第二話:荒野漂流

CHAPTER 01:ストレンジャー・イン・ザ・ダーク

 乾いた夜風が荒野を吹きわたっていった。

 月のない夜更けである。

 一面に黒墨を塗り込めたような暗闇のなかに、いっそう濃い陰影を伴って屹立するものがある。

 高さも形もまちまちのそれは、なかば朽ちかかった廃ビル群だ。

 あるものは風雨にさらされて原型を留めぬほど崩れ、またあるものは虫食いのように壁体を侵食されている。

 ビルのあいだには瓦礫がうずたかく堆積し、街路は灰色の地層に覆い尽くされている。

 街をつらぬく目抜き通りメインストリートは寂莫と静まり返って、人間はおろか野犬の一匹さえ見当たらない。

 幾度となく破壊と略奪にさらされた廃墟には、もはや盗賊さえ寄り付かないのだ。


これが八百年まえには一千万人をこえる人々が暮らし、夜どおしきらびやかなイルミネーションに彩られた巨大都市メガシティの成れの果てだとは、いったいだれが想像できるだろう。

 最終戦争アルマゲドン――――人類と吸血鬼が繰り広げた熾烈な生存闘争は、地上に栄えた文明のことごとくを破滅へと追いやった。

 互いを滅ぼすべく剣を取ったふたつの種族のあいだには、和平も休戦もありえない。

 双方による大量破壊兵器の応酬は果てしなくエスカレートし、戦火は地上のことごとくを焼き尽くしていった。

 赤錆びた鉄筋をさらけだした無人の摩天楼は、いまとなっては語る者とてない歴史の証人であると同時に、滅びゆく人類の墓標にほかならなかった。

 

 なにもかもが色あせた都市の片隅に、場違いなほどにあざやかな色が現れたのはほんのすこし前のこと。

 流麗なフォルムをもつ蒼い航空艇エア・シップである。

 磨きあげられた宝石もかくやという光沢をおびた船体は、砂をまぶしたように薄汚れている。

 それだけでなく、航空艇の各部はひどく破損し、外装のそこかしこには痛々しい亀裂クラックが走っている。

 ときおりバチバチと爆ぜるような音を立てて、青白い火花スパークが闇に咲いては散っていく。灯火類は消えているが、船の動力はまだ生きているのだ。


 不時着――というよりは、墜落と言ったほうが正確だろう。

 それを裏付けるように、航空艇の後方には、船底を擦りつけた痕跡が数百メートルにわたって刻みつけられている。

 航空艇は着陸脚ランディング・ギアを出す余裕もなく、廃都市への胴体着陸を余儀なくされたのである。

  

「……やられたな」


 ハンディライトを手にした赤髪の少年は、航空艇の傍らで苦々しげに呟いた。

 細い光条が照らした先には、直径一メートルほどの破孔がぽっかりと口を開けている。


 奇妙な弾痕だった。

 破孔の周囲にはほとんど損傷は見られず、まるでその部分だけが巨大な錐でくり抜かれたようにきれいに消失しているのである。

 冷えて固着したメタルジェットの飛沫や、ロケットモーターの燃焼によって生じる残滓スラグの付着も見られない。

 成形炸薬弾や徹甲榴弾といったによるものではないことはあきらかだった。

 となれば、残る可能性はひとつ。

 レーザーをはじめとする指向性エネルギー兵器だ。


「アゼト、そっちはどうだ!?」


 ふいに呼びかけられて、赤髪の少年――アゼトは声のしたほうへ顔を向ける。

 視線を巡らせるまでもなく、白い軍服をまとった少女がこちらに駆け寄ってくるのがみえた。

 肩まで伸びた黄金色の髪からぴょこんと飛び出しているのは、イヌ科動物を思わせる尖った耳だ。


 人狼兵ライカントループ――――

 太陽の下では自由に活動できない吸血鬼が、みずからの忠実な下僕として作り出した生体改造兵士バイオブーステッドマンの総称である。

 主人である吸血鬼には及ばないものの、常人をはるかに上回る身体能力と強靭な治癒力をもち、肉体が老化することもない。

 人狼兵という名前が示すとおり、彼らには改造手術の過程でさまざまな動物の外見的特徴が付与される。

 どこまで獣に寄せるかは個体によって千差万別だ。全身を毛皮や鱗に覆われたまさしく獣人といった風貌の者もいれば、レーカのように耳を除けば普通の人間とほとんど見分けがつかない者もいる。

 もっとも、外見はどうあれ、人狼兵は吸血鬼に絶対の忠誠を捧げる走狗イヌであり、人間には恐れられながらも軽蔑される存在であることに変わりはない。


 人狼兵の少女が足を止めたのを見計らって、アゼトはぽつりと呟く。

 

「ざっと見たかぎり、メインエンジンはもう使いものにならないだろうな」

「すまない。私が迂闊だったばかりに……」


 絞り出すように言って顔を俯かせたレーカに、アゼトは首を横に振る。


「俺もリーズマリアも、レーカのせいだなんて思ってないさ。謝るよりも、これからどうするかを考えたほうがいい。たぶん、あまり余裕はないはずだ」


 言い終わるが早いか、アゼトはレーカから視線を外し、彼方にそびえ立つ廃ビル群を睨めつけた。

 見渡すかぎりの景色はぬばたまの闇に閉ざされ、聞こえてくるのはすすり泣くような風鳴りの音ばかり。

 それでも、憎悪と敵意が刻一刻と迫ってきていることははっきりとわかる。


 打ち捨てられたこの都市のどこかに、は潜んでいるのだ。

 

***


 蒼の聖塔ブルー・ジグラッドでの死闘から、すでに三日が経っている。


 警戒網にかからぬよう細心の注意を払いながら、蒼い航空艇はまっすぐに西方へと針路を取った。

 吸血鬼――至尊種ハイ・リネージュの次期皇帝であるリーズマリアを西の果てにある帝都ジーベンブルクに送り届けることがこの旅の目的である。

 帝都までの道のりはけっして平坦ではない。

 どのような航路を選んだとしても、十三選帝侯クーアフュルストの領地を通過する必要があるのだ。


 どうにかアルギエバ大公領を抜けたことに安堵の息を吐くまもなく、アゼトとレーカはあらたな敵の出現に神経を尖らせることになった。

 アルギエバ大公領の西隣には、十三選帝侯ラルバック・イザール侯爵の広大な領地が横たわっている。

 アルギエバ大公がノスフェライドに討たれたことは、すでに選帝侯たちの知るところとなっているだろう。

 至尊種ハイ・リネージュの長老がおなじ選帝侯に殺されたとなれば、先帝の崩御以来の大事件である。

 イザール侯爵を含めた諸侯がリーズマリアの逮捕に動くだろうことは想像に難くない。


 リーズマリアの護衛として随伴していた人狼兵部隊は、アルギエバ大公との戦いでレーカをのぞいて全滅している。

 ただひとり生き残ったレーカも傷を負い、大破したウォーローダー・ヴェルフィンは、自力で動くことさえままならない。

 もし敵に襲われれば、アゼトのノスフェライドだけでリーズマリアを守りきらなければならない。

 ノスフェライドは聖戦十三騎エクストラ・サーティーンのなかでも最強の性能をもち、また対ブラッドローダー戦を想定して開発された唯一の機体である。

 そこに吸血猟兵カサドレスであるアゼトの技量が加われば、どのような相手だろうと遅れをとることはない。

 むろん、だからといって、あえて危険を冒す必要はない。

 このさきの長い旅路を考えれば、無用な戦いは避けるに越したことはないのだ。


 目立たぬように人気ひとけのないエリアを進んだ航空艇は、やがて廃都市の上空にさしかかった。

 ふいにコクピットにけたたましいアラーム音が鳴り響いたのはそのときだった。

 ロックオンされたことを知らせる警告だ。

 アゼトはとっさにレーダーディスプレイを見やる。

 接近中のミサイルを示す光点は三つ。すさまじい速度で突進してくる。

 

「レーカ、操縦はまかせる!!」


 叫ぶが早いか、アゼトは格納庫へと身を踊らせていた。

 敵の正体はわからない。

 それでも、攻撃を受けたからには、ノスフェライドで迎え撃つしかないのだ。


「姫様!! しっかり掴まっていてください――――」


 レーカが声を張り上げたのと、航空艇が急降下に入ったのは同時だった。

 刹那、オレンジ色の光球が立て続けにはじけたかと思うと、衝撃波が船体をゆさぶった。

 レーカは操縦桿とフットペダルをたくみに操り、間一髪のところでミサイルを回避したのだ。

 まだ安心は出来ない。敵はすかさず次の攻撃を仕掛けてくるはずであった。


「――――!?」


 ノスフェライドのコクピットに身体をすべりこませようとしたアゼトは、そのまま格納庫の壁に叩きつけられていた。

 航空艇が前触れもなく急上昇に転じたためだ。

 したたかに打ちつけた背中と肩の痛みをこらえつつ、アゼトはノスフェライドの首にしがみつく。


 次の瞬間、まばゆい閃光が舷窓を白く染めた。

 地上から放たれた大出力レーザーが船体を貫通し、メインエンジンを瞬時に破壊したのだ。

 最初に発射されたミサイルは、標的の目をあざむくための囮にすぎなかったのである。


 推力を失った蒼い航空艇エア・シップは、船体を大きく傾がせながら、廃墟が立ちならぶ市街地へと堕ちていった。


***


「まさかこんなに早くイザール侯爵に見つかるとは……」


 アゼトのなにげない言葉を、レーカは「いや」と言下に否定する。


「さっきの攻撃はおそらくイザール侯爵の差し金ではないだろう」

「なぜそう思う?」

「策謀家のアルギエバ大公ならともかく、イザール侯爵は正々堂々の戦いを好む武人だ。不意討ちのような卑劣な手に出るとはおもえない」


 アゼトはそれ以上なにも言わなかった。

 思い返してみれば、これまで倒してきた吸血鬼のなかにも誇り高い者はいた。

 敗れてなお誇りを失わず、みずからの矜持を貫いて死んでいった彼らに、アゼトは畏敬に似た感情を抱いたことさえあるのだ。

 当地を治めるラルバック・イザール侯爵もそうした性格の持ち主であるとすれば、みずからは手を汚すことなく、ミサイルとレーザーによって決着をつけるような無粋な真似をするはずはない。

 ならば、航空艇に攻撃を仕掛けてきたのは……。


「アゼトさん、レーカ、そこにいたのですね」


 鈴を鳴らしたような声とともに、銀色の長い髪がさらさらと夜風に流れた。

 透きとおった乳白色の雪膚。

 大粒の柘榴石ガーネットをはめ込んだような真紅の瞳。

 およそ人間ばなれした美貌は、少女が特別な存在であることを物語っている。

 リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース。

 吸血鬼の姫君は、身のこなしも軽くアゼトとレーカに近づいていく。

 

「姫様、お出でになられては危険です!! ここは私たちがなんとかしますから、どうか船内にお戻りください!!」

「いいえ、レーカ。いまはそれどころではありません」


 リーズマリアはアゼトのほうに向き直ると、真剣な面持ちで告げる。


「ウォーローダーがこちらに近づいてきます。正確な数は分かりませんが、すくなく見積もっても五十機ほど――――」

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