CHAPTER 03:ギャンブラー・ハウス

 会議に姿を見せなかった三人の選帝侯たちのもとにバルタザール・アルギエバ大公の訃報が届けられたのは、それからまもなくのこと。


 皇太后アルテミシアは、亡夫の陵墓みささぎにほど近い城館で。


 フォルカロン家の当主マクシミリアン・フォルカロン侯爵は、凍てついた山脈にそびえる城郭の奥深くで。


 そして、アルギエバ大公領の西隣に領地をもつイザール家の当主ラルバック・イザール侯爵は、みずからが主宰する賭博場カジノの一室で。


 至尊種ハイ・リネージュの長老の死を悼む暇もなく、イザール侯爵には最高執政官ディートリヒ・フェクダルからの極秘指令が与えられた。


 いわく――

 リーズマリア・シメイズ・ルクヴァースの身柄を拘束し、ブラッドローダー・ノスフェライドとともに帝都ジーベンブルクに連行せよ。

 無傷での逮捕が望ましいが、リーズマリアが実力による抵抗をこころみた場合はそのかぎりにあらず。

 また、指令の遂行にあたってその要ありと判断した場合には、ノスフェライドの破壊も許可する――――と。


 ディートリヒがほかの選帝侯を差し置いて、召集命令を無視して遊興にふけっていたイザール侯爵にあえて白羽の矢を立てたのは、むろん理由がある。

 ひとつには、リーズマリアがアルギエバ大公を殺害したあと、隣接するイザール侯爵領に入った可能性が高いこと。

 そしてもうひとつは、ノスフェライドと真っ向から渡りあえる実力を見込まれてのことであった。


***


 グラスに充たされた琥珀色の液体をひと息に飲み干して、選帝侯ラルバック・イザール侯爵はついと席を立った。

 しなやかな長身を白一色のスーツに包み、同色のシルクハットをひっかけたそのいでたちは、まさしく旧時代の伊達男そのものだ。


 塔市タワーの最上部に設けられた賭博場カジノのフロート・ラウンジである。

 フロートと呼ばれるのは、文字どおり磁気浮遊マグネット・フローティングシステムで遊戯フロアの上空に浮かんでいることに由来する。

 宏壮な室内には贅を凝らしたロココ様式の装飾がほどこされ、壁の一面をまるまる使ったオーセンティック調のバー・カウンターには、戦前に瓶詰めされたのワインやウイスキーがずらりと並ぶ。

 そこかしこに設けられたゲームテーブルでは、きらびやかな装いの男女がコントラクトブリッジやポーカー、ルーレットといった遊戯に興じている。

 貴族しか立ち入ることが許されない賭博場のなかでも、さらにひと握りの超富裕層のためにあつらえられた特別な空間であった。


「これは侯爵閣下、いかがなされました――――」


 傍らで談笑していた紳士のひとりが声をかけた。

 至尊種ハイ・リネージュであることは言うまでもない。

 紳士の声が呼び水となって、ラウンジじゅうの注目がイザール侯爵に集まった。

 いずれの紳士淑女も瀟洒な夜会服タキシードやイブニングドレスを着込み、あざやかな宝石を散りばめたアクセサリーで全身を飾り立てている。

 この場にいるのは最低でも男爵の爵位をもち、みずからの領地を経営する大貴族とその妻子だけなのだ。


 もっとも、富と権力について言うなら、彼らは選帝侯の足元にも及ばない。

 おのれの領地では絶対君主として君臨する彼らも、イザール侯爵のまえでは恥も外聞も捨ててへつらい、せいいっぱいの媚びを売るのが常だった。


「侯爵さま、もうすこしごゆっくりなさったらいいのに……」

「まだ十二時を回ったばかり。ほんのですわ」

「侯爵閣下は喉が渇いておいでではなくて? どうか一杯だけお付き合いくださいまし」


 大胆に胸元が開いたドレスをまとった妙齢の美女たち――実際の年齢はともかく、すくなくとも外見は――は、甘ったるい声で囁くと、イザール侯爵のたくましい二の腕にみずからの腕を絡みつかせる。

 彼女らのなかには人妻もいれば、結婚を控えた娘もいる。

 男たちは妻や恋人の媚態に眉をひそめるどころか、侯爵の機嫌を取ってこいと背中を押す始末だ。

 もしおのれの妻女を一夜の共にと所望された日には、悔し涙ならぬ感涙にむせぶだろう。

 度しがたいほどに傲岸不遜でプライドが高い貴族の、これもまたひとつの生態であった。


「宴もたけなわで中座する無礼、方々にはなにとぞご寛恕ねがいたい――――」


 イザール侯爵はよく通る声で告げると、だれにともなく軽く一揖する。

 選帝侯に頭を下げられては、目下の者としてはいっそう恐縮せざるをえない。

 

「理由あってしばらく塔市タワーを離れることになった。ご不興の向きもあろうが、どうか私が留守のあいだも遊戯をお楽しみいただきたい」


 イザール侯爵が指を鳴らすや、ラウンジの壁が音もなく開いた。

 自走式ロボット・ワゴンが運んできたのは、にぶい光沢を帯びた黒っぽい金属板だ。

 なんの変哲もない金属の板切れを認めたとたん、黄金や宝石程度では動じない貴族たちが一斉にどよもした。

 より正確に言うなら、貴族たちを驚かせたのは、金属板に彫り込まれた文章の内容だ。

 イザール侯爵領内に存在するレアメタル鉱山の権利証であった。


 かつて人間社会で広く用いられていた紙の証書・証券類は、至尊種ハイ・リネージュのあいだではなんらの価値をもたない。

 千年ちかい寿命をもつ至尊種にたいして、紙の保存期間は短く、また災害や事故によって容易に失われるためだ。

 とはいえ、資産の譲渡や遺産相続といった場面では依然として証文が不可欠であり、複製可能な電子データでは流出や改ざんのリスクがつきまとう。

 そこで考案されたのが、半永久的に劣化しない超硬合金を用いた記録方法だ。

 特殊な工具を用いて金属板に文字を刻印し、それをもって信用取引の証とするようになったのである。

 ブラッドローダーにナノサイズのスーパーコンピュータが搭載される一方、記録方式は古代のむかしに逆行した趣があるのは、彼らの文明においてしばしば見られるジレンマであった。


 さておき、レアメタル鉱山は所有者に莫大な利益をもたらす。

 過去には採掘権をめぐって有力諸侯がはげしく争い、ブラッドローダー同士の戦闘によって鉱山そのものが消滅した例さえあるほどなのだ。

 聖戦から八百年を経た現在では、石油やレアメタルといった埋蔵資源の枯渇が深刻化し、産出地の価値は年を追うごとに上昇している。

 しかもそのほとんどは十三選帝侯によって囲い込まれ、名だたる大貴族であってもあたらしく手に入れることは不可能とされているのである。

 喉から手が出るほど欲しい権利証を目の前にぶら下げられては、紳士淑女の化けの皮が剥がれるのも当然だった。


 イザール侯爵は、血走った目で権利証を見つめる貴族たちを一瞥すると、


「カードでもルーレットでも結構。この権利証は、私が戻ってくるまでに最も勝ちを積まれた方に進呈する。賭博ギャンブルは真剣になるほど面白いもの――――」


 飄然と言って、権利証を手にさっさと歩き出していた。


「侯爵閣下、どちらへ……⁈」


 イザール侯爵は呼び止めた者の顔を確かめようともせず、ひとりごちるみたいに呟く。


「賭博嫌いのがわざわざ私に話を持ちかけてきたとあっては、まさか無碍に断るわけにもいくまい」


 なんのことやら見当もつかない様子の貴族たちをよそに、イザール侯爵はラウンジの出口へと足を向ける。

 そして、ひらひらと後手に手を振りながら、心底から愉快そうに告げたのだった。


「では方々、おたがいによい賭博ゲームを。まこと、この世に賭けにまさる愉悦はほかになし!」

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