CHAPTER 09:ダーティ・トリック

 ブラウエス・ブルートの長剣が銀光を散らして閃いた。

 恐るべき速度で繰り出される連撃を、ノスフェライドは巧みにかわす。

 吸血鬼と人間のあいだには、どれほど努力したところで埋められない身体能力の差が横たわっている。

 ノスフェライドと一体化したことでアゼトの視力と空間認識能力は飛躍的に引き上げられ、本来人間には見えないはずのアルギエバ大公の剣筋を見切り、その速度に追随することが可能となっているのだ。


「小僧、おまえだけは許さぬ――この私を愚弄した罪、その生命で贖え!!」


 アルギエバ大公が怒声を放ったのと、ブラウエス・ブルートの兜が上下に展開したのは同時だった。

 肉食動物のあぎとを彷彿させる開口部から五角形の砲口がのぞく。

 ブラウエス・ブルートの内蔵火器のなかでも最大の破壊力をほこる粒子加速砲ベバトロン・バスターだ。

 それ自体に破壊力はないが、亜光速にまで加速された重イオン粒子は、標的に命中すると同時にはげしい核融合反応を引き起こす。

 すなわち、敵の機体そのものを小型の水爆へと変えるのである。

 もともと対艦・対要塞攻撃を想定した兵器だが、ブラッドローダー同士の戦闘でも充分に決め手となる威力を持っている。


「ノスフェライドもろとも、塵ひとつ残さずに消し去ってくれる――」


 ノスフェライドの機体がおおきく沈んだのはそのときだった。

 むろん、多少姿勢を低くしたところで、亜光速のビームから逃れられるはずもない。

 左右や後方に跳んだところでおなじことだ。推進器スラスターを使ったところで、この距離では到底離脱は叶わない。

 もはやどこにも逃げ道はない。

 勝利の愉悦に彩られたアルギエバ大公の秀麗なかんばせは、しかし、次の瞬間には驚愕の色に染め上げられていった。

 ノスフェライドは大太刀を地面に突き立て、ブラウエス・ブルートめがけて猛然と突進したのだ。

 アゼトは攻撃から逃げるのではなく、あえて最も危険な死地――まさしく虎口にみずから飛び込むことを選んだのだった。

 

「おおッ――!!」


 ブラウエス・ブルートがとっさに繰り出した長剣の一撃をかいくぐり、アゼトは裂帛の気合とともにノスフェライドの右腕を突き出す。

 力強く握りしめた巨人の五指マニピュレーターは、文字通りの鉄拳と化している。繊細な構造に反して、岩盤さえ打ち砕くほどの威力を秘めているのだ。

 ブラウエス・ブルートの頭部を真芯に捉え、超音速の拳がとぶ。


 もはや命中が避けられないことを悟ったアルギエバ大公は、とっさに粒子加速器のチャージを中止する。

 この距離で核融合炉が生じれば、ブラウエス・ブルートも無事では済まない。

 よしんばノスフェライドを葬ることが出来たとしても、自分まで巻き添えになっては元も子もないのだ。

 転瞬、ブラウエス・ブルートの機体を強烈な衝撃が揺さぶった。

 展開したままの兜はたやすく打ち砕かれ、蒼い装甲片が周囲に飛散する。


 よろめきながら体勢を立て直したときには、先刻までの美しく気品に溢れた佇まいはもはや見る影もない。

 ブラウエス・ブルートの破壊された顔面からは赤黒いオイルが滴り落ち、まるで鋼鉄の巨人が血涙を流しているようにもみえる。

 建造から八百年、聖戦十三騎エクストラ・サーティーンとしてつねに羨望と畏怖の的でありつづけてきたブラウエス・ブルートである。これほど手ひどい損傷を受けたのは、このときが正真正銘はじめてだった。

 それは乗り手ローディであるアルギエバ大公にしてもおなじことだ。


「あ、ありえん……こんなことがあっていいはずがない……ッ」


 アルギエバ大公の声色は、怒りよりも困惑と動揺の色あいのほうが濃い。

 それも無理からぬことだ。

 吸血鬼の最高位に君臨する十三選帝侯クーアフュルスト

 そのなかでも皇帝に次ぐ地位にあると自負していた自分が、まさか劣等種たる人間にしたたかに殴りつけられる日が来ようとは。

 

「立て、アルギエバ大公。まだ終わりじゃない」

「おのれ、人間ふぜいがこの私に命令するつもりか……!?」

「貴様はこれからその人間に殺されるんだ」


 アゼトは地面に刺さった大太刀を引き抜くと、するどい切っ先をブラウエス・ブルートに向ける。

 二機のあいだにふたたび剣呑な気が漲っていく。

 どちらも仕掛ける機会を伺ったまま、身じろぎもせずに睨み合う。


 沈黙を破って乾いた銃撃音が響いた。

 フルオート火器特有の途切れのない発射音が廃鉱のどこかから聞こえてくる。


「なんだ……!?」

 

 アゼトはブラウエス・ブルートと向き合ったまま、集音センサーの解像度を最大限に上げる。

 やがて強化された聴覚が捉えたのは、複数のウォーローダーの駆動音だ。

 少女の悲鳴が切れ切れに混ざり込む。

 聞き覚えのある声に、アゼトはおもわず息を呑んでいた。


「――リーズマリア!?」


 助けに向かおうにも、この状況で敵に背を向けることは死を意味する。

 どうすることも出来ないまま、アゼトは歯噛みするばかりだった。


「アルギエバ大公!! いったいどういうつもりだ!?」

「私の目的はリーズマリアを始末することだ。出来ればこの手で息の根を止めたかったが、万一に備えてあらかじめ人狼兵どもを待機させておいたまでのこと……」

「卑怯な真似を――」

「勘違いをするな。これはもともと私とあの娘とのあいだの問題だ。おまえごとき小童が嘴を入れる筋合いではない!!」


 アルギエバ大公の怒声が闇を震わせた。

 激情に支配されたのも一瞬のこと。歳りた吸血貴族は、ふたたび冷静さを取り戻すと、アゼトにむかって不気味なほどやさしげな声で語りかける。


「本当ならこの場でひねり殺してやるところだが、気が変わった」

「なにを言っている……?」

「ありがたくおもえ――今夜のところは貴様もリーズマリアも殺さずにおいてやる。おまえたちには使を思いついたのでな」


 アルギエバ大公の片言隻句も聞き漏らすまいと意識を集中させていたアゼトは、その瞬間まで気づくことはなかった。

 ブラウエス・ブルートの両腕の装甲が音もなく開き、重水素レーザーの発射口が露出する。

 次の瞬間、砲口から迸った二条の青白いレーザー光線には、ブラッドローダーを破壊するほどの威力はない。

 ブラッドローダーの装甲には紫外線を防ぐために厳重な光学防御コーティングが施され、可視・不可視の別なくあらゆる光線を無力化するのである。

 それでも、機外に露出したさまざまなセンサー系に直撃すれば、一時的にせよ機能の低下は免れない。

 相手のブラッドローダーを直接破壊することは出来ずとも、戦闘中の目潰しや撹乱の手としては充分に有用なのだ。


 ほとんど反射的に防御姿勢を取ったアゼトは、すぐにそれが無意味だったことに気づいた。

 ブラウエス・ブルートの両腕から伸びたレーザーは、ノスフェライドにかすりもしていない。

 ふたすじの光条は、まっすぐに頭上――空洞の天井へと吸い込まれていく。

 

「ひとまず仕切り直しだ。リーズマリアともう一匹の吸血猟兵カサドレスはいただいていく。あの者たちを取り戻したければ、わが居城、”蒼の聖塔ブルー・ジグラット”まで来い」

「ふざけるな!! 俺がいるかぎり、そんな真似はさせない!!」

「処刑執行は明日の零時。それまでに我がもとへ辿り着けねば、あの者たちの生命はないものとおもえ――」


 アルギエバ大公の声は、直後に一帯を領した轟音にかき消された。

 レーザー光線の直撃を受けたことで天井が崩落し、空洞内に大量の土砂と岩石が降り注いだのである。

 ブラウエス・ブルートの姿はすでにアゼトの視界から消え失せている。光学迷彩被膜を展開し、あらゆるセンサーから姿を隠したのだ。

 いかにノスフェライドの幻視像ハルシネイションといえども、攻撃を仕掛けてこないかぎりはその位置を特定することは不可能であった。


「待てッ!! アルギエバ大公!!」


 アゼトの叫びもむなしく、はやくも空洞内は土砂に埋まりつつある。

 天井が抜けたことで、ノスフェライドには鉱山ひとつ分の大質量がのしかかろうとしているのだ。

 漆黒のブラッドローダーはなすすべもなく、数億トンにおよぶ大崩落に呑み込まれていく。

 耳を聾する凄絶な破壊音のなか、アゼトはたしかにその声を聴いた。


 ――助けて……アゼト。


 助けを求めたのは、はたしてどちらだったのか。

 悲痛な叫びをかき消すように、重い闇が少年の五感を塗りつぶしていった。

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