CHAPTER 03:アウェイキング

 ディスプレイの青白い光が狭隘なコクピットを充たしていた。

 シートに背中をもたせながら、ヴァレンスキ大佐はディスプレイの片隅で明滅するカウント・タイマーを見つめている。

 赤黒い肌にたっぷりと顎髭をたくわえた四十がらみの壮漢である。

 緑褐色カーキグリーンの軍服の上にボディアーマーを羽織り、頭には通信機インカムを内蔵した防護ヘルメットを目深にかぶっている。

 カウントが半分を切るかというとき、ふいに通信機が声を吐き出した。


「……ヴァレンスキ大佐、奴はこちらの要求に応じるでしょうか?」

 

 そう問いかけた副官の声には、隠しようのない不安がにじんでいる。


「吸血鬼が怖いか?」

「い、いえ!! 自分はそんなつもりでは……」

「べつに強がる必要はない。この世に吸血鬼を恐れない人間などいるものか。それこそ、伝説の吸血猟兵カサドレスでもないかぎりはな――」


 冗談めかして言ったあと、ヴァレンスキ大佐の声はふいに真剣な響きを帯びた。


「あの航空艇エア・シップ、かなり金のかかった特注品だ。持ち主はよほど位の高い貴族だろう。十三選帝侯のなかで蒼をシンボルカラーにしているのは……」

「まさか”蒼の大公ブルー・ハイネス”バルタザール・アルギエバが――――」

「奴ほどの大物が護衛もつけずにこんな場所をうろついているものか。可能性があるとすれば、アルギエバ大公の重臣といったところだろうな」


 緊張しきった様子の副官とは対照的に、ヴァレンスキ大佐の声音は弾んでいる。

 吸血鬼を侮っているわけではない。極上の獲物を前にした功名心と名誉欲が恐怖心をすっかり麻痺させているのだ。


「生け捕りにできれば最高だが、もし殺してしまっても、わが旅団創設以来の大殊勲にはちがいない。最高指導者グランドコマンダーの耳に入れば、司令部ヘッドクオーター直属部隊への昇格もありうるかもしれん……」


 低い笑い声を曳きながら、ヴァレンスキ大佐はふたたびディスプレイを見やる。

 タイムリミットまでの猶予はあと十秒ほど。

 指揮下のアーマイゼはすでに攻撃態勢に入っている。ヴァレンスキ大佐が指示すれば、航空艇には四方八方から猛烈な火線が降り注ぐはずであった。


 人間をはるかに凌駕する身体能力と回復力をもつ吸血鬼だが、さしもの彼らも無敵というわけではない。

 強靭な皮膚もウォーローダーが装備する大口径火器の直撃には耐えられず、肉体の大半を失うほどの重傷を負えば、再生が追いつかずに死に至るのである。

 人間の眼では捉えきれないスピードをもってしても、全方位から襲いかかる数千発の銃弾をすべて躱しきることは不可能だ。


 とはいえ、油断は禁物だ。

 手練れの吸血鬼は、生身でもウォーローダー十機以上の戦闘力をもつ。

 吸血鬼が繰り出す衝撃波は、アーマイゼの装甲を紙みたいに切り裂き、ローディごと即死させる威力がある。

 航空艇のサイズから判断して、客室キャビンの定員は十人にも満たないだろう。添乗員パーサーや護衛の人狼兵ライカントループを除外すれば、乗船している吸血鬼はせいぜい一人か二人といったところ。

 どれほどの達人が乗り込んでいたとしても、五十機ものウォーローダーを相手どって勝てる道理はない。


 むろん、吸血鬼が決死の抵抗を試みたなら、味方にもかなりの損害が出ることはまちがいない。

 軍事作戦の成否とは、突き詰めれば戦果と損失の釣り合いだ。

 たとえ部隊の何割かを失うことになったとしても、獲物の値打ちを考えればけっして惜しくはない。

 これまで多くの戦友を冷酷に切り捨て、部下たちの屍を踏み台にして現在の地位にまでのぼりつめたヴァレンスキ大佐である。

 今回も自分が生き残ることには寸毫ほどの疑いも抱いていない。


「時間切れだ。総員戦闘準備――――返答を聞かせてもらおうか、吸血鬼!!」


 ヴァレンスキ大佐が叫んだのと、航空艇の乗降口が開いたのはほとんど同時だった。

 サーチライトのまばゆい光芒のなかに浮かび上がったのは、白いローブをまとった中背の人影である。

 無数の銃口に照準されているにもかかわらず、その佇まいは平静そのものだ。


「おとなしく投降する気になったか? 賢明な判断だ」

「さっきも言ったように、おまえたちと戦うつもりはない。ここがおまえたちの縄張りだというなら、このまま立ち去るつもりだ。そちらが手を出さないかぎり、こちらも危害は加えないと約束する」


 高圧的に言い放ったヴァレンスキ大佐に、白いローブ姿は少年の声で応じる。

 もっとも、外見や声質から吸血鬼の実年齢を推し量ることは出来ない。

 吸血鬼は人間のように加齢とともに肉体が変化することはない。青少年期の容姿と身体能力を保ったまま、千年ちかい歳月を生きるのである。

 みずからをして至尊種ハイ・リネージュと称するだけあって、人間から見れば文字通り不老不死の存在なのだ。


 数秒の沈黙のあと、ヴァレンスキ大佐はわざとらしく深いため息をつく。


「なかなか面白い冗談だが、吸血鬼の戯れ言に付き合うつもりはない」

「どうあっても聞き入れてはもらえないか?」

「交渉の時間は終わりだ――――指揮官より全機へ。攻撃を開始しろ。殺してもかまわん」


 白いローブが音もなく舞い上がったのは次の瞬間だった。

 サーチライトが照らし出したのは、赤い髪と浅黒い肌をもつ少年だ。

 かっと見開かれた双眸に息づくのは、しかし、吸血鬼の血色の瞳ではなかった。

 

「こいつ、吸血鬼じゃない!?」


 息が詰まるような殺気のなかに生じた一瞬の隙を逃さず、アゼトは右手を高く掲げる。

 

「来い――――ノスフェライド!!」


 アゼトが叫ぶが早いか、漆黒の巨体が街路に舞い降りた。


 兵士たちが息を呑んだのも当然だ。

 暗闇よりもなお深く冴えわたる黒曜石オブシディアンの装甲。

 天工が鑿を振るったごとく、どこまでも完璧なバランスで造形された四肢。

 神々しいほどの気品が充溢するその佇まいは、いかにも兵器然としたアーマイゼとは似ても似つかない。

 

 八百年まえ、吸血鬼を勝利に導いた聖戦十三騎エクストラ・サーティーン

 その最終さいごにして最強の一騎。

 ”皇帝の処刑人”ルクヴァース侯爵に受け継がれてきた漆黒の剣――――ノスフェライド。


「ブ、ブラッドローダー……!!」


 ヴァレンスキ大佐は熱に浮かされたみたいに呟いていた。

 本物のブラッドローダーを目にするのは、正真正銘これがはじめてだ。

 最終戦争から現在に至るまで、ブラッドローダーに遭遇して生き残った人間はひとりもいない。

 だが、たとえ実物を見たことはなくとも、を目の当たりにすれば疑念を差し挟む余地などない。

 これほどまでに美しく、そして恐ろしい存在は、ブラッドローダー以外にはありえない。

 震える喉をなだめつつ、ヴァレンスキは声も枯れよと絶叫する。

 

「なにをしている!? 撃て!! 奴を殺せっ!!」

 

 アゼトをコクピットに収めたノスフェライドは、火線が殺到するより早く跳躍する。

 闇の空に血色の閃光がまたたいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る