CHAPTER 07:フルメタル・ヴァンパイア

 闇に閉ざされた坑道に金属音が響いた。


 アルギエバ大公のブラウエス・ブルートは、カヴァレッタとヴェルフィンを相手に依然として優勢な戦いを続けている。

 というよりは、せっかくの獲物をうかうかと殺してしまわぬように気を使っていると言うべきだろう。

 聖戦十三騎エクストラ・サーティーンのひとつに数えられるブラウエス・ブルートの性能と、アルギエバ大公の卓越した技量をもってすれば、吸血猟兵カサドレス人狼兵ライカントループを同時に手玉に取る程度は造作もない。

 その気になれば、一刀のもとに二機を葬り去ることも可能なのである。


 アルギエバ大公があえてそれをしないのは、狩猟の楽しみをすこしでも長く味わうためだ。

 人間とは較べものにならないほど長い寿命をもつ吸血鬼は、畢竟その生涯の大部分を退屈との戦いに費やすことになる。とくにアルギエバ大公のような軍事貴族にとって、戦乱が絶えて久しい今日では戦場で名を挙げる機会もなく、武力を持て余して無聊をかこつほかないのだ。

 生きながらに枯れていくような日々のなか、たまさか巡り合えた歯ごたえのある獲物はまさしく千金にも値する。

 なにしろ、並みの人間や人狼兵が相手では、吸血鬼の側がどれほど手心を加えても戦い自体が成立しないのだ。高位の吸血鬼になるほど好敵手に事欠くようになるのは、彼らが生まれながらに背負った種族としての宿命でもあった。

 たとえ勝敗は自明だとしても、せっかくの狩りを簡単に終わらせるはずはないのだ。


 幸か不幸か、まだ夜明けまではだいぶ時間がある。

 もっとも、たとえ太陽が昇ったところで、ブラッドローダーに乗り込んでいるかぎりはなんの問題もない。

 シクロとレーカにとって、それはアルギエバ大公が飽きるまで一方的になぶられつづけるということを意味している。

 カヴァレッタとヴェルフィンはどちらも一見ひどく損傷しているが、機体の稼働そのものにはなんの問題もない。ブラウエス・ブルートの繰り出す斬撃は、駆動系や燃料電池フューエル・セルに致命傷を与えることなく、巧妙に装甲やセンサーだけを破壊している。

 自分たちが最期の瞬間まで動けるようにアルギエバ大公がわざとそうしているのだということは、むろん二人とも承知のうえだ。

 

「ホント、いい趣味してるわね、クソ吸血鬼――」


 半ば機能を停止したメイン・ディスプレイにすばやく視線を走らせながら、シクロは舌打ちをする。

 燃料電池のエネルギー残量は、まだ数時間の活動が可能であることを示している。そう簡単には楽になれそうにもないということだ。


「そっちは遊んでるつもりだろうけど、こっちはいいかげんに品切れだっての」


 すでに重機関砲チェーンガンの残弾は尽きている。

 シクロは用をなさなくなった火器を投げ捨て、二振りのグルカナイフで果敢に接近戦を挑んでいったのである。

 一撃一撃に持てる技術と経験のすべてを惜しげもなく注ぎ込み、あらんかぎりの殺意を込めて叩きつけていった。

 それでも、ブラウエス・ブルートの装甲には、とうとうかすり傷ひとつつけることは出来なかった。

 無傷で佇む美しい蒼の機体を認めた瞬間、かすかな希望はあっけなく打ち砕かれた。

 けっきょく、シクロは吸血鬼と人間のあいだに横たわる圧倒的な力の差をあらためて思い知らされただけだ。


 シクロはかろうじて作動している戦術データリンクにアクセスし、ヴェルフィンに呼びかける。

 

「聞こえてる? ……そっちもまだ動けるみたいね」

「どうにかな……しかし、このままではいずれ……」

「こうなったら一か八かの賭けに出るしかないわ。あんたも付き合いなさい」

「なにか策があるのか!?」


 叫ぶように問うたレーカに、シクロは声を潜めて答える。


「ある――たったひとつだけ、とっておきの奥の手がね。もっとも、それが上手く行ったとしても一撃喰らわせるのがせいいっぱい。勝てる見込みはまずないでしょうね」

「かまわない。あの男に一矢報いることが出来るなら、騎士として悔いはない」

「上等。あたしの言うとおりに動きなさい」


 会話が終わるのを待たずに、カヴァレッタとヴェルフィンはブラウエス・ブルートめがけて動き出していた。

 坑道内に放置された採掘機材や壁面の凹凸に身を隠しながら、二機のウォーローダーはじりじりと間合いを詰めていく。


「ほう、まだ手向かう気力が残っていたとはな。……そうでなければ面白くない。せいぜい私を楽しませてみろ」


 アルギエバ大公は楽しげに哄笑すると、ブラウエス・ブルートの左手の指をくいくいと曲げてみせる。

 どこからでもかかってこいという、それはあけすけな挑発だった。

 たとえ二機が息を合わせて斬りかかってきたところで、危なげなく捌ききる自信がアルギエバ大公にはあるのだ。


「やああ――っ!!」


 レーカの裂帛の気合とともにヴェルフィンが跳んだ。

 長剣を大上段に構え、真っ向からブラウエス・ブルートに斬撃を浴びせかけようというのだ。

 ウォーローダーならいざしらず、吸血鬼が操るブラッドローダーが相手では、ほとんど自殺行為にひとしい大振りであった。

 

「くく、追い詰められていよいよ捨て鉢になったようだな。貴様ごときの剣がこの私に通用するとでも思ったか、愚鈍な人狼兵イヌめ!!」


 ブラウエス・ブルートの長剣が銀光を散らして走った。

 するどい刃がヴェルフィンを横薙ぎに両断しようかというまさにその瞬間、シクロのカヴァレッタは力強く地面を蹴っていた。


「人狼兵は囮か⁉︎ 小賢しい真似を――」


 アルギエバ大公がヴェルフィンへの攻撃を中断し、ブラウエス・ブルートをその場で半回転させたのは、シクロこそが本命だと見抜いたためだ。

 ヴェルフィンを斬り捨てるのはいつでも出来る。いまや二人の生殺与奪はアルギエバ大公の掌中にあるのだ。


「かかったわね、吸血鬼!!」


 シクロが叫んだのと、カヴァレッタが両手のグルカナイフの背を合わせたのは、ほとんど同時だった。

 刀身の半ばからくの字に折れ曲がったグルカナイフを組み合わせたその形は、まさしく十字架にほかならない。

 いかなる原理メカニズムによるものかはいまなお謎に包まれているが、吸血鬼は十字架を目にしただけで網膜と視神経に甚大なダメージを被るのである。

 並外れた再生能力によってたちまち回復するとはいえ、戦場において一時的に視力を失うことは命取りになる。

 たとえ常識はずれの高性能をほこるブラッドローダーに乗っていたとしても、それは変わらない。

 

「……!!」


 次の刹那、シクロの目の前で展開されたのは、およそ信じがたい光景だった。

 たしかに十字架を直視したにもかかわらず、アルギエバ大公は何事もなかったかのように機体を操り、あっさりとカヴァレッタを斬り捨てたのだ。

 グルカナイフを握った両腕は肘のやや上から切り落とされ、なめらかな切断面を晒している。

 攻撃はそれだけでは終わらない。ブラウエス・ブルートが軽妙な音とともに刃を返したかと思うと、カヴァレッタの両足は膝下から消失していた。

 暗闇に火花スパークが散り、オイルが勢いよく噴き出す。

 四肢を失い、もんどりを打つように地面に叩きつけられたカヴァレッタには一瞥もくれず、ブラウエス・ブルートはその場で向きを変える。


 刹那、金属がひしゃげる耳障りな音が響きわたった。

 ブラウエス・ブルートがヴェルフィンの首を掴み、力任せに坑道の壁に叩きつけたのである。

 とどめを刺さなかったのは、べつに情けをかけたわけではない。人狼兵の始末は後回しでかまわないと判断したのだ。

 もはや自力では動くことも出来なくなったカヴァレッタを見下ろし、アルギエバ大公はくつくつと低い笑い声を漏らす。


「まったく驚かせてくれる。その忌まわしい形を知っている人間がまだこの世に残っていたとはな。さすがは悪名高き吸血猟兵カサドレスと言ったところか?」

「そんな……‼︎ どうして平気で……!?」

「貴様は知るまいが、すべてのブラッドローダーには十字架への防御装置フィルターが搭載されている。センサーが十字の図形を捕捉した瞬間、乗り手ローディたる我らが強力な補正が働くのだ。たとえ目の前に突きつけられたところで、ブラッドローダーに乗っているかぎり痛くも痒くもないわ――」


 嘲笑とともに吐き捨てたアルギエバ大公は、カヴァレッタの装甲を撫でるように切っ先をすべらせる。


「さて……人間のくだらぬ浅知恵など、我らには通用しないということがよく分かったはずだ。そこに転がっている駄犬はともかく、おまえは人間にしてはなかなか見どころのあるやつ。この私に跪いて忠誠を誓うというなら、あらたな騎士団長として迎えてやろう」

「冗談もほどほどにしておくことね……!! あんたたち吸血鬼の手下に成り下がるくらいなら、殺されたほうがマシよ!!」

「貴様の父もおなじことを言った。まったく血は争えぬものよ」


 アルギエバ大公はわざとらしくため息をつくと、長剣をカヴァレッタのコクピットに押し当てる。

 脱出しようにも度重なるダメージによってハッチはひどく歪み、シクロにはどうすることも出来ない。

 大公がその気になれば、シクロの身体は機体ごとあっさりと両断されるだろう。


「名残惜しいが、楽しき狩猟ゲームもこのあたりで幕引きとしよう。さらば、最後の吸血猟兵――」


 アルギエバ大公の無慈悲な宣告に、シクロは血がにじむほど強く唇を噛みしめるばかりだった。

 長剣の切っ先がじわりと装甲に食い込んでいく。

 あとすこしでカヴァレッタを切り裂くはずだったするどい刃は、しかし、ついにコクピット内に到達することはなかった。

 ブラウエス・ブルートがとっさに後方に飛び退いたのだ。

 重水素レーザーのまばゆい光芒が闇を裂いたのは、それから一秒と経たないうちだった。


「この攻撃……!! まさか!?」


 アルギエバ大公が叫んだのと、坑道の奥から黒い影が突進してきたのは、はたしてどちらが早かったのか。

 大太刀を構えた漆黒のブラッドローダーは、ブラウエス・ブルートにむかって猛然と斬りかかっていく。

 するどい一閃を長剣で受け止めながら、アルギエバ大公は嬉しげに声を弾ませる。

 

「やはりノスフェライドか! ようやく戦う覚悟が出来たようだな、リーズマリア!!」


 ノスフェライドはなおも沈黙を保ったまま、矢継ぎ早に斬撃を繰り出す。

 上段、中段、下段、袈裟懸け、逆袈裟、突き……。

 多彩な技をたくみに織り交ぜ、流れ水のごとくよどみなく変化させながら、どの攻撃も太刀筋は精確そのものだ。

 アルギエバ大公はノスフェライドの猛攻をかろうじて受け流しながら、ほうと感嘆の声をもらす。


「この剣さばき、リーズマリアではないな。いくさを知らぬあの娘が、ブラッドローダーをこうまで自在に操れるはずがない」

「……」

。答えろ、ノスフェライドに乗っているおまえは何者だ?」


 わずかな沈黙のあと、ノスフェライドの頭部に真紅の鬼火がまたたいた。

 両眼に血色の光を湛えた漆黒のブラッドローダーは、あらためて大太刀を構えると、静かに名乗りを上げる。


「アゼト――吸血猟兵カサドレスだ」

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