CHAPTER 04:ペインフル・メモリーズ

 ノスフェライドを載せたエレベーターは音もなく停止した。

 高度計は海抜十万メートル付近を示している。

 ”蒼の聖塔ブルー・ジグラッド”の最上層部は、宇宙の入り口である熱圏に位置している。

 アルギエバ大公が住まうその場所に、アゼトはついに足を踏み入れたのだった。


 アゼトは迷うことなく大太刀を抜き、エレベーターの扉を切り裂く。

 次の瞬間、少年の目交まなかいにやわらかな光があふれた。

 見上げれば、透明なドーム型天井を透かしてあたり一面に星あかりが降り注いでいる。

 

塔市タワーの上にこんな場所が……」


 石畳の道を注意深く進みながら、アゼトはおもわずごちていた。

 青々と茂った生け垣、沿道に立ち並ぶ多種多様な木々、美しさを競うように咲き誇る色とりどりの花々……。

 どれも荒廃しきった地上ではまず目にすることのないものだ。

 隅々までぬかりなく手入れが行き届いた庭園には、しかし、人の気配だけが欠け落ちている。


 ノスフェライドの索敵センサーが警告を発したのはそのときだった。


「……!!」


 アゼトは反射的に大太刀に手をのばす。

 センサーの表示はすでに消失しているが、誤作動などではない。

 何者かは分からない。それでも、まちがいなくすぐ近くにのだ。

 

 いつでも抜刀出来るように構えを保ちながら、アゼトはなおも前進する。

 やがて生け垣が途切れたかと思うと、視界がふいに開けた。

 先ほどまでの植物が繁茂する庭園の風景から打って変わって、そこは乾いた土が敷き詰められた広場だった。三方は観客席らしい建造物に取り囲まれている。

 古代の闘技場コロッセオそっくりに作られているとは、むろんアゼトには知る由もないことだ。

 

「よくぞここまで辿り着いた。逃げ出さなかったことは褒めてやるぞ、吸血猟兵カサドレス


 ふいに呼びかけられて、アゼトはほとんど無意識に大太刀を抜いていた。

 聞き間違えるはずもない。たしかにアルギエバ大公の声だ。

 姿が見えないのは、ブラウエス・ブルートの光学迷彩被膜フォトニック・カムフラージュを使用しているためだろう。


「姿を見せろ、アルギエバ大公。シクロさんとリーズマリアはどこにいる!?」

「そう急かさずとも、すぐに会わせてやる」


 アルギエバ大公の言葉に合わせて、闘技場の観客席が音もなく動いた。

 やがて石造りの観客席のなかに出現したのは、高さ三メートルほどの透明な円筒だ。

 ガラスの檻のなかに囚われているのは、美しい銀灰色シルバーアッシュの髪の少女だった。


「アゼトさん――」

「リーズマリア、無事なんだな!?」


 アゼトは安堵の息をぐっと飲み込んで、ふたたびアルギエバ大公にむかって声を張り上げる。


「アルギエバ大公、シクロさんはどうした!?」

「あの女なら、先ほどからおまえのすぐ近くにいるではないか」

「なんだと……!?」


 すさまじい衝撃が背後からノスフェライドを襲ったのは次の瞬間だった。

 盾で防御することもままならず、ノスフェライドは前のめりに地面に叩きつけられていた。

 焼けた鉄棒を背中に押し付けられたような痛みと灼熱感に、アゼトはおもわず苦悶の声をもらす。

 損傷はかなりの深さまで達しているらしい。めくれあがった装甲は赤熱化し、ところどころ白っぽく炭化してさえいる。


 すばやく姿勢を立て直したアゼトは、おもわず息を呑んだ。

 わずかな距離を隔ててノスフェライドと対峙するのは、見たこともない異形の機体だった。

 かすかな星明かりを浴びて青緑色ビリジアンの重装甲がきらめく。

 するどい爪をそなえた無骨な前腕と、はちきれんばかりにふくれあがった逞しい後肢は、人型というよりはむしろ直立した大型肉食獣にちかい。

 雄ライオンのたてがみを象った頭部では、三つ眼のセンサー・ユニットが青白い光を放っている。


「こいつ……ウォーローダーなのか……!?」


 人型をおおきく外れたシルエット、そして人間をはるかに超えた反応速度から、通常のウォーローダーではないことはあきらかだ。

 やはり姿を隠したままのアルギエバ大公は、アゼトの疑問に答えるように、朗々と語りはじめる。

 

「”闇夜の獅子ナハトレオン”――ブラッドローダーの贋作レプリカだ。むろん性能は真作オリジナルには及ばぬが、なかなかおもしろい機体だろう?」

「ふざけるな!! こんなもの、すぐに片付けてやる!!」

「その機体に乗っている者の顔を見てもおなじことが言えるか、小童」


 アルギエバ大公が指を鳴らすと同時に、ナハトレオンのコクピットハッチが開け放たれた。

 ノスフェライドのセンサーは瞬時に乗り手ローディを識別し、いつでも攻撃を仕掛けられるように自動で照準をおこなう。

 照準環レティクルのなかに浮かんだ顔を認めたとたん、アゼトは「あっ」とちいさく叫び声を上げていた。

 

「そんな……うそだ……」


 物心ついたときから姉同然に慕ってきた女は、ナハトレオンのコクピットに深く身を沈め、うつろな瞳でアゼトを見つめ返していた。


「シクロさん――」


***


 天空の闘技場を舞台に決戦の幕が上がった。


 それは、しかし、戦いと呼ぶにはあまりに一方的な展開だった。

 ブラウエス・ブルートとナハトレオンが二機がかりでノスフェライドを取り囲み、はげしい攻撃を加えているのである。

 無抵抗の相手を容赦なくなぶりものにしていると言ったほうがよほど正確だ。 

 

「どうした、吸血猟兵カサドレス。その女が相手では手も足も出ないようだな」


 ブラウエス・ブルートはノスフェライドの頭部を掴むと、手近な石壁に勢いよく叩きつける。

 むろん木っ端微塵に砕けたのは石壁のほうだが、アゼトは自分の頭が割られたのと変わらない痛みを感じている。

 あくまで擬似的な感覚とはいえ、何度も死を体験させられているのとおなじことなのだ。


 よろめきながら立ち上がったノスフェライドに、今度はナハトレオンがするどい鉄爪の一撃を叩き込む。

 一万度ちかい高温を帯びて赤熱化した爪は、直撃すればブラッドローダーの装甲にも損傷を与えることが出来る。

 ノスフェライドの漆黒の装甲は大小の傷に埋め尽くされて、つややかな光沢は見る影もない。

 アゼトはようよう機体を立て直すと、そのままナハトレオンに組み付く。


「シクロさん、目を覚ましてください!! 俺のことが分からないんですか!?」


 返答の代わりとでも言うように、ナハトレオンはノスフェライドの腹部に強烈な膝蹴りを見舞う。

 漆黒の機体がに折れた。

 ブラッドローダーのコクピットは分厚い装甲で保護されているとはいえ、ダメージを完全に無効化出来るわけではない。

 度重なる衝撃によってじわじわと肉体が破壊されていく感覚は、まぎれもなく現実のものだ。

 

「アルギエバ大公、シクロさんになにをした!?」

人狼兵ライカントループ用の洗脳処置を施したのだ。さすがに肉体の改造までは手が回らなかったがな」

「いますぐその人をもとに戻せ……!!」

「出来ぬ相談だ。その女はわが忠実なる下僕しもべとなった。もう貴様のことなど覚えてはおらぬだろう――」


 アルギエバ大公が笑声を放つや、ブラウエス・ブルートの手がノスフェライドの喉首を掴み上げる。

 あえてとどめを刺さずに晒しものにしたのは、この戦いを見守るたったひとりのに見せつけるためだ。


「リーズマリア、見えているな?」


 アルギエバ大公は弾むような声色で語りかける。

 リーズマリアは透明な檻に囚われたまま、悲痛なまなざしをノスフェライドに注いでいる。

  

「やめなさい、バルタザール・アルギエバ!! 皇帝の命令が聞けないのですか!?」

「裏切り者が皇帝とは笑わせてくれる。この私がおまえごとき小娘の命令に従うとでも思っているのか」


 アルギエバ大公は心底からいまいましげに吐き捨てると、ノスフェライドを持ち上げたままリーズマリアにむかって一歩ずつ近づいていく。


「おまえを助けに来た人間がぶざまに死ぬところを見せてやろう」

「私はどうなってもかまいません。だから、どうか、アゼトさんの生命だけは……」

「わが手元に吸血猟兵カサドレスは二匹も必要ない。死出の道連れが出来たことを幸いにおもえ、リーズマリア」


 アルギエバ大公の声を遮るように、めきめきと耳障りな破壊音が生じた。

 ブラウエス・ブルートに掴み取られたノスフェライドの首関節が軋りを立てているのだ。

 喉元の装甲の下には、ちょうどアゼトの顔が位置している。

 このまま力任せにノスフェライドの首を握り潰せば、言うまでもなくアゼトも即死する。


「リーズマリア……ごめん……」


 アゼトは消え入りそうな声で詫びる。

 ノスフェライドを託されながら、けっきょく力及ばなかったこと。

 レーカと約束しておきながら、リーズマリアもシクロも助けられなかったこと。

 とめどなくあふれる悔し涙が少年の頬を濡らしていく。


「しかし小童、リーズマリアの過去を知ってなおあの娘に肩入れしているのなら、おまえもなかなか酔狂なやつよ」

「なんのことだ……?」

「やはりなにも知らなかったようだな。いや、わざと隠していたと言ったほうが正しいか?」


 アルギエバ大公の言葉を断ち切るようにするどい悲鳴が上がった。

 アゼトはとっさにリーズマリアに視線を向ける。

 可憐な吸血鬼の姫はカプセルの壁にはげしく拳を叩きつけ、半狂乱でなにかを叫んでいる。


「死ぬ前に教えてやろう。……あの娘はおまえたちの味方などではない。あれの手は人間の血に染まっているのだ」


 崩折れるリーズマリアを横目に見つつ、アルギエバ大公は残酷な笑い声とともに言葉を継いでいく。


「リーズマリア・ルクヴァースはたしかに人間の手で育てられた。そして十五歳になったとき、育ての親と兄弟を手にかけたのだ。人間どもも、まさか我が子同然に育ててきた娘に殺されるとは夢にも思ってもいなかっただろうにな」

「うそだ……そんなでたらめ、俺は信じない……!!」

「すべて真実だ。我ら至尊種ハイ・リネージュにとって、生涯最初の吸血衝動は理性では抗いきれぬほどに強烈なもの。ままごとの家族とはいえ、ずっと寝食を共にしてきた人間の血の味はさぞや甘美であったろうなあ、リーズマリアよ」


 アゼトはふらふらと観客席に視線を巡らせる。

 リーズマリアはカプセルの底にうずくまり、声にならない嗚咽を漏らしている。


「これで分かっただろう、吸血猟兵カサドレスの小童。おまえはなにも知らないまま、あの娘にいいように騙されていたということだ――」


 アルギエバ大公の嘲りに、アゼトは強く唇を噛む。

 かつての自分なら、吸血鬼の忌まわしい所業に怒りを覚えただろう。

 いま、真実を知ったアゼトの心に澎湃と沸き起こった感情は、憎しみでも怒りでもない。

 言葉にできないほどの深い悲しみ。

 そして、その細い肩を抱きしめたくなるほどの愛おしさだった。


(リーズマリア……君は……)


 ほかの吸血鬼たちが虫けらと見下してはばからない人間のために、リーズマリアは心からの涙を流している。

 そして、たったひとり、罪の十字架を背負って玉座を目指そうとしている。

 だれもその苦しみを肩代わりすることは出来ない。

 アゼトに出来るのは、はてしない贖罪の旅路を守ることだけなのだ。


「……ない……」

「なんだと?」

「過去になにがあったとしても関係ない。俺はいまのリーズマリアを信じる」


 アゼトの叫びに呼応するように、ノスフェライドの指が動いた。

 萎えきっていた鋼鉄のかいなにふたたび熱い血が巡り、すさまじい力がみなぎっていく。

 ノスフェライドは首にかかったブラウエス・ブルートの腕を力ずくで引き剥がし――そのまま弾き飛ばす。


「小童め。まだ歯向かう気力が残っていたか――」

「俺はぜったいにあきらめない。この身体が動くかぎり、最期まで戦い抜く」

 

 力強く立ち上がったノスフェライドは、ブラウエス・ブルートとナハトレオンにむかって大太刀を構える。

 黒鉄くろがねの巨人騎士と一体化した少年は、声のかぎりに咆哮する。


「リーズマリアもシクロさんも、かならずこの手で取り戻してみせる!!」

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