CHAPTER 06:ブラッディ・サクリファイス

「……ダメだ」


 首を横に振りながら、アゼトは震える声でつぶやいた。


「どんなに強力な機体でも、俺はこいつには乗れない」

「アゼトさん……」

「リーズマリア、君だって知っているはずだ。人間がブラッドローダーに乗ろうとすればどうなるか――」


 ブラッドローダーは吸血鬼のために作られた”血の鎧”である。

 ウォーローダーとは比較にならないほどのすさまじい性能をもつ機体には、当然それに見合うだけの高度なセキュリティ・システムが搭載されている。

 もし人間がブラッドローダーに乗り込もうとすれば、即座にが取られる。

 すなわち、機体に搭載された人工知能ハイパーブレイン・プロセッサが人間を異物と認識し、すみやかに抹殺・排除するのである。

 ブラッドローダーが人間に奪取されることを防ぐために設定された厳重なセキュリティシステムは、機体の起動ブートアルゴリズムに強固に紐付けられている。外部からの解除はおろか、当の所有者にさえ容易に解除することは出来ない。

 どうあがいてもブラッドローダーに人間は乗れない――それは、子供でさえ知っている常識中の常識だった。


 わずかな沈黙のあと、リーズマリアはアゼトをまっすぐに見据え、決然と言い放った。


「いいえ――たったひとつだけ方法があります」

「それは……?」

至尊種ハイ・リネージュのすべてがブラッドローダーを操れるわけではありません。私のようにブラッドローダーを所有していても自分では戦えない者は、合戦や決闘を挑まれたときには決闘代理人サクリファイスを立てることになっています。代理人に指定されれば、本来の持ち主でなくともセキュリティを通過パスすることが出来るのです」

「……」

「決闘代理人になれるのは近しい親族か配偶者だけです。ですが、いまはあなたのほかに頼れる方はいません」


 リーズマリアの声は震えている。

 美しい吸血鬼の姫君は、禁忌に触れてしまった苦悩と後悔に苛まれているのだ。

 アゼトはリーズマリアの顔を覗き込むと、切々と問いかける。


「リーズマリア、教えてくれ。どうすれば俺は決闘代理人サクリファイスになれる?」

「私の血をあなたの身体に流し込みます。本来の持ち主の血を与えることで、ブラッドローダーの所有権を一時的に譲渡する……私たちのあいだでは、血の契約と呼ばれています」


 恐ろしい言葉を口にしたことを悔やむように、リーズマリアは秀麗な顔を俯かせる。

 アゼトは驚くでもなく、力強くリーズマリアの手を握っていた。


「それをすれば、俺もブラッドローダーに乗れるようになるんだな?」

「おそらく――ですが、アゼトさんの身体になにが起こるか分かりません。至尊種ハイ・リネージュが人間の血を吸うことはあっても、その逆など聞いたこともありませんから……」

「ほんのすこしでも可能性があるならそれに賭けるだけだ。このままじゃ、どのみち俺たちも殺される。みんなを助けられるなら、俺はどうなってもかまわない」


 切々と語りながら、アゼトはすがるような眼差しをリーズマリアに向ける。


「たのむ、リーズマリア――君の血を俺にくれ」


 一切の迷いなく言い切ったアゼトは、上着の襟元をおおきく開く。

 首筋を噛めと、そう言外に示しているのだ。

 

「本当にいいんですね?」

「もう決めたことだ。どんな結果になっても後悔はしないし、ぜったいに君を恨んだりはしない」

「ありがとう……ごめんなさい、アゼトさん」


 アゼトの首筋にするどい痛みが走った。

 リーズマリアがするどい犬歯を突き立てたのだ。

 人間がなによりも忌み嫌う、世にもおぞましい吸血鬼の口づけ。

 血を吸うのではなく、血を与えるために行われるのは、吸血鬼の長い歴史でも前例のないことだ。

 誇り高い至尊種ハイ・リネージュの規律において、それは絶対にありうべからざる大罪であった。


「う……く……ッ」


 アゼトは固くまぶたを閉ざし、苦悶の声を噛み殺す。

 首筋の咬傷を通してリーズマリアの血が体内に流れ込んでくる。

 身体が燃えるように熱い。それは少年がいままで経験したことのない感覚だった。

 熱く甘い毒が全身の血管をまたたくまに駆け巡り、細胞の一つひとつに浸透していくのが手に取るように分かる。

 底なしの淵へと落ち込んでいこうとする意識を必死に繋ぎ止めながら、アゼトは行為の終わりをまんじりともせずに待つ。

 永遠のような時間は、実時間にしてわずか十秒にも満たない。


「……終わりました」


 アゼトはふらつく足でなんとか踏ん張りつつ、首筋に手をやる。

 出血は予想外に少ない。リーズマリアの犬歯はごくちいさな点状の傷を穿っただけだ。

 この程度であれば、一週間も経たないうちに傷跡も残さずに治癒するだろう。


「これで本当にあのブラッドローダーに乗れるんだな?」

「はい。しかし、そう長くは欺けません。いったんあなたを搭乗者ローディと認めても、一日経てばセキュリティシステムはふたたび初期化リセットされるようになっていますから……」

「それだけあれば充分だ」


 言い終わるが早いか、アゼトはノスフェライドへと駆け寄る。

 巨体をよろう漆黒の装甲は、遠目に見たときよりもなおいっそう美しく、そして恐ろしげにみえた。

 手足をそなえた人型の機械という点をのぞけば、長年慣れ親しんだカヴァレッタとはなにもかもが異なっている。

 とはいえ、ブラッドローダーもウォーローダーから発展した兵器であることに変わりはない。

 これまでローディとして培った経験と知識は無駄にはならないはずだった。


(どんな機体だろうと、かならず乗りこなしてみせる――)


 アゼトが機体の傍らに立ったのと、リーズマリアが声を張り上げたのは、ほとんど同時だった。


「どこでもかまいません、手で装甲に触れてください! そうすれば、自動的に認証シークエンスが始まります!」


 リーズマリアの言葉に従って、アゼトはノスフェライドの脚部に掌をつける。

 漆黒の装甲は氷のように冷たい。触れたそばから体温が吸い取られていくのは、あながち錯覚ではないだろう。

 機体の表面に数条の赤い光が流れたのはそのときだった。

 一度はてんでな方向に拡散したかにみえた光の奔流は、数秒と経たないうちにアゼトの掌へと集束していく。

 ブラッドローダーに標準搭載された生体認証システムだ。

 装甲下に張り巡らされた無数の光学素子が血液中の成分を解析し、搭乗の可否を判定するのである。


 アゼトはぐっと生唾を飲み込む。

 リーズマリアの言葉を信じたとはいえ、緊張は抑えきれるものではない。

 もしセキュリティシステムに不適格者と判断されたなら、アゼトはすぐさま抹殺されるだろう。

 やがて赤い光が何度かまたたいたかと思うと、アゼトは弾かれるように飛び退っていた。

 ――本能的に危険を感じて回避行動を取ったのである。


 そうするあいだに、ノスフェライドはひとりでに膝を折り曲げている。

 アゼトを正規の搭乗者ローディと認め、乗り降りしやすいように機体がみずから膝を屈したのだ。

 胸と腹の装甲が左右に展開し、兜状の装甲に包まれた頭部がおおきく後方にスライドする。

 あらわになったコクピット内の情景に、アゼトはおもわず目を瞠っていた。

 レバーやフットペダル、各種の計器や映像表示ディスプレイといった、操縦に不可欠なマン・マシン・インターフェースがどこにも見当たらないのだ。

 困惑するアゼトにむかって、リーズマリアはまたも声を上げる。


「心配はいりません。そのまま機体に乗り込んでください」

「だけど、これでは操縦のしようが……」

「コクピットに身体を収めた瞬間から、ノスフェライドはあなたの手足になります。それが”血の鎧”と呼ばれている所以でもあるのです」


 リーズマリアに言われるまま、アゼトはコクピットに身体をすべりこませる。

 いまこの瞬間もシクロとレーカはブラッドローダーと命がけの戦いを繰り広げているのだ。遅疑逡巡している時間はない。

 音もなくコクピットが閉鎖されると同時に、アゼトの全身に奇妙な感覚が生じた。

 皮膚を超えて神経が外側に伸びていく。自分の意志とは無関係に、身体の境界線が際限もなく拡がっていく。

 一瞬前まで臀部と背中を圧していた座席シートの感覚は消失し、いつのまにかアゼトは自分自身の両足で格納庫の床を踏みしめている。

 いまや少年を形作るすべてがおそるべき速度で全高五メートルの鉄巨人へと変容しつつあるのだ。

 ここに至って、アゼトにもリーズマリアの言葉の意味がようやく理解出来た。

 ブラッドローダーはレバーやペダルで操縦するものではない。

 あくまでおのれの肉体の延長として――さながら素肌のうえに鎧をまとうように、のだ。


 漆黒の機体がじょじょに熱を帯びはじめた。

 燃料電池フューエル・セルを動力源とするウォーローダーとは異なり、ブラッドローダーは発動機エンジンやバッテリーに相当する機関を持たない。

 機体を構成する数百億もの部品パーツの一つ一つがエネルギーを産出し、その総和がブラッドローダーの出力となる。

 人間を始めとする生物の細胞が血液中のグルコースを分解して熱を発生させるように、ブラッドローダーも全身の部品が生み出したエネルギーによって稼働する。

 いわば、機体のすべてがジェネレーターの役割を果たすのである。

 たとえ機体の一部が欠損したとしても、エネルギー供給に致命的な問題が生じることはないのだ。


(っ……!!)


 ブラッドローダーへの搭乗によって強化されたのは身体だけではない。

 目も耳も、あらゆる感覚が生身のときとは比べものにならないほど増強されている。

 薄闇に閉ざされているはずの採掘場内は真昼のように明るく見え、地面の砂粒ひとつまで鮮明に認められる。

 周囲を流れるかすかな風の音、そして集音器を用いなければ聞こえなかった戦闘音も、いまのアゼトにははっきりと識別することが出来る。


(しっかりしろ……はやくこの機体に身体を慣らさなければ……)


 自分の身体がなにか別種の生物に変わってしまったような薄気味悪さを懸命にこらえて、アゼトは努めて意識を強く保とうとする。

 ブラッドローダーのセンサー系は、ただでさえすぐれた吸血鬼の五感をいっそう強化するのである。

 そもそも吸血鬼に及ばない人間が一気に能力を引き上げられたなら、そのギャップに当惑するのも無理からぬことだった。


「アゼトさん、まず一歩踏み出してみてください。ゆっくりと、自分の足で歩くように――」


 リーズマリアに言われるまま、アゼトはそろそろと

 はたして、鋼鉄の両脚はアゼトの思いどおりに動き、ノスフェライドは格納庫の床を踏みしめて一歩ずつ前進する。

 そのあいだに両手の指を一本ずつ折り曲げ、首を左右にゆるゆると旋回させる。

 いずれの動作もコンマ一秒の遅延もなく、機体はアゼトの意のままに動いている。

 カヴァレッタに乗っていたときは気にしたこともなかったが、いまならウォーローダーの操縦系統インターフェイスがどれほど稚拙で無駄の多いものだったかが分かる。

 文字通りアゼトと一体となった漆黒のブラッドローダーは、生身の肉体よりはるかに軽く、そして速いのだ。


「リーズマリア、こいつの武器は?」

「いけません! もうすこし身体を機体に慣らしてからでなければ……!」

「俺のことなら心配いらない。それに、早く助けに行かなければ二人があぶない」


 アゼトの言葉に、リーズマリアはだまって肯んずる。


「格納庫の壁に長剣と盾がかかっています」

「それだけか?」

「そのほかの火器類はすべて機体に内蔵されています。ブラッドローダーは剣や槍以外の武器を持たないのです」


 ブラッドローダーはたんなる兵器というだけでなく、吸血鬼の軍事・儀礼的シンボルとしての意味合いをもつ。

 手持ちの武器が刀剣類に限られるのはそれゆえだ。銃火器は下賤な人間の道具であり、誇り高い吸血鬼には相応しくないと考えられたのである。

 

「これか……?」


 巨大な腕で鞘を掴み取るや、アゼトはいきおいよく長剣を抜き放つ。

 まばゆい銀光を散らしながら現れたのは、見たこともない奇妙な片刃の剣だ。

 刃渡りはおよそ四メートルあまり。総重量はゆうに三トンを超えている。

 刀身は鍔のやや上方からゆるやかな弧を描いて反り返り、黒銀の地肌と乱刃みだればの取り合わせが息を呑むほどに美しい。

 それは最終戦争より前の時代、はるか東の島国で大太刀と呼ばれていた刀剣をブラッドローダー用のサイズに拡大したものだとは、むろん戦後に生まれたアゼトは知る由もないことだった。


 ためしに格納庫のなかで二度、三度と軽く大太刀を振るってみれば、はじめて扱う武器とは思えないほどにしっくりと手に馴染む。

 カヴァレッタに乗っていたときに愛用していたブッチャーナイフよりもはるかに重いにもかかわらず、まるで羽毛のように軽快に感じられるのは、機体の出力そのものが段違いだからだ。

 ウォーローダーではとても扱いきれない大質量の武器も、並外れた膂力トルクをもつブラッドローダーにはむしろ軽すぎるほどなのである。

 ふたたび鞘に納めた大太刀をノスフェライドの左腰のウェポンラックに差し込み、小ぶりな盾を左前腕に装着する。

 

「たのむ、間に合ってくれ――」


 アゼトの切実な言葉に呼応するように、バシネットの奥で赤光が明滅する。

 あらたな主人を得た漆黒の巨人騎士は、闇の坑道にむかって一歩を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る