第四話:聖塔決死戦域

CHAPTER 01:ワンス・アポン・ア・タイム

 ノスフェライドが地上に出たのは、すでに日も昇りきったころだった。


 ブラッドローダーの堅牢無比な機体は、岩石の下敷きになった程度で破壊されることはない。

 山ひとつ分の大質量を受け止めてなお無傷のノスフェライドは、重水素レーザーで土砂を溶解させ、地中を掘り進むようにして大崩落を脱出したのである。


 むろん、アルギエバ大公と配下の人狼兵たちはとうに撤収を終えている。

 アゼトが坑道内を血眼になって探し回っても、シクロとリーズマリアの姿はどこにも見当たらなかった。

 がらんとした廃鉱内に残されていたのは、集中砲火を受けて無残に破壊された脱出艇と大型トランスポーター、そしてグルカナイフを握りしめたまま切り落とされたカヴァレッタの両腕だけだ。


 すっかり意気消沈した様子で鉱山の外に出たアゼトを迎えたのは、レーカのヴェルフィンだった。

 朱色バーミリオンレッドの機体はひどく傷つき、美しく輝いていた装甲は見る影もないほどに汚れきっている。

 それでも動作そのものに問題が生じていないのは、並のウォーローダーとは段違いの耐久性ゆえだ。

 運良くアルギエバ大公配下の人狼兵ライカントループたちに発見されずに済んだのか、それともわざわざ殺す値打ちもないと判断されたのか……。

 いずれにせよ、ブラウエス・ブルートの一撃を受けて昏倒したレーカは、数時間後に目覚めるまで坑道内に捨て置かれたのだった。


「私としたことが不覚を取った……」


 開け放たれたコクピットのなかで、人狼兵の少女は強く唇を噛んだ。

 顔には泣き腫らした痕跡がなまなましく刻まれている。

 目覚めると同時にすべてを悟ったレーカは、みずからの無力さに打ちひしがれたのだ。


 コクピットを降りたアゼトは、軽いめまいを覚えて機体によりかかる。

 身体がいやに重い。ノスフェライドに乗っていたときに較べると、手足はまるで鉛と化したようだ。

 ブラッドローダーとの神経接続ニューロ・リンクが解除されたことで、生身の感覚が戻ったのである。

 慣れ親しんだはずの肉体は、機械よりもはるかに重く鈍い。そのギャップはアゼトを戸惑わせるのに充分だった。

 どうにかバランスを取りながら、アゼトはレーカに視線を向ける。

 

「それは俺も同じだ。ブラッドローダーに乗っていたというのに、アルギエバ大公からリーズマリアを守れなかった。それだけじゃない。シクロさんまで……」

「これからどうするつもりだ?」

「決まっている――どんな手を使っても二人を取り戻す」


 アゼトは迷いなく言い放つと、爪が皮膚に食い込むほど拳を強く握りしめる。


「アルギエバ大公はたしかにこう言っていた。……今夜零時、リーズマリアを処刑する、と。俺たちを誘い出すのが目的なら、それまではリーズマリアもシクロさんも生命を奪われるようなことはないだろう」

「しかし、姫様を取り戻すといっても、いったいどうやって……?」

「奴の塔市タワーに乗り込むんだ」


 こともなげに言ってのけたアゼトに、レーカは言葉を失った。

 わずかな沈黙のあと、レーカは腹の底から絞り出すように言葉を紡いでいく。


「本気で言っているのか!? アルギエバ大公の塔市タワーは難攻不落の城塞だ。守備隊には五百機以上のウォーローダーが配備されていると聞いている。そんなところに突入すれば、いくらブラッドローダーでも無事では済まないだろう」

「無理に付き合ってくれとは言わない。俺ひとりでも行くつもりだ」


 言い終わらぬうちに、アゼトは強く胸ぐらを掴まれていた。

 レーカは目尻に涙を浮かべながら、アゼトにむかって切々と語りかける。


「バカにするな。私はリーズマリア姫様の騎士だ。あの方のためなら、たとえ炎のなかだろうと飛び込む覚悟がある」

「生きて帰れないかもしれないとしてもか?」

「この身がどうなろうと、私は忠義を貫く。この生命は姫様に捧げたのだから――」


 アゼトの問いかけに、レーカは語気強く断言する。

 それもつかのま、レーカは顔を俯かせたまま、ひとりごちるみたいに語りはじめた。


「私は人狼兵ライカントループの出来損ないだ。改造の途中で不適合と判定された。本当なら、そのまま失敗作として廃棄処分されていたはずだった……」

「……」

「姫様はそんな私に救いの手を差し伸べてくださった。私が今日まで生きてこられたのはあの方のおかげだ。そのご恩に報いるためなら、この生命などよろこんで投げ出そう」


 決然と言い切ったレーカに、アゼトは何も言わず、ただ首を縦に振っただけだ。


「好きにすればいい。だけど、ひとつだけ条件がある」

「条件……?」

「俺はかならず生きてシクロさんとリーズマリアを助ける。誰も死なせはしない」

「それで、私にどうしろと言うのだ?」

「べつに難しいことじゃない。ただ、最後まで生きることを諦めないと約束してくれ。最初から死ぬつもりでいるのなら、一緒には連れていけない」


 おもいがけないアゼトの言葉に、レーカは戸惑いを隠せない。

 どう答えていいいものか悩んでいるのだ。

 わずかな沈黙のあと、人狼兵の少女はためらいがちに言った。


「生き残れるかどうかは分からない。それでも、出来るかぎりは善処するつもりだ。貴公の望む答えではないかもしれないが……」

「それで構わないさ」


 どこまでも不器用で実直なレーカの返答に、アゼトはおもわず苦笑いを浮かべる。


「それと……その貴公っていうの、やめてくれないか」

「ならば、どう呼べば?」

「アゼトでいい」

「では、私のこともレーカと呼んでくれ」

 

 アゼトは肯うと、ふとレーカとはべつの方向に顔を向ける。

 少年の視線の先にあるのは、はるかな天空に挑む蒼い巨塔だ。

 バルタザール・アルギエバ大公の居城――”蒼の聖塔ブルー・ジグラット”。

 複雑な多層構造をもつあの塔のどこかに、シクロとリーズマリアが囚えられている。


(リーズマリア、シクロさん、待っていてくれ。かならず俺が救い出してみせる……)


 かなたにそびえる塔市タワーを睨めつけながら、アゼトは力強く拳を握りしめた。


***


 眠りから覚めたリーズマリアは、ゆるゆると視線を周囲に巡らせた。


 強い痺れが全身を苛んでいる。

 視界は白い靄がかかったようにぼやけ、手足の感覚もひどくあいまいだ。

 どうやら神経系に作用する麻痺薬を打たれたらしい。

 強力な代謝能力をもつ至尊種ハイ・リネージュ――吸血鬼を昏倒させるほどの薬物ともなれば、人間なら一滴で致死量に達するほどの劇毒である。

 解毒に時間がかかっていることから察するに、よほど多くの分量を継続的に投与されたらしい。

 

 そうするうちに、リーズマリアの視界はすこしずつ鮮明さを取り戻していった。

 吸血鬼の住居らしく、窓のない部屋はぬばたまの闇に閉ざされ、昼夜の区別さえつかない。

 どうにか首を動かしたリーズマリアは、自分が豪奢な天蓋付きベッドの上に寝かされていることに気づく。

 

「ようやく目覚めたようだな、リーズマリア・シメイズ・ルクヴァース――」


 闇の奥で涼やかな声が響いた。

 なにもなかったはずの空間にふいに蒼い影が生じた。

 リーズマリアの視界のなかで、おぼろな輪郭はみるみる美しい青年の相を結んでいく。

 

「ア……ル……ギエバ……」

「いかにもそのとおりだ。恥知らずなおまえも、どうやら私の顔は忘れていなかったようだな」


 アルギエバ大公は酷薄な微笑みを口辺に漂わせながら、リーズマリアの顔をそっと指で撫ぜる。


「いいざまだな、小娘。特製の神経伝達阻害剤もよく効いておるようだ」

「やめなさい……アルギエバ大公……」

「だまれ。だからとおまえを信じ、次期皇帝に推挙した私が愚かであったわ。至尊種の誇りを忘れて人間に媚びへつらう痴れ者と知っていれば、早々に始末していたものを――」


 アルギエバ大公の言葉にはしずかな怒気が漲っている。

 長くするどい爪がリーズマリアの雪膚に食い込み、痛々しい血の花を咲かせていく。

 そのさまを見下ろして、愉快げに舌なめずりをしたアルギエバ大公は、リーズマリアにぐっと顔を近づける。


「それほど劣等種にんげんが好きなら、下賤なオスどもの慰み者にしてくれようか? その薬が効いているうちは抵抗も出来まい」

「口を慎みなさい、大公。よくもそんな戯言を……!!」

「戯言であるものか。いい機会だ、おまえに私の母の話を聞かせてやろう。母はこの世のだれよりも美しく、そして強いひとだった」


 アルギエバ大公の両眼がかすかな燐光を放ちはじめた。

 暗く淀んだそれは、まごうかたなき暗闇と血の色であった。


「聖戦のさなか、傷ついた同胞をかばって人類軍に捕らえられた母がどうなったか? 見世物としてさんざんに引き回されたうえ、大勢の兵士どもに陵辱されたのだ。そして最後は太陽の下に引きずり出され、生きたまま焼き殺された……」


 アルギエバ大公の朱唇の端からつう、と赤い筋が流れた。

 怒りのあまり、我知らぬうちに唇を噛み破ったのだ。

 みずからの血の味に酔いしれたように、老いた吸血貴族はなおも言葉を継いでいく。


「母はけっして命乞いをせず、身を焼かれても断末魔を上げなかった。それが下劣な人間どもを喜ばせるだけだと知っていたからだ。まだ幼かった私は、母が殺されるのをただ見ていることしか出来なかった」

「やめて……そんな話、聞きたくない……」

「すべて真実だ。聖戦のあとに生まれたおまえは、かつて我ら至尊種ハイ・リネージュがどんな辛酸をなめてきたか知るまい。忌まわしい吸血鬼と石もて追われ、実験動物モルモットのように扱われたあの時代を。人間が家畜に身を落としたのは、かつてみずからが犯した罪業の報いを受けているにすぎん」


 アルギエバ大公の唇を割って血まみれの犬歯が覗いた。

 秀麗な大貴族のかんばせは、いまやおそるべき悪鬼の形相へと変じている。

 殺意と憎悪の嵐が部屋じゅうに吹き荒れるなか、リーズマリアは震える声で言葉を継いでいく。


「あなたは間違っています……過去の行いがどうあれ、いま生きている人間たちとは関係ありません……」

「知ったふうな口を利くな。聖戦から八百年の歳月を経ても、奴らの汚らわしい本性は変わっておらん。すこしでも甘い顔をすれば際限なくつけあがり、徒党を組んで至尊種われらに牙を剥こうとするだろう。いったん支配者の座を手放せば、我らに未来はない」


 アルギエバ大公はリーズマリアの頬から喉に指を這わせる。

 引き裂かれた皮膚はだえには鮮血の粒がぷつぷつとふくらみ、赤い筋を引いてベッドに滴っていく。


「リーズマリア。おまえはあろうことか人間にブラッドローダーを与えた。自分がしたことの意味が分かっているな?」

「……」

「言え――なぜ吸血猟兵カサドレスの小童がノスフェライドに乗っていた? いったいどんな手を使ってブラッドローダーの厳重なセキュリティ・システムを通過パスしたのだ?」

「たとえどんな目に遭わされても、あなたに教えるつもりはありません……」

「よかろう。あくまで意地を張るというなら、捕らえてある吸血猟兵の女を殺すまでだ」


 アルギエバ大公の言葉は演技とも思えなかった。

 いまや貴重な吸血猟兵の生き残りであろうと、この男にとって人間の生命など虫けらほどの価値しか持たないのだ。

 わずかな沈黙のあと、リーズマリアは訥々と語りはじめた。

 

決闘代理人サクリファイスの契約を結びました」

「なんだと――」

「私の血を彼に与え、ノスフェライドに仮の主人と認めさせたのです」

「なるほど……決闘代理人とは盲点であった。どうりで人間の身でブラッドローダーに乗り込むことが出来たわけだ。リーズマリア、よりによって下等な人間ごときと血の契約を結ぶとは、やはりおまえは生かしておけん」


 アルギエバ大公はリーズマリアの胸ぐらを力任せに掴んだかと思うと、そのままベッドに叩きつける。

 苦悶の表情を浮かべるリーズマリアを見下ろして、アルギエバ大公はあくまで不敵に言い放つ。


「処刑執行は今夜零時だ。そのまえにあの小童を殺し、ノスフェライドを我らの手に取り戻す。おまえには奴が死ぬさまを特等席で見せてやろう」


 高笑いとともにアルギエバ大公の姿は闇に溶けていく。

 ふたたび寂蒔としずまりかえった部屋のなかで、リーズマリアの頬を音もなく涙が流れ落ちていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る