CHAPTER 04:リヴェンジェンス

「……それで、作戦の手はずは?」


 狭隘な坑道を並走しながら、レーカは通信機インカム越しにシクロに問いかける。

 まもなく坑道の終点だ。敵との接触まではあと数分とかかるまい。

 

「相手がウォーローダーなら始末する。もしブラッドローダーなら……」

「そのときは?」

「尻尾巻いて逃げるしかないわね」


 わずかな沈黙のあと、レーカはおもわず語気を荒げて問い返していた。


「貴公、冗談を言ってる場合か!?」

「冗談? ……あたしは本気よ。ブラッドローダーとまともに戦ったら勝ち目はないもの」

「私は姫様の騎士だ。勝ち目のない相手だからといって、おめおめと背中を向けられるものか! たとえこの身がどうなろうと、一秒でも長く時間を稼いでみせる!」


 語気荒く言ったレーカに、シクロはあきれたようにため息をつく。


「あんた、吸血鬼の乗ったブラッドローダーと戦ったことは?」

「……ない」

「だったら、素直にあたしの言うことを聞きなさい。気合だけでどうにかなる相手じゃないわ」


 シクロの脳裏にありありと描き出されたのは、故郷を失ったあの日の情景だ。

 吸血鬼の操るブラッドローダーの鬼神のごとき戦いぶりは、いまでも脳裏にこびりついて離れない。

 屈強の吸血猟兵カサドレスたちがなすすべもなく殺されていく光景は、まだ幼い少女だったシクロの記憶に恐怖とともに刻み込まれたのだ。

 そんななか、里で最強の戦士であったシクロの父は、ブラッドローダーを相手に孤軍奮戦し、みずからの生命と引き換えに娘の活路を開いたのだった。


 それから幾星霜――。

 修行の半ばで師父を失ったシクロは、アゼトを守り育てながら、ひたすらに技を磨いてきた。

 その甲斐あって、いまやシクロの強さは全盛期の父にも劣らない域に達している。

 しかし、どれほど戦闘経験を積み、技量を磨いたところで、吸血鬼の駆るブラッドローダーに勝つことは不可能だ。

 それは人間として生まれた以上、個人の努力ではどうすることも出来ない残酷な現実だった。


「……なにか来る!! 隠れなさい!!」


 シクロが叫ぶが早いか、カヴァレッタとヴェルフィンはすばやく左右に分かれる。


 蒼い光条が闇を裂いたのは次の刹那だった。

 ブラッドローダーのみが装備するギガワットクラスの重水素レーザー兵器だ。

 もともと大陸間弾道ミサイルを迎撃するために開発されただけあって、その破壊力は通常の火砲とは較べものにならない。

 ウォーローダー程度の標的であれば、一秒にも満たない照射で跡形もなく溶解させることが出来るのだ。

 坑道のくぼみに身を隠したカヴァレッタとヴェルフィンの暗視センサーは、ほとんど同時に接近する敵影を捉えていた。


 ブラウエス・ブルート。

 美しくも恐ろしい蒼のブラッドローダーは、悠揚と闇のなかを進んでいる。

 じょじょに距離が縮まっているにもかかわらず、カヴァレッタとヴェルフィンの集音センサーはなんの物音も拾っていない。

 それも当然だ。

 ブラウエス・ブルートは、脚部に内蔵した反重力推進アンチ・グラビティユニットによって地面すれすれを滑るようにしているのである。

 この世で最も高貴な兵器であるブラッドローダーが大地に両足をつけるのは、互角の力をもつ強敵と立ち合ったときだけなのだ。


 ふいにブラウエス・ブルートが停止したかと思うと、坑道内に玲瓏な声が流れた。


「みごと――よくぞわが一撃を躱したと言っておこう。外にいた人狼兵イヌどもはまるで食い足りなかったが、おまえたちは多少は腕が立つらしい」


 外部スピーカーを通して呼びかけたアルギエバ大公は、いかにも愉快げにくつくつと哄笑する。


「リーズマリアを殺すまえにおまえたちと遊んでやろう。遠慮はいらぬ。私とブラウエス・ブルートをせいぜい楽しませてくれ」


 アルギエバ大公は品定めをするようにカヴァレッタとヴェルフィンを見やる。


「来ないというなら、こちらから行くまでだ」


 言い終わるが早いか、ブラウエス・ブルートは蒼い颶風となって疾駆していた。

 狙いはヴェルフィンだ。

 レーカはヴェルフィンをすばやく後退させつつ、ブラウエス・ブルートを迎え撃つべく長剣を構える。


「ほお、ヴェルフィンか。なかなかめずらしい機体を持っておるな」

「バルタザール・アルギエバ! 十三選帝侯クーアフュルストでありながら、畏れ多くも次期皇帝である姫様に刃を向けるとはどういうつもりか!?」

「下郎の分際で我が名を呼び捨てるか。あの狂った小娘の飼い犬だけあって、躾がなっておらぬとみえるな」

「だまれ!! 姫様への侮辱は許さない!!」


 レーカが裂帛の雄叫びを放つと同時に、ヴェルフィンの手元からするどい銀光が迸った。

 機体の全質量を乗せた重い斬撃。まともに命中すれば、いかにブラッドローダーでも無傷では済まないだろう。


「――っ!!」


 転瞬、金属同士がかち合う甲高い音が夜気を震わせた。

 ブラウエス・ブルートはその場から一歩も動くことなく、わずかに手首を返しただけでヴェルフィンの剣を弾いたのだ。

 バルタザール大公のすさまじい技量を目の当たりにして、レーカの背筋を冷たいものが駆け抜けていく。

 

「思い上がった人狼兵イヌには、きつい灸を据えてやらねばならんな」

「なんだと……!?」

「死をもっておのれの身のほどをわきまえるがいい」


 アルギエバ大公の言葉に呼応するように、ブラウエス・ブルートの右腕の装甲が変形を開始する。

 やがて装甲の奥から現れたのは、獰猛な光を宿した大口径レンズだ。


 その輝きを認めたとたん、レーカは身体をこわばらせた。

 自分に向けられているものが重水素レーザーの発射口だと理解したのだ。

 ヴェルフィンにはレーザーの直撃を防ぐ手立てはない。回避しようにも、この間合いではどうすることも出来ない。

 

「わが手にかかって死ねることを光栄とおもえ――」


 まさにレーザーが発射されるかというとき、乾いた銃撃音が坑道内に響きわたった。

 シクロのカヴァレッタが二十ミリ重機関砲チェーンガンを斉射したのだ。

 過たずブラウエス・ブルートを撃ち抜くはずだった弾丸は、しかし、むなしく壁や地面に食い込むばかりだった。

 ブラウエス・ブルートはおそるべき疾さで長剣を振るい、超音速で飛来する数百発もの弾丸をことごとく断ち割ったのである。

 吸血鬼のすぐれた動体視力と反射神経、そして入力にたいして須臾のタイムラグさえ存在しないブラッドローダーの応答速度レスポンス……。

 いずれかひとつが欠けても成立しない、それはまさしく人外の術理だった。

 あと一歩のところでヴェルフィンにとどめを刺しそこねたことを惜しむでもなく、ブラウエス・ブルートはゆるゆるとカヴァレッタに向き直る。

 

「マヌケな吸血鬼さん。背中にはくれぐれも注意することね」

「おろかなやつ。黙っていれば、すこしは長く生きられたものを……」


 アルギエバ大公の声に怒りの色はない。

 どのみち一匹もこの場から逃すつもりはなかったのだ。順番が入れ替わったところで、結末は変わらない。


「それほど死に急ぐというなら、望みどおりにしてやろう」


 ブラウエス・ブルートの姿がおぼろにかすみ、闇に溶けていく。

 そう見えたのは、機体が人間の動体視力を超える速度に達したためだ。

 レーカの強化された視力と、ヴェルフィンの優秀なセンサー系をもってしても、ブラウエス・ブルートの軌道を追うことはもはや不可能だった。

 ブラッドローダーに搭載された反重力推進ユニットは、重力が作用する方向ベクトルそのものを自在にねじ曲げることが出来る。

 乗り手ローディが望めば、壁や天井さえも足場と化すということだ。

 ブラウエス・ブルートは狭い坑道内を縦横に駆け回り、シクロのカヴァレッタめがけて急迫する。

 

 天井に足をつけたブラウエス・ブルートから逆流れの斬光が走る。

 刃がカヴァレッタに触れるかという瞬間、闇の坑道にまばゆい火花が咲いた。


「ほう……?」


 退きざま、アルギエバ大公はおもわずため息を漏らしていた。

 美酒に酔いしれたような声音は、敵への惜しみない賛嘆にほかならない。

 シクロのカヴァレッタはすばやく二振りのグルカナイフを抜き、ブラウエス・ブルートの長剣を受け止めたのである。

 コンマ一秒でもタイミングがずれていたなら、カヴァレッタは一刀のもとに両断されていただろう。

 常人をはるかに超えた反応速度は、脳内に埋め込まれたチップが神経細胞シナプスを強制的に発火させた結果だ。

 むろん、それだけではない。機械はあくまで人間と吸血鬼の身体能力の差を埋めただけにすぎない。

 紙一重の離れ業を成功させたのは、シクロの豊富な戦闘経験と、生来の天才的な操縦センスの賜物だった。


「女、おまえも人狼兵ライカントループか?」

「あいにくだけど、あたしは正真正銘の人間よ」

「ますます面白い。この八百年のあいだ、人間は弱くなる一方だ。私の剣を受けられるほどの猛者はとうに死に絶えたと思っていたのだがな」


 アルギエバ大公は心底から楽しげに言って、ブラウエス・ブルートをカヴァレッタの前面に降り立たせる。

 期せずしてヴェルフィンとカヴァレッタに前後を挟まれる格好になったが、ブラッドローダーにとってその程度は不利のうちにも入らない。

 それどころか、もはや逃げることすら不可能になったという意味では、追い詰められたのはシクロとレーカのほうだ。

 戦いの主導権イニシアチブは依然としてアルギエバ大公が握っている。獲物をどのように料理するかは、美しく傲慢な吸血貴族の胸三寸なのである。


「思い出したぞ――」


 坑道内に降りた重い沈黙を破るように、アルギエバ大公はシクロにむかって語りかける。


「以前、おまえとよく似た型をつかう人間と戦ったことがある」

「戦闘中にべらべらと、大公殿下はずいぶんとおしゃべり好きなようね」

「もう十四年も前になるか。先帝の命令をうけ、我ら選帝侯が至尊種ハイ・リネージュに仇なす異端どもの隠れ里を掃討したときのこと……」

「――」

「いま思い出してもすばらしく腕の立つ男であった。我らと渡り合える人間がこの世にいたことには心底驚かされたものだ。あたうことならば、ぜひともわが手元に置いておきたかったほどにな」


 アルギエバ大公は懐かしい思い出を噛みしめるように、けっして戻らぬ甘美な時間を惜しむように、滔々と語りつづける。


「忘れもせぬ吸血猟兵カサドレスの戦士。奴の名は――」

「知っているわ」


 アルギエバ大公の言葉を遮って、シクロはひとりごちるみたいに呟いていた。


「ノナン――そうでしょう?」

「まさしくそのとおりだ。しかし、なぜおまえがその名を知っている?」

「あたしの父さんの名前だからよ」


 シクロの声はあくまで落ち着き払っている。

 一瞬の油断も許されない吸血鬼との戦いにおいて、激情に支配されることは死を意味する。

 それは亡き父ノナンが幼いころのシクロに何度となく教え諭してくれたことだ。

 冷え冷えとした殺意が心と身体を充たしていく。

 氷の視線でブラウエス・ブルートを射ながら、シクロは決然と告げる。


「まさかこんなところで巡り会えるとは思ってもみなかったわ。父さんと母さん、妹の仇。たとえ刺し違えても、あんたはあたしの手で殺してやる――」

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