CHAPTER 05:ディア・マイ・シスター
「ナハトレオン!! その小童を始末しろッ!!」
アルギエバ大公の声色には、隠しようのない怒りがにじんでいる。
それも当然だ。確実に心を折ったはずの敵がふたたび立ち上がり、いままで以上の闘志を燃やして剣を向けてきたのだから。
ナハトレオンと入れ替わりにブラウエス・ブルートを後退させつつ、アルギエバ大公は冷酷な声で告げる。
「小童。おまえはその女とは戦えまい?」
「逃げるのか、アルギエバ大公ッ!!」
「勘違いをするな。おまえごときの相手はそやつで充分ということだ――」
アルギエバ大公が吐き捨てるように言ったが早いか、ブラウエス・ブルートの姿は周囲の景色に溶けていった。
ナハトレオンは力強く地を蹴り、ノスフェライドめがけて飛びかかる。
洗脳と記憶抹消の処置を施されても、シクロのローディとしての能力はいささかも衰えていない。
それどころか、カヴァレッタとは比べものにならないほど高性能な機体を得たことで、もともと超一流だった操縦の腕はかつてないほどに冴えわたっている。
ノスフェライドは襲いかかる灼熱の鉄爪を紙一重でかわし、あるいは大太刀で捌きながら、
(考えろ……!! シクロさんを傷つけずにあの機体を止める方法は……)
アゼトはノスフェライドをその場に静止させる。
同時にノスフェライドの足裏から突出したアンカー・スパイクが地面を噛み、機体をその場に固定する。
乗り手であるアゼトがみずからの意志でアンカーを解除するか、両足を同時に切断されないかぎり、もはやなにをされようとノスフェライドは小揺るぎもしない。
アゼトの不退転の決意を示すように、漆黒のブラッドローダーは正中線に合わせて大太刀を掲げる。
機体と
「――ッ!!」
ナハトレオンのすさまじい連撃が襲いかかったのは次の刹那だ。
執拗な攻撃を受けても、ノスフェライドは剣を構えたまま微動だにしない。
一万度の高熱を帯びた鉄爪が呵責なく装甲を溶かす。灼熱と激痛の只中にあって、アゼトはじっとその瞬間を待ちわびている。
死の
アゼトが心折れないかぎり、ノスフェライドは耐えられるということだ。
装甲のそこここが炭化し、いよいよ機体が限界を迎えるかというその瞬間、ナハトレオンの挙動にわずかな隙が生じた。
(……いまだ!!)
アゼトはすかさず機体を固定していたアンカーを解除する。
いままでひたすら攻撃に耐えてきたのは、この一瞬を待ちわびていたのだ。
機械を運用するうえで熱と冷却の問題はつねにつきまとう。
間断ない攻撃によってナハトレオンの関節部は加熱し、ついに冷却が追いつかなくなったのである。
ひとたびハードウェアに深刻な問題が生じたなら、いかにシクロほどの使い手でも機体を意のままに操ることは不可能だ。
アゼトは裂帛の気合とともに大太刀を振り下ろす。
「うおおおっ!!」
するどい刃光が迸るや、ナハトレオンの右手足に糸のような銀線が走った。
まるで最初からそこで分割されていたみたいに、ナハトレオンの右手と右足が音もなく切断されていく。
寸毫の迷いなく打ち込まれたノスフェライドの大太刀は、ナハトレオンの頑強な装甲を一刀のもとに斬断したのである。
それはアゼトにとってもまさしく薄氷を踏むような、もう二度とは再現出来ない芸当だった。
片側の手足を失ったナハトレオンはそのままバランスを崩し、どうと地面に倒れ伏す。
手足を破壊したところで油断は出来ない。
アゼトはノスフェライドを突進させ、馬乗りになる格好でナハトレオンの動きを封じる。
シクロを傷つけてしまう危険性は承知のうえで、アゼトは最善・最短の行動を迷いなく選択したのだった。
「シクロさん、ごめん――」
ノスフェライドの指がナハトレオンのコクピットハッチにかかった。
めきめきと耳障りな破壊音を立ててナハトレオンの機体が裂けていく。
シクロの姿があらわになるまでは数秒とかからなかった。
「シクロさん!! 俺です、アゼトです!! しっかりしてください!!」
アゼトは必死に呼びかけるが、やはり返答はない。
およそ生気の感じられないうつろな瞳は、アルギエバ大公に施された処置の過酷さを無言のうちに物語っている。
アゼトは慙愧と自責の念を振りはらい、シクロの身体に装着された拘束具を注意深く引き剥がしていく。
(はやくシクロさんをこの機体から引き離さないと……)
アゼトの脳裏に不吉な光景が流れ込んだ。
白い閃光に胴体を貫かれ、跡形もなく四散するノスフェライドの姿――。
それはノスフェライドが
死の危険がすぐそこまで近づいていることを知らせているのだ。
ナハトレオンを抱えたままノスフェライドが上空に跳んだのと、太いレーザービームが地面を抉ったのは同時だった。
下方をちらと見やって、アゼトは言葉を失った。
ビームが命中した地点を中心に地面が液状化している。
表土はおろか金属の地盤までもがどろどろに溶け崩れ、まるで煮えたぎったスープみたいに泡立っているのだ。
跳躍があと半秒でも遅れていれば、アゼトとシクロも即死していただろう。
ブラッドローダーに搭載されている重水素レーザーにはこれほどの威力はない。
アルギエバ大公が新手を呼んだのか、それともブラウエス・ブルートに隠された武装があったのかは判然としないが、いずれにせよ命中は死を意味する。
闘技場の上空が奇妙に歪み、蒼い影がゆらりと現れたのはそのときだった。
「二匹まとめて葬り去ってやろうかと思ったが、悪運の強い奴だ」
いかにも口惜しげに言ったアルギエバ大公は、しかし、本気で悔しがっているのでないことはあきらかだった。
「ブラッドローダーに乗っているとはいえ、たかが人間一匹を始末するのにこれを使うことになろうとはな」
ふたたび姿を現したブラウエス・ブルートは、先ほどまでとはあきらかに様相を異にしている。
本来の装甲の上に
右手に携えているのは、機体の身の丈ほどもある長大な槍だ。
その破壊力は、ブラッドローダー用の武装としては最強クラスに位置付けられている。
かつての聖戦で使用された駆逐・殲滅戦用のオプション装備――アーマメント・ドレス。
ブラウエス・ブルートは、八百年ぶりに戦装束に身を固めたのだった。
「どんな手を使おうと関係ない。貴様を倒し、シクロさんとリーズマリアを取り戻すだけだ」
「物分りの悪い小童よ。その女はもう人間には戻れないと言ったのを忘れたか」
アルギエバ大公はすげなく言い捨てると、あらためて重騎槍を構える。
その動作にあわせて、アゼトの視界に警告表示が次々と表示される。
ブラウエス・ブルートにロックオンされたのだ。ノスフェライドだけならともかく、ナハトレオンを抱えたままではまず逃げ切れない。
「それほどその女が好きなら、もろともに死ぬがいい」
アゼトの脳裏にふたたび死の幻像がよぎる。
この距離ではどうあがいたところで避けられない。
予知された不吉な未来は、今度こそ現実のものになる。――そのはずだった。
「な……っ!?」
ふいにアゼトの視界が逆しまに回転した。
ノスフェライドが弾き飛ばされるみたいに地面に叩きつけられたのだ。
抱きかかえていたナハトレオンがだしぬけに
「シクロさん――!?」
ナハトレオンは、かろうじて動く右手足でブラウエス・ブルートに組み付く。
あと数秒で重騎槍のチャージが完了するというところで予期せぬ攻撃を受けたアルギエバ大公は、おもわず驚嘆の声を漏らしていた。
「なぜだ!? この女の記憶はすべて消し去った。自我など残ってはいないはずだ!!」
「……させない……」
洗脳の効果が消えたわけではない。記憶中枢は回復不能なほどに破壊されている。
「あの子はぜったいに……殺させない……」
ブラウエス・ブルートの左腕が動いた。
ナハトレオンをふりほどくことを諦める代わりに、重水素レーザーをゼロ距離で撃ち込もうというのだ。
むき出しのコクピットにレーザーが命中すれば、当然シクロは跡形もなく消滅する。
「出来損ないめが!! このまま消し炭にしてくれる――」
重水素レーザーが発射されるかというまさにその瞬間、ブラウエス・ブルートの機体がおおきく傾いだ。
ノスフェライドがすさまじい速度で突進してくるのを察知したのだ。
アルギエバ大公の背筋を冷たいものが駆け抜けていった。
よしんばナハトレオンを破壊したとしても、ノスフェライドの攻撃をまともに受けたのでは元も子もない。
ブラウエス・ブルートは推進器を全開し、できるかぎり間合いを取ろうとするが、ナハトレオンに組み付かれたままではそれもままならない。
「おのれ……!! 下等な人間風情が、よくもこの私に小癪な真似を……!!」
アルギエバ大公は怒声を放つや、唯一自由に動くブラウエス・ブルートの左腕でナハトレオンを滅多打ちにする。
金属と金属がぶつかりあう重く乾いた音のまにまに、湿った音が混じった。
執拗な攻撃を受け、力尽きたようにブラウエス・ブルートから離れたナハトレオンは、見る影もないほどに壊れ果てていた。
「ぐ……ああッ!!」
アルギエバ大公の絶叫が一帯を領した。
ナハトレオンと入れ替わりにノスフェライドが内懐に飛び込み、逆袈裟にブラウエス・ブルートを切り裂いたのだ。
大太刀の一閃は、まともに入っていれば確実に致命傷になっただろう。
当たりはあくまで浅く、刃は蒼い装甲を薄く削っただけだ。
それで充分だった。
たまらず姿勢を崩したブラウエス・ブルートめがけて、アゼトはノスフェライドの胸部に内蔵されたグレネードランチャーを連射する。
小爆発の直後、ぱっと半透明の液体がブラウエス・ブルートを包んだ。
榴弾をいくら撃ち込んだところでブラッドローダーには通用しないが、粘着弾ならば一時的に行動を阻害することは出来る。
高い
身動きの取れなくなった蒼い巨体は、もがきながら庭園の木々のあいだに墜落していった。
「シクロさんっ――」
アゼトはブラウエス・ブルートにはもはや目もくれず、ナハトレオンの傍らに着陸する。
ノスフェライドを飛び出したアゼトは、シクロのもとへ急ぐ。
ひしゃげた装甲を取り払うたび、ぴちゃぴちゃと湿った水音が響いた。
アゼトはほとんど半狂乱になりながら、残骸に埋もれたコクピットからようやくシクロを見つけ出した。
「そんな……うそだ……」
アゼトが言葉を失ったのも当然だ。
強く美しかった女賞金稼ぎはどこにもいない。
砕けたナハトレオンの装甲は、するどい凶器となって容赦なく
血の海のなかでかろうじて呼吸を保っていたシクロは、アゼトに気づいてふっと微笑みを浮かべる。
「アゼト……」
「しっかりしてください!! すぐに手当てをしますから、動かないで!!」
上ずった声で叫ぶアゼトに、シクロはゆるゆると首を横に振る。
「だめよ……あたしはもう……」
「バカなことを言わないでください!!」
「アゼト……あんたには迷惑かけたね……許してくれる……?」
「許すも許さないもありません……おねがいだから、しゃべらないで……!!」
アゼトの両眼からはとめどもなく涙があふれだす。
シクロは血まみれの手を伸ばし、アゼトの赤い髪を撫でる。
「ごめんね……アゼト……」
もう目は見えていないのだろう。
愛おしむように、名残を惜しむように。
額から頬、顎先へと、シクロの指はアゼトの輪郭をやさしくなぞっていく。
「あんたは強くなった。もう、ひとりでも立派にやっていける……」
「そんなことない……シクロさんがいなきゃ、俺はなんにも出来ないよ……だから、ひとりにしないで……」
アゼトは大声でむせび泣きながら、シクロを抱きしめる。
「ねえ、アゼト。あんたがいたから、あたしはいままで生きてこられたんだよ」
「シクロさん……」
「だから、あたしのぶんまで生きてね、アゼト……あたしのいちばん大切な……宝物……」
花弁が散るように、シクロの手がアゼトの顔から剥がれていった。
「姉さん……――?」
かすかな息遣いも、弱々しい鼓動も、いまはもう聞こえない。
どれほど呼びかけたところで、二度と最愛の女が目覚めることはない。
満天の星の下、獣のような慟哭がほとばしった。
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