CHAPTER 17:クイーンズ・ロンリネス
まばゆいスポットライトが夜更けの
まだ宵の口だというのに、場内は早くも喧騒と熱気のるつぼと化している。
観客席は端から端まで埋めつくされ、立ち見客のために通路はことごとく塞がっているというありさまだ。
群衆のなかには、リングと観客席とを隔てるバリケード・ゾーンの内側に陣取っている者もすくなくない。死と隣合わせの危険きわまりない場所だが、試合の迫力を間近で楽しめるという意味では、これ以上ない特等席でもあるのだ。
バスラル市の名物として名高い闘技場でも、これほどの大入りはそうそうあるものではない。
チャンピオンの試合がおこなわれる日には、ふだんは
チャンピオンのオッズ倍率はつねに一・○パーセント。
全観客のじつに九割――ことによればそれ以上の圧倒的人気が集中した結果であった。
当然、チャンピオンが勝ったところでまったく儲けは出ず、賭けた金がそのまま返ってくるだけだ。
実際にはテラ銭として入場料や換金手数料が差し引かれるぶん、観客は賭ければ賭けるほど損をすることになる。
それでも彼らは、チャンピオンの華麗にして凄絶な戦いぶりをひと目見るためなら、身銭を切ることを惜しまない。
賭博というよりはむしろ、たぐいまれな
あらゆる芸術が滅びつつある時代にあって、そうしたエンターテイナーと観客の関係性が血なまぐさい闘技場のなかで生き残っているのは皮肉でもあった。
もっとも、今度ばかりはすこし事情が異なっている。
これまで数十年のあいだ不動だったチャンピオンのオッズがかつてないほどに上昇しているのである。
これはとりもなおさず、ここまで無敗の二十連勝を挙げてきたアゼトとレーカのコンビが、チャンピオンに勝利する可能性があるためだ。
当該の闘士に賭ける人数が多ければ多いほどオッズは低下する。すくなくない観客から賭けの対象に選ばれたことで、アゼトとレーカのオッズは低下し、相対的にチャンピオンのオッズは上昇したのである。
すなわち、今回はいままでのような一方的な
試合開始の時刻が近づくにつれて、ただならぬ雰囲気が闘技場を覆っていく。
ゴングが打ち鳴らされる深夜零時までは、すでに十五分を切っている。
数千とも数万ともしれない熱い視線を浴びながら、壁面にかけられた電子
***
闘技場の地下に設けられた闘士用の
ヴェルフィンとカヴァレッタは、どちらも
試合前の最終テストの最中なのだ。
数日がかりで入念なメンテナンスを実施した甲斐あって、両機ともにコンディションは快調そのものだ。
ふいにモーター音が熄んだのと、ヴェルフィンのコクピットが開いたのは同時だった。
「駆動系のチェック完了。全項目
だれともなく言って、レーカは手にしたタブレット型端末に指を走らせる。
端末はヴェルフィンとカヴァレッタにそれぞれ搭載された戦術データリンク・ネットワークに接続されている。試合中はケイトが各機の状態をモニターし、必要とあれば適宜プログラムの修正をおこなうのである。
あらかじめ
チャンピオンのまえで隙を見せることは、たとえ一瞬であっても敗北――――死に直結する。
実際の戦いがどのように推移するかは未知数だが、打てる手は打っておくに越したことはない。
「アゼト、そちらはどうだ?」
「俺のほうも問題ない」
アゼトはコクピットに座ったまま答えると、機体を
ほとんど無音の着地は、膝下に内蔵された高性能ショックアブソーバーの恩恵だ。
高度一万メートルからの空挺降下を想定して開発されたカヴァレッタ・
そこに
「あとはコイツがどれくらい持ってくれるかだが――――」
ひとりごちるみたいに言って、アゼトはディスプレイの片隅に視線を移す。
機体の状態を示す各種パラメータのなかに、ひとつだけ赤く点滅するものがある。
ウォーローダーの動力源である
赤は言うまでもなく異常を知らせるサインであり、通常はエネルギー残量が残り少なくなったことを意味している。
もっとも、それはあくまで通常であればの話だ。
アゼトのカヴァレッタに搭載されている燃料電池は、一般的なウォーローダーに搭載されている汎用規格品ではない。
ふつうは安全マージンを確保するために総容量の八割程度までしか封入されない固体電解質を限界まで詰め込んだうえ、伝導率を上げるために容器そのものを加圧しているのである。
これによってカヴァレッタの出力は三割ほどの向上を見たが、燃料電池の改造はきわめて高いリスクをともなう行為だ。仕様外の高出力が流れることでさまざまなトラブルが引き起こされるばかりか、最悪の場合は機体が爆発する可能性さえある。
はたして、カヴァレッタの警告システムは先ほどからひっきりなしに異常を訴えているが、アゼトは意にも介さない。
危険はむろん承知している。
渋るケイトをむりやり説き伏せ、燃料電池を改造させたのは、ほかならぬアゼトなのだから。
偵察機として設計されたカヴァレッタは、そもそも敵と真っ向から戦うことを想定していない。
ここまでの戦いはアゼトの卓越した操縦技術でパワー不足を補ってきたが、それにも限界がある。
リスクを冒してでも機体そのものを強化しなければ、チャンピオンのツィーゲ・ゼクスとまともに戦うことは出来ないのである。
いずれにせよ、この一戦が終われば、アゼトとレーカが
貴重なヴェルフィンはともかく、カヴァレッタはしょせん大量生産品だ。今夜かぎりで乗り潰すことになったとしても惜しくはない。
囚われているリーズマリアとカナンを無事に取り戻すためにも、この戦いにはなんとしても勝たねばならないのだ。
「お二人さん、準備はオーケー? そろそろ
ふいに呼びかけられて、アゼトとレーカは声のしたほうに視線を向けた。
ケイトは手にした白い紙をひらひらと舞わせながら、二人のほうに近づいてくる。
森林資源がほぼ枯渇したこの時代において、白い紙はよほど重要な場面――たとえば、高額な取引の契約書にのみ用いられるのが慣例だ。
「賞金の支払い契約は済ませてきたわ。アンタたちが勝てば何百億って金が動くんだから仕方ないけど、チャンピオンとの試合はこれが面倒でねえ」
「プルケリマ男爵はどうした? そういう仕事はヤツの担当じゃないのか」
「さあ? 契約書をアタシに押し付けて、ひとりでどっかに行っちまったよ」
ケイトはあきれたように言って、わざとらしくため息をついてみせる。
試合開始時刻を告げるブザー音が響いたのはそのときだった。
***
淡い光のなかに女は佇んでいた。
なめらかな白皙の肌と、すみれ色のつややかな髪。
顔の上半分は白い
無敗の
いま、控え室の
傍らのチェストには、真新しい防護ジャケットが置かれている。
胸元と背中が大胆に開いたデザインこそふだんの試合で着用しているものと同一だが、カラーリングはおおきく異なる。愛機と揃いの
レディ・Mがこの衣装に袖を通すのは、特別な試合のときだけだ。
二色が織りなすコントラストが目もあやなジャケットは、彼女にとって勝負服であると同時に、命をかけた
ほかの闘士ならいざしらず、チャンピオンにとって試合に敗れることは、とりもなおさず死を意味する。
自分を敗北させる可能性がある相手と認めた場合にのみ、レディ・Mはこのジャケットを着て試合に臨むのである。
背後で気配が生じたのはそのときだった。
「そのままでかまわん」
とっさに振り向こうとしたレディ・Mに、気配の主はしずかに告げる。
重く低い男の声であった。
奇妙なことに、控え室の全景を映しているはずの姿見鏡のどこにも人の姿は見当たらない。
ひとつしかない出入り口のドアも固く閉ざされたままだ。
「おまえの戦いに水を差すつもりはなかった――――」
相変わらず姿は見せないが、その声にはどこかすまなげな響きがある。
「なにを仰せられます。あなた様がお気に病まれることはなにもございません」
「……」
「御身にお仕えしてから五十余年。本来なら許されるはずもないわがままをご寛恕いただけたこと、心より深謝いたします」
レディ・Mは鏡にむかって深々と
「……そのわがままも、今宵が最後になるかもしれません」
「おまえほどの猛者が敗れるというのか?」
「あの二人はこれまでの挑戦者とはちがいます。最初に彼らの戦いを見たとき、長いあいだ探しつづけていた敵にようやく巡り会えたと思いました。私とツィーゲ・ゼクスが全力を尽くして戦える敵と……」
「どのような結果になったとしても悔いはないのだな」
「はい――――」
レディ・Mが口にしようとした謝罪の言葉をさえぎるように、重く低い声が鏡面を震わせた。
「おまえが納得しているなら、もはや私から言うことはなにもない。存分に戦うがいい」
「有り難きしあわせ――――」
「私はおまえの勝利を信じている。だが、退路を断たれた者の強さ、ゆめ侮ってはならぬ」
声がぶっつりと途切れたのと、気配が消滅したのは同時だった。
レディ・Mは傍らの防護ジャケットに手を伸ばすと、豊満な肢体を潜り込ませていく。
最後にあざやかな赤の
ブザーが鳴り響くパドックには、巨大な双角をそなえたウォーローダーが佇んでいる。
ツィーゲ・ゼクス。
無敗の王者とその愛機は、リングにむかって一歩を踏み出した。
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