CHAPTER 03:ドッグファイト

 上昇を続けていたカーゴブロックはじょじょに速度を落とし、やがて音もなく停止した。


 港湾ポートを離れてから、まだ一分と経っていない。

 ノスフェライドとヴェルフィンの高度計は、どちらも海抜八万メートルを示している。

 射出と同時に極超音速に達したカーゴブロックは、わずかな時間のあいだに塔市タワー上層部に到着したのだった。


 周囲に最大限の警戒を払いつつ、ノスフェライドとヴェルフィンはカーゴブロックを出る。

 ハッチの外に広がっていたのは、はたしてカーゴ発着場だった。

 壁面にはカーゴブロックを受け止めるためのデッキがいくつも並び、床と天井には物資搬入用のレールが張り巡らされている。

 作業灯の青白い光に照らし出されただだっぴろい空間は、まるでもぬけの殻と化したみたいに静まりかえって、動くものさえ見当たらない。

 ノスフェライドのセンサーも沈黙を守ったままだ。


 慎重に発着場内を進みながら、アゼトはレーカに問いかける。

 

「レーカ、ここがどのあたりか分かるか?」

「おそらくだ。地上から直接アクセス出来るのはここまでだ。ここから上に行くには、別のエレベーターを探さなければ……」


 レーカの声には隠しきれない焦りがにじんでいる。

 時刻は午後七時を回ったところ。

 アルギエバ大公が予告したリーズマリアの処刑執行まであと六時間を切っている。

 もしそれまでに最上層に到達出来なければ、アゼトとレーカの奮戦はすべて水泡に帰すのだ。

 一抹の不安を抱えながら、二人はひたすらに先を急ぐ。

 静かすぎるのは気がかりだが、遅疑逡巡している暇はない。寸秒を惜しむいま、敵と遭遇しないに越したことはないのだ。


 そうするうちに、前方に発着場の出入り口らしきゲートが見えてきた。

 たったひとつしかない出入り口は、いかにも頑丈そうな隔壁に閉ざされている。

 核兵器の直撃にも耐える防護シャッターだ。ただ堅牢なだけでなく、表面にはレーダー波や紫外線を通さない特殊コーティングが施されている。


 ノスフェライドの高性能センサーをもってしても、扉の先になにがあるのかまでは見通せない。

 むろん、ブラッドローダーの火力であれば力まかせに破壊することも可能だが、アゼトはどうにも気が進まなかった。

 べつに根拠があるわけではない。

 ただ、悪寒に似た感覚が背筋をぞくりと走り抜けていったのである。

 

 アゼトの不吉な予感を裏書きするように、乾いた音とともにシャッターがひとりでに動き出した。

 扉の向こう側には、濃厚な闇に充たされた広壮な空間が広がっている。


「アゼト、どう思う?」

「十中八九、罠だろうな――」


 前方の闇を見据えたまま、アゼトはぽつりと呟く。

 やはり敵機の反応はないが、だからといって油断は出来ない。

 ここはあのアルギエバ大公の居城なのだ。どこに伏兵を潜ませていても不思議ではないのである。


「そうだとしても、行くしかない。ここまで来たらもう後戻りは出来ないからな」

「まずは私が先行して様子を……」

「いや、俺が先に行く。レーカは後ろを見張っていてくれ」


 言い終わるが早いか、アゼトはノスフェライドを前進させる。

 ノスフェライドがゲートをくぐったのと、ぐらりと足元が揺れたのはほとんど同時だった。

 高度計の数字がみるみる増大していく。

 空間そのものが最上層部へと通じるエレベーターだったことに気づいたときには、ついさっきまで身を置いていた発着場とは百メートル以上の高低差が生じている。

 

「しまった――」


 アゼトは焦りつつ、ヴェルフィンとの通信を試みる。

 ややあって、ノイズ混じりのレーカの声がアゼトの耳朶を打った。


「アゼト、無事か?」

「俺のことなら心配ない。なんとかエレベーターを止めてみる。俺が戻るまでその場を……」


 アゼトの言葉をけたたましい銃声が遮った。

 ノイズのために気づくのが遅れたが、どうやらヴェルフィンは戦闘の真っ只中にいるらしい。

 銃撃の残響も熄まぬうちに、金属同士をぶつけあう耳障りな音が立て続けに響く。

 いままでどこに隠れていたのか、複数の敵がヴェルフィンを取り囲んでいるらしい。

 いかにレーカでも、多勢に無勢では勝ち目はうすい。

 

「レーカ、逃げろ!!」

「心配するな。私のことは気にせず、そのまま最上層に向かってくれ」

「しかし――」

「私とヴェルフィンをみくびるな。この程度の窮地、ひとりでも切り抜けてみせる。……姫様のことを頼んだぞ」


 通信はそこで途絶えた。

 距離が離れすぎたためか、あるいはレーカがわざと通信機インカムのスイッチを切ったのかは判然としない。

 たったひとり孤独な戦いを強いられている人狼兵ライカントループの少女を思いながら、アゼトは強く唇を噛むことしか出来なかった。


***


「どうやら見捨てられたようだな――」


 人狼兵に特有のくぐもった声が発着場に流れた。

 言うまでもなく、声の主は騎士団長シェルナバシュだ。

 愛機メッツガーフントは、フレームに最低限の装甲が施されただけの軽装型ネイキッド・タイプへと改装されている。

 塗装すら施されていない、薄鈍色の地金がむきだしになった装甲は、白兵戦での機動性を極限まで追求した結果だ。

 武装は両手に携えた二振りの曲刀シミターだけだが、火力不足は問題にならない。

 メッツガーフントに率いられた五機のヤクトフントは、ヴェルフィンに猛烈な射撃を浴びせている。


「おなじ人狼兵として同情するぞ。おろかな主人を持った不幸を呪うがいい――」

「私のことはなんとでも言え。だが、姫様を侮辱することは許さない!!」


 紙一重の差で砲火をすりぬけながら、朱色バーミリオンレッドの装甲が躍動する。

 遮蔽物をたくみに利用しながら、ヴェルフィンは一気に間合いを詰める。

 凡百のウォーローダーとは別格の機体性能と、乗り手ローディであるレーカのすぐれた操縦技術が相まってはじめて実現する離れ業だ。


「そこだッ!!」


 銀光を散らしてヴェルフィンの長剣が閃いた。

 二機のヤクトフントが糸が切れた人形みたいに崩折れる。どちらも一刀のもとに胴体を深く切り込まれ、乗り手ローディごと即死したのだ。

 返す刀でさらに一機を斬り捨てて、レーカはすばやくヴェルフィンを後退させる。

 

「ほお、たいした腕前だな。そうでなくては殺し甲斐がない……」


 またたくまに三人の部下を失ったにもかかわらず、シェルナバシュの声色には余裕がある。

 たとえ味方だろうと、敗れ去った者にかける情けなど欠片も持ち合わせてはいないのだ。


 シェルナバシュは残った二機に援護を命じると、みずから先陣を切ってヴェルフィンに急迫する。

 メッツガーフントが打ち下ろした二振りの曲刀シミターと、ヴェルフィンの長剣がぶつかりあい、はげしい火花を散らす。

 鍔迫り合いを演じながら、シェルナバシュはいかにも楽しげにレーカに語りかける。

 

「なにをしても無駄だ。リーズマリアも貴様らも、生きてこの塔市タワーから出ることは出来ん」

「だまれ!! おまえたちの思い通りになると思うな……ッ!!」

「せいぜい足掻いてみせろ。あの女賞金稼ぎをこの手で仕留められなかったのは残念だが、そのぶんも楽しませてもらうとしよう」


 シェルナバシュが言い終わるが早いか、メッツガーフントの機体がおおきく沈んだ。

 間髪をおかずに二条の火線がヴェルフィンめがけて迸り、発着場の壁面と床に無数の弾痕を穿っていく。

 さしものレーカのヴェルフィンも、メッツガーフントと戦いながら攻撃を回避するのは容易ではない。

 射撃が掠めるたびにヴェルフィンの装甲は傷つき、朱色の美しい塗装は容赦なく剥ぎ取られていく。

 避けきれなかった銃弾がコクピット内で跳ね回り、破片によって切り裂かれたレーカの頬と額はみるみる鮮血に染まっていった。


「まだだ……!! これしきの傷!!」

「見上げた心意気だが、虚勢を張っていられるのもいまのうちだけだ」


 冷酷に言い放って、シェルナバシュは曲刀を振り下ろす。

 するどく重い刃がヴェルフィンを切り刻むかというその瞬間、レーカはとっさに長剣を投擲していた。

 むろん、苦し紛れに剣を投げつけたところで、メッツガーフントには当たらないことはレーカとて承知している。

 狙いはメッツガーフントではなく、その後方で援護する二機のヤクトフントの片割れだ。


「なに――!?」


 シェルナバシュが驚嘆の声を漏らしたのと、ヤクトフントが仰向けに倒れたのはほとんど同時だった。

 レーカは一瞬の隙を逃さず、ヴェルフィンをメッツガーフントにむかって猛進させる。 

 メッツガーフントが振り下ろした曲刀に左腕を肩口から切り落とされながら、朱色のウォーローダーは力任せに機体を叩きつける。


 大質量の体当たりチャージをまともに喰らい、たまらずバランスを崩したメッツガーフントから曲刀を奪い取るや、ヴェルフィンはそのままもう一機のヤクトフントに躍りかかる。

 銃弾の雨に装甲を削り取られながら、ヴェルフィンはヤクトフントの内懐に飛び込んでいく。

 転瞬、右腰から左肩まで逆袈裟に斬断されたヤクトフントは、おびただしい血とオイルを噴き上げながらがくりと膝を折った。


 レーカはヴェルフィンをその場で反転させると、はやくも体勢を立て直したメッツガーフントに曲刀の切っ先を向ける。


「これで邪魔者はいなくなった。ここからは一対一の決闘だ」

「決闘だと?」


 レーカの言葉に、シェルナバシュはくつくつと忍び笑いを漏らす。


「なにがおかしい?」

「自分でも分かっているだろう。手負いの乗り手ローディと壊れかかった機体。そんなザマでまともに戦えるはずがない」

「関係ない――私はこの生命が尽きるまで戦い抜くまでだ」


 ヴェルフィンはあらためてメッツガーフントにむかって曲刀を構える。

 レーカは全身を苛む激痛に耐えながら、高らかに名乗りを上げる。


「リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース姫殿下の騎士、レーカ・ジルエッタ! いざ参る!!」

「人狼騎士団長シェルナバシュ。わが主君・アルギエバ大公殿下の名において貴様を処刑する――」


 わずかな睨み合いのあと、朱と薄鈍色のウォーローダーは、どちらともなく動き出していた。

 寂然と静まり返った発着場内にモーターの甲高い駆動音がこだまする。

 ヴェルフィンの破損部からはオイルと冷却液がとめどなく漏れ出し、朱色の美しい装甲をおどろおどろしい色あいに染めている。

 ひどく傷ついているのはヴェルフィンだけではない。

 失血のためにレーカの視界はかすみ、操縦桿を握る手指はほとんど麻痺している。

 人狼兵の強化された肉体でも、まともに意識を保っていられるのはあと数十秒が限度だろう。

 正真正銘、これが最後の攻撃なのだ。

 

 ヴェルフィンとメッツガーフントが攻撃を繰り出したのはほとんど同時だった。

 するどい風切り音は

 どちらも音速を超える速度で斬撃を繰り出したためだ。

 ブラッドローダーならいざしらず、ウォーローダー同士の戦いで剣が音速を超えることはきわめて稀だ。


「――!!」


 ごろん、と、重い音とともにヴェルフィンの頭部が転がり落ちた。

 首なしの機体はそのまま数メートルほど進んだあと、前のめりに倒れ込む。

 噴き出したオイルが発着場の床にまるく広がっていく。

 大量の血液を失ったレーカは、コクピットのなかで昏倒している。

 

「……終わったな」


 シェルナバシュはぽつりと呟いて、腹部に手を当てる。

 なまあたたかい感触とともに、傷口から血と臓物はらわたがどっとこぼれ出た。

 ヴェルフィンの斬撃は、まさしく一髪の差でメッツガーフントの装甲を切り裂き、シェルナバシュに致命傷を与えたのだった。

 さしもの人狼兵も、これほどの深傷ふかでを負っては助からない。

 シェルナバシュはメイン・コンソールの上にごぼりと血塊を吐き出すと、喘鳴とともに低い笑い声をもらす。

 

「久しぶりにいい気分だ。これでもう……強敵を求めずに……済む……」


 濃密な血臭が立ち込めるコクピットのなか、騎士団長のおそろしげな顔に浮かんだのは、満足げな微笑みだった。

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