝かせる狩人の高揚に酔いしれながら、美しきチャンピオンはなおも言葉を継いでいく。


「この五十年のあいだ、私はあなたたちのような強敵が現れるのをずっと待ち望んでいました」

「いったいなんの話をしている!?」

「血が沸く。肉が踊る。を得てから、久しく忘れていたあの感覚を味わわせてくれる敵と戦うために――――」


 レディ・Mが言い終わるが早いか、ツィーゲ・ゼクスの輪郭シルエットがおぼろにかすんだ。

 とっさにセンサーを広角モードに切り替えたアゼトの視界に飛び込んできたのは、のツィーゲ・ゼクスだった。

 分身――むろん、実際に機体が増えたわけではない。

 すさまじい速度と不規則な機動マニューバを組み合わせることで、敵のセンサーをあざむく高等技術だ。

 そのぶん乗り手ローディにかかる負荷もおおきく、生身の人間が不用意におこなえば、たちまちコクピット内でミンチと化すのである。

 かつて吸血鬼との戦いで目の当たりにしたその技を見せつけられて、アゼトの背筋を冷たいものが走り抜けていった。


「さあ――――まだ幕は上がったばかり。お互いに血の一滴が尽き果てるまで、戦いを楽しみましょう」

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