CHAPTER 08:エッジ・オブ・プライド

吸血猟兵カサドレスだと?」


 アルギエバ大公の声には隠しきれない驚きがにじんでいた。

 なおも激しく打ち込まれるノスフェライドの斬撃を捌きながら、ブラウエス・ブルートはすばやく後方へ飛びずさる。

 いったん距離を取り、仕切り直しを図ろうというのだ。


「なぜ人間がブラッドローダーに乗っている? リーズマリアはどうした?」

「吸血鬼の質問に答える義理はない」

「この私が”青の大公ブルー・ハイネス”バルタザール・アルギエバと知ってもおなじことが言えるか、劣等種――」


 ブラウエス・ブルートは長剣を右八相に構え、ノスフェライドの出方をじっと伺っている。

 剣にかけては人後に落ちない自負があるアルギエバ大公といえども、ブラッドローダーが相手となればいきおい慎重にならざるをえない。

 たとえ動かしているのが人間であったとしても――否、そうであればこそ、万が一にも不覚を取るわけにはいかないのだ。

 先ほどアゼトが見せたあざやかな剣技は、アルギエバ大公の心胆をまちがいなく寒からしめたのだった。


「アゼト……あんた、どうして吸血鬼の機体ブラッドローダーなんかに……」


 震える声で問うたのはシクロだ。

 両手両足を切断され、もはや満足に動くことも出来ないカヴァレッタを庇うように、ノスフェライドはブラウエス・ブルートの前に立ちはだかっている。

 機体のセンサーと同期リンクした視線を敵に向けたまま、アゼトはあくまで穏やかな声で応える。


「シクロさん、詳しい説明はあとでします。奴の相手は俺にまかせてください」

「やめなさい。認めたくないけど、あいつの強さは本物よ。いくらブラッドローダーに乗ってても勝ち目は……」

「大丈夫です――俺だって、いつまでも守られてばかりじゃいられませんから」


 言い終わるが早いか、ノスフェライドの黒い輪郭がふっと揺らいだ。

 力強く地面を蹴った漆黒の巨人騎士は、ブラウエス・ブルートめがけて猛進する。

 長剣をゆうに上回る大太刀のリーチを活かした突貫チャージだ。

 超音速で繰り出される必殺の突きをまともに受けたなら、名にし負う聖戦十三騎エクストラ・サーティーンといえども無傷では済まない。

 まして三次元的な機動にははなはだ不向きな坑道内では、満足に回避行動を取ることも難しいのである。


 転瞬、暗闇にするどい剣戟音が鳴り響いた。

 黒と蒼の機体は、ほとんど密着するような格好で向かい合っている。

 ブラウエス・ブルートはその場からほとんど動いていない。わずかに長剣を傾けただけで、ノスフェライドの突貫を真正面から受け止めてのけたのだ。

 みごと必殺の一撃を防ぎきったアルギエバ大公は、勝利を確信したように高笑いを上げる。

 

「遅い遅い――あくびが出るほど突きであることよ。多少は楽しませてくれると思ったが、しょせん人間よなあ。その程度の実力で私を倒そうなどとは笑止千万」

「いいや、これでいい。俺の狙いどおりだ」

「なんだと――」


 アルギエバ大公の言葉をすさまじい爆音がかき消した。

 ノスフェライドの背中と両肩の装甲がおおきく展開し、内部に隠されていた推進器スラスターが作動したのだ。

 噴射口ノズルから吐き出された炎が闇を吹き払い、坑道内をあかあかと染めていく。

 ノスフェライドの推進器は、万物を縛める重力のくびきをたやすく断ち切り、機体をわずか数分で大気圏外まで押し上げるほどの大出力をもつ。

 そのおそるべき推進力をまともにぶつけられては、さしものブラウエス・ブルートも踏みとどまることは出来ない。

 

「やっと捕まえた――もう逃がしはしないぞ、吸血鬼!!」


 アゼトはブラウエス・ブルートが動けないことを確認して、なおも速度を上げていく。

 アルギエバ大公は脱出を試みるが、防御を解いたとたんに機体ごと貫かれることを思えばそれも叶わない。ノスフェライドに押されるがまま、際限なく後退するほかないのだ。

 そうして坑道の壁を一枚、また一枚と破りながら移動するうちに、二機のブラッドローダーはいつしかがらんとした空間に出ていた。


「ここは……!?」


 アゼトはすばやく周囲に視線を巡らせる。

 地底深くとは思えないほどに広壮な空洞であった。

 段々状をなす壁面から察するに、どうやら地下鉱脈の採掘ボーリングが行われていた竪坑たてこうらしい。

 二機が立っているのはちょうど最下層にあたる部分だ。赤く錆びついた採掘機材がむざんな屍を晒すそこは、まさしく地底の墓場と呼ぶにふさわしい。


「小童め、やってくれる。このバルタザール・アルギエバがまんまと一杯食わされるとはな……」


 ようやく守勢を脱したアルギエバ大公は、怒気をはらんだ声で吐き捨てる。

 大量の土砂にまみれたせいか、ブラウエス・ブルートの蒼く美しい装甲はひどく曇っている。

 勝利の確信から一転、なすすべもなく壁に叩きつけられ、美麗さにかけては並ぶもののない愛機を汚されたのである。

 アルギエバ大公の思考を気も狂わんばかりの怒りと憎悪が埋めたのも道理だった。


劣等種にんげん、おまえはそう簡単には殺さぬ。ノスフェライドから引きずり下ろしたあと、リーズマリアともども時間をかけて寸刻みにしてくれるぞ」

「貴様には誰も殺させないし、俺もこんなところで死ぬつもりはない」

「ほざきおったな――」


 ブラウエス・ブルートの姿が闇に溶けたのは次の瞬間だった。

 ノスフェライドのセンサーと神経レベルで接続され、いまや常人とは比較にならないほど増強されたアゼトの視力でも、その姿を認めることは出来ない。


光学迷彩被膜フォトニック・カムフラージュ!?」


 アゼトはすぐさま全方位走査スキャンを行うが、レーダーはむろんのこと、赤外線シーカーや空間認識ディビジョンセンサーにも反応はない。

 むなしく明滅をくりかえすゼロ表示が物語るのは、蒼のブラッドローダーはこの世から忽然と消え失せてしまったという事実だった。

 を視ることは出来ず、まして攻撃することなど不可能だ。


「――!?」


 アゼトがふたたび各種センサーによる走査を試みたのと、ノスフェライドを激しい衝撃が揺さぶったのは、ほとんど同時だった。

 機体を乗り手ローディの肉体の延長とするブラッドローダーにおいて、機体の損傷は痛みとして認識される。

 神経接続による鋭敏で迅速な操縦と引き換えに、乗り手は機体と痛覚まで共有するのである。

 いまアゼトを仮借なく苛むのは、背中に焼けた鉄棒を押し付けられたような耐えがたい灼熱感だ。


 苦悶を噛み殺してすばやく損傷部位をチェック。

 さいわい装甲は破られていないが、だからといって安心はできない。

 もしこのままなすすべもなく攻撃を受け続けたなら、たとえ機体は耐えられたとしても、アゼトの神経のほうがさきに限界を迎えるだろう。


(消えたんじゃない。奴はいまもどこかに潜んでいるはずだ……)


 アゼトは深く息を吸い込み、機体がセンサーを通して取得したあらゆる情報を逃すまいと神経を研ぎ澄ます。


 脳裏にあざやかな幻視像ハルシネイションが突如として湧き上がったのは、まさに集中が極限に達しようかというときだった。

 みずからの意志とは無関係にアゼトの目交まなかいを埋めたのは、ブラウエス・ブルートの長剣に胸を深々と穿たれ、おびただしい血とオイルを撒き散らしながら倒れ伏すノスフェライドの姿にほかならなかった。

 むろん現実ではないが、しかし幻でもない。

 それはだ。


「……そこだ!!」


 アゼトは大太刀をにむかって突き出す。

 いましがた脳裏に差し込んだおそるべき死の幻像のなかで、自分を殺すはずの刃が突き出されたその場所へと。


 きいん、と、澄んだ金属音が空洞内に反響した。

 闇のなかから現れたブラウエス・ブルートは、前方に長剣を突き出した姿勢を保ったまま、弾かれたみたいに後退する。


 左肩の装甲はぱっくりと割れ、赤黒いオイルが蒼い装甲をまだらに染めている。

 ブラッドローダーの装甲は格子欠陥、すなわち分子配列における弱点を持たない半固体・半流体の完全非晶質アモルファス構造をもつ。

 艦載砲さえ弾き返す強度とねばり、そして軽さを兼ね備えた究極の装甲も、ごく狭い範囲に巨大なエネルギーが集中すれば耐えきれずに破損に至る。

 アゼトが繰り出したのは、その意味ではまさに理想的な一撃といえた。

 ノスフェライドはありったけのパワーを大太刀の切っ先に込めて、ブラウエス・ブルートの装甲を断ち割ったのだ。

 

「おのれ……ッ!!」


 アルギエバ大公はひとりごちるみたいに呟く。

 その声色に強くにじむのは、愛機に傷をつけられた驚き以上に、劣等種人間ごときにしてやられた自分自身へのやり場のない怒りだった。

 傷口の痛みを激情で覆いつくし、アルギエバ大公はふたたび長剣を構える。

 

「劣弱な人間の身で、わがブラウエス・ブルートに傷をつけたことは褒めてやる。だが、偶然は二度とは続かぬぞ」

「ちがう。……さっきのは偶然なんかじゃない」

「でまかせを言うな!!」

「疑うのなら何度でも試してみればいい。たぶん、結果はおなじだ。いくら姿を消しても、


 ブラウエス・ブルートの一撃を退けたことで、アゼトの推測は確信へと変わった。

 あの瞬間、不吉な死の幻視像ハルシネーションを自分に見せたのは、ほかならぬノスフェライドだったのだ。

 それが純粋に乗り手ローディの生命を脅威から保護するためか、あるいは機体を守るための機能なのかまでは判然としない。

 いずれにせよ、アゼトは数秒先の死を先んじて体験し、それによって窮地を脱したのである。

 もし幻視像を見ていなければ、機体を貫くブラウエス・ブルートの刃は現実のものとなっていたはずだ。

 それを思うと、いまさらながらに冷たいものがアゼトの背筋を駆け抜けていく。

 

「下等な人間風情が――図に乗るのもここまでだ。もはや容赦はせぬ!!」


 アルギエバ大公の言葉に呼応するみたいに、ブラウエス・ブルートの機体がすさまじい殺気を帯びはじめた。

 ただでさえひんやりとした地下空洞内の空気がさらに冷たさを増していく。

 真っ向から対峙した蒼と漆黒のブラッドローダーのあいだをひりつくような緊張が充たし、不可視の凄気が闇のなかではげしく渦を巻く。

 と、ふいにノスフェライドの外部スピーカーからアゼトの声が流れた。

 

「すこし前、俺たちはおまえとおなじように姿を消す装備を持った吸血鬼を倒した。乗っていたのは人間が使うのとおなじウォーローダーで、性能はブラッドローダーとは較べものにならないくらい低かったが……」

「それがどうした? 私がそやつとおなじだとでも言いたいのか?」

「おなじだなんてこれっぽっちも思っちゃいない。いいや、それどころか真逆だった」

「当然だ。十三選帝侯クーアフュルストに列せられるこの私と、聖戦十三騎エクストラ・サーティーンであるブラウエス・ブルートが、人間ごときに討たれる愚か者と同列であるはずがない」

「その吸血鬼は、俺たちとの戦いの前に光学迷彩被膜フォトニック・カムフラージュを解いた。姿を消したまま不意打ちをしようと思えばそうすることも出来たはずなのに、あえてそれをしなかった。人間を見下して、虫けらのように思っていても……いいや、そう思っているからこそ、卑劣な真似は出来なかったんだろう」


 アゼトは言葉を継ぎながら、大太刀の刃筋をノスフェライドの真正面に構える。

 正眼の構え。それが意味するところはただひとつ。

 敵手がいかなる手を繰り出そうと、真正面からすべて受け止め、そのうえで完膚なきまでに打ち砕くという鮮烈な意思表示だ。


「そうだ――アルギエバ大公、貴様とは違う。

 ブラッドローダーの性能に物を言わせて非力な者をいたぶり、姿を消して攻撃を仕掛けることを恥ずかしいとも思わない貴様は、誇りなど欠片も持ち合わせてはいない。人間だろうと吸血鬼だろうと関係ない。どこまでも臆病で卑劣な、見下げ果てた戦士のクズだ」


 ノスフェライドの兜の内側にまばゆい赤光が灯った。

 両眼を血色に輝かせながら、アゼトはアルギエバ大公にむかって声高く宣言する。


「俺にはシクロさんに鍛えられた技術わざ吸血猟兵カサドレスのプライド、そしてリーズマリアから託されたこの機体ノスフェライドがある。貴様などに負けはしない!!」

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